夜は懇親会。でも、その前にホテルでシャワーを浴びたいです。でも、さらにその前に、あたりをくるりとひとまわりしたいな。
てことで、みなさんとわかれてあたりを散歩。なんか、労働者の街から福祉の街に変わってますね。でも、あちことの街角におじさまやおばさまがおられて、なんかいいなぁ。
その後、ホテルでシャワーを浴びて、中華街の「一楽」へ。I井さん、飲み放題メニューにもかかわらずヱビスを出してくださるよう交渉されたとか。あまりにもうれしすぎます。ここでおいしいチャーシューをスタートに、おいしい料理とヱビス→赤ワイン→紹興酒、そして楽しい話で、メッチャいい時間を過ごさせていただきました。
そして2次会。ここでI井さんのパートナーさんも参戦。ちょっと落ち着いた感じでいろんな話。なんか、才能豊かな人の話って、まったりするなぁ。ここではおいしい日本酒で、ふらふらになるまで呑ませていただきました。
さてと、もうすぐ日付が変わります。ホテルに帰らなきゃ。
カテゴリー: 呑み
なんもしない
朝、ふくらはぎが激痛です。そういや、昨日の夜、足がつった夢を見たけど、あれは夢じゃなかったんだ(笑)。
てことで、足を引きずりながら出勤。これを治すためには…。走るしかないな(笑)。てことで、放課後軽くランニング。
で、夜の部へ。今日は職場の歓送迎会です。で、わたしはなぜか職場の懇親会の今年度前期幹事長をやるはめになってしまいました。まぁ、長くいるし、たぶん5回目くらいだし、そもそも年齢的にたいがいだし^^;。まぁ、断りきれなかったということです。でも、実は一番大変なのは会計だったりするし、かつてやったことあるし、まぁそんなもんです。
てことで、早めに会場入り。スタッフの人と軽く打ち合わせをして、そうこうするうちに受付の時間→支店長あいさつ→乾杯とすすみます。ちなみに、幹事長あいさつはなにげになし(笑)。わたしは外の受付の机で会計担当の同僚とひそかに乾杯(笑)。なにせ、この同僚、酒呑みですからね。
そんなこんなのうちに、受付もたたんで、会場内へ。サクサクとごはんを食べて、転出者のスピーチタイム。これ、長い人はメッチャ長いからなぁ。それでも、忖度して短く終わってくれた人もいたおかげで、なんとかオンタイムに近い感じで終了。そのまま一気に最後までなだれこんで、副支店長の締めのあいさつ。てか、そこで「仕事が好きです。10時まで働きましょう」とか言うかよ(笑)。わたし、仕事嫌いやし。まぁでも盛り上がってるんだろな。
てことで、宴会終了。わたしは出番をつくらない。と、ここからがわたしの出番。
「君たち、早く出なさい。さっさと出なさい」
と追い出し役。幹事全員でみんなを追い出して、10分で追い出しきりました。やったね!
てことで、幹事のうちの3人で近くの居酒屋に行って、ようやく締まりました。
もうこれで幹事はないやろな…。
懐かしい音
朝、マダンセンターに行くと、四日市のおふたりは起きたところだったみたいです。
い「朝ごはん、どうしますか?」
T「なくてもいいですよー」
い「この、ちょっとだけ残った鈴鹿川、どうしますか?」
T「飲んじゃいましょう」
てことで、朝ごはんは日本酒でした(笑)。
その後、近鉄に乗って移動開始です。途中、丹波橋でやたら大きい荷物を持った人が乗ってきたなと思ったら、Aおひょんでした。長いつきあいやけど、同じ電車になったのははじめてやな。
てなことで、向かうはウトロ。今日は久しぶりの焼肉です。前の焼肉は…。この日ですね。そうか、おべんきょ成果を提出した日だわ。
最寄りの駅からウトロへ向かって歩きはじめます。明らかに下り坂。ということは、水は低きに向かって流れるので、雨水が集中するのは当たり前です。
やがて、ウトロに入ります。なんか、懐かしい風景と、新しくできた団地のコントラストがハンパないです。でも、今日の焼肉は、この団地ができたお祝いです。
考えてみると、日本の敗戦の瞬間から「ここで生きる」ための闘いがはじまったんですよね。はじめは米軍相手、次は日産車体、そして西日本殖産です。そんな中、ようやく安定して住める場所を勝ちとったんですよね。ほんとうに長い長い闘いでした。
到着したら、とりあえず集会所へ。なにせ、コンナムルつくってるメッチャいいにおいがしてます。
「アンニョンハシムニカ」
というと、当然のことながら
「コンナムル、食べ」
というお返事です。しばしモシャモシャいただいて、2階へ。サムルノリの練習しなくちゃね。
そんなこんなをしているうちにお昼を過ぎました。アカンアカン。放送セットの開始だわ。てことで、放送機材を取りに行ったりセットしたり。
そんなこんなでワチャワチャしているうちに、ボチボチと人が集まりはじめました。と、集会所の中から「ウトロの歌姫」が!当然のことながら、マイクを渡します。すると当然のことながらノレがはじまります。キョンナムさん、ほんとうに歳をとらはったなぁ。かつてはお富さんを歌いながら踊ってはったけどなぁ。てか、いつも「もう終わるで!」怒られながらも「いったれ!」とかやって遊んでたよなぁ。
やがて焼肉の開始です。でも、わたしは食べません。ひたすら待ちます。なにを?もちろんTにさんに買いに行ってもらってる○ビスです。その代わり、あちこちに行って、懐かしい人々とあいさつです。
「あんたも長いなぁ。水道の頃からか?」
「そうですね。その少しあとですね。もう30年ですね」
みたいな会話。やがてヱ○スが来たので焼肉開始。
そして、いよいよサムルノリの順番が来ました。今回は強力な助っ人がおられるので安心です。それにしても、純粋なウトロ住民はひとりだけです。そんな中、ウトロ農楽隊に数えてもらってるのがうれしいです。
サムルノリが終わると、農楽です。この雰囲気は、他では味わえません。ウトロの農楽は、踊るためにあり、歌うためにあります。だから、太鼓は目立つわけじゃなく、あくまでも気持ちよく歌い踊るための伴奏です。だから、ノレを聞きながらあうチャンダンを探して太鼓を叩きます。
一方、サムルノリは完全にチャンダンの順番が決まってて、合図にあわせてチャンダンを変えていきます。もちろんそこに「遊び」は入りますけどね。まぁ、聞かせる音楽です。ちなみに、わたしは農楽あがりなので、けっこう農楽が好きです。「お富さん」にだってあわせます(笑)。まぁ、サムルノリを叩きまくれるほどうまくもないし、そもそも練習してませんからね。
でも、今回は、わざわざ太鼓を演奏しようとして来てくださった方がおられて、ちょっとそこでパッティングしてしまいました。やはり打ち合わせしておかなきゃならなかったんだな。
てことで、ノレも出なくなったことなので、太鼓も終わり。あとは焼肉の続きです。Tにさんが買ってきてくださった赤ワインをグビグビやりながら肉をつついていたら「片づけるから続きはあっち」とか言われてそちらに行くと、ちゃんへんさんが声をかけてくださいました。ありゃ、認識されてた^^;。うれしいですね。
そうこうするうちに暗くなってきました。と、放送機材も車に積めたとか。じゃ、返しに行きますか。
いろんなことが終わったら、すっかり夜です。とりま、ウトロにもどって忘れ物をピックアップしたりして、そのまま卒業生の車で北へ北へと。
い「お腹減ったなぁ、ラーメン食べよ」
卒「いいですよー」
い「天一行こ、天一」
ということで、なぜか小倉をパスして竹田まで行きました。天一でお腹をふくらませたら、そのまま京都駅をパスして、うちまで送ってくれました。
卒「京都駅でおろして、あとがどうなるか心配するより送ったほうがマシ」
とのことです。ほんとにすんません。
そんなこんなで、長い長い2日間が終わりました。
「男ですか?女ですか?」
今日は出張のない出張日です。でも、出張に行きましょう。ということで、「地域との連携」をしに行きました。今回は、はじめて「副担当」にも来てもらいました。なにせ、この間ずっと副担当がわたしと同年代で「若手をつけろ」と言ってたんですよね。でないと「同和教育の継承」なんてできないです。
教員の仕事って「徒弟制度」的なところがけっこうあると思います。もちろん、そうじゃないところもあるんだけど、「そうじゃないところ」だけではないということです。「地域との連携」みたいな話は、徒弟制度なんです。だから、「地域との連携は大切です」なんて話を研修で聞くんじゃなくて、一緒に行って、どんな空気感でどんな話をしてるのかを実際に見ないとわからないんです。だから「若手をつけろ」「若手と一緒に仕事をさせろ」と言ってきたんです。もちろん、その若手が後を継ぐなんて考えてません。でも、若手がそれを知ったうえで取捨選択する、その選択肢を与えろとずっと言ってきたんです。
で、今回は、やっとつけてくれた「若手の副担当」と一緒に行ってきました。ちなみに、「地域」の人はほとんど知りあいです。中には教え子もいっぱいいます。それだけじゃなくて、地域の人たちは子どもたちのことをよく見てよく知ってます。そんな地域の人たちの姿を見て、いろいろ考えてくれたみたいです。よかった、よかった。
で、夜は恒例の会議です。その会議の中で、小学校教員が、子どもから
「先生、男ですか?女ですか?」
と聞かれたというエピソードが出てきました。それを聞いた会議参加者のT田さん
「子どもたちはそんなことを聞くんですか?」
と、えらい剣幕です。
「なぜ聞くんですか?」
と。なので
「そりゃ聞きますよ。子どもだからこそ聞くんです」
と答えました。
当然のことながら、終わったあとの飲み会でもその話です。
たぶん子どもたちは子どもたちだからこそ聞くんです。年齢が低くなればなるほど聞くんです。そしてそれは、決して「率直」とか「素直」とか「遠慮がない」とか、そういう話とは違うのです。
子どもたちは、自分がどのジェンダーに属するのかを確認したいんです。なぜなら、「幼児教育段階ではカテゴライズによる性別分離の基礎が築かれ、小学校では幼児教育段階での性別カテゴリーを引き継ぎつつも、男女均質化の原則が強く支配する」からです。
子どもたちは自分がどの性別カテゴリーに属するかを幼児教育段階で教わります。その性別カテゴリーは、単独で存在しているのではなく、「もうひとつの性別カテゴリーとの「差」」として存在しています。だからこそ、「らしさ」が強く提示されるわけです。ちなみに、これは別に保育園や幼稚園がやってるだけじゃなく、社会が総掛かりでやっています。
そうして「自分がどの性別カテゴリーに属するか」を知った子どもたちは、「その性別カテゴリーに属する人はどんな人か」ということを学びはじめます。そのことによって、自分が属する性別カテゴリーのロールモデルの選択肢を増やしていくわけです。
たいていの場合、まわりの大人がどの性別カテゴリーに属するかはわかります。一番わかりやすいのは親です(ごく一部の親を除く(笑))。教員もわかりやすい(ごく一部の教員を除く(笑))。でも、どちらの性別カテゴリーに属するかがわかるらない人には聞かなきゃならない。なぜなら「自分と同じかそうでないか」を確認して、ロールモデルとなるかならないかを決めなきゃならないからです。
だから子どもたちは聞くんです。
「先生、男ですか?女ですか?」
ついでに言うなら、そう聞かなきゃならない人は、どちらの性別カテゴリーの人からもロールモデルとはならない人になります。そこで「おかま」という言葉で排除されることになります(笑)。
ここで何が言いたいか。
それは、子どもの行動だけをとらえて、それを禁止することで解決できるかということなんです。あるいは、「学校で性別を教えるから」というひとことで解決できるかということです。
実はT田さんはズバリと言われます。そのT田さんが言われることを、わたしなりに翻訳してひとことで言うなら
「性別二元制を解体せよ」
です。
T田さん、極めてリベラルというかラディカルというか、ムチャクチャです(笑)。でも、たぶんそういうことなんですよね。
ちなみに、「なぜ性別二元性なのか?」という問いをT田さんは発せられるのですが、まぁそれはそういうものとしかいいようがないです。カテゴリーは「AかBか」ではなく「AかAではないものか」でつくられるからです。なので、カテゴリーは他にもあります。「whiteかcolored(not white)か」みたいな。
それにしても、こんな話ができる飲み会は楽しいです。
ちなみに、そのあとはKうさんがいろいろ話してくださっていたみたいですけど、わたしは帰らなきゃ、帰れなくなります。
Kうさん、あとはよろしく(笑)。
3年目かぁ
今日は大阪で会議です。この会議、3年前から出るようになりました。一昨年初めて参加した時のはこんな感じでした。つまり、日教組の近畿ブロックの女性部長会議ってことです。もちろん丸二年を経過したからと言って何が変わるわけではないのですが、それでも今年はメモくらいはとろうかなと。てことで、いちおうちゃんと会議に参加できました。
会議の中でおもしろかったのは、トランス女性を受け入れる女性部は案外多いということがわかったことです。まぁ、当たり前っちゃ当たり前なのかもしれませんが、それでもやはりおもしろいと思いました。
わたしの感覚では、女性部って、「女性」というだけの集まりではなく、女性ということでこの社会で被るさまざまな不利益に対して、集団として声をあげるためのものだと思っているんですよね。それは、「外部」だけではなく、組合内部においても同じことです。そのような女性に対して、トランス女性である「わたし」はどの立場に立つのかということが、わたしにとっては常に問われ続けていると思っています。だから、「わたしは女性だから入れてくれ」とは、とてもではないけど言えなかった。幸いにして、うちの組合はそんなわたしに対して女性部の人たちが「入り」と入れてくれたし、「女性部長しない?」と声をかけてくれたので、それに応えなきゃなと思って引き受けた結果として、いまのわたしがいるんです。でも、わたしが「問われない存在」になったかというと、それは違うわけで、やはり「問われ続けている」と思っています。そこには矛盾や葛藤や引き裂かれた思いや、さまざまな感情があるんです。
そんな話をしたら「それは女性も同じ」という発言があちこちから出てきました。「女性も矛盾や葛藤や引き裂かれた思いを持って女性部の活動をしてるんだよ」。なるほどなぁ。やはり「葛藤」がキーワードなのかなぁ。ふと「comingout story」の中でKまもとさんが語り、A久○さんやSっさんが「そう」と語ってくれたあのシーンを思い出しました。
そんな中で、ある人が「genderのこととsexualityのことは重なるところもあるけど、本来的には別のもの」と言い切られて、そのとおりだなと。さらに「あるマイノリティにすべての人権を負わせるのはやめよう」と。優しいなぁ(^^)。
会議の後はイタリアンのお店で昼呑みです。パスタおいしい。ピザおいしい。お肉もおいしい。ドルチェもおいしい。お腹いっぱいです。
それでも、兵庫のお友だちと合流して二次会へ。「お腹いっぱい」と言いながらもお酒と泡盛を飲んで、もうふらふらです。
てことで、18時に解散。まぁでもこの時間なら早めに帰れるな…。
今日も方便
今日は授業をやってから公用車で出張です。ちなみにうちの公用車は電動アシスト自転車です。春に乗るチャリが気持ちいいです。出張先は近くのホール。新入生のオリエンテーションで人権教育担当として話をしにいったという。でもまぁ、ベースは2年前のものです。話しはじめた瞬間にざわついたのは、まぁお約束です。でも、みんな真剣に聞いてくれたし、話し終えて、そこにいた新入生を捕まえて「わかりやすかった?」と聞くと「うん」と言ってくれたので、よかったよかった。
で、ガッコにもどっておべんと食べて、またまたスタートです。今日は2ヶ月に一度の滝井参り。行く道すがら『18歳のビックバン』を読みました。なるほどー。読んでよかったよ。
てことで、amazonのレビューを書いたりして。
誤解を恐れずにあえて書くなら、この本は小林春彦さんの「青春の書」であると感じました。もちろん、小林さんが直面した困難は、生半可なものではありません。でも、この本を読み進めながら伝わってくるのは、その困難「について」の記述ではなく、その困難に向き合い、折り合いをつけながら生きるために右往左往し、試行錯誤を重ねる小林さんの姿です。そんな小林さんの姿は、「わたし」もまた自分の困難とどう向き合い折り合いをつけてきたのかということと重なります。小林さんのあくまでも「自分」にこだわり一般化しない文体によって、わたしにもまた「自分」にこだわった自分自身の「青春の書」があることを再認識させられる本です。
ほんとはそのあとに
しかし、著者と面識のあるわたしにとって、ハルヒはあくまでも「吐く彦」でしかないことを付記しておく(笑)
と書こうかと思ったけど、やめときました。
それにしても眠いです。診察室に入る直前、待合のイスで寝落ちしかけました。
診察室では、特に何があるわけでもなく、特例法批判をしたり保険適用の疑問点を話しあったりという、ごく日常的な診察の時間が過ぎました。
診察が終わったら、お次は「まんまるの会」です。
4月は恒例の花見です。が、花なんてあるはずもないです。なので、今日も「桜は方便」です。
でも、公園に着いたら、まだ花が3輪くらい残ってました。ここで、またまたジンギスカン。我ながらジンギスカンが好きです。ジンギスカンは野菜が食べられるからいいですね。
てことで、フラフラになるまで呑んで、それでも普段より少し早めに帰れました。
で、呑んだくれる
朝、まだ暗いから夜か…。ごそごそしゃべっておられる話がおもしろすぎて、つい参加。なんせ恋ばなですよ。
でも、眠くなったので、またまあおふとんに入ってうとうと。次に目が覚めると8時過ぎです。よく寝ました。
ランニングしよう思ったけど、靴下が見あたらないので断念です。しかたないので、ジンギスカン味の焼きそばと昨夜の残りの鳥の胸肉のスープとヱビスの朝食です。そのまま昼過ぎまでダラダラして、片づけ開始。
片づけ終わったところで、おたふくです。
おたふくでもダラダラしゃべりながら、ひたすら焼酎を飲みます。で、夕方になったので撤収。
バス乗り場に行くと、ちょうどバスが来ました。ラッキーと乗って、目が覚めると終点にいました(笑)。
それでも折り返しのバスがすぐに来たので、そいつに乗って無事帰れました。
あまりにもしんどいので、お風呂に入ったら寝かけてしまいました。沈まなくてよかった。
てことで、今日もめっちゃ早く寝られそうです。
桜は方便
今日は、たぶん恒例となった花見です。はじめてしでかしたのはこの日でした。あれから場所を変えて、今年で3回目です。今年はどんな感じになるかな。
てことで、朝起きて、とりあえずジョギングからはじまる1日です。あとはゴソゴソ準備をして、Uりんちゃんが来てくださったところで荷物を放り込んでスタート。
いつもの場所に到着したら、まずは掃除です。ゴミが多いのはありがちですが、犬のンコもあるから油断できません。ひと通り掃除が終わったら、セッティング開始。そうこうするうちにIずみちゃん登場。ここで、Uりんちゃん手づくりのアヒージョです。うま!
やがてIっぽ&Kんちゃん登場。ここからはワインです。そうこうするうちに、メッチャぁゃιぃ人が歩いてこられました。カフェの店主・Mき口さんです。なんでそんなギャングみたいなカッコをするかなぁ(笑)。そうこうするうちに、Mつ波さんも来られて『障害のある先生たち』を宣伝されたら、あっという間に売り切れです。すごいなぁ。子連れでK野さんも来られましたが、あまりの寒さに帰られました。
そりゃそうです。メッチャ寒い。風が冷たすぎ。でも、それに耐えながら花見をするのです。
そうそう。今年も近所の人に注意されましたが、どうやら注意されるのはひとりだけであることがわかってきました。逆に、Kっくんやおたふくのお店のお客さんたちは喜んでくれてるかも。だって、今年もお店からの差し入れがあっただけじゃなくて、お客さんも差し入れしてくださいましたからね。
それにしても幸せやなぁと思います。
そうこうしているうちに、暗くもなってきたし、あまりにも寒すぎるので撤収開始。撤収を終えて家に荷物を運ぶ途中、土砂降りの雨です。やばかった…。
そして、夜は玖伊屋です。あまりにもハードです。
が、会場に着くと、オードブルが…。
なんと、今日は長年続いた「オモニハッキョ」の最後のパーリーがあって、それで残ったものだとか。オモニハッキョがなくなることはとても残念ですが、そんなものも食べさせてもらえるって、やはり幸せやなぁと思います。
ムラの人や在日の人に支えられながら、わたしたちの宴会があるってことを、あらためて知らされます。
でも、かなり酔ってたのかな。Sーちゃんが「いつきさん、寝なさい」とわたしをベッドに放り込んだのは、まだ9時頃かな。
でも、すぐに寝ちゃいました。
もったいないらしい
今日は去年話してもらった講演録が掲載された本を渡すための呑み会です。もちろん相手は伊藤さん。てことで、天王寺で合流して、呑み屋へgo。
なんでも、今日職場で「4時半から会議があるんだけど、出てくれるか?」と支店長から言われて「いつきさんと呑むから無理」と答えたら「あー、それならええわ」と簡単に言われたそうな。優先順位はわたしが高かったみたいです(笑)。
で、いろいろ話しはじめたんですが、とにかく話が「そうそうそう」ってなるんですよね。例えば…。
い「うちの職場では特別支援は保健部なんですよ。つまり、医療モデルなんです」
伊「そうなりますよねー。だからうちでは人権がからむようにしてるんです」
当たり前と感じる人は当たり前なんだけど、たぶんそう感じる人は少ないんじゃないかな。いや、たとえ人権担当が担当部署になったとしても「その子をどうケアするか」という話になって、結局は医療モデルになってしまう。でも、人権担当が考えなくちゃならないことは違うんですよね。
こないだ職場の同僚で保健部に配属された人に話してたんですけど、「人権も、保健部も対象は同じなんだけど、アプローチは正反対」ってことなんですよね。そして、それらはバッティングする話ではなくて、車の両輪なんですよね。そういう連携の仕方をしないとけないってことです。
で、伊藤さんとはそういう話で盛り上がります。
ちなみに、社会に返す前には自己受容(障害受容)みたいな話も当然あるわけです。まぁ、解放教育にひきつけると「社会的立場の自覚」みたいな話です。つまり「障害者は何もしなくてもいい」わけじゃなくて、障害者こそが医療モデルで生きていて、その価値観の変革みたいなものがあるわけで、このあたりは「GIDかtransgenderか」みたいな話とくっつくわけで。まぁこのあたりは先達がおられるわけで、もちろんそれは「青い芝の会」なわけです。だからこそ行動綱領の1番目が
我らは、自らが脳性マヒ者であることを自覚する
なわけですよね。
てことで、金満里さんから
「完璧や」
って言われた生徒の話を聞かせてもらったり。
でも、松高も一枚岩じゃないらしいです。100人のスタッフがいると、いろいろおられるのは当たり前です。でも、それでも、やはり松高は松高なんでしょうね。
そんな松高で働いている伊藤さんから、繰り返し言われたのが「もったいない」でした。
なんでも「いつきさんと一緒に働いたらぜったいおもしろいのに、もったいない」「いつきさんと一緒に働いたら、いろんなことを教わるはずなのに、もったいない」らしいです。うちの職場の人、おもしろいと思ってくれてるのかなぁ。教わってると思ってるかなぁ。わかんないです。
でも、これまでいろんな人から教わり伝えられ、そして自分で考え行動して得てきたさまざまなリソースは伝えたいですね。もちろんそれを採択するかどうかは向こうに委ねられるにしてもね。
そんな楽しい時間を過ごしていたら、はじめに帰ろうかと思ってた9時なんて簡単に通りすぎて、気がつくとギリギリ終電の時間でした。よく間にあったわ。
可視化の日
今日は午後からダイバーシティパレードです。
が、朝はやっぱりジョギング。昨日少し無理をしたから、今日はのんびりペースで走りましょう。ちんたら30分ばっか走ったのはいいけど、途中便意を催したのはたいへんでした。でも、たぶんこれ、ジョガーとかランナーのあるあるですね。
で、みんなで朝ごはんのケーキを食べて、大阪へ。
中之島に着くと、すでに集会ははじまってました。あちこちにおられる知り合いにあいさつあいさつ。
やがてパレード開始です。わたしが参加したのは、なぜか第3梯団。「EXCITED WOMAN」です。うーん、微妙だ。そういや、今回のダイバーシティパレードのofficial Tの「feminism for everyone」、ポチれませんでした。ほしいと思わないわけではなかったけど、わたしがfeminism と折り合いをつけるのは、もう少し先かなと。
で、歩きはじめたんですけど、かなり今回は目立ったかな。だって、今回はフラッグを3種類用意したからね。
まずは「トランスジェンダー生徒交流会」のフラッグです。
そして、わたし自身もtrans prideで。
ちょうど昨日は「トランスジェンダー可視化の日」とのことでしたが、職場以外の日常生活で可視化することなんて、そうそうあるわけじゃないです。なので、昨日は可視化しませんでしたが、その代わり今日は可視化しようかなと。
ちなみにもう一枚はレインボーフラッグで、Hりむさんにまとってもらいました。
歩きはじめてコールがはじまると、これまたひとつひとつに微妙に反応してしまいます。
「男も家事しろ」
は口ごもります。男じゃないけど、家にいないから家事ができない^^;
「わたしの身体に干渉するな!」
これはそのとおり。まさにわたしの身体をどうするかはわたしが決めることです。だからこそ
「わたしの身体に勝手に触るな!」
も、性暴力とは別の意味で大きな声でコールできます。そして
「女の問題、男が決めるな!」
は、やはり
「おかまの問題、男が決めるな!」
と読み替えざるを得ないですね。もちろんここでの「男」は、善意の「専門家」です。
てことで「女は楽しい」「女は最高」「女は完璧」は、すべて「おかまも楽しい」「おかまも最高」「おかまも完璧」です。だって、可視化の日ですからね。
ちなみに、まわりの女性たちが「ぶっ」と吹きながらも温かいエールを送ってくださるのがうれしかったです。でも、ひとりでコールしつづけるのはしんどい。と思ってたら、Hりむさんが一緒にコールしてくれました。そんなわたしたちにKんみんさんが「君たち、混乱させないように」と言ってくれるのはお約束です(笑)。
そんなこんなで、パレードも楽しく終了。
当然その後は呑み会です。なんだか呑んだ拍子に絡んでしまって、とても失礼というか傷つける発言をしてしまった記憶だけはあります。ごめんなさいごめんなさい。でも、ここで謝っても読まれてないだろうな。
で、梅田まで帰ったところで、なぜか二次会。ここでひとしきり呑んで、新快速に乗って目が覚めると山科を出るところだったのもお約束です(;_;)。
やれやれ…。