「祝福」が広がっている

今日は卒業式の日です。放送担当は、1年生と去年プレッシャーをかけた子のふたりです。なので安心です。わたしはバックヤードでのんびりさせていただきましょう。
で、のんびりしながらというか、いろいろ考え事をしながら、卒業式にも意識のリソースを振り分けていたのですが、とある生徒の話を聞きながら、ビミョーな感じになってきました。
曰く「お父さん、お母さん、今日まで育ててくれてありがとう」
たぶん、親にとってはうれしい言葉でしょう。教員にとっても、もしかしたらほほえましくもうれしい言葉かもしれません。でも、ほんの少し外に出ると「ほ…」という気がしてしまいます。
この言葉、一番良く出てくるシチュエーションは、言うまでもなく「結婚式の花嫁の家族へのスピーチ」です。ちなみに、あのスピーチは明らかに旧民法下での家制度の産物ですよね。
もちろん、それと今日とは違います。でも、どこか「予行演習と違うか?」と思ってしまうイジワルなわたしがいます。ついでに言うなら、今回の前の予行演習は1/2成人式ですね。なんで、こういう時の親への感謝がこんなに広まったんだろう。
そして、送る側も「祝福されて」です。かつて結婚差別についての講演を聞いた時に「若い子が結婚差別をする時によく使う言葉が「周囲に祝福されたい」なんですけど、祝福なんて言葉は日常使いますか(笑)?」って言っておられて笑ってたんですけど、最近は使うんだな。
なんか、「努力!」とか「根性!」はきらいだけど「感謝!」とか「絆!」はもっとキライですね。もちろん裏側ではみんなどう思っているかはわかりません。が、そんなのが表面に出てくる社会になってるんだな。その延長にあるのがアレとかアレとかアレなんでしょうね。あー、こわい。

午後からは少しゆっくりです。たった一人だけ、1年生の時に授業を担当した生徒が親と一緒に来てくれました。わたしのとてもえー加減な授業がよかったらしいです。なんでもとても真面目な子なんですけど、世界が広がったんだとか。ちょっと、うれしいです。
で、いつもの時間にジョギングして、夜はカイロプラクティック
なんでも、ストレスが溜まった時に、身体は自分を守るために神経のブレーカーを落とすんだとか。でもそれは自分では復旧できなくて、それが落ちっぱなしだと、身体が不調になるんだとか。なので、ブレーカーを入れてまわるらしいです。
おもしろいです。
さてと。あとは帰って、おふろ→ビール→ケンミンショー!

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