トラブル!

朝起きて、まずは朝食づくり。そして猫の額。

ふと思い立って、某所に
「ふらんすに行きたしと思えども/ふらんふはあまりに遠し/せめては猫の額で…。」
と書いたけど、イマイチでした^^;;。
その後しばしうだうだして、スタートです。今日は午後イチ「外国人教育セミナー」があります。スピーカーは鳥羽高校定時制のO前さんです。ちなみに、某在日外国人教育関係の全国大会でもレポートされます。今回はそれの予備レポートと言うべきか、はたまた拡大版というか。
話の内容はとてもよかったかな。とにかくネパール人の高校生が急増していて、その中で、とにかく子どもたちの進級保障・卒業保障・進路保障をしておられる。なかでも、先輩が後輩のロールモデルになっているあたりがとてもよかったです。
ただ、定時制だからできることと、その限界もまた明らかになったかな。京都府全体としては、やはり全日制でやらなきゃならないはずです。拠点校というか枠校というか、そういうのをつくればいいのに。あと、府立夜中がないことも大きいですね。とにかく、京都府がダメダメであること、そんな中で現場の工夫でここまでできるんだということ、そんなあたりを感じました。
あと、京都らしいなと思ったのが、「いい子」なんですね。実際には違うかもしれないけど。なんか、そのあたりがふみゅうとなるところでした。
てことで、セミナー終了。ひと息ついたら、再びスタート。Iちくんと合流です。ギョースーで買い出しをして、マダンセンターへ。今日は玖伊屋です。
しかしハードだな。
今日は「鶏肉トマト煮込み」「うざく」「だし」で攻めることにしました。とにかく時間がかかるのが「だし」なので、ひたすら野菜を切って、混ぜ混ぜ。

冷蔵庫に放り込んでなじませましょう。
そのあいだにIちくんがうざくをつくってくれました。

こいつも冷蔵庫に放り込んで、お次は「煮込み」です。とにかくニンニクを刻んで、鍋にオリーブオイルを敷いて、投入。ガスをオン!
つきません。ガスが出てきません。なぜだ。
ガスばかりは仕方ないです。管理人のN畑さんに電話。来ていただきました。すみませんすみません。N畑さんもわからず、大阪ガスに連絡。やがて来られました。
とはいえ、こちらはこちらでつくらなきゃなりません。ということで、カセットコンロで調理続行です。カセットコンロを買っておいてよかった。あれやこれやとぶち込んで煮込むだけです。そして完成。

しかし、暑い台所で調理をしたら汗だくです。そんなわたしたちを見かねてか、N畑さんが台所に冷風を送り込んでくださいました。メッチャ助かります。
さぁでも、わたしの調理は終わったから、あとは食べて呑むだけですね。
ちなみに、ガスの方は、結局ガス台の火花が飛んでいないことが原因とのことでした。じゃぁガス台のお金はカンパですね。さらに、下の方でガス漏れがあったようで、夜中まで作業をされていたんだとか。
そんなこんなでベッドに倒れ込んだら寝てしまいました。

引率

今日も出勤です。実はそれほど行かなきゃならないわけではないのですが、行ったら行ったでなにかあるかなと。
朝からダラダラしてると副支店長が来て「データ」をくれと。りょーかいです。すると
「報告は必要かな」
と。まぁ、わたしからしてるから、別にいいんだけど、支店長レベルで情報交換してるのは、それはそれで大切かなと思ったので
「「どひから聞いてると思うけど、ほにゃららで」って言えばいいと思いますよ」
と伝えておきました。てか、そういや、「地域との連携」をしなくちゃと思ったままスケジュールに入れてませんでした。なので、若い衆に空いてる時間を聞いて、急遽、今日行くことにしました。
ちなみに、若い衆、午前は進学補講で午後は部活なんだとか。たいへんやな。
てことで、午後イチ「地域」に行って、いろいろ話。もちろん話も大切ですが、話している「風景」を若い衆に見せたい。子どもを大切に思ってるには親や教員だけじゃなくて、地域もまた大切に思ってることが、ここに来ればわかります。
ただ、若い衆が午後の仕事があるので、30分ほどで退散。また8月末に来ましょう。
2時過ぎに帰って、服を着替えて陸上部が練習しているところへ。
「まだ暑いですね」
「3時過ぎにしましょうか」
そして3時過ぎ。ストレッチをして軽くアップしてスタート。

本日のランは、陸上部の長距離の子に名物6kmコースを伝授するというミッションです。このコース、とにかく、前半2kmがきつい登りで、そこから約3km下って、最後に1kmばっか緩ーく登るというヤツです。しかも気温は日陰で31℃。果たして最後まで保つのか。
最初の1kmはなんとか走れました。が、長い下りがキツイです。ここでペースをあげたら、確実に最後までもちません。途中、何度もとまろうと思ったけど、なんとか6kmまではもちました。が、最後の400mは足が動きませんでした。まぁそれでも帰らないと帰れないので、なんとか走りきったけど…。
結果、6.39kmを40分33秒で、アベレージが6分21秒でした。スプリットは6分21秒→6分21秒→5分53秒→6分10秒→6分22秒→6分30秒でした。まぁ、真夏の長距離はこんなもんでしょう。

走り終えたのが4時。汗がとまりません。それでも40分ほどで汗が出きった感じです。
定時が来たから帰りますか。
帰ってシャワーを浴びて、再びお外へ。友だちと合流してサイゼ飲みです。
ビールがうまい!ワインもうまい!グラッパうまい!
早めに帰って早めに寝ようと思ったら、いきなりラインが鳴りました。Yーきでした。
「今から行っていいですか?」
マジか…。まぁしかたないです。
てことで、寝たのは1時過ぎ。明日、朝が早いけど、大丈夫かなぁ。

いろいろわかる

今日は土曜日だけど、朝から夜の仕事場へ。この日楽しんだツケです。もっとも、学生さんたちも喜んでいましたけどね。
仔牛控え室に入ろうと思ったら電気がついてます。そうか、わたし以外にもおられるんだ。とにかく急いで各種プリントを印刷して教室へ。電気もついてないし、まぁ誰もいないでしょうね。と思ってドアを開けたら学生さんが二人おられました。びっくりした(笑)。さらにあとふたり入ってこられて、4人で授業です。といっても、今日も動画です。今日は西成高校の動画です。うーん、何度見てもいいなぁ。学生さんたちは、どんな感じで見ているだろう。ただ、今日は早めに終わる約束をしていたので、ディスカッションはなし。その代わり、「かつて、若い教員を連れて西成高校に行ったことがあるよ」みたいな話だけしておきました。ちなみに、今日来られた学生さんは、他の用事があって学校に来たので、ついでに授業に出られたんだとか。それでいいんです。
てことで、昼前に帰還。
しばし家でボーとしてからスタートです。せっかくなので、歩いて行こうかな。で、到着したのは東華菜館です。今日は新羅の30周年の呑み会です。ちなみに、わたしがはじめてチョンデさんと会ったのは、新羅が開店する前です。おそらく1992年とか1991年とか、そんなあたりですね。長岡でお店をされているときはたまに行きましたが、河原町に移転してからは、数えるほどしか行けてません。そして、山科のお店には、まだ1回も行ってません。なので、新羅のお客さんではないですね。でも、つきあいはあります。新羅とわたしをつないでいるのは晶美の存在です。ちなみに、新羅の看板はJさん作です。実は家族ぐるみのつきあいです。なので、今日はJさんも来ています。
ということで、お店の1階でJさんを待っていましたが、なかなか来ない。かなり心配になって電話したけど出ない。と「すでに座ってるよ」というラインが入りました。なんでやねん。
席につくと、まわりは元教員だらけです。まぁそういうことです。ここでおいしい料理を食べながら、いろいろ話。
い「実は、京都の解放教育の歴史を知りたいなと思っていまして。京都市はそれなりに歴史があるでしょ?」
M「京都市は朝田善之助の存在があったから」
朝善かよ!
M「部落問題研究所とか朝田善之助記念館に行ったら、いろいろ資料があると思うよ」
なるほど!
別の人に
い「組合、誰がつくったんですか?」
N「オレ」
みたいな話。まだまだ歴史にはなってないけど、いまのうちに歴史を残しておく必要はあるでしょうね。
そんな感じで、楽しい呑み会も終了。ここでウッチョルさんと晶美の話をしてみたり。そして、外で記念撮影。

続いて2次会です。ここでは、なぜか龍谷大学で犯罪学をやっているフランス人の方と同席。いきなり薬物の話になります。まわりの人が「えっ」と思うようなことを、ふたりで延々と話。もしかしたらえんたくにおられたかもしれないとのことです。
そんなこんなで2時間ばっか呑んで、2次会終了。みなさんは3次会に行かれるらしいけど、わたしはダウンしそうです。しばし歩いて帰ろうかな。

今年は三重

今日から明日、恒例のトランスジェンダー生徒交流会のキャンプです。今年は元樹さんに甘えて、三重県で開催することになりました。もっとも、三重県内あちこちにあたってもらったのですが、どことも宿泊できなくなっているとのことで、最終的に元樹さんの地元にお世話になることになりました。
ということで、いつものように京都駅に集合。ほどなくみんな集まってきました。空を見ると晴れ間が見えます。よかった。そして、出発です。今回、京都組はオール下道でいきましょう。で、昼前に到着。みんなでおべんとうを食べて、着替えて海へ向けて出発です。小一時間走って海水浴場に到着しました。子どもたちはあっという間に海に向かって走り去っていきました。さすがやな。
しばし子どもたちを見守っていましたが、さすがに暑い。なので海の家で買ってしまいました。

うまい。
てことで、海からの帰りはSさんに運転してもらいました。
宿舎に帰って、お次は焼肉の準備です。そんなに暑くないのは、さすがに三重県です。
呑まれるのを待ってるビールたち。

炭もいこったので、試し焼き。

大丈夫です。ということで、焼肉開始。

ということで、楽しい夜が更けていきました。

切れ目なく

諸々あって、今日も車出勤です。なので、始業の1時間以上前に出勤。えーと。そうか、夏休み中の動静表が今日提出か。
ということで、作成しはじめたけど、これがけっこうたいへんです。それにしても、お座敷がない夏休みやな(笑)。まぁ、書籍化をがんばれということですね。
動静表をつくっていると、あっという間に始業の時間。1時間目の授業に行ったはいいけど、プリントをつくり忘れていることを思い出しました。全部動静表が悪い(笑)。なので、三角関数の証明問題をあてて、その間に印刷しましょうか。
帰ってきたら、まだやってません。まぁええか。そのうち生徒が出てきて、解きはじめます。少しずつ手助けをしながら、ゆっくりと式変形をしてきます。そして
「どや、問題の右辺を見てみ」
「おぉ!」
その瞬間、見守っていた子らが「うぉー!」と言いながら拍手喝采です。いいクラスです。
でも、学びの中で自ら孤立していく子もいます。どうやって学びの「輪」の中に誘い入れるか。難しいな。でも、それをすることで団体戦になる。
授業が終わったら、再び動静表づくりです。あ、そう言えば、成績を出さなきゃ。と、プリンターが動き続けています。誰かビッグデータを放り込んだな。しかたないです。待ちです。で、各種書類を出して、ようやくひと息。次は夏休みの課題づくりです。日付を変えるだけでいけるかと思ったけど、どうもそういう感じじゃないですね。そうか、去年と進度が違うんだ。ということで、2学年分を一から作成です。ちなみに、明日からの3連休を考えると、今日がタイムリミットです。
その最中、3年生の授業。
い「いや、おとついたいへんでな。マスコミから取材依頼があってな」
生「news23!」
い「なんで知ってんねん。バレてた?」
生「うん」
バレてても、特にいつもと変わりない関係です。いや、少し変わっているのかな。わたしのことを「知った」ということ。
そう言えば、2年生の生徒が「J高校の教員紹介」のスライドで、他の教員はまともな写真なのに、わたしだけこれの写真を使っていました。それはそれでうれしいけど、その子にもバレてるわけです。でも、いつも笑顔で接してくれている。こんなに立派な話ではないけど、こういうのがわたしらしいんだろうな。
授業が終わったら、再び夏休みの課題づくりです。うんうんうなって、定時の30分ばっか前に完成。とりまプリントアウトして担当教員に渡して、ようやくひと息ですね。
ということで、定時を少しまわって退勤。家に車を置いて、再び京都駅へ。4月に一緒に呑んだ「ハンセン病市民学会「啓発資料調査部会」」の第3回学習会の懇親会会場をまたまたわたしが抑えることになって、いつものニューエビスノに向かいます。今回は徳田弁護士がスピーカーをされたようです。話が聞きたかったけど、とうていそんな時間もなく、宴会会場でのみ話を聞くことになりました。
うーん、すごい人です。そして隣には和泉せんせい。国賠訴訟の重要人物がそろっています。なんちゅうところに自分はいるんだろうと思います。が、そこはそれ。メッチャ勉強になる話を聞きながら呑むお酒はおいしいです。そして2次会はマダンセンター。どんどんひどくなってます。まぁでもこんなのでええんやろな。

シンポでウケた

今日は朝から新幹線に乗らなくちゃなりません。なので、京都駅へ。
新幹線の中では、ひたすらPCと向き合います。なにせ、今日のシンポのスライド、自己紹介のところしかできてません。いくつか普段のネタを入れますが、新しい内容も入れなきゃなりません。特にインタビューデータを入れなきゃなりません。どの「語り」をどこに入れるか。ふさわしさとインパクトを兼ね備えた「語り」を探しますが、それがまた多い。そんなこんなで、コピペしまくって、とりあえずの完成です。
品川で降りて、渋谷に移動。ここから京急に乗って三茶へ。えーと。世田谷線はどこだ?全然違うところにあるのね。やってきた電車はチンチン電車ですね。まぁ座らせていただきましょう。降りたのが「松陰神社前」なる駅です。
駅から歩きはじめましたが、何か違和感があります。

なんとなく、街並みが京都というか関西と違う気がします。あくまでも「気」ですが、たぶんそういうものなのかな。
そして到着したのは国士舘大学です。今日は「日本スポーツとジェンダー学会」があって、そのシンポジウムに誘われました。
会場に着いたら、「久しぶりー」と声をかけてくださったの関さんです。おべんきょ仲間の先輩です。今回はコーディネーターをされます。とりま、2人で控え室に行って、いろいろ話。そうこうするうちに、打ち合わせがはじまりました。何やら、今回の学会はきなくさいことになる可能性ありそうとのことで、みなさん、革命的警戒心を持っておられるようです。まぁ、テーマがテーマだし、そこに「わたし」がいたら、そりゃきなくさくなりますよね。もっとも、わたしの内容はこれの発展形なので、攻撃の対象にはなりませんがね。
そんなこんなで、学会スタート。総会の最中は学会員じゃないのでステイ。基調講演をされる内藤さんとシンポジストの貞升さんと3人で昨今の状況をあれこれ。
い「まぁねぇ、たしかに逆風が吹いてますが、ようやくここまで来たなって思ってるんですよ」
内「そう言えば、フェミニズムも同じでしたからねぇ」
貞「あぁ、医者の世界もジェンダーバランスひどいですね」
みたいな話。おもしろかったのが
い「差別禁止法、できないですよね。そりゃ、法律つくる人、自分が訴えられると思ってるから、そうなりますよね」
内「あの人たち、民事と刑事の違いがわかってないんです。差別禁止法ができたとして、訴えられても賠償金払えばすむことです」
い「そういや、あの人たち、三権分立も知りませんよね」
みたいな話。
やがて呼ばれて会場へ。まずは内藤さんの話から。
ハラスメントについての話をこってりとされました。勉強になりますね。が、ムズいな^^;。なんしか、少しずつ整備されてるけど、国際基準からすればまだまだって話なんだけど、そりゃハラスメントし放題の人が制度をつくる立場にいるから、そうなりますわな。それは差別禁止法も同じです。ほんとにもうちょっと基礎的な知識がある人が政治家にならなきゃ、マジでヤバイです。
で、お次はシンポジウム。
まずは関さんから心強いメッセージとともに、このシンポの狙いが話されました。
そして、わたし。ウケました。うれしいなぁ。昨日と一昨日が笑いがとれなかったので、余計にうれしい。が、たぶん聞いている方たちの年齢の問題もあるでしょうね。とにかく新ネタもぶっこみながら、最後は「conclution」で終わるあたりは、いちおうおべんきょの世界の作法ですね。もっとも、最後におまけの動画は流しましたが…。
2番バッターは貞升さん。女子サッカーの中にいるトランスマンの話です。なんでも貞升さん、GI学会にもおられるとのこと。検索したら、おられました。しかし、ホルモンの話とかになると「細かい話で」とか言いながら、筋注と経皮の違いについて話されるのですが、特に細かいと感じないなと思ったけど、それはわたしにとっては身近な話だからですね(笑)。しかし、ヨーロッパ圏ではトランスウーマンの女子種目への参加が論議になるけど、日本においては実際はトランスマンの男子種目への参加が論議になっていて、それはドーピングとの関係なんですね。そのあたり「研究/実際」と「世間」の違いを感じます。あとは、「グラス・ルーツ」の有無か。
そしてトリを務めれらるのは井谷恵子さんです。井谷さんは、「体育嫌い」とか「LGBTと学校体育」の研究をされているので、その成果からの報告です。わかりやすい。そして、問題が焦点化されています。もっとも、わたしが出てくるかと思ったら出てこなかったので、まぁそのあたりはそれですね。
その後、質疑応答。ここからが「革命的警戒心」のところですが、そんなこともなく、和やかなひと時になりました。ただ、最後に関さんからまとめの質問をされて、どう答えようかと。そうだ。
「人権学習の時に、常に生徒に話しているのは「何のために人権学習するのか。それはみんなが幸せになるためなんだよ」ってことです」
と話しはじめたはいいけど、
「だから…。えーと、オチがない」
と続けてしまって、関さんから
「いいこと言ってるから、続けて」
とか言われる始末です。
そんなこんなで、無事シンポも終了。終了後、いろんな人が「おもしろかった」と声をかけてくださって恐縮するなど。
ここから情報交換会という名の飲み会です。これが楽しみでした。
会場に行くと、外は大雨&落雷がすごい。部屋が高いので、雷が落ちるのがよく見えます。少しこわいですね。でも、会がはじまったら、外は見ません。とにかくビール!そしておいしい料理。さらに、いろんな人と話。
と、楽しそうな二人組を発見。ちょこっとからんで、2次会決定です。2次会では、なぜか内藤さん隣同士になって、いろいろ話。が、途中で記憶が飛んだから、きっと寝たな。
そんなこんなで、みなさん帰れなくなるので、お開きです。わたしは歌舞伎町の東横インへ。あたりはまだまだにぎやかですが、わたしは撃沈寸前です。なんとかチェックインして、缶チューハイを飲んでいる最中に寝ちゃいました。

理想と現実

朝、猛烈に眠いです。まぁしかたない。
今日は試験2日目にして、唯一カントクできる日です。なので、当然のことながらカントクがつまります。まぁでも楽なクラスをカントクさせてくれて、ありがたい。しかし、瞬間目を閉じたら寝そうになって、ヤバイです。
そして3時間目に担当科目の試験があります。どうなることやら。
てことで、昼過ぎにテストが手に入りました。とりま、おべんと食べて体制を整えます。そして採点の祭典に突入です。
まずは第1観点の採点から。ふうむ。貧富の差が激しいですね。と、ここで大あくびが出てしまい、これはいかんなと、しばし休憩。少し横になったら楽になったので、ここから一気に採点をしました。
まぁこんなもんか…。
あとはノートチェックとか第3観点の準備とかをして、退勤。
京都駅から向かうは「ちょぼやき会」の会場です。しかし眠いです。途中のコンビニで、とうとう手を出してしまいました。

うまいなぁ。けど、量が多いなぁ。でも、カフェインによる「元気の前借り」ではないから、あとが楽なはずです。
てことで、ちょぼやき会。今回は前回の続きです。
内容は…。マニアックです。が、おもしろい。
壬申戸籍のあと、明治19年の戸籍ができたけど、身分が載っていたと。で、それをのちにホワイトで消したと。さらに、戸籍の閲覧ができなくなることで、続柄をたどるのが困難になった。そこで土地に着目されることになった。
まぁそんな話から、裁判の話へと移行していきます。が、いろいろビミョーです。結局、包括的差別禁止法がないので、各論でいくしかない。さらに裁判は「個人単位」になるので、ますますパッチワークのようになる。
最後は「どうしたらいい?」と投げかけられました。
本来は「部落?そうですがなにか?」と言える社会をつくらなきゃならんし、カミングアウトできる社会をつくらなきゃならない。でも、裁判はそれとは真逆の方向に行かざるを得ない。どうしたものかなぁ。
みんなでもやもやしながら、「酔心」へ。ここで、飲んで食べてしゃべって。でも、10時になったのでおひらきにしましょう。眠い。帰れるんだろうか。

遠方より

今日の午前は第2のふるさとに出張です。なので、朝は少しゆっくり。それにしても、ほんの少しゆっくりするだけで、こんなに違うんだなと思いますね。高校を裁量労働制にしてくれたらと思うけど、それをやると、ガチの「定額働かせ放題」になるから、ヤバイですね。わたしは働かないけど(笑)。
てことで、第2のふるさとの中学校へ。まずは授業参観です。ほんとうに変わりましたね。とにかく静か。もちろん活気がないわけじゃないです。イキイキしてるけど、ベクトルが勉強に向いてる感じです。だから、教員もムリして授業をしている感じがない。いいですね。
その後、情報交換。もちろん外国人教育のことをぶっこんでおきました。
その後、第2のふるさとの本店へ。しばし謀議をして、ようやく出勤です。しかし、職場への坂道がきつい。しかも、試験を終えた子どもたちが坂道を下ってきます。なにやら笑ってます。遅刻とちゃうし(笑)。
職場に着いたら事務仕事。明日から採点の祭典が待ってます。それまでにできることをするしかないです。
とにかくあれやこれやをやって、定時が来たから退勤。
京都駅で勝又さんと合流。なんか、今週関西に来ておられるとのことで、「抜き刷りができたので会いましょう」とのことでした。
勝又さんと出会ったのは山梨ですね。
とりあえずお家に帰って、ふたりで台所に立って料理から。できたのはこんな感じ。

相変わらず野菜だらけです。でも、ほんとうは居酒屋に行くよりもこちらがいい。
あとは飲みながらいろいろ話。まずはこの間のGID学会の話から。そうそう、これの抜き刷りをくださいました。
たぶん勝又さんとわたしが共通しているのは、トランスジェンダー界隈を研究の対象にしてはいるけど、トランスジェンダーを研究したいわけではないってところですね。だから、勝又さんは「家族社会学」だし、わたしは「教育社会学」です。そしてふたりともセクシュアリティではなくジェンダーです。まぁただ世代の違いがある。なので、違いもある。まぁ、そんな話で盛りあがりました。
いやぁ飲んだ飲んだ。
さてと、寝ますか。すぐに寝られるのもいいな(笑)。

朝鮮学校と多文化共生

今日の午前はヤクゲトの日です。なので、朝は少しゆっくり。
お医者さんに行くと一番乗りでした。いつも新察の前に血圧を測ります。どうせ高いんだろうなと思ってたら、メッチャ低くてビックリです。朝イチ起き抜けの血圧はなんなんだろう。
で、新察。
い「E2がメッチャ低いし、関係あるかどうかわかりませんが、なんとなく体調がイマイチピリッとしないんですよね。なので、2週間に3枚にしようかと思うんですが」
医「いいですね」
い「5の倍数の日に貼る感じで」
医「ありですね。ただ、数値に振りまわされるんじゃなくて、あくまでも体調と相談してくださいね。あと、血栓には注意してください」
ということで、ビミョーな量の調整をしましょうか。かつて飲み薬を「3日で5錠」とかやってたから、今回もそんな感じで。
一度家に帰ってシャワーを浴びて体制を立て直して、出張です。今日は京都朝鮮初級学校の見学と講演です。仲立ちをしてくださったのは「こっぽんおり」のさとう大さんです。さとうさん、いつから知ってるんだろう。かつて選挙に出られた時は、面識はなかったけど、すでに存在走ってた気がします。ただ、今みたいな感じになったのは、カウンター以降かなぁ。京都では重要な役をされてますからね。
てことで、初級学校に到着。と、校舎から
「いつきさーん」
という声が…。京都のハッキョには知り合いがいないはずだなと思ってたら
「ミョンファでーす」
と。マジっすか。
てか、授業中の窓からそれするか(笑)。まぁわたしも逆の立場だったらするけど(笑)。
会場の部屋に入ると、すでに校長さんが忙しそうに準備をしてくださっています。とにかく今回ものすごくお世話になってます。それにしても、すんごい歓迎してくださってるのが伝わってきます。おそらく「知ってもらう」ことへの意欲のあらわれなのかな。なにもできてない自分が申し訳ないです。
とりま、校長さんに自己紹介。
い「カウンターやってました。ウトロ平和祈念館の運営メンバーです。金尚均さんは飲み友だちです」
校「濃いいところとつながってはりますね」
ちなみにTシャツは「KYOTO AGAINST RACISM」です。と、ミョンファさんも来られて、校長さんにわたしを紹介してくださります。ありがたい。
やがて校内案内。とにかく学びへの意欲がすごいです。なんなんだろう。ソンセンニムたちも表情が豊かです。おそらく教える意欲もすごいんでしょうね。まぁそりゃそうだろうな。
しかし、広い廊下にある本棚に本が並んでます。あー、これ、アメラジアンスクールと同じですね。図書室がない。そして、本を買う予算がない。それでも本を読ませたい。だから、もらった本を並べる。その中に系統を見出しながら並べる。そういう感じが伝わってきます。
と、校長さんが説明してくださいました。やはりそうなのね。
あとは保健室のこととか、体育館のこととか、「わたしたち」が当たり前に「ある」と考えているものが、ここではそうではないということを説明されます。わたしは初級学校に来たことはないけど、それでももちろん知ってます。が、もしかしたら、他の人ははじめて知ることかもしれませんね。「当たり前」のことが「当たり前」でない状況にあるのはなぜかということを考えてほしいなと思います。
ということで、校長さんの講演「朝鮮学校と多文化共生」です。と思ったら、まずは養護教諭の方からのメッセージ。そうか、養護教諭がいないということは、「学校でケアされた経験がない」ということなんですね。これはわからなかった。そして、子どもたちの中から「将来の夢は養護教諭」という声が出たきたことがうれしいというひと言は、「そうなんだろうなぁ」という気持ちがしました。
そして校長さんの話。まずは自己紹介から。朝鮮学校で学び、朝鮮学校とともに歩まれた人生です。そして民族教育の歴史。この時に語った「国語(クゴ)講習所」とか「阪神教育闘争」とか「金太一くん」が登場します。これも在日朝鮮人教育にかかわる人間としては「当たり前」なんですが、知らない人は知らないだろうなぁ。そして、DPRKとの関係について。どこからも支援がない状態で、支援してくれる国があれば、そりゃ感謝するのが当たり前です。あとは、ハッキョのカリキュラムのこととか、近隣の小学校との交流のことが話されます。
実は、校長さんは子どもたちの帰り道のスクールバスの運転があるので、1時間もありませんでした。校長さんがスクールバスの運転というのも、わかる人間にとっては「当たり前」です。が、多くの日本の学校の教職員にとっては「当たり前」ではない。本当にそういうことがたくさんあります。
そして後半は、朝鮮初級学校襲撃事件当時に第1初級学校におられた教員の方からの話。そもそも「学校が襲撃される」ということも「当たり前」ではありません。が、その当たり前が崩される。それはいったいなぜかということです。
まずは「ヘイトスピーチとはなにか」という話から。そして事実経過が話されます。ところどころに動画があります。ちなみに、初級学校襲撃事件の動画はわたしも使いますが、カメラの向きが違います。中から見える風景はまったく違います。あの動画、ほしいな^^;;
ここからは、ヘイトスピーチとの闘いの軌跡です。自分のことも重ねながら聞きます。というか、出てくるスライドに知り合いがいっぱいいるわけで、それは当たり前ですね。
そして最後にさとう大さんの話と思いきや、質疑応答になりました。かなり赤裸々な話もしてくださって、ほんとうにありがたいです。ここにも「真実を知ってほしい」という思いがあふれていますね。結局さとうさんは最後にひと言コメントされただけですが、ここも「メインは朝鮮学校」というさとうさんのスタンスが感じられて、すごい人だなと思います。
そんなこんなで、本日の出張終了。

その後、京都駅近辺に移動して飲みです。とりま4人で飲みはじめたけど、やがてさとうさんが来られて、さらに校長さんともうお一方が来られて。
と、校長さんがお店に入られた瞬間、向こうで飲んでおられたお客さんがパッと立ち上がってあいさつしておられます。ハッキョの卒業生とのことです。校長さんもうれしそうな顔をしておられます。いいですね。
そのお客さんが帰られたら、お店の方が来られて
「今の方がみなさんの分を払っていかれました」
とのお言葉。いや、マジですか。それは悪い。てか、7人分のお勘定なので、そうとうですよ。と、校長さん曰く。
「ハッキョって、そんな場所なんです」
そうでした。「力のあるものは力を、知恵のあるものは知恵を、金のあるものは金を」でした。なんでも「わっそ」というお店の方とのことなので、また行かねば。
ということで、リセットしたところに、わたしたちの支店長が来て、ここからもうひと盛り上がりです。なんかヤバいです。結局、残りはわたしたちの支店長が払ってくれました。もう、わけわかりません。
きっと明日はたいへんだろうな。
でも、ハッキョの人たちと高校教員の出会いをコーディネートできてよかった。

エンディングへ向かう

昨日から明けての月曜日です。まぁでも、昨日はおとなしかったから、今朝はずいぶん楽ですね。日曜日の呑み会はほんとにダメージを与えますね。
で、出勤。ここから授業だらけの1日がはじまります。
ただ、今日の授業の「入り」は決めてます。
「みなさん、昨日はなんの日ですかー?」
「…」
「ヒントです。日本の中で、ある県民だけは、誰もが一発で答えられます」
「沖縄…?」
「そうです。「慰霊の日」です」
ここから地図を使って説明。

アメリカ軍は比謝川から上陸してね、南へ向かいました。北谷の飛行場に達したときに、本土から「守れ」と指令が来てね。負けるとわかってたけど戦闘しなきゃならず、たくさんの犠牲が出た。ここに嘉数高台というのがあってね。ここはもともと拝所だった。ここも高台の形が変わるほどの激戦があった。さらにシュガーローフというところがあって、ここではアメリカ軍もすごい犠牲者が出た。アメリカ兵が死ぬ。その死体の上を乗り越えてやってくる。そして、ここも落ちる。そしてアメリカ軍は首里城に向かう。ここに司令部があったんだよね。ただ、牛島という司令官はここから逃げるんだけど、最終的に割腹自殺をする。それが6月23日です。この日をもって、組織的な戦闘は終わった。だから「慰霊の日」になってる。でもね。組織的な戦闘は終わったけど、戦いは続いた。そこで多くの民間人が犠牲になった。沖縄の人々の1/4が亡くなった。
じゃ、なぜ沖縄で地上戦があったか。それは「時間稼ぎ」だった。そういう意味では、本土は沖縄を捨てた。じゃ、なぜ捨ててもいいと思ったか。それは、もともと沖縄は「琉球王国」という別の国で、そこを植民地支配したからなんだよね。
そして、今も「基地負担」という形で「捨てて」いる。
君たちが行った(行く)伊江島でも激しい戦闘があって、たくさんの人が亡くなった。君たちが楽しんだ(楽しむ)その場所で人が死んだ。そういう場所です。そして、今も大きな基地がある。
沖縄に行く時、そういうことを知っていくのと知らずに行くのとは大きな違いがある。例えば民泊した時に、おじいやおばあに「激しい戦闘があったんですね」のひとことが言えるかどうか。そのひとことを言えたら、またひとつつながりが変わる。
そういうことを知ってほしい。
じゃ、面積か。あてるよ。

1・2と連続授業をしてひと息。そうだ!レインボー・ウィークでした。掲示板を見に行こう。

図書室も見なきゃ。

これから展示が増えていくんだとか。
昼休みにはESSによるアナウンス。そして音楽。いきなり「This is me」が流れます。
あわてて日本語訳の歌詞を印刷して、5時間目の最初は動画鑑賞です。
「こんなふうに生きたいね」
とつぶやいて、授業を再開です。
しかしあれやこれやとネタがある忙しい職場だな(笑)。
てことで、労働者の権利を行使して、夜の仕事に向かいます。
今日は先週やり残した学生さんの続きから。中身は「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」にまつわる話です。おそらくいろいろ調べられたんでしょうね。テキストの丸写しではない内容でした。
せっかくなので、リアクションペーパーにあった性感染症がらみの話から、日本における性教育が「純潔教育」であることへの批判をひとこと。
そして最終章「多様な背景を持つ児童生徒への生徒指導」です。
この章、ひとことで言うと「altな章」です。なんか、「その他」すべてを詰め込んでいる感じです。まとめる学生さん、たいへんです。これを項目のみにてきれいにまとめられました。まぁこの章を見ると、「たいへんな現状やなぁ」となります。が、別にたいへんな状況は今にはじまったわけではないです。実はかつてからある。それに着目するようになっただけのことです。と同時に、きちんと章を立ててないから、不十分な記述がいっぱいあります。なので
「例えば外国人の生徒については、法律の知識も必要になるよ。それをひとりの教員がすべてやるのはすごく困難だからね。人権教育研究会なんかとつながって、いろんな情報を仕入れることが大切だね」
と、ひとこと補足。
さて、あと50分。「みんなの学校」の上映です。
ここまでは、ところどころにわたしの経験談を入れながらも、テキストを使って「机上の話」をしてきました。でも、ここからは動画を使いながら、実戦を見てもらいます。時間もないことだから、あまりコメントは入れません。が、これをテキストと照らしあわせながら見れば、具体的になにをどうしているのかは、自ずと浮かびあがってきます。
てことで、夜の仕事終了。
その後、おととし担当した学生さんと駅前で呑みましょう。
まぁいろいろ悩みを聞かせてもらって、あれやこれやと話をして、10時前になりました。いかんいかん。帰らなくちゃ。