なんかもう…

統一地方選挙の後半戦。
わたしのところは先々週終わったので、ひたすら「見る」のみです。
しかし維新は強いな。いや、維新が強いんじゃなくて、「維新的なもの」に希望を持つ人が多いのか。まぁでも、この絶望感が漂うのは関西だけなのかな。沖縄はもちろん、関東でも「やった!」って言ってる人が多いから、そういう流れもまたあるのかな。
大阪12区の当選者が「大阪で成功した手法を全国へ」みたいなことを言ってて「かんべんしてくれ」と思ったけど、それができかねない状況があるんじゃないかと思ってしまうのは、やはり関西なのかなぁ。

「変態が世界を変える」

今日は複素数の最初の授業です。最初の授業の中身は決まってます。

まだ人類が言葉を持たない頃のことを想像してほしい。もちろん本はない。校舎もない。あそこに見える家もない。まぁ、木や山はあるね。
でも、生きられるよね。なんか動くものがいたら「ガンッ」ってやってムシャムシャ食べればいい。「おいしい」って思うかどうかはわからない。だって「おいしい」って感情は「おいしい」って言葉がないとわからないからです。たまにムラッとしてセックスしたら子どもが生まれたりもする。セックスを「気持ちいい」って思ったかどうかはわからない。だって「気持ちいい」っていう感情は「気持ちいい」っていう言葉がないとわからないからです。
でも、それはそれで幸せだったんじゃないかと思う。いや、それもわからない。「幸せ」っていう感情は「幸せ」って言葉がないとわからないからです。
でも、生きてた。それでいいんです。
でも、そんな中で「この世界を表現したい」って思う変な人があらわれる。ある人は「絵画」という形で表現した。洞窟の中の壁画だね。ある人は「音楽」という形で表現した。例えば、何かを叩いてみたりね。ある人は「星」で表現し、ある人は「宗教」で表現し、ある人は「数」で表現した。
そんな人は変だよね。だって、そんなことをしなくても生きられるんだよ?でも、表現したいんだよね。いらんことしぃだよね。そんな人のことを「変態」っていうんだ。
例えば、そこに他の場所と違う膨らんだ場所がある。それを伝えようとする。「あー」とか「うー」とか「ぼこ」とかね。
そうこうするうちに「ぼこ」の数を数えたいと思う変態があらわれる。「ぼこ、ぼこ、ぼこ」でいいのにね。「いちぼこ、にぼこ、さんぼこ」ってやるんだよ。こうやって「自然数」が誕生した。そうこうするうちに、あっちの「さんぼこ」とこっちの「にぼこ」を足したいと思う変態が出てくる。「いちぼこ、にぼこ、さんぼこ、よんぼこ、ごぼこ」って数えたらいいのに、「いや、離れてるから別々で、それをあわせたい」って思うんだ。おかしいよね。変態だよね。
そうこうするうちに、「肉が5切れ、ここにいるのは3人。いくつ余る?」って考える変態があらわれる。そんなこと考えなくてもいいんだよ。ひとつずつ食べて、あまったのはケンカで勝ったヤツが食べたらいいんだ。でも、「いくつ余る?」って考える。そうこうするうちに、「肉が5切れ、ここにいるのは7人。いくつ足りない?」って考える変態があらわれる。いいんだよ、そんなことをしなくても。ケンカで勝ったヤツから食べていって、負けたヤツはガマンしていたんだ。でも、そんなことを考える変態があらわれる。こうやって「マイナス」が誕生したんだ。
そうこうするうちに「肉が5切れ、人は5人。なくなった。でも、「ない」ってことをあらわしたい」って変態が出てくる。ないものはないんだ。てか、みんなが食べられて「よかったね」なんだよ。でも「「ない」ってどうやったらあらわせる?」って考える。そして「0」が発見された。発見したのはどこの文化圏の人だと思う?それはインドなんだ。
みんなは、「西欧文化圏がすごい」って思ってるかもしれない。でも、西欧文化圏のものの考え方では「「ない」ものをあらわす」ってことはできなかったんだ。それができたのはインドの文化・宗教・哲学だったんだ。
こうやって、「整数」ができた。
そうこうするうちに、「肉が6切れ、3人いる。ひとり何切れ?」って考える変態が出てくる。そんなことを考えなくてもいいんだよ。だって、「みんなひと切れとって、またみんなひと切れ」ってやればわけられるんだ。でも、考えるんだよね。そして「肉が7切れ、人が3人。余ったひと切れをどうする?」って考える変態が出てくる。いいんだよ。これまではケンカで勝ったヤツが食べてた。それでいいんだよ。でも「これをさらに3つに切って」ってやるんだ。そうやって分数が誕生して「有理数」という概念ができる。
そして、みんな幸せだったんだ。「この世はすべて「整数の比」であらわされる。ありがとう神様!この美しい世界を!」っ思ってた。
そんな時、またいらんことをする変態が出てくる。柱の対角線を測ってみて「どうする?これ、分数にならないよ」ってやっちゃった。その人はどうされたか知ってる?殺されたんだ。分数であらわせない数は「悪魔の数」なんだ。だからそんな数を見つけたヤツは殺されたんだ。でも、変態は世界中のあちこちにいるんだ。あっちでもこっちでも「どうする?」ってやって、とうとう無視できなくなった。こうやって無理数が発見され、「実数」という概念ができた。「実数」という概念ができたおかげで「2次方程式」がとけるようになったんだ。
こうやって、世界は変態が変えていったんだ。変態こそが世界を変えるんだ。
そして、新たな問を変態が考えた。「でも、x^2=-4が解けないじゃん」。いいんだよ。そんなこと考えなくても。でも、どうしても解きたい。どうやったら解けるようになるか。それを考えるのが、ここからのテーマです。

で、今回はさらに追加。

こんなこと考えてるの、いつきちゃんだけだと思ってるだろ?実は違うんだ。このビデオを見せたいんだ。

で、見せたのは、もちろん「Think different
さらにこんなプリントをつくったり。

ただ、あまりにがんばりすぎて、52型の液晶テレビを倒してしまってガラス割っちまったけどね(笑)。

続けることに意味がある

今日は4時間授業が詰まっています。フレッシュマンセミナーの影響です。
1学年分授業がないからええやんとなりがちですが、なくなるのは全部で48コマ。で、うちのガッコは持ち時間が週16時間がmaxなので、簡単のために平均15時間とすると、ひとりの教員が1日3時間授業をしている計算になります。てことは、引率教員が16人以下なら別にまかなえるやんという計算になるんですが。そして、例えば財務省なんかはそういう計算をするんでしょうが、そうはいかないってことです。
簡単に言うなら、ある引率教員が2・3年生の授業を担当していたらその教員が授業ができないぶん、だれかがそのコマを埋めなきゃならない。さらに、選択科目とか芸術や体育みたいな「帯」のうちのひとりが引率教員だと、その帯全部が授業できなくなるので、教員がいても授業がはめられず、そのコマを埋めなきゃならなくなる。なので、わたしのように持ち時間が少ない人間でも授業が詰まることになります。まぁ「総枠」では計算できないってことです。
でもま、はじめての授業なのでガイダンスをしてみたり。はたまた6人講座なので、和やかに楽しく授業をしてみたり。
そうそう。ベクトルの授業をしていると
「図形の問題を図形を書かずに解けるんだ!」
って突然叫ぶ子がいて、まわりの子が
「え!なになになに?」
「だって、計算でできるやん!」
みたいな会話があって、少し心が洗われました。

そんな感じで6時間目まで授業をして、ガッコを飛び出して、滝井に向かいます。今日は滝井の受診日です。診察時間終了間際に飛び込んで、いろいろと相談。
と、一本の電話が…。
「まんまる、あいてない」
へ?あいてない?
「とりあえず行きますわ」
ということで、診察終了(笑)。
あわててまんまるの管理人に電話して、まんまるに向かうと、無事あいてました。
が、人数が多い。それもはじめての人や2回目の人や、そんな人が多い。何が起こったんだ?
で、いつものとおり自己紹介タイムから宴会へ。ま、飲むのは数人ですけどね。でも、飲めない人は飲めないから、飲まなくても宴会です。ちなみにわたしはバックヤードでダラダラです。ふだんはチルドの餃子を焼くんだけど、今日はないから用なしです。
そんなバックヤードからみんなのところを見ると、みんなほんとに楽しそうに話をしています。そんな風景を見ると、みんなすごいなぁと思います。でも、そんな人たちがつながるのは「場」があるからですよね。
O田さんが
「継続は力なりっていうけど、ほんとにそうですね」
とひとこと。
まんまるの会のスタートは2006年。13年前です。発足当初の人はほとんどいません。つまり新しい人がどんどん来てるってことです。ある世話人が
「ここは手術をすべきとも言わないし手術はダメとも言わない。戸籍を変えるべきとも言わないし戸籍を変えないべきとも言わない。それがいい」
って言ってました。
ひとりひとりの考えはあるけど、それはそれ。自分の生き方にとどめておいて、相手にそれは提示するけど、そこまでにする。で、相手の話を聞く。
でもこれ。まんまるの会もそうだし、トランスジェンダー生徒交流会もそうだし、玖伊屋もそうです。それは別に「わたしがそう」ってわけじゃなくて、そういう人が集まることでそういう「場」ができる。で、なぜそういう人が集まるかというと、「長く続ける」ことで集まってくるのかなと。
そんなことを考えながら、今日は疲れてるので、少し早めに失礼することにしました。あとかたづけ、ごめんやけどよろしくね(^^)。

批判的≠否定的、受容的≠迎合的

それにしても、ふと思ったんだけど、なぜみんな身体加工をしたくなるのかなぁ。もちろん人のことは言えないんだけど、でもなぜなんだろ。
むかーし、anno job logに「性同一性障害の苦痛は変化に対してである」シリーズがありました。あれはかなりうなずきました。もちろん身体加工したければすればいいと思うし、そのことで後悔したらそれはそれだし、まぁ深刻に後悔する人はそんなに多くはないと思いますけどね。ただ、身体加工が人生においてそれほどのウェイトが置かれることへの違和感はつきまといます。あるいは身体加工することが「解」となることというほうがいいかな。
もしも身体加工を「解」と思って実際にやって、思う効果が得られなかったら、次は何を解にすればいいんだろう。「身体加工までやったのにダメだった」というダメージはかなりきついと思うんですよね。
わたしにとっての身体加工は「いろんなことをやった残余」でした。あるいは「差分」かな。もっと言えば「身体加工しなくてもやっていけると思ったからやった」ってことかな。
まぁ、そんなのは「性同一性障害(笑)」ではないという話もあるかもね。「苦悩や苦痛こそが性同一性障害のステイタス」ってことかな(笑)。
ただ、かつてO田さんと話してたけど「身体加工できなかったら死ぬ!」という人と「身体加工しなくてもやっていけると思うけど、やる」って人と、どっちが身体加工への希求度が高いかってことなんですよね。わたしは実は後者だと思ってるんです。これをパズルに例えると、前者は「まず身体加工というピースを置く」ところからスタートする感じかな。だから他のピースを置くこともできる。それに対して後者は「身体加工は最後のピース」って感じでしょうか。つまり、それなしには完成しない。だからこそ希求度が高い。
自称性同一性障害と本物をどう見分けるか」という論文、タイトルはセンセーショナルだしSOC7とは真逆のことを言ってるように見えるけど、案外大切だと思うんですよね。医療者というか「専門家」は、主訴を批判的に見ることが大切だと思うのです。もちろん「否定的≠批判的」です。つまり主訴をさまざまな角度から観察することで、オプションを広げる。「解はひとつではない」ということを提示する。そして本人が選択する。
受容的であることと迎合的であることは違う。
それは身体加工も教育も同じこと。

変わっていく町

今日はパタパタする日ってのを覚悟して朝がはじまります。
まず玄関を出てひょいと横を見たら、猫の額ほどの庭の屋根が崩壊してます。崩壊するのはいいんです。基本的には風や雪の対策のために簡単に崩壊するようにつくってます。チキチキマシン状態なんです。が、直すのはめんどくさいのはめんどくさい。ま、日が長くなってきたから、帰ってやりますか。
で、午前は巡回とカントク。その後はこないだ入稿した本ができあがってきたので、それを配布用に仕分けです。それにしても、よくぞ20日でつくってくれたなぁ。ほんとに助かります。
で、午後はウトロのフィールドワーク。今回は新採の人なんかも一緒です。
まずは金秀煥さんの講演です。このご時世、韓日関係にかなりピリピリしておられるのが伝わってきます。具体的には、歴史をどうとらえるのかってことです。なにせ、日本政府そのものが韓日の歴史を政治的な問題と位置づけて、それをもって韓日の関係をつくろうとしてますからね。でも、本質はそこではない。なので、それをどう伝えるかってあたりを随分と考えておられるみたいです。
でも、とても簡単です。「人の生きざま」なんですね。「1965年に政治決着したから、もうすべてなし」ではない。戦争と植民地支配が、人の人生にどういう影響を与えたかってことが大切なんですよね。まぁでも、日本政府はそういうことは捨てるだろうな。だって、日本の原子力政策の中で生まれた福島第一原発の事故が、人の人生にどういう影響を与えているかってことすら捨ててますからね。そういう政府だってことです。
ま、そんなことを考えながら、やがてウトロの歴史に話は入ります。出てくるスライドに、知ってる人がチョコチョコいます。懐かしいなぁ。わたしがウトロをウロウロしはじめたのは1992年です。もう27年もたつんだ。
で、フィールドワーク。うわぁ。ほんとに町がない。西半分は前のままですが、東半分は、ほんとになくなりました。「こっちおいで」って肉を食べさせてもらったガレージもありません。さびしいなぁ。でも、しかたないです。いつ立ち退きか、いつ洪水かって生活ではなくなったんですよね。だからこれからも細く長くつきあいは続けさせてほしいな。
そんなことを感じながらフィールドワーク終了。

家に帰って屋根を直して。家の中に入ると「辛子蓮根来てるよ」。

熊本のY本さんが誕生日のプレゼントとしてくれたものです。うれしいなぁ。
みんなでパクパクというかシャクシャクというかいただきました。

ここでのカウンター…なんだろうな

今日は某在日外国人教育関係の会議です。時間は10時半から17時まで。ただ、今日は15時からヘイトデモがあるという情報が界隈をまわっているので、会議が早く終わればカウンターに行かなくちゃ。
会議にはちょっと遅刻して参加。まぁでも、わたしができることは昨日やったパズルなのでええでしょう。
昼食をはさんで午後からも会議。中身はとても大切です。が、14時半ぐらいから、ずっとtwitterで情報収集です。うーん、カウンター…。でも、結局会議が終わったのは16時過ぎ。その頃にはヘイトひとりデモは終了していました。
なんか、ものすごくもやもやしているのですが。
でも、カウンターやってる人も、ここで会議をやってるわたし(たち)も、めざす社会は「多文化共生社会」なんですよね。それをジャマする人や考えに抗議するカウンター。そして、そんな社会を教育を通して実現させるわたし(たち)。だから、ここで会議を続けていたのもカウンターなのかな。
そんなことを考えながら家路につく誕生日でした。

遠くまで来たなぁ

帰り道、京都駅で声をかけられました。
「あの、いつきさんですよね?」
なんと、2006年にわたしを取材してくださった記者さんでした。記事はこれです。
しばし電車の中で振り返り。
記「いま、LGBTってみんな言ってるけど、そんなことがなんにもない頃に、あれを書いたんですねぇ」
ほんとにそうです。
あらためて、なんにもないころから闘ってきたんだなと思いました。
記「あの中で「どっひーはどっひー」というのが印象に残ってます。ほんとにいい子どもたちですね」
よく覚えてるな(笑)。でも、きっと記憶に残る記事だったのかな。だとしたらうれしい。
わたしが闘えたのは、そして闘えてるのは、子どもたちのおかげです。

楽観主義者

今日の午前は、第2のふるさとで会議です。内容は、互いのガッコ・園の人権教育(≠人権学習)の状況の報告です。
おもしろいなと思ったのは、保育園や小学校では人権教育のターゲットに保護者が入っているところです。もちろん中学校にも入ってるんだけど、比重は保・小に比べると低くなります。そして高校ではほぼゼロ。おそらくそれとバーターになるのが子どもたちへの比重なんでしょうね。とは言え、高校でそれほどやってるかというと、京都の場合はイマイチですけどね。
で、もうひとつ出たのが「若手教職員への継承」でした。ただこれ、いつも思うんですが、今から30年前を知ってる人は「同和教育の継承は大切」とか「自分もあの時代を知ってるから伝えなきゃならないと思ってる」とか言うんですけど、「本当に知ってるのか?」と小一時間問い詰めたくなる瞬間があるんですよね。「やってへんかったやん」どころか、「どっちかというと反対してたやん」「てか、ジャマしてたやん」みたいな人もおられないわけではない。まぁそれでも、もしかしたらよくも悪しくも影響力はあったし、もしかしたら「やってなかった」って思ってる人もそれなりにやってたのかもしれませんけどね。
ま、それはおいといて。
20代30代の教職員が増える中で、みなさん「若い人は何も知らない」って言っておられます、もちろんそれはブーメランです。だって、わたしたちけ伝えてこなかったってことですけどね。ただ、2002年に法が切れて、それでもまだしばらくはやってたけど、少しずつやりにくくなってきてたのは確かです。その後、2016年のいわゆる「部落差別解消推進法」が成立するまでの10年くらいは、まさに空白の時代でした。なにが空白だったかというと「同和教育から人権教育へ」という流れの中で、部落問題以外にもやらなきゃならんことが増える一方、人権教育そのものに対しても風あたりが強くなって低調になっていった。なので、部落問題については大幅にとりくみが減りました。「同和教育から人権教育へという流れは、部落問題の「薄め」ではない」とは言われてたけど、現実的には薄めでした。その代わりウイングを広げることはできましたけどね。
で、今例えば30歳の教員は中学生くらいからあと、部落問題についての学習はしていない。だから実感もないし、イチから教えないといけない。まぁそういう話が大半を占めてました。
でも、ほんとにそうなんだろうか。なんか違和感があるんですよね。
だって、わたしの勤務校ではずいぶん違う気がします。あるいは若手教員の捉え方なのかもしれませんが。
例えば、ある教員は、高校時代のクラブで在日の友だちがいて、その子が東九条出身でみたいな話をしてくれます。あるいは、自分のクラブがらみの恩人が部落出身で結婚差別を受けたことがあって、そのことが許せないって言ってる教員もいました。宇治市出身の教員なら子ども時代からウトロのことを知ってます。さらにある教員は「母親が部落にルーツを持つ人って教えてくれた」って言ってくれました。
みんな知ってるんです。経験してるんです。でも知らない。教えられてない。だから知りたがっているんです。でも、なかなか「知りたい」と言う機会がない。だから、「知る機会」をつくると、みんな来ます。まぁ、正確には「みんな」じゃないですけどね。でも、さっきあげたような教員は来ます。
大切なのは、そういう機会をどうやってつくるかなんだと思ってます。そして「この世界は、はまるとおもしろい」ってことを伝えることなんだと思うんですよね。
方法はたくさんあります。
ちなみに、わたしは明々後日、数人の若手教員を連れて「おさんぽ」やることになってます。前に「おさんぽ」の話をしたら「やってほしい」って言われたからです。そんなのもいい。
あるいは、ある子どもをめくって「眼差しの違い」を伝えることも大切です。例えば、担任してる子が悪さをしたら、他の教員と一緒になってその子を怒るのか、逆にその子と一緒に怒られるのか。例えば学力の低い子どもを「あの子はアカン」とか「LDなんじゃないか」とか、その子に原因を求めるのではなく、その子の置かれた家庭や家庭をとりまく社会の状況から考えるのか。そんな中から「眼差し」を伝えることもできます。
きっと「いつきさんはなぜそう考えるのか」って不思議に思ってる教員もいると思うのです。その「不思議」のタネ明かしをすること。
それは案外できるんじゃないかと思ってます。
会議の席でそんなことを言ったら「お前はそう思ってるんや」って言われたので「わたしは楽観主義なんです」って答えたら笑われましたけどね。

今年もネタだらけ

今日は午前がお医者さんで、午後が出張。夜は会議というトリプルヘッダーです。長い一日になりそうです。
とはいえ、朝がゆっくりなのは助かります。少し仕事をして、出発。今日は血液検査もしてないし、貼り忘れの薬が売るほどあるので新しく処方してもらう必要もないので、まぁよもやま話をして終わりです。そうそう、ザイヤフレックスの時のネタを話したら、えらいウケました。

で、いったん家に帰ってごはんを食べて、今度は自宅近くに出張です。中身は府市私合同の進路保障研究会。なんで人権担当が進路保障やねんという話なんですが、「同和教育の総和は」という上の句に続く下の句は「進路保障である」なんで、当然なんです。これ、いつもネタ感満載です。だって、ガチの進路担当が進路の話をすると、「競争に勝つ」話になって、人権とは全然違う話になったりします。去年もいろいろあったけど、今年はどうかなぁ。
何でも今年は「e-portpholio」の話です。なんか、大学入試が変わって、いろんなデータが使われるようになるらしいけど…。でも、文科省は水路づけだけして、あとはベネッセに丸投げです。てことは、全国の高校生のデータをいち私企業が独占するわけです。これはこわい。しかも、例えば3年間のデータがいくわけだから、「人生のやり直し」がきかない。だいたい、誰にだって「消してしまいたい過去」ってあるだろうと思うのです。もちろんそんなの消えるわけないんだけど、せめて自分の胸のうちに収めておいて、たまに思い出したらふとんに潜って「うわぁ」ってなるくらいでいいと思うのです。でも、それがいち私企業のサーバーに残されてしまう。イヤやわ。
で、なぜそんなふうになったかというと、なんでも「蓄積した知識を問うのではなく、思いもよらないことが起こった時にどうするか」が求められるらしいです。まぁ、この間思いもよらないことはたくさんありますね。公文書の改ざんとかね(笑)。
で、それを問う有名な入試があるそうな。それがこれ。

「あなたにはこれまで3年間真剣なお付き合いをしてきて、来年くらいに結婚の約束をしている彼ないしは彼女がいるとします。ところが2カ月前にふとしたことで知り合った別の人が好きになってしまい、今付き合っている人と別れる決心をしました。600字以内でお別れの手紙を書いてください」(2014年愛知医科大学小論文)

マジか。この問題、ネタとしてのおもしろさはわかるし、なるほど「何が起こるかわからない」わけなんだけど、これはアカンやろ。しかも、2019年の今、レポートとしてこれを無批判に出す神経がわからない。まさに数日前に「同性婚訴訟」がはじまって、報道でも大きくとりあげられてる今ですよ。なので、そんなあたりを指摘したけど、たぶんわかってないな。
まぁガチの進路担当の話は進路指導の勉強にはなるけど、結局は社会のありように迎合すること、そしてそこで勝ち抜いていくことにつながるんですよね。
あと、とある高校がウトロについて調べ学習をした子どものレポートをされたんだけど、そしてとてもいいレポートなんだけど、「つながることの大切さ」みたいな話は、教員にとっては壮大なブーメランになるんですよね。つまり、教員が人権を切実に考えるためには、やはり「問題とつながる」必要があるってことです。それをやってないから、どこかタニンゴトとしての人権になる。でも、そのブーメランがわからない人もたくさんいるんだろうなぁ。

で、いったん家に帰って、少し用事をして、再び家を出て、今度は大阪です。何が悲しくて半径1kmの出張のあとに大阪やねんと思いますが、恒例の会議なのでしかたないです。
とりまKうさんといつものところでガソリン補給して、会議に参加。最近落ち着いてきたのか、ツッコミどころがなくなってきたけど、少しツッコミ。
「報道なんかで「性同一性障害」がとりあげられる時、かつては「金串伝説(笑)」みたいなのがあって、それなりに精神的ハードルが高かったように思うのですが、今はとりあげられる人が多様になってハードルが下がったんじゃないかなぁ」
みたいな。するとKうさんはすかさず
「真のTSか…(笑)」
とツッコミ返し。まぁそういうことです。
そんな感じでがつつがなく会議も終わり、あとはクールダウンの飲み。

うまいわ。
でも今日も一本早い電車に乗って帰ることにしましょう。

つながったかな

朝起きると絶不調。ほんとのほんとに久しぶりの二日酔いです。何が悪かったかというと、最後の一杯ですね(笑)。まぁいいでしょう。
今日は1時間目のみ。なので、さっくりとやってしまって、あとはindesignとテキストエディタでずっと事務作業。おかげさまでめどが立ちました。
ちなみに今日は3年生の登校日です。先週、Sゃ納さんから預かった『ヒューマンライツ2018年12月号』のコピーをある生徒に届けなきゃなりません。この号の「誰がために腹は鳴る」は10月のリビングライブラリをテーマにしてくださってます。その中にある生徒の感想を掲載してくださってます。なので、その子にはぜひ読んでほしいなと。
その子、去年授業を担当してました。授業を担当してるとはいえ、その子がどういう子であるかなんてことは、なかなかわからない。だって、みんなと同じ制服を着てみんなと同じように席に座って、みんなと同じように授業を受けてるわけですから、わかるわけはない。そんな中で子どものことを知ることができるのが「作文」なんですよね。でも、数学の授業で作文というのもほとんどありえません。まぁそれでも、ことあるごとに子どもたちは作文を書きます。問題は、その作文にホンネや生活なんかを書いてくれるかどうかなんですよね。その子は幸いなことにホンネや生活を書いてくれた。たぶんそれがSゃ納さんに伝わったんでしょうね。
でも、なぜ書いてくれたのかな。もちろんSゃ納さんの存在は大きいと思います。でも、たぶんそれだけじゃなくて、うちのガッコの人権学習には、作文はホンネや生活を書いてもいいと思ってくれるなにかがあるのかもしれない。もしもそうだったらうれしいな。
で、その子にコピーを渡すと、恥ずかしそうなうれしそうな顔で「わたしのなんか、もうしわけない」って笑ってました。
人権学習やっててよかったo(^^)o