『障害のある先生たち』

やっと「読みたい」と思ってた『障害のある先生たち』を読み終えました。なんでこんなに時間がかかったかというと、その前に読んでたのが『知への意志』で、やたら時間がかかったのと、そのあと急遽『18歳のビックバン』を読むことになって、つい後まわしになっていたという。
Kちゅかるさんから感想聞かれてて、それに応えたいなと思ってたし、「第3章とコラムだけでもいいよ」とも言われてて、実はパラパラとはめくってたけど、とてもじゃないけど感想言えるところまでは読めてなかったので「いや、読んでないんです」と答えてはいたのですが、やっと順番がまわってきました。
読みはじめた、最初の印象は「簡単な本だ」でした(笑)。
まぁ、フーコーみたいな訳書に比べて簡単なのはあたりまえなんですが、でも、とてもとっつきやすい。じゃ、あえてレベルを落としてるかというと、そういうわけでもないです。ここ数年おべんきょの関係でペーパーをよく読みますが、まったく手加減してるようには思えない。なぜだろうと思ったけど、きっと「こなれてる」んですね。だからこそ、ややこしいことをややこしいままに、それでもわかりやすく書ける。そこに読者、あるいは「障害のある先生たち」への愛を感じます。
で、中身ですね。ひとことでいうと、「とっ散らかったおもちゃ箱みたい」という印象でした。でもそれは当たり前です。なぜなら、そもそも例えば「視覚障害のある先生たち」を扱っているのではなく「「さまざまな」障害のある先生たち」を扱っているので、それぞれが与えられているdisabilityはまったくちがうということです。さらに、そもそも「障害とはなにか」という根源的な話が最初から出てきます。つまり、あるdisabilityを障害ととらえるのかとらえないのかということです。そしてこの本は、あえてそれを著者たちは定義せずに、相手に委ねる(笑)。となると、identityとしてのdisabilityです。で、なぜこんなことが可能になるのかというと、inparementとして障害を捉えてないからです。まさに「social model」です。まぁだから、文中のHさん(シンポの中のIさんは同一人物(笑))はこの本に「参加」したんだと思います。でもそこには、安心してidentityと言える関係がないと不可能です。つまり、はじめにインタビューイーと著者たちの関係があって、さらにsnowball samplingをすることで広げていった。その人脈がベースにあるということでしょうか。
さらにもうひとつ「とっ散らかったおもちゃ箱」になった原因は「先生(本書のタイトルなので、あえて「先生」とします)」という職業に着目しているところではないかと思います。例えばこれが「日常生活」だったら、こうはならない。第4章にあるように、教員の仕事はひとことでくくれません。「いや、それは他の仕事も同じ」と言われる方もおられるかと思いますが、わたしが言いたいのは「数学の教員」と「美術の教員」では求められる技能や資質が違うということでもあり、小学校教員と高校教員でも求められる技能や資質が違うということでもあり、そもそも免許が違うということでもあり、さらにそこに支援学校も含めると「教員」というくくりはほとんど意味をなさないほど、それぞれに期待される仕事内容が違うということです。それをあえてひとつの「箱」に放り込んだら「とっ散らかる」のは当たり前です。でもそれをあえてひとつの「箱」に放り込んだ。するとそこから浮かび上がってきたのは「教員ってなに?」という問いだったという(笑)。
これは第4章で真正面からとりあげられてますが、読みはじめてすぐ「これ、障害の本でもあるけど、教員について、あるいは教育についての本でもあるんだ」ってわかりました。
さらにもうひとつ。「整理されたおもちゃ箱」ではなく「とっ散らかったおもちゃ箱」なのは、みなさん整理しようとしてない(笑)。いや、整理が苦手な人が著者の中にいるのは知ってますが(爆)、そういうことではない。それは最後にもあるけど、「提言をしようとはしてない」ってことです。でもそれはとても正直でありていねいなことなんですよね。だって、提言なんてできないし、提言した瞬間に、そこにはまらない人をつくってしまうとわかっておられるからです。それを実証したのが第3章になるのかなと思いました。
第3章でとりあげられた3人のインタビューイーは、障害のあることと教員であることの相関関係がまったく違います。つまり、障害のあることをdisabilityと感じることがある人もいれば、障害のあることを自らの「ウリ」としちゃう人もいる。そして、教員という経験を通して「障害」の中からidentityを立ち上げる人もいる。つまり、「障害」と「教員」を掛けあわせたら、わけがわからんことになったということです。第3章では3人しかとりあげておられませんが、実際に話を聞かれたのは16人もおられるわけで、たぶん著者の3人の方々は、もっとわけわからんことになっておられたんだろうなと。それが少しうらやましい。
そんな中で、少し整理されてるのが第6章から第8章になるかと思いました。それは「視覚障害」に特化した話が主流を占めることと、特に第8章の楠さんの話がそれを特徴づける気がしました。そこでの気持ちをあえていうなら、本書の「親しみやすさ」が遠のいた感じもありました。まぁでも、それが「歴史」というものなのかなぁ。そういう意味では、第5章を読むことで、第6章から第8章の背景になることがわかります。
わたしは個人的には「マイノリティだからできることがある」という考えはイヤです。もちろん、そう考えないとやっていけなかったり、そう考えることでできることがあったり、さらには自分のinparementをdisabilityととらえ直すきっかけになったり、まぁさまざまなことはあるだろうとは思います。でも「それって資格じゃん」と思ってしまう。「だったらマジョリティは永遠にできないじゃん」と。さらには「だったら社会は変わらないじゃん」と。そして、それへの「反証」がわたしの実践の原動力です。つまり「マジョリティだってできることがある」です。そういうわたしにとっては、やはり「遠のいた」という感覚がどうしても出てくるんですね。
そうそう、この本を可能にした「チームエスノグラフィ」についての第2章はおもしろかったですね。わたしにとっての「おべんきょ」って、チームでやるものとは思えない。というか、たぶんやりたいんだろうけど、端的に言って「ぎょーせき」をつくらなきゃならない状況で、そうなると「チーム」なんて組めないです。でも、それがチームを組むことで多様になるって、これもまたうらやましいなと思いました。でも、その出会いがニューカマーをめぐる問題意識からでた研究会だったというのが、これまたおもしろいです。そうやって、なぜかわたしのフィールドとどこか重なるんですよね。たぶん、わたしが横断的にものを考えられるようになったのは、多少なりともこういう「世界」と触れあっているからなんだろうな。
そうそう、コラムがおもしろかった!特に、stnセミナー参加記ですね。もちろん、stnは「障害のある教員のグループ」ではないから、例えば全聴教(≠全朝教)とは違うのは当たり前なんですけど、そういえば、stnの人たちは発言する時に自分のセクシュアリティから入りますよね。これは、「当事者なんです」というだけじゃなくて、「どういう当事者であるか」とか「自分の問題意識はどこにあるか」あるいは、「どういう経験をしてきたか」ということのなかのものすごく大雑把なことを、とりあえずバクッと言うためのリソースなんですよね。でも、そこで「ストレートです」という時のとまどいがあるというのが、あらためて「だよねー」と思ったし、それは在日外国人の社会で「日本人です」と言ったり、あるいは部落の中で「部落出身じゃない」と言ってきたわたしの姿と重なるわけで、だからこそ「だよねー」と思ったんですよね。

などと、いろいろ書きながら、ふと気がついたこと。
わたし、基本的にはsocial modelと親和性が高いと思っています。でも、なぜそうなったのかなということに、この本を読むことで気づいた気がします。
わたし、教員としては能力が低いです。それは、数学の教員としても学力が低いし、教員としての、いわゆる指導力があるとも思えません。でも、そういうわたしだからこそsocial modelなんだろうなと思うのです。
例えば、数学の学力をあげたり教員としての指導力をあげるために研修に励む方がおられます。これを、障害の世界に持っていくと、rehabilitationですよね。つまり、個人の学力やスキルを高めることで、自分の中にあるinparementを克服するモデルです。いわゆるindividual modelですね。
それに対して、わたしは基本的には努力が嫌いだし勉強も嫌いなので「しゃーないやん」と思ってる。てか、努力や勉強なんてどこまでやっても限界なんてないし、逆に言うなら「できないこと」「わからないこと」「間違うこと」は当たり前で、そんな時は「ごめん」と言えばいいと思ってるんですよね。自分のabilityの低さを肯定しているというか、開き直っている(笑)。例えば、解けない問題があれば、他のリソースを使えばいい。それは他の人に聞いたり、問題集の解答を見たり、「他の人に教えてもらえ」というかたちで解決すればいいだけの話だと思っています。で、大切なのは、他のリソースをどれくらいたくさん持っているかということなんだと思っています。これを、熊谷晋一郎さんは「自立は依存先を増やすこと」と言っておられるわけです。知らんけど(笑)。
となると、わたしがsocial modelをとっているのは、自分のabilityの低さに原因があって、そういうdisabilityを持つがゆえに「できること」があるとしたら、これはさっき書いたことと矛盾するなと(笑)。

走りとおべんきょ

走りはじめたのが、2月26日か。2.26ですね。そこから1ヶ月あまり、ほとんど毎日走ってます。で、気がつくと40分。今日は4kmコースをどれくらいのペースで走れるのか試してみるところまできました。結果は1km5分少し。かつてのジョギングペースまではきました。目標は、ここから35秒ほど早くすることです。まぁ、あと10ヶ月ほどがんばれば、なんとかなるでしょう。
問題はおべんきょですが、こちらもすこし気を散らしながらだけど、少しずつ進みはじめました。と言っても、全く足りてませんが…。
で、こんなことやってられるのは、実は一緒に仕事をしてる人たちのおかげです。
い「こんなやって、走ってばかりいてごめんなさい」
同「走って身体を鍛えるのも仕事です」
とのお返事。
でも、たぶんそういうことなんですね。走って身体を鍛えることが、結果としていい授業につながるというだけじゃなくて、そこそこええ歳したおばはんが身体を鍛えて、それなりのスピードで走れるようになるということが、少なくともグランドでクラブやってる子らとか、冬になって授業で走る子らにとっての「ロールモデル」になるんです。
それは「おべんきょ」も同じです。目の前で数学教えてる教員が「身も心も文系」とか言いながら「おべんきょ」してるということが、子どもたちへの刺激になる。より上のレベルの世界を子どもたちの前に展開することができる。単に「教師力の向上」なんていう即物的ではない世界と触れることもまた、実は教員がやる仕事のうちのひとつなんですよね。
そして、そのことを、うちの同僚は知ってくれてる。だから「仕事」と言ってくれるのです。
こういう世界は、現在、学校を覆いつくしてる「文書主義」の対局にある世界なんじゃないかと思います。でも、そういう「反文書主義」の世界が好きで、この仕事をしようとしたんです。そしてそれを肯定してくれる同僚がいる。

「廃棄」や「改竄」や「隠蔽」にまみれた現在の文書主義よりも、こちらのほうがはるかに健全だし、廃棄も改竄も隠蔽もできない世界だと、わたしは個人的には思うんだけどなぁ。

gender identityってなんだろう

その後、当然のことながら呑み会です。メンバーは佐倉さんとかいずみちゃんとか、そしてもちろんYさんとか。
Yさんと話をしていておもしろかったのが
「トランスって言うけど、性別を移行するってどういうことですか?」
という問いでした。これ、古くて新しい問いなんですよね。もちろん、身体の形状だとか、IDの問題とかじゃないです。ほんとうに、何が変わるだろうと思います。でもまぁ変わるのは「人間関係」なんだろうな。つまり、genderの問題なんだろうな。となると、「わたし」自身は変化/移行するのか?っていう問いが浮かんでくる。
で、いろいろ話をしていたんですが、一番驚いたのは、Yさん、わたしのことに気づいていたらしいです。
Y「センセイ、きっと女の人になった方が居心地がいいんだろうなって思ってました」
マジか…。そういや、パートナーがわたしと結婚するのを決めた時、当時の技術職員さんから「あの人は女の人だからやめとき」って言われたとか。いやでも、当時、わたし自身自分のことに気づいていなかったわけで、なんでそれがわかるねんと。
そう考えると、identityってなんだろうと思うわけです。
現在「MtF」ではなく「トランス女性」を使うのは、「わたしは男だったことは一度もない」という主張がそこに含まれているからなんですよね。そして、Yさんがわたしのことに気づいていたということは、おそらくわたしが自分のことを「男」と思い込んでいた時も、すでに「女」だったと考えることができるわけです。もちろん、だからこそのidentity、つまり「一貫したもの」なんですよね。でもそうなると、自分が思い込んでいた「男」は、すでに「女」だったと考えることができるのか?という問いがまたまた出てくる。てか、そもそもその「女」とか「男」って、いったいなんなんだろう。さらにはgender identityっていったいなんだろう。だって、わたしが気づいていないことを他者が気づいていたわけです。すると「性別にかかわる自己同一性」の「自己」が自己ではなくなってしまう。
ちなみにYさん「いつ言ってくれるのかなぁ」とずっと思っていて、でもとうとうわたしが言わなかったから傷ついたとか。いや、それ、無理やし。言うも言わないも、当時は「女装趣味」と思ってて、そんなの話せるはずもないし、それ以上に「女性の身体を獲得したい」とか、誰かと一緒にいる時は完全に封印していて「忘れて」いたし。
まぁでも、そういうことを言ってもらえたのはうれしかったです。
てことで、Yさんとは再会を誓ってハグしてお別れ。さて、ホテルに帰ろう。

genfer expressionとbiological sexの境界線

今日はこないだに引き続き、「SOGIの多様性と共生の課題」の2回目「トイレ・更衣室問題から考える多様性」です。
それにしても、考えてみると、こんなセミナーを2回もやって、2月にはトランスジェンダーの歴史についてのセミナーもあって、しかも、すべて康さんや東さんと一緒に「中の人」をやらしてもらえるとか、すんごく幸せなんだなって、最近しみじみ思います。
てことで、早めに会場に行って、25分ばっかあたりをジョギング。完全にジョンキーです。まぁ、走ると脳内に麻薬様物質が出るらしいから、ほんとにそうなんでしょうね。
帰ってきて打ち合わせをしていると、なんと、順子姐さん登場!マジか!てか、明日は東京で「いずみちゃんナイト」とちゃいますのん。フットワークの軽さには驚きです。
で、しばしダラダラしていると、すぐにセミナー開始です。ますはなほさんからSOGIについての基礎知識と、大阪大学のトイレのピクトづくりのとりくみについての説明です。なるほど。「絵」にすると、とうしても固定化されたジェンダーが出てしまうので、最後は「M/W」にしたと。たしかにね。なほさんらしいなぁ(^^)。
その後、メインスピーカーの東さん登場。相変わらずの迫力です。しかも、過去と現在、日本と海外を自由自在に飛びまわられます。さらに、メンバー的にそしてわかりやすさからどうしても「gender identity」に話が偏りがちですが、「府中青年の家裁判」を持ってこられるなど「sexual orientation」のことも織り込んでおられます。さすが!そして締めくくりは「どんな人であろうとgender identityにマッチしたトイレを使える社会」とズバリです。直球です。好きです。
続いて、古怒田さんのコメント。実は、突如スライドを使おうと思ったので、はじめは聞けなかったのですが、トランスも欲望の対象になるという話が印象的だったかな。そういや、わたしもありましたわ。なんか、トランス女性って、たぶんハラスメントしてもいい対象に思えるんでしょうね。
で、わたしの出番。今回は月曜日の予行演習で、「文科省通知の影と闇」をメインにすえることにしました。出も、それだけではなんなので、自分の現在の状況を話したのですが、それが悪かった。いちおうトイレに入るときにはリスク回避のためにgender expressionを少し女性側に多めに振るのですが、それを一般論で語ってしまったみたいです。そこのところを東さんからズバリと突かれて苦しい苦しい(笑)。つまり、例えばどれだけがんばってもパスできない人はgender identityにしたがったトイレに入れないのかということです。もちろん、そんなことは言うつもりはないのですが、たしかに一般化するとそういうことになるわけで、苦しい苦しい(笑)。
その後、「性的欲望」の問題の提起があって、これもなかなかおもしろかったです。というのは、「性的欲望を持ってはいけないのか」(by 東さん)ということです。つまり「性的欲望を持つこと」と「同意のない行為をすること」は違うことで、大雑把に言うなら、後者はアカンけど前者はええやろという話です。なるほど。つまり、「性的欲望を持たないもの」というのが前提にあって、同性間にはそれがないとされる。で、トランスは「性的欲望を持つもの」とされ、排除される。さらに同性愛者もまた排除されたのが、まさに府中青年の家事件だったわけです。でも、現実には同性愛者でなくても同性に対して性的欲望を持つことはありうることで、「性的欲望を持たないこと」を前提とすることそのものがアカンのではないかということなのかな。
とても興味深い論議です。まさに「SOGIの多様性と共生の課題」です。
てことで、セミナー終了。

当然今日も打ち上げです。仕事終わりの康さんも来て
みんなでもりあがるわけですが…。
ずっと気になってたことを、つい発言。
「biological sexもgender expressionなんじゃないんですか?」
東さん曰く「意志と意図と実行がないとexpression社ない」
なるほど。でも、例えば、お風呂において身体はexpressionなんじゃないかと想うわけです。まぁ、すでにこんなことはバトラーが言ってるわけですが、でもそうだとしたら、正直トランス的にはしんどいです。と、なほさんが「だから、わざわざgender expressionを分節したわけじゃないですか」と。となると、そのふたつをわかつ分割線はどこにあるのかと。そこがはっきりしたら、あるいは可変であることがはっきりしたら、あるいはcontrolableてあるなら、トランス的にはすごく楽になるんじゃないかなと思ったんですよね。
ただ、酔っ払ってたから、単なる酔っ払いのたわご土になってしまいました(笑)。
ということで、打ち上げ終了。
今日は二次会はなし!

「続けることの意味」の続き

朝起きるとAっちゃんは仕事に行ったみたいです。日曜日も仕事という公務員ってなんでしょうね。ちなみに、休日出勤を命じることができるのは支店長だけなんですが、どうやら先輩から言われての出勤のようです。なので、当然のことながら振替休日なんてありません。支給されるお金は最低賃金をはるかに下回る程度です。まぁ、そりゃ、制度改革はすすまんわな。だって、お互いにタダ働きをさせあってるんだから、「制度」は痛くも痒くもない。
てことで、ひとりで「待ち」です。来ません。まぁ仕方ないです。広報が遅かったのもあるけど、それより深刻なことがあります。だって、京都の高校全体にチラシはまいてるけど、みんなそのままゴミ箱に捨ててるんでしょうね。生徒のところまで情報はまわってません。だから、来ようがない。せめて増し刷りして教室掲示してくれたらいいんだけど、たぶんそこで「行きたい」という生徒が出てきたら、自分が引率で行かなきゃならなくなる。すると、自分の土日出勤とバッティングする。だから、捨てる。いや、そこまで考えてくれたらまだマシか。「ふーん」で終わりなんだろな。
まぁ仕方ないです。アイデンティティ保障をひとまず横に置いた京都府を選んだのはわたしです。

昼前まで待ったけど、誰も来ません。しかたないのでジョギングです(笑)。
7条まで走って、そこからもどって勧進橋まで走ってもどるとちょうど20分です。ほんとに我ながらいいコースを考えるな(笑)。
ジョギングを終えて帰ると、kゎんすがいました。
てことで、ふたりでしばし話。何でも今度の4月に梨花展を京大吉田寮でやるそうな。これは協力せねばね。
久しぶりにマッサージをしてもらいながらそんな話など。
その後、北大路まで移動。交流会の担当者と合流して、なぜか王将へ。なんか、お腹減ってたのでやたら食べてしまいました。
家に帰ったら、まだ夕方です。でも、眠い。なので、午睡です。そうこうするうちに解放文化祭に行ってたパートナーが帰ってきたので、メガネをつくりに行ったり。店員さん、わたしのことを「お連れさん」と呼んでたのがおもしろかったな。
家に帰ってご飯を食べて、確定申告を送信。ひとつひとつやらなきゃならないことをこなしていくしかないですね。

にしても、昨日の夜も誰も来ないと思ったらYりかさんが来てくれて、今日も誰も来ないと思ったらkゎんすが来てくれて。なんかうれしいです。まだ「あの場」を必要と思ってくれてる人がいる。ちなみに、Oんにょんもメールをくれたしね。
まぁ、あともう少し続けることにしましょう。方法は考えないといけないけどね。

続けることの意味

今日はなんだかいろいろある日なので、朝からローテンションです。
まずは組合に行って、選挙の開票作業。なぜか去年からだったから、選挙管理委員長をしています(笑)。厳正に開票作業をしました。もちろん、票の廃棄とかはしていません(笑)。
で、さっくりと開票作業が終わったので、少し時間があまりました。なので、確定申告です。なんせ、医療費がすごい(;_;)。
そんなことをしていると、午前の会議のメンバーがボチボチ登場。今日は某在日外国人教育関係の会議です。わたしとしてはこないだの交渉の結果とか、こないだの謀議の結果なんかを報告しなきゃなりません。
午前の会議が終わったら、昼ごはん。いつものラーメン屋でギョーザ・ラーメン・ビールの鉄板の昼ごはんです。
その後、午後の会議。今日は参加人数も少なく、そんなに大きな論議もなく、けっこうあっさり終了です。
みんなは飲みに行きましたが、わたしはジョギング。御所のまわりは4kmなので、ちょうどいいです。それにしてもあきません。ゆっくり走りたいのに、つい「あげ」てしまいます。結局、22分くらいかな。1kmが5分30秒というところでしょうか。まだ遅いけど、まぁこんなもんでしょう。
で、飲みに合流。しばし遊んで、すぐに離脱。お次はダメダメ先輩と合流です。向かうは崇仁新町です。なかなか賑わってるけど、ちょっとしんどいかも。なんだかせわしないです。でも、たぶん京都のいろんなお店が出店を出してるのかな。ちょいと高めだけどおいしいですね。にしても、卒業生がいたのはびっくりしました。悪いことはでけへんな。
その後、マダンセンターに移動。今日は卒業生の会です。でも、誰も来ない。たしかに告知が遅かったというのはあるにしろ、事前に年間スケジュールは告知してあるし、ええかなと思ったのですが、来ない。まぁ、みんな仕事をしたり子育てしたりして忙しくなっているんだろうな。その次の参加者を発掘してないのがアカンのだと思います。が、来ない。
12時をまわったあたりにAっちゃん登場。このあたりで、わたしもそれなりに呑んでるので、フラフラです。しばし今後のことを話したりしているうちに寝てしまいました。
が、突然部屋が明るくなりました。え?と思ったら、Yりかさんがお友だちと登場。マジか?仕事が終わってから奈良の南部から来てくれたみたいです。朦朧とした頭で近況を話しあったりして、そのうち「明日仕事があるから」って言って、電気を消して帰っちゃいました。
うれしいな。わざわざ来てくれたんだ。というのと、もしかしたら、近況を話したかったのかな。ということは、やはり「ここ」を必要としてる人がいるんだってことなんですね。
誰も来なくて、かなりめげそうだったのですが、少し元気が出てきました。Aっちゃん、Yりかさん、N島さん、ありがとーo(^^)o

「祝福」が広がっている

今日は卒業式の日です。放送担当は、1年生と去年プレッシャーをかけた子のふたりです。なので安心です。わたしはバックヤードでのんびりさせていただきましょう。
で、のんびりしながらというか、いろいろ考え事をしながら、卒業式にも意識のリソースを振り分けていたのですが、とある生徒の話を聞きながら、ビミョーな感じになってきました。
曰く「お父さん、お母さん、今日まで育ててくれてありがとう」
たぶん、親にとってはうれしい言葉でしょう。教員にとっても、もしかしたらほほえましくもうれしい言葉かもしれません。でも、ほんの少し外に出ると「ほ…」という気がしてしまいます。
この言葉、一番良く出てくるシチュエーションは、言うまでもなく「結婚式の花嫁の家族へのスピーチ」です。ちなみに、あのスピーチは明らかに旧民法下での家制度の産物ですよね。
もちろん、それと今日とは違います。でも、どこか「予行演習と違うか?」と思ってしまうイジワルなわたしがいます。ついでに言うなら、今回の前の予行演習は1/2成人式ですね。なんで、こういう時の親への感謝がこんなに広まったんだろう。
そして、送る側も「祝福されて」です。かつて結婚差別についての講演を聞いた時に「若い子が結婚差別をする時によく使う言葉が「周囲に祝福されたい」なんですけど、祝福なんて言葉は日常使いますか(笑)?」って言っておられて笑ってたんですけど、最近は使うんだな。
なんか、「努力!」とか「根性!」はきらいだけど「感謝!」とか「絆!」はもっとキライですね。もちろん裏側ではみんなどう思っているかはわかりません。が、そんなのが表面に出てくる社会になってるんだな。その延長にあるのがアレとかアレとかアレなんでしょうね。あー、こわい。

午後からは少しゆっくりです。たった一人だけ、1年生の時に授業を担当した生徒が親と一緒に来てくれました。わたしのとてもえー加減な授業がよかったらしいです。なんでもとても真面目な子なんですけど、世界が広がったんだとか。ちょっと、うれしいです。
で、いつもの時間にジョギングして、夜はカイロプラクティック
なんでも、ストレスが溜まった時に、身体は自分を守るために神経のブレーカーを落とすんだとか。でもそれは自分では復旧できなくて、それが落ちっぱなしだと、身体が不調になるんだとか。なので、ブレーカーを入れてまわるらしいです。
おもしろいです。
さてと。あとは帰って、おふろ→ビール→ケンミンショー!

今日は奈良で呑み。源淳子さんがされている読書会の呑み会に、読書会のメンバーでもないのに呼ばれたりしました。実は、宮前千雅子さんも呼ばれていたらしいのですが、今日は都合がつかなくて、わたしだけが緊急参加ということになりました。
仕事を終えて、快速に乗って30分ほど移動すると、奈良に到着。駅前の居酒屋に入ると、すでにみなさん絶好調です。てか、テーブルの上の食べ物、全部ない。
「いつから呑んでたんですか?」
と聞くと
「4時かな、5時かな」
という絶好調のお答えが返ってきました。わたしの参加は無理やな。
てことで、みなさんに追いつくべく、わたしも急ピッチで呑みはじめました。
今日の話題は、なぜか信仰について。仏教者の源さんに対して、キリスト者がふたり(含、わたし(笑))。あとの3人は無宗教かな。で、無宗教の方からさっそく「権威にすがるってどうよ」というストレートパンチが繰り出されてきました。それに対して、それぞれがいろいろ話をします。ちなみに、源さんは
「仏教よりもフェミニズム
です。これ、本当に源さんはそうなんですよね。いつも言われます。それくらいフェミニズムで自由になったんでしょうね。言いかえるなら、フェミニズムに出会うまで、それほどまでに息苦しさを感じていて、しかもそれをあらわす言葉や概念と出会う機会を奪われていたとも言えるのかな。ところが、そんな源さんに対して
「そういう理論じゃなくて、やはり平塚らいてふとかね」
というフックが飛んできます。
ともに女性解放運動をしてきているんだけど、なにがそれらをわかつのか。そこへもうひとりのキリスト者の方が助け船。
「源さんにとっては、フェミニズムは理論じゃなくて生活なんじゃないかな」
なるほどなぁ。とてもわかりやすい助け船です。
ちなみに、今日わたしが声をかけていただいたのは、この間行った出版記念会の折、感想を言うことができなかったからなんですね。そこで、わたしの出番です。
自分らしい終末や葬儀の生前準備―「生老病死」を考える』という、あの本、当然のことなんですけど、そこに流れているのが仏教なんですよね。それも浄土真宗です。もちろん、わたしにはわからないことだらけです。でも、ひとつわかるのは「違う」ということです。そもそもキリスト教の人生観って、天国からこの世に来て再び天国に帰るという、一方通行です。なので、亡くなったうちの父親は、きっと天国で先にそっちに行った研究仲間と、楽しそうに研究をしてるんだろうなと思っています。
あと、お葬式も全然違います。基本的には教会でします。さらに一番違うのが「法事がない」です。年に1回物故者礼拝があるだけで、それ以外はありません。基本は「個人単位」で考えています。なぜなら、キリスト教って、神と個人の結びつきというのが根本にあるからです。なので、原則的にはお金がかからない(笑)。
まぁそういうキリスト教ですが、「直葬」というのは「なるほどなぁ」と思いました。あれ、あの本の大切なキーワードのうちのひとつなんでしょうね。あの「直葬」というので、おそらくは既存の形骸化したというか、まさに「つくられた」仏教のお葬式に叛旗を翻したんじゃないかと思います。
そんな話をしていたんですが、「キリスト教って、楽ですね」ということになって、それはそれでまぁそうなんだけどね。というのは、「キリスト者として生きる」ことは、今の日本の中にある「あたりまえ」と常に抗い続ける生き方でもあるわけです。その「あたりまえ」は、あまりにもあたりまえだから、そこにいちいち異議申し立てをしながら生きるのはけっこうめんどくさいし、なにより、そう生きること/生きていることをあらわす時点で「違う人目線」で見られるわけです。まぁそれがだんだん快感にはなっていくんですけどね(笑)。
じゃぁ、なぜわたしがキリスト者になろうと考えたか。それは、キリスト者の中には、あまりにもおかしいヤツが多すぎる。その1点です。そんなおかしいヤツが生まれるキリスト教であれば、自分もそこに入ろうかと。それですね。
まぁそんなこんなな話で盛りあがったり。さらには、「部落差別はあるのかないのか」とか、なかなかドラスティックな話で盛りあがったり。
あぁ、楽しかった。でも、奈良ですよ、ここは。てことで、9時半には退散。それでも家に帰ると11時。まぁやはり遠いわ。でも、また来よう。

この世界は、はまるとおもしろい

今日の午前は出張。第二のふるさとで定例の会議です。
ここ数年、ずっと学力問題について論議をしてきましたが、今日はもっとざっくばらんに「これからの人権教育」についての論議です。とはいえ、なんらかの共通のエビデンスに基づいて話するというよりも、それぞれの園校の実態をもとに話しあうという感じです。したがって、論議をかみあわすというより、話題を提供しあうという感じになります。
こういう時、保育園と義務制(小中)と高校では、まったく感じが違うんですね。保育園は、個別の課題というよりは「友だちと仲良く」とか「命の大切さ」を人権と考え、すべての保育士さんがそれをベースに保育をされます。義務制は基本的に教職員の統制をとりながら、一枚岩でとりくんでいきます。なので、年間の人権教育のスケジュールをたてて、個々の差別についての学習や人権という概念の学習を、教科としても担任としても、全体でとりくんでいく感じです。
それに対して、高校はバラッバラです。何がバラバラかというと、ほんとに、バラバラです。まぁもちろん「人権は大切」とは思っておられます。が、もしかしたら「人権より大切なものがあると思ってるやろ?」と思うこともしばしば。その「より大切」は、それぞれの立場でバラッバラです。例えば、分掌によって、教科によって、部活動によって、バラッバラです。それだけ個々の立場の独立性が高いといえばそうなんですが、逆に共有するのが難しい。それは、ある意味いいことです。わたしだって起立礼はしませんからね(笑)。でも一方、人権についてまともに考えたり実践したりする機会は、それをしなきゃならないセクションに入った時に限定されてしまうという側面もあります。もちろん、いずれのセクションも人権をベースにしなきゃならないことは言うまでもないことなんですが、でも、直接的には「より大切」なことがあると考える人が多いんです。必然的に、人権についてまともに考えたり実践したりする機会は「人権担当」にならないとなくなってしまいます。でもまぁ、ほんとは人権担当であろうがなかろうが関係なく、はじめから人権をすべての教育活動のベースにすえて実践するのが望ましいことは言うまでもないことなんですけどね。
てのはおいといて。
人権担当になった人は、大きく3種類にわかれます。ひとつのパターンは人権担当になることで「人権が大切」と考えるけど、人権担当ではなくなったら「より大切」なことが出てくる人です。もうひとつのパターンは、人権担当になることで「人権が大切」と考えて、人権担当でなくなってもやっぱり「人権が大切」と考える人です。
もちろん、育てたいなと思うのは後者のような人です。そしてそういう人は、たしかに存在しています。例えば、人権担当同士のメーリングリストに、人権担当をはずれても「いれといてね」とかいう人、おられます。とてもうれしいです。
で、3種類目の人ですが、それは人権担当になることで「はまる」人です。言い換えるなら、人生が変わる人です。例えば、趣味が高じて引越しをする人とか、研究にのめり込むとか、まぁいろんな人がいますけどね(笑)。
今日の会議で、わたしの先代の人がいみじくも言いました。
「この世界は、はまるとおもしろいんだけどね」
まさにそのとおりです。おもしろい。ほんとにはまるんです。もちろんわたしもそうだし、日本全国見渡すと、わたしの友だちはみんなそうです。てか、たぶんわたしの友だちも、その人のまわりはみんなそんな人なんだろうと思います。
じゃあ、どうすればどはまりするのか。それは、どはまりした人と一緒に実践をすることです。一緒に行動をするのもあるし、「話し込むことやな」と突き放されることもある。そうやって、どはまりした人のブラックホールに飲み込まれ、もまれることで、ホワイトホールからぽんと出て、自分もどはまりして、自分のブラックホールをつくっちゃう。
でもまぁ、どはまりすると、誰かさんみたいに人権担当に居座ってしまって、そうすると、そこの学校では他の人が人権担当になれる機会が減ってしまうということになります。となると、さっきの3種類以前の話になってしまう。困ったもんですわ…。

「心の壁」とか「当事者性を持つ」とか

午後の出張は、私学と市立と合同の研究会でした。
つくづく「作法」が違うなと。
例えば「法律や制度が変わっても変わらないもの」が「心の壁」らしくて、その事例として「入居差別」があげられてます。これ、心の壁じゃないでしょう。てか、心の問題ではないです。
そもそも、差別に心を持ってくるのはアカンと思うのです。でも、学校教育だけでなく社会教育でも「差別をなくす心」とか「心の中に潜む差別」とか、「心」を強調する傾向があります。まぁ、差別を身近なこととして認識するためにそういう語りになるのかなとは思うのですが、それはアカンやろうと思います。
なので、「入居差別は「心の壁」ですか?」という質問をしようかと思ったけど、レポートを聞いていて疲れてしまったのでスルーしました。アカンのやけどね…。

で、次のレポートは某有名私学です。なんでも、SSHとかSGHとかやってはるみたいです。国公立にもガンガン行ってはるみたいです。みなさん、自主性を持って学校生活を送っておられるみたいです。たぶん、日本のリーダーを育成しようとされてるんでしょうね。海外にも行って他国の高校生とも交流をしたり、それぞれの国のニーズにあったものをつくったりしておられるみたいです。
なんでも、「貧困と災害をなくす」らしいです。そして「当事者性を持つこと、社会的弱者の立場に立つこと」らしいです。
は?「当事者を持つ?」
そりゃ当事者の子どもはいるでしょう。そしたら「持つ」じゃなくて「気づく」とか「とりもどす」でしょう。当然「「当事者性を持つ」ってどういうことですか?」と質問です。答えはまぁええ話です。でも、それは「当事者性を持」たなくてもできることです。例えば「主体性を持つ」でもいい。
もちろん「誰もが当事者」ではあります。でも、当事者を代わることはできない。ましてや、貧困とか社会的弱者の当事者性を持つこと他者にはできないし、そんなことをやると言ったら当事者から怒られちゃいます。てか「社会的弱者」ってなんだよ!あまりの上から目線にイヤ気がさしました。

まぁでも、うちの「作法」で鍛えられたし、ここにいてよかったなと、あらためて思いました。