この間、おべんきょのためにこんな本とかこんな本とかこんな本とかこんな本(笑)とか読んでいます。最初の本の参考図書に最後の本が出ていたのはおどろきと笑いと納得と、微妙に入り混じった気持ちがしたりするわけです。
でも、ダメですね。なんか、引きずられてしまう。
おべんきょはあくまでおべんきょなんです。上にあげた本とは根本的にテイストが違う。主張を胸のうちに秘めて、淡々と書かなきゃならないのに、なんか、その主張を書きたくなってしまうんですね。
なので、いったん休憩です。
こんな本も読みたいけど、もう少し先。でも、とりあえずこの本くらいはかばんの中に入れておきましょう(^^)。
カテゴリー: おべんきょ
なじみの世界〜半年ぶりの検査
えーと。2ヶ月に一回処方してもらってる「ヤク」が先週切れました。実は「ヤク切れ」はヤバイんですよね。まぁ、トランスなんて行為は、しょせんは「バランスを崩す行為」なんで、メンタル面なり身体面なりにいろいろ歪がくるわけです。その歪と折り合いをつけながらうまく手なづけた先に、ちょっとはマシな世界が広がるわけで。
てことで、行きつけのお医者さんに半年ぶりに行きました。って、メッチャ混んでますやん!これは1時間半待ちか?はたまた2時間待ちか?
でも、ヤクをゲットせにゃならんので、おとなしく待合室に座りました。さてと、どうしよう。
まずは、今日一日忙しくてネットに触ってなかったので、中毒症状を緩和緩和(笑)。
落ち着いたところで取り出したのが「セックス・チェンジズ」です(笑)。「今ごろか(笑)?」って笑われそうなんですけど、今ごろなんです。もちろん「読みたい」と思って買っていたわけですが、なかなか必然がないと読まない人間なんですよね。
ちなみに、昨日あたりまで読んでいたのが「ゲイ・スタディーズ」です。もう、さらに「今ごろか(笑)?」な本です。
で、読んでいたのですが…。なんでしょうかねぇ。体から湧き上がってくる「懐かしさ」。
「ゲイ・スタディーズ」読みながら感じていたのは「アウェイ感」でした。「自分の力になる言説はここにはない」でした。もちろんそれは当たり前です。「ゲイにとって力になる」本ですから。ただ、「そこから学びたい」と思うのですが、どうしても応用ができないところに突き当たってしまうんですよね。ものすごく特化されている。それは「ゲイ」にとってはとても大切だし、「非ゲイ」にとっても、そのアウェイ感こそが大切な問題提起になるわけで、なんら異議をはさむものではない。というよりも「成功している」と言えるわけです。
で、そんなアウェイ感にまみれながら、「セックス・チェンジズ」をパラパラとめくりはじめたのですが…。そこここに「見知った世界」が散りばめられています。もちろん、書かれた時代は少し前ですから、記述として古さを感じる場面があることは否めません。でもそれは、それだけ社会が変わってきた、というよりも少しではあれ変えてきた証左でもあるわけです。そして、その変化のまだ先を行くパトリック・カリフィアの記述に「愛おしさ」すら感じます。
と…。
もしトランスセクシュアリティのすべての痕跡を消し去ることができ、完全に男性として生活できるなら、わたしはそうするだろうか?多くのトランスセクシュアルがイエスと即答することをわたしは知っている。しかしわたしは、この<大いなるジェンダー分割線>にとどまり、苦くはあるが貴重な何かを見続ける。この眺めは、危険なほどの高みからではあるが、心躍る愉快なものだ。共感とは、常に孤独から生まれるものだ。
「誰が先に言った」とかは、なしです。
わたしはわたしなりの生き方や出会いの中で、暫定的ではあれ、ようやくたどり着いたところに、ちゃんと人がいた。そのことの喜びは、なににも例えられないものです。
やっと、自分がなじんできた世界と出会えた。そんな感じがしました。
あと何日かかるかわからないけど、とりあえず読みすすめることにしましょう。
で、半年ぶりの骨密度。
測定日 | 数値(g/cm2) | 同年代女性(%) | 若年女性(%) | 同年代男性(%) | 若年男性(%) |
---|---|---|---|---|---|
2011.4/1 | 36.6 | ||||
2012.5.11 | 120 | 112 | 98 | 95 | |
2012.11.22 | 0.737 | 97 | 95 | ||
2013.4.1 | 0.749 | 125 | 116 | ||
2013.11.11 | 0.718 | 120 | 115 | ||
2014.5.26 | 0.752 | 127 | 116 |
「あがってますねぇ」
「へ?」
受付の人からも
「なかなかあがらないですよ。よくて平行線ですよ」
といわれちゃいました。
よくわかりませんが、治療の成果が出たわけで、よかったよかった(^^)。
とりあえず、あと2年半、ヤクを飲み続けると。
困った人
まぁ、仕事してると「困った人」はぼちぼちおられます。もちろん「困ってる人」じゃなくて「困った人」です。こういう人がいると、チームワークがうまくいかないどころか、仕事全体がまわらなくなって、へたすると仕事そのものがつぶれてしまうことすらあります。
まぁそんなこと…。経験したことありますねぇ…。ほんとにいままでできていたことが、ことごとくつぶれていって、その弊害は長く残ります。あの時「つくるのはみんなの合意をとったりしてたいへんだけど、つぶすのは一人のわがままでいけるんだ」って身にしみて思いました。
てのはどうでもいいんですが…。
で、その「困った人」なんですけど、たいていの場合、その本人は「困ってない」んですよね。で、まわりが困ってる。だから、本人は変わる必然性なんて感じていない。でも、困ってるまわりの人は変わってほしい。
こういう時、どうすればいいんだろう。
本人が困る時を待つ?
たぶん、それ、ない気がします。だって、今まで困らなかったから変わってないんです。
本人のパーソナリティーを強制的に変える?
基本的にまわりで困ってる人は、そういうおこがましいことは考えないものです。
配置換えを待つ?
なんか、排除してる気がするので、そういうことを考える自分に対して自己嫌悪を感じるんですよねぇ。
ほんとに打つ手がないんです。
まぁ、実は一番現実的なのは「配置換え」だったりするんですけどね。そしてそれは、一番根本的ではない解決方法だったりするんですけどね。
うーん…。
まぁ、でも、うちの職場で一番「困った人」は、わたしなんだろな…(笑)。
なんとかなるのか?
今日は、すごく簡単に言うならば、「雑務ができない日」です。
これ、この1ヶ月半でわかりました。表向きはゆるゆるの時間割ですが、実際には雑務を許さないタイムスケジュールになっています。さらに放課後は「積み残し作業」をしなきゃなりません。
にもかかわらず、明日までに「大きな表」をつくらなきゃならない。2週間前に出された宿題です。
この「表」。何をどう分類して埋めていけばいいのか、埋めれば埋めるほどわからなくなります。
まずは項目立てをするのですが、その項目は「表を埋めるもの」から考えます。すると、ひとつ目はまぁ埋まる。ところが、ふたつ目のデータにとりかかると、それは別の項目立てをしたほうがいいこたに気づかせてくれる。で、新たな項目を立てるとひとつめがうまく埋まらなくなる。でも、強引に埋める。で、みっつ目のデータを処理しはじめると…。ワケわからん(笑)。
で、ほぼほぼ全体を見渡すと、手持ちのデータでは傾向が出ない(;_;)。
みたいな…。
こんなんで、明日までになんとかなるのか?
マジ、ヤバい(;_;)
午前はガッツリ授業です。とは言え、個人的には昨日の事後学習をしなきゃいかんと思ったので、そんなこんなを話して。
で、午後からは「考え」たり作業したり。
4時半ですでに抜け殻です(笑)。でも、今日は約束の日です。行かなくちゃ…。
と…。レジュメを…。切れない(;_;)。しかたない。タイトルは「メモ」にしておきましょう。
てことで、なーんもなしでセンセと話。なんしかこの間考えてきたことや、やりとりの中で思いついたことをひたすら話をしてメモをとります。センセは「ダラダラした雑談」と思っておられたようですが、実はわたしにとってはそれが「思考法」だったりします。まぁ、迷惑な話だとは思いますが…。
それでも、ほんの少し前にすすみました。
で、今後の日程を詰めて…。
やばいわ(;_;)。
「ほんの少し前」ではダメじゃん(;_;)。
エネルギーの処し方とか…
今日も「人生」を聞かせてもらいに行きました。
まぁ、わたしは精神科医やカウンセラーではなくて、一介の教員というか、「おべんきょ途中」な人ですから、人生を聞かせてくれるのは「話してくれることが可能な人」ばかりなんですね。でも、そういう人の話を聞くことが、実は大切なんじゃないかなぁというふうにも思うのです。まぁ言ってみると「問題解決型」の「ソリューションバンク」です(笑)。
なんか、話を聞いていて、内側にどんな形でエネルギーがたまるのか。そのたまるスピードと、そのエネルギーをどう処すのか、そんなあたりがすごく大切なんじゃないかなぁという気がしてきました。
にしても、ほんとにみなさん、しんどかったことも話してくださいます。それだけに、恐縮もするし、なんか、びびってしまいます。でも、感謝なんでしょうね。
原因追求型と問題解決型
今日から3回、保護者の話らしいです。
なるほど…。これはニーズが高そうだ(笑)。
とりあえず、まずは
「ある人のある出来事への対応が「A」であったとして、それがその人の絶対的な性格と考えるのか、はたまた「関係」の中で「A」であったのか」
という話です。
ふむ。性格であれば、これはどうしようもない。でも、「関係」の中でその振る舞いをするのであれば、それは「別の関係」の中で別の振る舞いもありうるわけです。
で、ともすれば、「あの人はあーゆー人だから」とか「あーゆー人だからあーゆー振る舞い」とか、「振る舞い」の原因を「その人」に求めがちになる。でも、そういう捉え方で果たしていいのかどうか。
ここで「原因追求型」と「問題解決型」って話が出てきます。
つまり、ある問題が起こった時に、それを原因までさかのぼって根本的に解決しようとするか、とりあえず「その問題」を解決するどころかスタートするか。
まぁ、わたしはあきらかに後者ですね。なにせ、3年前に「プラグマティック」という言葉に目覚めたくらいですから(笑)。
ここでセンセは「ソリューション・バンク」という考え方を紹介されました。簡単に言えば「うまく行った事例を蓄積する」って感じですね。これ、「問題解決型」ならではの考え方ですね。だって、異なる原因の処理のための方法は共有しにくいけど、問題への対処であれば共有しやすい。
で、そこにいる一人ひとりの経験の中の「ソリューション」を出しあって「バンク」をつくろうって感じで、今日のおべんきょ終了です。
ふーむ。うまく対処できた経験ねぇ…。
まぁ、いろいろあるし、すべて言葉化できるけど、で、すべて簡単なことなんだけど…。今日びはやらんからなぁ(笑)。
他者の人生に触れる
わたし個人の「おべんきょ」も、本腰入れないといけない段階になりつつある今日この頃です。とりあえず、いろんな人の話を聞かなくちゃ。
ふだんしゃべりまくってる(笑)わたしが、他の人の話を黙って聞くって想像できないかもしれないけど、お酒飲んでなければ聞けるんです(笑)。
で、今日はHくんの話を聞かせてもらってたんですけど…。
「話を聞かせてもらう」って、ある意味残酷なことなんだなって、あらためて感じました。
「当事者から搾取する行為」と言ってしまえば、とてもクリアなんですけど、そういうポリティカルな、ある意味定形的なひとことにはまりきらない「残酷さ」をHくんに強いているということを感じながら過ごす時間でした。
なんだろ…。
話を聞かせてくれる人って、基本的にはなんらかのしんどかった過去を持っているんですけど、でもその「しんどかった過去」に一定の評価をするところまではきていて、まぁ「冷温停止状態」までは持ってきているんですよね。でも、その「しんどかった過去」を聞かせてもらう、しかも「意図を持って」「掘り下げて」あるいは「しつこく」聞かせてもらうという行為は、「しんどかった過去」を「臨界状態」くらいまで持ってこさせてしまうことなんじゃないかなぁと思うんです。
でも、そのしんどい行為につきあってくれるわけです。なぜなんだろう。どうやって返せるんだろう。まぁ「形にする」なんていうのも、これまた定形的な言葉で、たぶんそんなものでは返せない。というか、返しようもないんでしょうね…。
まぁ、その日については「ごはんをおごる」くらいのことでごまかしてるんですけど^^;;。
なんてことを考えながら、Hくんの言葉に耳を傾ける半日を過ごしました。
Hくん、ありがとね!
って、読んでないよな(笑)。
先週から半年間、心理ギョーカイのおべんきょをすることになっています。
まぁ、カウンセリングマインドはわたしの仕事に必要なことはわかってたし、せめてまとめて話を聞くくらいのことはしたいと思っていたので、うれしいのはうれしいのですが…。
なーんか、このギョーカイの言葉って、ジェンダーにまみれているみたいです。
今日はいきなり「父性原理」と「母性原理」(笑)。前者は「切断」で、後者は「包摂」らしいです。個人的には
「お父さんが切断するものって」
なわけですが(笑)。
もちろんセンセは
「父母と書いてありますが、必ずしも父母というわけではありません」
とコメントはつけられるのですが、いや、それだったら名前変えたらいいじゃんと。あまりにもバイアスがかかりすぎます。で、さらに
「心理ギョーカイの用語って、家族をモデルにしていて」
とか言われるわけですが、それって、異性愛主義じゃないですかというツッコミを飲み込みながらの講義でした。
ま、それはとりあえずおいといて…。
学校は父性原理が優位で、カウンセリングは母性原理が優位。なるほど…。
かつての学校は子どもにパブリックさを求めていて、教員はプライベート的なものが許されていたが、今は子どものプライベートさを保障しようとしていて、逆に教員にパブリックさが求められている。なるほど…。
いろいろ「なるほど」は多いのですが…。
小学校や中学校の場合はよくわかりませんが、高校については「父性原理」と「母性原理」のバランスは、おそらくは「ランク(笑)」で違うのかなと。で、必ずしも「父性原理」優位とばかりは言えないのかなと。もしかしたら、カウンセリングと同様の部分があるんじゃないかと思ったりもしたのですが。
基本的にはランク(笑)が上のところは「母性原理」の必要性が表に出にくいし、「父性原理」も必要性が少ないことが多い。なので、両方が低くてかまわない。でも、ランク(笑)が下のところは「父性原理」を強めないともたないし、かつ「母性原理」も強めないともたない。
つまり、高校においては、片方が優位というわけではなく、両方を強めないといけない学校と両方を必要としない学校に分化しているんじゃないかと。であるからこそ、「しんどい学校」にはカウンセラーやソーシャルスクールウォーカーが必要になるわけですよね。
ま、そんなことを考えているうちに、おべんきょ時間は過ぎてしまいました。
さてと。
ガッコの宴会に行こうかな(笑)。
軸は定まったけど…
昨日、「お腹の高さで揃える」ことに決めたわけですが、まずはその理由を文字に落として意味づけをしなきゃなりません。アウトラインはできているものの、まだ言葉が足りない。
で、それをしようとするわけですが、時間が足りない(笑)。いろんなところから時間をかき集めると…。3時間だな(笑)。
できるのか?
でも、昨日の夜から脳みそはかなり活性化しています。思わず授業中に
「今の脳みそな、kure556を注したギアみたいやねん」
と説明したんですが、思わず、
「kure556かぁ、安モンやなぁ」
と反省したりもするわけです(笑)。
てことで、今日はビシバシ授業を進めて、「おべんきょモード」に突入です。
とりあえず、自分の中から言葉を探して、それをおいていきます。なんというか、大阪城の壁をつくってる感じです。間違ってもピラミッドじゃない(笑)。
続いてコピペタイム。ざっと見渡して、コピペコピペ。巷ではコピペがいろいろ言われてますが、コピペはコピペで、それなりにたいへんです^^;;。
と…。
脳みそがとまりました。たぶんゼンマイが終わったな…。間違ってもリチウムイオンバッテリーではありません(笑)。脳みそのゼンマイを巻くためには、すでに体力を使い果たしてます。もう、にっちもさっちも行きません。一行たりともコピペできない(笑)。
断念しました。
で、おべんきょタイムへ。
少し時間がたったからか、ほんの少しだけゼンマイがまけてました。約2時間、いろいろ話しあい。
「ま、いちおうこの線で行こっか。でも…。んー…。上からつまむものがほしいのよねー」
不可解な言葉を残して、本日のおべんきょ終了です。