突然参加…

在日外国人教育関係シンポジウムの下見で、某D大学に打ちあわせ&下見に行ったのですが…。
間を取り持ってくれた学生UJからのメール

6時に来て下さい。ゼミ終わってから呑み会あるんで!

意味わからへんしorz。
「呑み会があるから参加しろ」なのか「呑み会があるから6時までに来ないと担当の先生がつかまらないぞ」なのか、ぜんぜんわからへん。でもまぁ、前者だろうと予測して(笑)、バイクをおいてD大学へ。到着すると、こんな講演会をやっていました。

PJ科目「夜間中学を知っていますか?」主催
  「日本に暮らす“ガイコクジン”」

夜間中学生の多数派になりつつある新渡日外国人。でも、その立場は非常に不安定なものです。

アルカイダ関連の冤罪で不当に逮捕され、43日間も拘留されたイスラム・M・ヒムさん。
その後、ヒムさんへの逮捕容疑は根も葉もない冤罪であることが立証されましたが、冤罪・報道被害は今も続きます。

真面目に働いてきて大きな成果と社会的信用があるにもかかわらず、一瞬にしてその地位を奪われかねないところに追いやられてしまう。なぜ、このようなことが起こるのか。
日本に暮らす外国人の不安定な立場について、ヒムさんにお話していただきます。

特別講師:
イスラム・M・ヒム氏 (在日バングラディシュ人・通信関連会社社長)

講師略歴: イスラム・モハメッド・ヒムさん
1970年、バングラデシュ人民共和国ムンシゴン州イサプラ生まれ。
95年11月に来日し、永住資格を持つ。98年に国際電話プリペイドカードを販売する株式会社リョウインターナショナルを設立。
04年5月、テロ組織「アルカイダ」関係者と疑われて神奈川県警などに誤認逮捕された。
事件後冤罪が確定してからも、外国への渡航ビザ発給を拒否されたり、日本の銀行が取引を断るなどの問題が続いている。

かなりハードな内容です。でも、みなさんなごやかな感じで聞いておられます。う〜ん「大学!」という感じです。いいなぁ…。
でも、講演会は終わりかけ。最後に担当の先生が「捕まると2日+1日+10日+10日」という話をしておられました。23日間、完黙否転向かぁ。なつかしい…。

東九条マダン

今年もやってきました、東九条マダン
にしても、今年はやばすぎです。なにせ、昨日の夜遅くまで雨が降っていました。しかも、今日は冬型が強まって、えらい寒いとか。どうなることやら…。
会場へ向かう路面はフルウェットです。かなり不安です。会場に到着。案の定、グランドはグッチョです。
でも、空はなんとか晴れ。11月3日は「特異日」ですから、なんとかなるでしょう(笑)。
車から荷物を下ろして、しばし「待ち」です。そうこうするうちに、生徒たちが三々五々集まってきます。とりあえず看板づくりからスタートです。やっぱ「生徒交流会」の看板は子どもたちのテイストがないといけません。今年の看板にはキティちゃんが登場しました。
頃合いを見て、炭に点火。いよいよ焼肉屋開店です。
なんしか、肉が売れないと儲からない。儲からないと、交流会の活動資金が出ない。活動資金が出ないと、活動できない。このことを生徒たちも知っていますから、必死です。
でも、この必死さがいいんですよね。「しらけ」とは無縁な必死さが、「仲間」へと変化していくんだと思います。このあいだの交流会で初めて参加してくれた子らも、気がついたら必死で肉を売っています。
なんとなく動きはじめたので、わたしはフラフラと放浪の旅に出ます。
と、知りあいが向こうから歩いてこられます。
「紹介したい人がいるねん」
と隣の女性に合図しておられます。この方のパートナーさん、中国人って聞いていたので、そうかなと思っていたら、突然その女性が言われます。
「同じなんです」
「へ?」
完パスです。キレイ。やっぱ、MtFたるもの、こうじゃなくちゃいけないんだろうなぁ。でもまぁ、わたしは汚れ系だから、それはそれでええことにしましょう。
やがて昼。ここが勝負所です。さすがにわたしも働くことにしますか。肉をムンチェ*1して、炊けたご飯をパックに入れて。注文もガンガン入りはじめます。こうでなくっちゃ!
今年はなんだかそのまま流れていきます。気がつくと、肉が全部売り切れ。珍しいです。
「あまったご飯で焼きおにぎりをつくって売ろ!」
ということで、おにぎりづくり開始です。わたしもちょこっとおにぎりをにぎりましたが、さすがに疲れてきました。
「飽きた…」
とか言って、戦線離脱です。しばしあちこち歩きまわって、知った顔にあいさつあいさつ。
そうこうするうちに3時過ぎ。お店をしながらも片づけ開始です。
今回は遊びに来た上の子どもやパートナーも手伝ってくれるので大助かりです。バタバタ片づけていたら、いつの間にかマダンも終了。
あぁあわただしかった。

それにしても、出店の後ろから見る風景はほんとうにいいです。子どもたちが「マダン」で出会う。このあいだの交流会の顔と、今日がはじまった時の顔、そしてマダンが終わった顔。ぜんぶ違うんですね。こういう姿を見ていると、やっぱりどうしてもやめられない*2
きっと来年も「しんどいなぁ」とか言いながら、肉を焼いているんでしょうねぇ。

荷物を載せて車を走らせていると、打ちあげに行く生徒たちの楽しそうな姿が見えました。まぁあまりはねたらあかんで…。

*1:肉とタレをまぶす

*2:逃げられないとも言いますか…

交流会2日目

6時に目覚ましが鳴ります。きのう早めに寝たので、体調はまぁまぁ。
とりあえずモソモソ起き出してメールチェックと昨日の片づけ、あとは朝ご飯の準備です。なんかやってることが玖伊屋の朝と同じ気がするのですが、まぁそんなものなのでしょう。
そうこうするうちにみんなも起き出してきます。きのうわたしが寝てしまった後、どんな話になったのか、簡単に報告を聞いておきます。
朝ご飯を食べて、掃除をして、とりあえず「卒業生の会」も終了です。さぁ、昼ご飯を食べに行きますか。

てことで、みんなでサイゼリアでイタリアン食べまくりです(笑)。今回はグラッパも飲みましたよ!あぁ倒れそう…。

で、またまた交流会

高校生たちの交流会が終わると、続いて「全国在日外国人生徒交流会・卒業生の会」の開始です。こちらはまぁ楽と言えば楽です。わたしは呑みながら「いる」ことが仕事みたいなものでして(笑)。
にしても、今回はみんな出足が遅い!話をしながら待つのですが、全然来ない。思わず既に来ている連中が
「なにしてんねん」
と電話しまくりです。
それでも10時過ぎにはなんとかみんな到着。そこから晩ご飯づくりです。結局みんなで乾杯したのが11時過ぎ。呑みながら今日の議題を話していたのですが…。わたしは当然ダウンです。ふぅ…。

で、交流会

今日は「お座敷」と並行して「京都・在日外国人生徒交流会」をやっています。わたしがいない間に、卒業生にたのでいるんだけど大丈夫かなぁ。今日の作業は「キムチづくり」「タレづくり」で、これはまぁいいとして、初参加の子がいるという話だったのでそちらがちょっと心配です。
会場に到着すると、すでにみんなでわいわいと作業をしています。みんななんだかなじんでいて、誰が初参加なのか、わからない感じです。よかったよかった。
「お腹が減った」とか言う子がいるので、すぐに昼食の買い出しに行きます。せっかくなので、今日は野菜たっぷりの鉄板焼きにしますか。
作業が一通りすんだところで、お昼ご飯を食べながら交流。その後、ちょっと深めの自己紹介。最初に卒業生がきちんと話をしてくれるので、初参加の生徒もそれなりに話をしてくれます。

このあいだ、友達とケンカした。相手の子は最後に「中国人」と言った。その言葉を聞いて、何も返せなかった。

みたいな。卒業生達は、それぞれに自分の考えを返していきます。そういう子どもたちの姿を見ながら、やっぱりこういう「場」が大切なんだなぁと、つくづく思います。
やがて4時。そろそろ終了の時間です。次は3月だな。

近づいてきた

ここらあたりから、たてつづけに行事がつまってます。なかでも10月31日〜11月1日と11月3日の在日外国人関係の行事は、大量の下準備をしなくちゃならないので、もうワヤです。
きのうはきのうで、しょうゆだのみりんだのをドカンと買って、今日は発泡スチロールのトレイを買って。家では白菜の塩漬けもしなくちゃならないし*1
平行して、あしたはうちの職場の人権学習。そこへ向けての準備もあるし。
正直言って、インフルエンザにかかるヒマもないです。
それが終わったら…。

あ、原稿が2本+1本あるわorz。

*1:これはパートナーがやってくれるm(__)m

ウトロ歴史資料館のための国際ワークショップ

午前中は自転車の手入れ。見栄えもちょっとマシになってきました。
で、午後からはウトロへ。
考えてみると、京都在日外国人高校生*1交流会が1997年秋にやった交流会では、東九条フィールドワークをしていたんですね。その時の写真がこれです。

当時はスキャンした写真を「どーせ」と思っていたので白黒で保存していたんです。
これ、参加者が東九条の40番地、いわゆる「堤防の街」を歩いている風景です。それが、いまや跡形もなくなっています。東九条に限らず、ほとんどの部落では地区改良前の風景は跡形もなくなっていて、とってつけたような*2町並みが並んでいたり、唐突な*3団地があったりというふうになってしまっています。
もちろん住環境が改善・整備されているわけで、それはとても喜ぶべきことなんですが、一方、「歴史」をなかったことにしてしまうことが可能になるわけです。
なので、ウトロでは「歴史資料館」をつくろうという話が、まちづくりの計画が持ちあがると同時に出てきていました。
で、今回は、丹波マンガン記念館の李龍植さんをお呼びして、歴史資料館をつくることの意味みたいな話をしてもらい、守る会からは田川明子さんに話をしてもらうというワークショップが開催されました。
李さんの話からは、政府がいかに歴史を消し去ろうとしているのかということが、ご自分の体験を通して、これでもかこれでもかと突きつけられました。また、田川さんの話は、ドイツにある小さな町の教会がもともとは強制収容所だったことから、町の人々がその歴史を保存するべく歴史の発掘をされた事例が紹介されました。
いずれの話も、「歴史」と向きあうこと抜きに今・これからを生きることができないこと、にもかかわらず、どんどん資料がなくなっていくことの危機感を語られました。
田川さんの話の中にあったエピソードを備忘のために書いておきます。

今から20年前に「守る会」ができた時に、あるハルモニから「なんで終戦の時に守る会がなかったのか」と言われた。

みなさん、「恨(ハン)」を抱えたまま死にたくはないのです。

その後いろいろあったので(笑)、断片的な記憶しかなくてわけわからんけど、ほんとうにいい話でした。

*1:当時

*2:と書くと語弊があるか…←こればっか

*3:ん〜…

撤収

朝起きると、枕元に名刺があります。そうか、ヤツも来たのか…。起きてたらよかったなぁ。でもまぁ、うまくいけば来年会えるかもしれないから、それを楽しみにしておくことにしましょう。
今日は昼から用事があるので、早々に撤収開始。若い衆がそれなりに働くので助かります。まぁこういう「タスク」を繰り返すことで、チームがつくられていくんだと思います。プログラムってそういうことなんだろうなぁ。

秘密の焼肉

今日〜明日は、京都府内の某所で、某グループの焼肉大会です。まぁいろいろあるので伏せ字ではありますが、毎年この時期にやっているヤツです。
夕方某所に集合。やがて、続々となつかしいメンバーがやってきます。山の中なのでちょっと肌寒いのですが、これが焼肉とマッチします。みんなで昔話をしながら肉をつつくのは、やっぱり楽しい。
でも、あまり飲み過ぎるといろいろヤバイので、今年も10時ぐらいに布団にはいることにしました。布団の中でホッと一息ついたら、あっという間に寝てしまいました。

たまった原稿

この間、個人的なことがなんにもできなかったツケがここでまわってきます。これの〆切が昨日だったんですけど、ぜったい無理やし…。担当の方に、きのう「おたふく」から
「あした必ず」
と連絡していたので、絶対に今日出さなきゃなりません。まぁ、導入部だけは書けていたので、なんとかなりました。よかったよかった。
その他、もろもろ雑務をこなしているうちに一日終了。さぁ、今日は家でゆっくりしよう。