で、京都駅で降りて、「おんぼろ部屋」へ。
い「昼ご飯一緒に食べようか」
U「いいですよ」
い「やっぱり餃子?」
U「そうですね」
ってことで、鴨川を40分ほど走った先にある王将に行くことにしました。
ジャージに着替えて、Uさんに荷物を持ってもらって、のんびりランニング。ちょっと北風が吹いているけど、それはそれでいい気持ちです。途中、なぜかN村一成さん@毎日新聞に会ったのは笑った。
40分ほど走ると、そこは出町柳。で、出町の王将に入って餃子・野菜炒め・ビールです。もちろん服はジャージのまま。いよいよ終わってます^^;;
しばししゃべって、さらに出町の三角州に座り込んで「コンビニ寿司+チューハイストロング」です。でも、こういうのって、京都を満喫できますね。
さて、日が傾いてきたからそろそろ帰りましょう。
てか、今日はパートナーの忘年会の日。早く帰らなくっちゃね。
カテゴリー: 趣味
二人会
今日は夕方からまりあさんとの二人会です。
とりあえず仕事がすんだら大急ぎで家に帰って、ふたたび五条に行きます。で、レフェリーのつるたさちえさんと合流。近くでサクッと晩ご飯をすませて会場に向かいます。
会場には、すでにまりあさんが到着していました。なんでも、この日のために用意した服だとか。わたしは仕事帰りのいつもの服。差は歴然です。
とりあえず2階に行って軽くネタあわせ。とはいえ、
ま「第1部はなにしゃべるの?」
い「え〜と、時間配分どうなってたっけ」
ま「第2部のネタはどないしょ?」
い「え?特例法とか言ってへんかった?」
みたいな。前に打ち合わせをしたのはなんだったんだ?で、結論は
「まぁなるようになるやろ」
で、ネタあわせ終了。
で、ちょいと下に行くと、受付にどこかで見た人が…。って、順子姐さんですがな!あわてて2階に行って
「三橋さんが!」
と報告。とたんに緊張が走ります(笑)。
でもまぁ、なるようになるでしょう。
で、二人会の開始。
まずはまりあさんがいつものゆる〜い感じで、女装者の成長過程を解説。「女装サロン」→「女装スナック」と成長していく過程で、環境や行動がどのように変化していくのかんど、わかりやすく話をされます。にしても、なるほど、わたしが完全におかしな生い立ちをしているということが、よくわかります。なにせ、そのふたつをすっ飛ばして、いきなり「玖伊屋」やしなぁ…。
続いてわたしの番。いつもの話をズッパリ切って、ネタだけを集めて30分程度にまとめます。お客さんの中には、わたしの話を2度ほど聞いて下さっている方もおられて、そのあたりになると、どのネタがどこにあるかはわかるでしょうけど、はじめて聞く人は
「なんじゃ?あのテンション」
でしょうねぇ。
で、休憩。三橋さんから
「あなた、わたしのしゃべる速さの倍の速さね」
と指摘を受けます。その通りです。
「いやぁ、要約筆記の人がイー来たはりました」
みたいな。
しばし休憩の後、第2部開始。つるたさんの登場です。でも、こちらはまったく打ちあわせなしです。
もちろんネタは「特例法」。ひとつひとつの要件について、あーだこーだと、好き放題話します。と言っても、まりあさんとわたしだけじゃありません。会場には熟練の論客がドンと座っています。さらに、鋭い質問をしてこられる論客*1も控えておられます。もう、話はあっちへ行ったりこっちへ行ったり。でも、右に左に行くたびに、話が深まっていくのはさすがです。
当初9時45分終了の予定でしたが、10時をまわったあたりで
「帰らなくちゃ」
という人が出はじめて、ようやく終了。
ここからは、しばし「感想戦」。テンションをゆるめて、お客さん達とゆっくりと話しあいます。いいクールダウンができたところで、本日の二人会の終了です。
*1:K納さん@K西大学
で、記念写真とか
で、今日こそミルトン・ダイヤモンド
去年の8月に話が聞けると思ったミルトン・ダイヤモンドの講演会。ようやく1年半待って実現です。
今回は、女性研究者の会主催の、ほんとうに小さな講演会です。でも、集まってこられているのは、マジで筋金入りの女性研究者ばかり。かなりアカデミックな感じです。ドキドキ。
今日の講演会のタイトルは
「Psychosexual Development of Gender Identity
Nature and Nurture Cooperation and the Consequence」
すでになにがなにやらわかりません(笑)。
まずは開会の挨拶。いきなりみなさん英語でしゃべりはじめます。んなもん、わかるかい!
で、いよいよダイヤモンドの講演開始。
おどろきです!ダイヤモンドの英語は、なんとなく聞き取れます。ひとつには、非常にゆっくりとていねいに話をされます。だけじゃなくて、とてもわかりやすい言葉をていねいに選んでおられるみたいです。
「難しいことを難しく語るのは簡単、難しいことを簡単に語るのが難しい」
とは、教員たるもの心に刻まなければならない言葉と教わったわけですが、それを地でいっておられます。すごい!
話のほうは、まぁ、ある程度あちことで語られていたり、あちこちで読んだりした内容なので、あらためてどうということは、とりあえずはないのですが…。ひとつひとつの言葉に「優しさ」とか「美しさ」があふれている感じですねぇ。
一方、Hがしさん@O阪府立大学は、聞いている人たちの反応にかなり注目しておられます。
「The Primary Sex Organ lies not between the legs but Between the Ears.」
なんてフレーズが最後に出てくるわけで、これ、受けとられ方によっては
「ほれ出てきた、本質主義者!」
というレッテル貼りがされてしまう可能性があるわけで…。実際、そういう聞き方をしておられる方もおられたようです。このあたりは、ダイヤモンド自身も
「右からも左からも利用される」
みたいなことを言っておられました。
にしても、豊富なトランスジェンダーたちの写真。豊富なISの人々の写真。さらには動物たちの写真。かなり圧倒されました。
で、みんなでお弁当を食べる時間。
ここで、司会の方が
「じゃぁ、自己紹介。逐次通訳の方も食事をされているから、各自英語で自己紹介をしましょう」
とムチャ振りをされます。でも、さすがはみなさん研究者。流暢に自己紹介をされるわけで。で、わたし。
「え〜と、high school teacher.Mathmatics and humanlights.え〜と、トランスジェンダー生徒交流会をやってます」
と、結局日本語で自己紹介をするわけで^^;;。
その後質疑応答。
ちょっと迷ったけど、せっかくなんで質問してみました。
あの…。ジェンダーアイデンティティってなんですか?
ダイヤモンドさんは「内なる声」という、とても素敵な表現をされていましたが、そもそもわたしには、男とはなにか、女とはなにかということすらわかりません。にもかかわらず、シスジェンダーの人たちはそのことを疑うことすらしません。なぜみなさんが自分のことをわかっておられるのか、それがとても不思議なんです。
ジェンダーアイデンティティってなんですか?
で、ダイヤモンドの答え。
あなたはすでにその答を知っておられると思います。
みなさんが「男である/女である」という気持ちがどのように生まれてきたのでしょうか。子どもたちはみんな他の子どもと自分を比べています。他の子どもに洞察力が働きます。そして、同じ状態の人と一緒にいると楽なんです。
そして、一緒にいて楽な子どもたちが、「どうやら女と呼ばれているらしい」「どうやら男と呼ばれているらしい」と観察します。
また、ある子に対して、まわりの子どもたちは、残酷にも「違い」をわかるように言います。例えば「太っている」とか「やせている」とか、「あなたは男だ」とか「あなたは女だ」とか…。
そんな中で、トランスジェンダーの人たちは例えば「母親は「あなたは男だ」というけど、自分は女の気がする」と感じます。そして、それは性器の形とは無関係なのです。
「誰と一緒にいたいかは性別とは関係ないと思う」という、別の人の質問に対して。
その質問をされるあなたは、いま大人として質問をされています。3歳の子どもの時のことを考えてください。
子どもたちがしたいのは、このように討論をすることではなく、遊ぶことです。そして、どんなゲームをしたのか、どんな遊びをしたのか。人形で遊びましたか?それともボールで遊びましたか?そういう遊び方は、文化に関係なくどこにでもあります。
もちろん、誰といたいかということがそのまま実現するわけではありません。そこには親からの圧力があります。
その子がどう感じているかということと、社会のありかたの相互関係の中で、その子は生きているのです。
みたいな感じ。かなり間違っていると思うけど。
これだけをみたら、かなり本質主義的に思えるんですけど、おそらくは違います。「べき」で考えるならそりゃぁそう考えられるかもしれません。でも、おそらくダイヤモンドは「現実」からスタートしている。どの社会でも、人形遊びをするのは女の子が多く*1、ボール遊びをするのは男の子が多いということが、現実で、その現実に左右をされるということを言っているんだと思いました。
最後の方でこんなことを言っていました。
自分の問題を自分のやり方で解決すればいい。でも、心の中で考えることと社会が許してくれることのコンビネーションで、さまざまなことが起こります。
そうなんだよなぁ。
そうそう、いつものフレーズ、こんなんでした。
Nature Loves Variety
Society Hates It
そうか…。原文は「hates」だったんだ…。
*1:「野球をする子もいる」ということも同時に言っていた
まぁこれもよしとしよう・リビングライブラリー(2日目)
わたしは、基本的には、リビングライブラリーって、「未完成」な話があって、そこからいろいろ一緒に話をしていくのがいいんじゃないかと思っています。なので、できれば30分をすべてわたしがしゃべるんじゃなくて、まぁ20分ぐらいは話をするけど、あとはいろいろよもやま話ぐらいでちょうどいいんじゃないかと思っています。ところが、今回*1、30分全部しゃべってしまうんですよね。しかも、「まぁこんな感じで生きてます」ってところまでいってしまう。こうなってしまうと「オチ」がないわけです。これが困る。
実はこの悩み、昨日からずっとあったんです。
でも、今日、最後の2セッションを話しながら、
「もしかしたらこんなんでもいいのかもしれない」
という気がしてきました。
たしかに、トランスのこと「を」知りたい人もいるのかもしれません。でも、ことによったら、トランスの話、あるいはわたしの話を聞くことを通して、まったく別のことを考えてもらえるかもしれません。なんか
「今日、話を聞いて元気をもらえた」
と言ってくださった人がおられたんですよね。これって、わたしもまた元気をもらえるし。
*1:前回もか
時間が足りないかも・リビングライブラリー(1日目)
さて、いよいよ今年のリビングライブラリーの開始です。今年わたしに与えられたテーマは「教壇にあがるとザワッ −トランスジェンダー教員の風物詩−」です。1年目はわたし自身のこと、2年目は家族のことだったので、今年は生徒との関係を語ってほしいということのようです。
やっぱり「物語を語る」って、けっこう難しいです。というのは、「今」を知ってもらうためには、やっぱり「その前」を知ってもらわないといけません。ところが、このあたりの話をすると、これが長い…。まぁ、さすがにセクシュアリティの基礎知識みたいなことは言いませんが、やっぱりある程度自分のライフヒストリーを話さなきゃならないわけです。
さいわい、悪趣味なアルバムなんてぇのがあるので、こいつをリメイクして、まずはウケをとることにしました。これはこれで、それなりにいい感じです。そこからあとは、ある意味「話」としてはまったく新しいバージョンです。でも、そういう意味では「パート2」のためのいいネタづくりになった気もします。ラッキーかな。
もうやけくそだ
久しぶりの散歩
今日は10月にO市でお世話になった人々を案内して、いつものお散歩コースを歩くことになっています。なので、合宿の方は早々に退却。
とりあえず家に帰って体勢を立て直してスタートです。とは言え、しんどいわ…。結局昨日は全然寝られなかったしなぁ…。
で、京都駅で合流。そこからパッチギゆかりの地を訪ね、40番地跡を訪ね、オールロマンス事件ゆかりの地を訪ね、いつものパターンのお散歩がはじまります。もちろん今日はフルコース。なので、そこからさらに北上して、最終的にはおたふくまで歩きます。
まぁわたしにしてみたら「いつものコース」なわけですが、はじめてこられる方々にとっては、めまぐるしく変わる京都の風景は、やっぱり驚きなんでしょうね。おそらくは、京都って、聖・俗・賤が入り乱れた場所なんじゃないかと思うんです。で、それらはおそらくは一体となっている。ところが、京都をとりあげる時、どうもそれらのひとつひとつを独立して扱ってしまうんじゃないかなぁ。いつものお散歩コースは、そういう意味では、いい京都観光(笑)だと思いますよ。タダだし(笑)。
ちなみに歩いた距離は、約5.5kmですね。
今年は鍋か
今日〜明日、放送部の卒業生達主催の「裏合宿」です。
例年はもう少し早い時期にやっていますが、今年はいろいろあって、この時期にずれ込みました。さすがに12月は寒いので、焼肉はやめにして鍋にしました。とりあえず鍋は2種類やることにして、ひとつはわたしの担当と言うことにしました。なんか、連中はちゃんこをやるみたいですが、わたしはやっぱりビェンローです。
なんしか夕方に集合して、いつもやっているキャンプ場に行きます。で、さっそく準備。と言っても、すべて準備してあるので、あとは鍋にぶち込んでグツグツやるだけです。
バンガローにはこたつがあって、これがなかなかいい感じを出してくれています。やっぱり、鍋・こたつ・ビールは最高ですね。で、卒業生達と気のおけない話をしながら夜は過ぎていきます。
しかし、ヤツら、強いな(笑)。
やっぱりおもしろい
今日の午前は、某町の人権教育連絡会。これ、地域の保・小・中・教育委員会・児童館、そして高までが一堂に会して、地域の教育問題、とくに学力に関する研究をしているグループです。ちなみに、教育委員会が主催しているとは言え、相互の関係は完全にフラットです。誰がなにを言ってもかまわないというのがルールです。
で、今回のテーマは「家庭学習」。やはり小・中のとりくみはすごいです。学年として、あるいは学校として、明確な方針を持って全教職員が協力をしてやっています。振り返って、高校を見ると、やはり足並みが全然そろっていません。まぁ人数が多いということ、分業体制が敷かれていることは大きな要因ですが、それ以上に
「高校生は自分でやってあたりまえ」
という暗黙の前提があるんでしょうね。だから、そのことが全体の課題にならない。勢い、一部の人に負担がかかってしまう→中途半端になる→生徒がきちんとやらない→やっている人間の徒労感がつのる。という悪循環に陥ってしまうんじゃないかなぁ。
一度、中学校の実践をみんなで学ぶ必要があるのかもしれないなぁ。