これまた恒例のフィールドワーク

朝、トイレに行きたくなって階段を降りようとしたら「まめた」が気づいたらしくメッチャ歓迎されて、きっと野入さん起きただろうなぁ…。
てことで、6時起床。まだ日が出てません。これぞ沖縄クオリティです。その代わり夕方が長い。なので今日も20分ばっか走って筋トレの朝です。
で、荷物を宅急便に出して、そのまま大学へ。今日は1年生の発表があります。ひとり4分の発表が10人。そこに質疑応答が入るから、なかなかなもんです。
でも、おもしろいですね。まだ興味が固まっていない1年生は、「〇〇地域について ー〇〇を中心にー」ってやるんだとか。おもしろいのは興味が固まってる学生のじゃなくてこっちです。もちろん、興味が固まってる学生さんのはおもしろいんです。興味が固まってるからこそ、いろいろ知ってるし、さらに調べてるし。でも、興味が固まってない人のは「興味がないこと」をしなくちゃなりません。その無理矢理感がいいです。
たいていの学生さんは自分の出身地について調べられます。単にそれだけならおもしろくなりません。そこに「〇〇を中心に」がつくからおもしろくなります。このサブタイトルを考えるためには、地域を掘り下げないといけない。そこで、かつて自分が疑問に思ったこと、そして放置していたことと出会うんです。そうやって「立てた問い」を掘り下げていく過程は、「興味が固まってる」人と何も変わりません。というか、かつて放置していたことと再び出会ったからこそおもしろい。
そして、質疑応答が、またおもしろい。実はここには野入さんの「仕掛け」があるんですね。でも、その「仕掛け」のおかげで、学生さんが「わからないまま適当に話したこと」とか「思いもよらなかった問い」なんかに出会わせてもらいます。そこへのレスポンスが発表の質を上げていきます。
そうしたやりとりの場にリアルタイムでいられた90分は、本当におもしろかったです。

で、ここからが毎年恒例のフィールドワークです。
思えばはじめて行ったのが「伊波普猷のお墓」でした。そこから「嘉数高台」とか「アメラジアンスクール」とか「ヒストリート」とか「不屈館」とか「シュガーリーフ」とか「クラブハウス」とか、ありとあらゆるところに連れて行ってもらいました。それがわたしの沖縄への眼差しにどれほどの変化をもたらし、ヤマトへの眼差しにどれほどの変化をもたらしたことか。
今年のテーマはひとつは「嘉手納」です。
てことで、さっそく道の駅へ。まずはイモを持ってこられた「野國總管」さんとご対面。

「もしもこの人がイモを持ってこなかったら沖縄はどうなってたんだろうねぇ」と野入さん。ほんとですね。
そしていよいよ道の駅へ。まずは3階の資料館。とても栄えていたかつての嘉手納の姿がそこにあります。基本的にわたしは沖縄のことを何も知りません。だからこそ、新しい知識がどんどん入ってきます。とはいえ、「かでな道の駅」には前にも来てます。ただ、今回はここがメインなので、それはそれで「心構え」が違ったりします。資料室の真ん中には、かつての嘉手納と今の嘉手納を重ねた地図があります。

そしてまわりには戦前の嘉手納の生活の写真があります。そこには嘉手納の人々の淡々とした日常があります。例えばそのひとコマが農林学校の学生たちです。みんなで比謝川にピクニックに行ったのかな、そんな写真の次に、残された門柱の写真が映されました。あのピクニックのメンバーの何人が生き残れたんだろう。戦争前の人々がどんなふうに日常を過ごしてたのかなということを、あらためて感じました。
「あした戦争がはじまる」なんて誰も思ってない。思っているのは「はじめよう」と決断した人だけです。でも、「思ってなかった人」も否応なく巻き込まれていく。それも、命まで。だからこそ、そういうシステムを変えようとしたはずなのに、でもそういうシステムを「国民」が選択していく。そんなことが「道の駅かでな」から伝わってきます。
そしてもうひとつ、そんな展示室から一歩出ると世界が変わります。展望室からは基地が見えます。戦闘機の離発着を待つ人がてんこ盛りです。そこにどんな思いが介在してるのかはわかりません。が、「いる」んです。そしてそこにわたしも「いる」。わたしはなぜいるんだろうと考えさせられることに、そこに「いる」ことの意味を考えさせられます。
やがて「道の駅かでな」をあとにして、「燃える井戸」に行きました。炎天下を歩いていると、轟音が鳴り響いて、横から聞こえているなと後ろを振り返ると飛び立つF15らしき後ろ姿が見えます。ちょうど12時のエーデルワイスのオルゴールも戦闘機の轟音で消されます。そして着いた井戸は、単なる井戸です。

でも、かつてこの井戸は、基地内で流出したジェット燃料が混ざった水が出てきてました。水を柄杓ですくってそこらにまいてマッチを放り込んだら燃えたんだとか。貴重な井戸水がそういう汚染をされるんですから、本当に生活に直接害を及ぼしているわけです。
ここからいわゆる「ロータリー」に向かいます。この「ロータリー」は米軍に接収された時大量の軍用車両がスムーズに走れるようにつくられました。

ちなみに、現在はこんな感じ。

でも、目的地はロータリー近くの嘉手納中学校です。ここに農林高校の門柱が立ってます。

資料室の写真ではわからなかった痕跡が間近で見るとわかります。それはこれ。

機銃掃射の玉のあとです。よくぞこの門が立ってたという思いと、やはりどれだけの人が殺されたんだろうという思いが、あらためてやってきます。
とはいえ、お腹は減る。なので、近場の定食屋さんへ。cannonicalな「煮込み定食」があったので、お願いしたら、メッチャおいしい。

これでワンコインですか…。ちなみに野入さんは中身そば。

食後、「ロータリー」に向かいます。なんか、象徴的な風景です。

「沖縄防衛局」「入国管理局」その上に「日の丸」。
で、バスに乗って浦添に向かいます。途中、軍用機が低空飛行をしています。

たぶん、嘉手納基地に着陸するのかな。それにしても、なぜ電柱ときれいにかぶるかなぁ。
で、向かったのは平敷兼七さんのフォトギャラリーがあります。


一歩入ると、息を呑む空気感です。でも、決してイヤな空気感ではありません。なんなんでしょうね。当たり前の日常を当たり前に写してる。単にそれだけなんだけど、それをよくしたよなと。だって、厳しいであろう現実の中にある当たり前の日常の表情を「撮る」なんて、ハンパないです。でも、この日常を撮ることを通して、「沖縄」を表現しなきゃならんと思われたんでしょうね。ほんとにジワジワくるものを感じながら、さんぽです。
平敷さんが愛した町並みを歩くと、ヒゲをたくわえた平敷さんがひょいと顔を出しそうです。こんな町並みがなぜ残ってるのかというと、そこにも「基地」があります。ここ、「58」が通っているので、交通量が多く渋滞箇所でもあります。しかも海岸の方は基地に押さえられているので、駐車場をつくるとかいうことができない。なので、米軍接収後の姿がそのまま残っているということなんですね。
それにしてもきれいな坂道です。

なんかサンフランシスコみたいです。
「東京美容室」

「すばやー」

「そば屋」をそのまま屋号にしているという。
そしてウガンジュ。

ラクラしそうに楽しい町並みを歩きながら、空港でのごはんをゲット。
ギャラリーに帰ると平敷さんの娘さんが帰ってきておられて、ひとしきり話。
さてと、でもそろそろ空港に向かわなきゃ。てことで、フォトギャラリーをおいとま。ここで野入さんともお別れです。3日間お世話になりました。来年もお世話になれたらうれしいな。
空港に着いてチェックイン。と、は?25分遅れ?てことは、到着も25分遅れ?
関西空港に着いたら、45分遅れに拡大。jetstarは奈良線かい!てことは、ラピートの最終まであと5分。jetstarの降り口から南海の改札まで走りました。ここで走れるのは、ふだんのランニングのおかげですね。さらに、新今宮から動物園までラン。てことで、なんとか今日の宿泊所にはたどりつけました。
まいった…。

ゆんたく→オーシッタイ

朝起きたけど、走れる時間じゃないので断念。そのまま朝ごはんを食べながらゆんたくです。テーマを決めて話するのも大切ですが、テーマを決めずに心のおもむくままにのんびり話をすることも大切ですね。てことで、昼前までのんびりしました。
が、ここからが問題です。なにせ車がない。沖縄は車がないとどうしようもありません。いや、歩けばいいのですが、なにせ暑いです。今年に関しては、たしかに「沖縄は関西の避暑地」状態ですが、それでも太陽のパワーはハンパないです。なので、レンタカーを探したり、知りあいに「貸して」と無茶ぶりしてみたり。そんなこんなでKんちゃんが来てくれました。すみませんすみません。

てことで、フィールドワーク開始です。
まずは腹ごしらえ。宮里そばをめざしましたが定休日。なので、玉家へ。おぉ!うまいわ!ダシがすごいです。
てことで、お腹もいっぱいになったので、とりまファーマーズマートでおみやげをゲットして、そのまま宅急便で送ってしまいました。
お次はオリオンビールの工場見学でしたが、予約してなかったので待ち時間が長い。なので断念です。
ということで、「オーシッタイ」に行くことになりました。
ここ、1982年に電話と電気が通じたというところです。めっちゃ秘境です。とにかくgoogle先生の言うとおりに走って行くと、カンバンがありました。

ここからが山道です。せまい!と、通れません(笑)。

がけ崩れでした。なので引き返して、他の道にチャレンジです。と、見逃しそうな道がありました。そこを走って行くと、再びカンバンが!

さらに細い道を延々とドライブです。まぁ、Kんちゃんはこんなの慣れてるみたいだし、実はわたしも慣れてます。なので、ワイワイ言いながら走っていると、目的地に着きました。

なんか、大草原の小さな家みたいなたたずまいです。
ここ、昔はカフェをしておられたらしいのですが、現在は閉店しておられます。その代わりと言ってはなんですが、蜂蜜を売っておられます。

中に入れてもらって、お茶を飲ませてもらったり、蜂蜜の試食をさせてもらったりしながら、いろいろ話を聞かせてもらいました。
なんでも、いまは12軒もおられるとか。さらに小さい子どももおられるとか。「へー」とは思いますが、ここに移住されるかたもけっこうおられて、近年では3.11をきっかけに来られた方もおられるとか。たしかにこんなところに住むのもいいなぁと、なんとなく思ったりもしますね。
ということで、パートナーのために蜂蜜をゲットして、オーシッタイを脱出。そのままバスに乗って、向かうは普天間です。ちなみに、あえての路線バスの77番。延々とバスに乗ったけど、キャンプ・シュワブの前を通ったりキャンプ・ハンセンの前を通ったり、さらにはコザ暴動の場所やクラブハウスの前を通るので、けっこう楽しかったかな。さらに普天間でバスを乗り換えて、真栄原到着。
ここで晩ごはんです。どこに入るかさんざん悩んで、入ったのは「みの家」です。お店情報無いですけど。ここがなかなかのいいお店です。地元の人が愛してる感じで、地元のちょいワルおじいの話す言葉がウチナーグチでさっぱりわからなかったりして、楽しい時間を過ごしました。
で、今日の最終目的地の野入さん家へ。
1年ぶりの再会を喜び、しばし積もる話をしているうにに、あっという間に0時です。いかんいかん、明日が本番ですがな。

朝、起床は4時55分。あまりにも早すぎます。でも、起きなきゃならんので、エイッと起きました。台所に行くと下の子どもがなにやら必死になっています。どうやらmail dropが不調らしいです。では、行きの電車で解決策を考えましょう。にしても、家の時計が遅れてたみたいで、あやうく地下鉄に間に合わないところでした。そのままはるかに乗って、ほっと一息。メールを見ると…。
なに!jetstarが欠航?マジか。どうする?
jetstarが欠航した場合代替便は…。出してくれないのね。てことは…。peachだ!てことで、無事予約もできて、3時間ばっか第2ターミナルで読書です。飛行機の中ではしばし睡眠&インタビュー読みです。うーん、おかしい。たしか前に聞いたことがあったのになぁと思って、前のインタビュー読んだらあっさり見つけました。やった!
ふと目を下に向けると、どこまでもきれいな海です。

那覇に着くと、いつもの光景。

ここで、Mーりーさんと合流して高速バスで名護へ。今日から明日は名桜大学におじゃまです。バスターミナルにはY一が来てくれて、とりあえず大学に移動。なぜか1時間ほどインタビューを受けました。Y一、おもしろいことを考えたなぁ。
インタビューが終わったら1時間ほど時間があります。走るが…。てことで、はじめての沖縄ラン。
で、今日のメインイベントの「3丁目」。それぞれの「自己紹会(笑)」と「トップニュース」を話あったのですが、話のメインはMーりーさんが出した「シーサー兄弟」についてです。なんか、話を聞きながら「怒り」と「せつなさ」が同居するなんとも言えない気持ちになりました。
その後、エントロで懇親会。ここおいしい!食べ物もワインもおいしいです。そしてグラスがおしゃれ。

しかも安い!
めっちゃ満足して宿泊所に帰って、もう少し交流と思ったけど、見事に寝ちゃいました。

今年はひと味違った・放送部合宿3日目

起床は相も変わらず6時半。「うぐぐ」と思いながら起きて、ジャージに着替えます。今日も発声の横で筋トレです。
朝ごはんを食べたら番組発表会。
今回の3チーム、すべてがスライドショーでした。それにしても、それぞれの班がまったくバラバラです。他の町の火の見櫓とのちがいに着目した班、グローバルな視点から見た火の見櫓を扱った班、そして火の見櫓そのものについて扱った班。音楽の選択も独特です。けっこう楽しませてもらいました。
それにしても、これがドキュメントに出たらもっといいのになぁ。
そして、「まとめ」をして出発です。昼過ぎに職場に到着。荷物をおろして今回の合宿も終了。さぁ、帰って遅めの昼ご飯です。
昼ご飯を食べて、少しおべんきょ。本を読んでいるうちにウトウト。やっぱり疲れてるなぁ。

案外いける・放送部合宿2日目

朝、起床は6時半。うぐーと思ったけど、起きました。まぁ昨日は寝るのが早かったのと、6時半でも普段より遅いのと。子どもたちは発声練習&メディテーション。わたしはその横で筋トレです(笑)。
おかげさまで朝ごはんがおいしい。
午前は機材講習(その2)です。「こんな時はどうする?」って話からはじまって、ステレオが定位する話とか、逆相でつなぐとどんなことになるかとか。さらにはダイナミックマイクコンデンサーマイクの音の違いとか。ひとつひとつ経験し、実感することが大切です。
で、午後は恒例の山登り。みんなからは「やめろ」と言われましたが決行です(笑)。しかも、予定通り常識はずれな午後スタート。しかも、これまた常識はずれな共同アクエリ。でも、熱中症は大丈夫という勝算があるんです。だって、40℃になるのは平地のコンクリートジャングルにおけるヒートアイランドだからです。それに対して、山の中は土だし、木もいっぱいあります。ちなみに登る山の道はほとんどが木陰です。なので、まぁ大丈夫でしょう。昨日も走れたことですし。
てことで、山登り開始。はじめはアスファルトの道なので、さすがに太陽の光がチリチリ来ます。が、地道に入った瞬間に気温がストンと下がります。これならいけるな。そして、いよいよ山登り開始。と、入り口に立て看が。
「先日の大雨で登山道は荒れてます。引き返す勇気も」
確かに…。

この登山道、谷筋にあります。そして、道そのものは沢のようです。なので、強烈な大雨のせいで、木と石が流されてきて、しかも土が削られたので、こんな感じになったみたいです。ふと不安がよぎります。というのは、登りはいいんです。が、下りも同じ感じだと、最悪脚をケガする可能性もあります。が、記憶によると下りは谷筋じゃなくて尾根筋だった気がします。たぶん大丈夫ですね。
てことで、慎重に登ることにしました。で、2時間ほどがんばって、山頂の広場に入る自然のゲートに到着。

この先は山頂です。

天気がいいので暑いのは暑いですが、下界とはまったく違います。さらに木陰に入ると涼しくすらあります。さすがは山です。
で、下山開始。帰りもゴロゴロ道がありましたが、ここは下山道を横切っただけみたいなので、瞬間で終わりました。てことで、2時間ほど歩いて予定通りの場所に到着しました。去年とは違うな。というか、「ヤマレコMAP」を入れたのが勝因でした。
山登りのあとは、お風呂→ごはんです。昨日はちょっと質素目の晩ごはんでしたが、それは今日のためです。

しゃぶしゃぶー!
さあ、あとはわたしは卒業生の接待です。現役諸君には番組制作をがんばってもらいましょう。

久しぶりに走る・放送部合宿1日目

今日は終業式です。体育館、暑いだろなぁと思ったら、支店長がやってきて「教室でやるし」とのこと。英断ですね。
てことで、登壇する人たちは酷暑の放送室ですが、下々の皆さんは職員室で終業式ということになりました。ラッキーです。仕事が進みます。なにせ、今日の午後の会議の資料をつくらなきゃなりませんからね。
スタート予定は1時です。ギリギリまで作業をして、必要部数を印刷して、職場を飛び出しました。で、会議の先に行ってごめんなさいです。今日から合宿なので会議は欠席なのです。
で、合宿場所へ。なんか、ここ3年ぐらい定宿になりつつあります。まぁごはんがおいしいし、その割に安いし、適度な山もあるからここでええかと、腰を据えてしまってます。
今回の放送作品のお題は「火の見櫓」です。いや、単純に近くにあるからなんですけどね。ただ、普段と違うのは「ドキュでもドラマでもなんでもあり」というふうにしたことです。ついでに言うと「すぐにインタビューというのはアカンよ」です。子どもたちはろくに調べもせずに、すぐにインタビューに走ります。んなもん、インタビューを受ける側からしたら迷惑でしかありません。インタビューできないことがわかった瞬間に、みんなざわめきます(笑)。ま、ええやろ。
そんなもんはほっといて、機材講習の開始です。まずはネジの締め方です。これ、わたしはもともと自転車を組み立てた経験があるから「締め具合」は手応えでわかるのですが、たぶん知らない人はわからないんですよね。
たぶんネジって「変形」するまで締めちゃダメなんですよね。ネジとネジがあたって、適度な摩擦が生じたところでとめる。でも、それを知らないと、その次まで締めちゃうからほどけなくなって、さらにはネジ山が壊れる。なので、「当たったな」というところから45度ほどまわせば十分です。それを実感してもらう。
お次は配線です。
「音の正体は?」
みたいな話から入るのはいつものことです。
そんなこんなで、5時過ぎまで講習をして、ランニングです。
5時過ぎは走るには暑いかなと思ったけど、案外大丈夫です。さすがは合宿場所です。たしかに廊下は窓を開け放してるけど暑くはないです。
走りはじめたら、日向は少し暑いけど、日陰はまぁまぁです。「たぶんこの距離はええ感じやろな」と思ってた周回コースは4キロほどです。あと1キロほど走りたいので、小さな周回コースを走ってみると、ほんとに1キロでした。おもしろいな。
ランニングのあとはお風呂→晩ごはん。
子どもたちはそのあともミーティングですが、わたしはもつわけがありません。教員部屋でテレビをつけてダラっとしたら爆睡です。

結局ずっと呑んでた・トランスジェンダー生徒交流会のキャンプ

朝、メッチャしんどいけど、せっかくジャージを持ってきたので走りましょう。が、2キロ走ってダウン。暑すぎます。
しばしへたばって、気がつくと10時前です。いかんいかん。スタート時間です。
てことで、バスに乗車。さてと、どうする?昨日は10時に飲みはじめたけど…。まぁ飲みますか。てことで、Iっぽくんにコップを買ってきてもらって、ワインを飲みはじめました。あとは延々と飲み続ける以外、やることがありません。なにやらSおりちゃんと「あんたがエロい」「いやあんたこそ」みたいなしょーもない話をしてるうちに昼になったのでパーキングエリアへ。おぅ!徳島ラーメン!

うまいなぁ。
で、またまたバスに乗ってワインを飲み続けているうちに大阪に到着です。
わたしとドライバーのI上くんはバスを返しに行って、他のみんなは打ち上げ会場へ。打ち上げ会場に着くとKうさんがきっちり座っておられます。うれしいな。
で、二次会にも行って、10時半くらいにバイバイです。

今年は遠出・トランスジェンダー生徒交流会のキャンプ

例年舞鶴に行ってるトランスジェンダー生徒交流会のキャンプですが、今年はなぜか高知に行くことになりました。まぁ、諸事情あるのですが、一番の理由はカツオのたたきを食べたいという、それだけです。
てことて、朝早くからレンタカー屋さんに行ってバスを受け取って集合場所へ。Sゅんすけが発泡スチロールの箱を持って待っててくれてます。中身はもちろん肉とビールとワインです。
いちおういろいろあったけど、ほぼ予定通りの時間にスタート。でもたいへんなのは運転手さん。わたしらは呑気なもんです。ごめんなさいごめんなさい。
で、10時まで待って、ビールをプシュ。あとはひたすら飲み続けです。途中のパーキングエリアでみんなはおべんとを買ってましたが、わたしは唐揚げとビール。完全にのんだくれです。
で、高知到着は4時。7時間かかるのか。でも、夏は日が長いです。みんな早速着替えて海にgo。わたしもしばし待って海につかってみたり。
そうこうするうちに、焼き肉の火起こしも完了。さらにカツオが登場です。と言っても丸のまま。さばくのは参加者です。トップバッターは小学生。教えてくださるのはまーちゃんです。小学生にもわかりやすく教えてくださるせいか、やってる子も集中力が切れません。すごいわ。少し手伝ってもらったけど、ほとんど自分でさばいてしまいました。お次はいつも料理を担当してくれる交流会のまーさん。こちらは大人だし要領もいいから、ほとんどひとりでやってしまいました。そして3番手は卒業生のパートナーさん。ここらで肉が焼けたらしく、そちらに移動。と、向こうでは藁焼きタタキをつくってます。至福の瞬間です。ワインが進むというものです。
と、なにやらわたしを寝床に連れて行く人がいます。
あれあれ?マッサージ?寝ちゃいました(笑)

と、夜中の0時くらいにすごい音がしてます。なんだと思ったら、恒例の子どもたちのケンカです(笑)。あばれる子どもにピッタリと寄り添うトランス男性。優しいなぁ。でも収まりません。仕方ないから
「ゴルアー」
とやってしまいました。みんな
「いつきが吠えた」
と喜んでます。そのまま
「表にでろ」
と海に連れて行ってクールダウン。星がすごくキレイです。そのうち収まったので、部屋の中へ。
たぶん、制御できない怒りがどうしようもなくうずまいて、本人もしんどいんだろな。そんな本人のしんどさを理解できないのことで、またまわりの大人もつらくなる。どこまでも「しんどい子優先」な人々です。
と、ケンカ相手のトランスガールも海に行って泣いてます。この子も優しいからなぁ。
みんなふだん学校で傷つけられてるんですよね。だから、ここで他の子どもを傷つけてしまう。傷ついた子は優しいなんてウソなんでしょうね。傷つけられて傷つけて、少しずつスキルを学んでいく。そしてとびきり優しくてガッツリ闘う子どもたちへと成長するのかな。
楽しみだなぁと思いながら、つぶれていきました。

人権としての性教育

少し前に、ヒューライツ大阪のHリムさんから
「7月14日はあいてますか?」
という連絡がありまして、なにかとおもったら艮香織さんを呼んでセミナーをしたいけど、宣伝してほしいとのことでした。が、14日はトランスジェンダー生徒交流会のキャンプです。なので「あきませんねん」と返事したのですが、
「じゃ13日はあいてますか?」
と聞いてこられて、なんでわたしの都合を優先するんだ?と(笑)。でも、13日なら行けるなと思ったので、というか、わたしの都合を聞いてきたので、これは行かねばなるまいと。
てことで、仕事を終えて大急ぎでドーンセンターへ。到着したら中で手を振ってるのはKうさん。その前にはIっぽ&Kんちゃん。なんなんだ、これは(笑)。で、あたりを見渡すとKちゅかるさんもおられます。それ以外に組合関係の友だちとか人権教育がらみの友だちとか、山のようにいます。さらに遅れてバタバタ来られたのがHがしさん。なんなんだ、これは(笑)。
でも、ようやく「性教育は人権教育なんだ」という認識ができてきたというか、それを声に出して言える時が来たんだなと。
振り返ってみると、99年の日教組教研の人権教育の分科会でゲイの友だちとの出会いをレポートした時
「なんでそんなアメリカみたいなのをレポートするんだ。日本にはちゃんとした部落問題というのがあって」
と言われた経験を持つわたしとしては、「遠くまで来たなぁ」とあらためて思うわけです。

で、セミナー開始。ちなみに、わたしは艮さんとはなぜか知り合いだったりします。はじめてお会いしたのはこの日だな。
てことで話を聞いていたのですが、予想した内容とぜんぜん違って、なんというか実践感がすごいです。
もともと性教育が専門ではあるんですけど、ご自分も教員としてかかわられた経験もお持ちだし、今も就学前の子どもたちに性教育のセッションをしておられるんですね。なんか、目の前のIっぽ&Kんちゃんがソワソワしています。
何が問題かというと、子どもにとって「赤ちゃんはどうして生まれるの?」という質問は、例えば「空はなぜ青いの?」という質問とあまり変わらないわけです。つまり「価値や意味の違い」はない。ところが答える大人の側に「価値や意味の違い」があるもんだから、答えなかったりはぐらかしたりする。で、その行為が子どもたちに「価値や意味の違い」を伝えることになる。そしてませた中学生なんかだと「女はあわびなんだぜ」とか言うように育つ。まさに「隠すべきもの」「直接言ってはいけないもの」として教わるからこそ、「それを言う」という発話が行為として意味を持つようになるわけです(笑)。
まぁさらに言うなら、性教育を「してはならない」「やるならこう」みたいなことを言う人は、そのことを通して「性を隠すべきもの」として、さらにそのことを通して「権力」を独り占めするわけなんですけどね。で、まさにそれが日本の性教育の現状で、その象徴的な例が七尾養護学校事件なわけです。で、この事件については、政治が教育に対して不当な介入をしたとして都議会議員の敗訴が確定しています。
ところが、先日足立区で似たような事件があったんですよね。これにかかわっているのが、七尾養護学校事件にかかわっていた都議会議員で、判決から何も学んでいないということが露骨にわかるわけです。
まぁそんなこんなな「いま」の話を艮さんは語られるのですが、まさに「人権教育としての性教育」を実践しておられるからこその「怒り」が伝わってくるわけです。そりゃわかります。わたしたちだって、「人権教育としての外国人教育」をやっていて、そのことをもって「売国奴呼ばわり」されたりするわけで、そこの怒りは共有できますとも。
他方、例えばフランスの性教育をちらりと紹介されましたが、もう「多様な性」なんてのは当たり前。小さい時から触れるんですよね。で、実際にUNESCOの性教育ガイドラインとか見たら、そりゃすごいです。ほんとに「包括的性教育」です。でもこれ、絶対に日本では取り入れないですね。少なくとも今の政権やそのバックにいる人たちが権力を握っている間はね。だって、家族観とかぜんぜん違うからね。いや、UNESCOが言ってるのは「さまざまな家族のありようがある」ってあたりまえのことなんだけど、それが「家族の正しいありようはこれ」みたいにひとつにしか価値を見出さない「あの人たち」とバッティングするってことなんです。つまりUNESCOは「あの人たち」のいう家族のありようもまた否定はしない。でも、それ以外にもあるよって言ってるだけなんですけどね。
まぁ、そんなこんなで、艮さんの怒りに触れられたのはとてもよかったです。
で、最後に質問や感想なんかの時間があったんですけど、誰もおられないので、なぜかわたしのところにマイクが来ました。顔伏せてたのになぁ^^;
なので
「関西においては性は人権から切り離されていた時代がありました。それどころか「昼は人権、夜はセクハラ」と言われてた時代もありました。でも、それがようやく性は人権という認識へと変わってきたんだなということ、そのことを通して人権教育はとても豊かになっているということを実感しました」
と言っておきました。Hがしさんから
「そんなん言ってええの」
って笑われながら(笑)。

セミナーのあとは懇親会。しばしおいしいお酒を呑んで、その後天王寺に行った人はいたけど、わたしは明日のことがあるので退散です。
あとでfacebook見たら、みんなカラオケに行ったみたいだけど、元気だな(笑)。

村上のムラめぐりとか

朝、関空から飛び立って、降りたのは新潟空港です。明日、村上の高校でお座敷で、きょうは前泊です。で、迎えに来てくださったM本さんの案内で、まずは新潟県北部のムラめぐりです。
かねてからフォッサマグナの北と南というか、東と西というか、そこでかなり違うなぁと思ってきました。それを実感したのは前に上越市に行った時のことです。とにかく町並みが関西とは全然違います。はっきり言って、どこがムラかわかりません。まぁ、わかるのはわかるので「なんだかな」とは思いますがね。
ちなみに、解放同盟の支部としては村上が北限だとか。
てことで4カ所ほどまわらせていただきました。
とにかく「わからない人にはわからない」感じです。でも、じっくり見るとわかってきます。なんか、町並みの中に差別が組み込まれている感じかな。道のつけかたが「ん?」と思ったり、堤防の高さが「あれ?」と思ったり。あと、川の近くが多いみたいですが、それは河川を使ったさまざまなものの運搬を生業にしておられたからだとか。あとは警護役を担っていたムラもあるとか。
関西というか京都にいると「ケガレ」や「キヨメ」を身近に感じることができるのですが、なんとなく感覚が違います。でも、被差別の状況は、おそらく関西より強烈です。たぶんそれは「運動の北限」というところが原因のひとつとしてあるんでしょうね。でも、それだけなのかなぁ。前にオシラサマのことを少し教えてもらったけど、なんか、差別のありようが根本的に違うのかもしれないなとか、ふと思ってみたりしました。

で、宿泊所に行って、久しぶりのジョギングです。6kmばっか走って、大汗かきました。
夜はもちろん呑み会です。
さしみ、うま!

のどぐろ、うま!

そして、大洋盛、うま!

その後2次会行って、さらに部屋のみです。1時半になったところで限界きました。てか、あしたが本番だよ^^;