どこまでできるか?

朝起きたら、まずは「某所」に行って名義の変更の電話。ちょっとわからないことがあったので、実家にもどって続きの電話…。と思いきや、yahooのIP電話は0120はかからへんやんか!カス〜!しかたないので、ファックスをひっこぬいてきて、VOIPをはずして。あーめんどくさ!116も勝手にyahooに飛ぶし。カス〜!
そういえば、31日に母親が「救急車を呼ぼうと思って119したけど話し中だった」って言ってて、あの時は「気が動転していたんとちゃうか?」と思っていたけど、もしかしたらそれもこいつのせいとちゃうか?
続いて、年金関係の処理とか健康保健関係の処理とかをしに行っていたら、あっというまに夕方です。5時になったらそれ以上のことはできません。まぁ、3つばかり用事をこなしたので、それでよしとしましょうか。
あとは、お風呂に入ってごはんを食べて、録画してあったF1を見て、ダラダラしているうちにおねむ。

お花見

みんなと別れてから、家族と合流。パートナーと子どもふたり、それから父親の遺影と小さな骨壺。ほんとうは今日、「みんなで集まろう」と話をしていたんですよね。それが結局できなかったので、せめてわたしたちだけでもちょっとだけお花見です。鴨川の河原は桜が満開。すごくきれいです。
みんなでちらし寿司を食べて、ほんとうは結婚記念日に呑むはずだったいちごのワインを飲んで、しばし外の空気を楽しみました。
こうやって、少しずつ少しずつ「過去」のものへと押しやりながら、心の穴を埋めていくんですよね。
家に帰ったら、おたふくで呑んだバクダンが効いてきました。お風呂に入って晩ご飯を食べたら爆睡です。

事後処理開始

「ひとりの人間がこの世からいなくなる」ということにともなって、これほどたくさんのことがあるとは思いませんでした。書類上「いなくなる」=「穴があく」ことにともなって、社会保障のこと、その人の所有していたもののこと、その他諸々、さまざまな整合性をとるために、ものすごい煩雑な手続きが必要になります。それをこれからやっていかなければなりません。
ここでネックになるのは、それぞれの手続きをするセクションの「営業時間」です。これが、わたしの営業時間とバッティングしています。なので、わたしが具体的に動けるのは今日と月曜日だけ。
さて、どこから手をつけるか…。
なんしか、膨大な「山」を少しずつ崩していく以外方法はなさそうです。

最後の日

朝、教会の中で目が覚めます。考えてみると、ほんとうに子どもの頃、教会学校のお泊まり会かなにかで泊まって以来ですね。窓の外ではウグイスがきれいな声で泣いています。空気は4月はじめ特有の「ピン」とした緊張感を持っています。すごく心地よい朝です。ちょっと寝不足気味ではあるけど(笑)。
とりあえず、宴会のあとを片づけて、午後からのお葬式ができるようにイスを並べ直してと。そうそう、棺の上に置いてあるワインも回収しなくちゃね。いったん家にもどってお風呂に入って支度をします。
昼前に再び教会に集合。父親の弟さんも来ておられます。まいったなぁ。「ずいぶんかわったなぁ」を連発されてしまいました。そりゃ変わりましたよ(笑)。
やがて、告別式。
聖書の箇所は父親の好きだった「フィリピの信徒への手紙 3章12節〜」です。

フィリピの信徒への手紙

  • 03:12

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。

  • 03:13

兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、

  • 03:14

神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

  • 03:15

だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。

  • 03:16

いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。

そういえば、たまぁに父親の説教を聞いたことがありますが、この箇所はよく使っていました。そうそう、大学の頃チャペルアワーで聞いた「冬の日を走り抜こうではないか」という説教の時も、たしかこの箇所だったよなぁ。
聖書の箇所はもう一個。「使徒言行録17章の一部」です。

  • 17:32

死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。

  • 17:33

それで、パウロはその場を立ち去った。

  • 17:34

しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

牧師さんの話の中で、父親の「仕事」がたくさん紹介されていました。その中には「ヤスクニ」「天皇制」という言葉があちこちにちりばめられています。自分がかすかには知っていたはものの、やはりそこにまで至っていなかったさまざまなことがよみがえってきます。いや、大学の頃には「興味」でかじっていたようなことなんでしょうか。でも、そのことを深く追及せずに今まで来てしまったよなぁ。
もっかい自分のスタートラインに立ち直そうかなぁ…。
話のあとの讃美歌はこれです。

讃美歌 121番「馬槽のなかに」
由木 康 1923 ”Mabune” 安部正義 1930

まぶねのなかに うぶごえあげ
木工(たくみ)の家に人となりて
貧しきうれい 生くるなやみ
つぶさになめし この人を見よ

食するひまも うちわすれて
しいたげられし ひとをたずね
友なきものの 友となりて
こころくだきし この人を見よ

すべてのものを あたえしすえ
死のほかなにも むくいられで
十字架のうえに あげられつつ
敵をゆるしし この人を見よ

この人を見よ この人にぞ
こよなき愛は あらわれたる
この人を見よ この人こそ
人となりたる 活ける神なれ

実は、ある場所に書いてあった愛唱讃美歌は別のものだったんですが、先ほどのフィリピ書とセットになって、この讃美歌をよく選んでいました。
そんなこんなで、やがて告別式も終了。最後に献花です。「親族だけで」と言われていたけど、外に行ったらわたしの「仲間」たちがなんとも言えない顔で立っています。「こいつらと一緒に献花をしたい!」という思いがこみあげてきて「入ろう!一緒に花をあげてよ。その方が喜んでくれるよ」と呼びかけました。みんな入ってくれました。
そして出棺。
斎場に行って火葬に…。
骨になった姿を見て、「なんかあっけないなぁ…」という思いがわいてきます。お骨を拾って残った姿と別れ際。小さな声で「バイバイ、またね」とつぶやいて、すべてが終わりました。
斎場からの帰り、骨壺と遺影を持って同志社の横を通って教会→実家へ。まぁ、再びいつものルートで家に帰ってきたということです。
「最後の日」は、実は「はじまりの日」でもあります。いまごろ、きっと天国で、先に逝った研究仲間と仲良く議論をしていることでしょう。

あれから2日か…

今日は前夜式の日です。てことは、午前中はヒマかなぁ。ちょっと学校に行こうかなぁなどと思っていたのですが、完全に甘かったですね。
まずは、死亡届を書いて弟の家へ。単にコピー機があるからなんですけどね。その後、区役所に行って提出。かわりに火葬許可証とか斉場の使用願いなんかをもらいます。ついでに、今後必要になる書類の申請用紙をゲット。
実家に帰ったら、交代に、母親にわたしの家に行ってもらってお風呂に入ってもらうことにしました。なにせ、父親がもしもお風呂場でなくならなければ入れるだろうけど、ちょっとね…。
で、わたしは実家で待機。しばらくすると、花屋さんが来ました。って、約束の時間と違うよ。あわててわたしの家に電話して帰ってきてもらいました。
そんなこんなでバタバタしているうちに、徐々に家族が集合。教会に移動します。そうそう、わたしは軽食を買い出しに行かねば。しばらくすると、だんだんと前夜式のために各地から駆けつけていただいた方々がいらっしゃいました。
やがて、7時。前夜式の開始です。式そのものは、礼拝なんですが、途中4人の方々が自分なりの思い出を語って下さいました。そのうちのひとりの方の話の中に、とても印象的な言葉がありました。

かつて、自分の教会でイースター礼拝の時に説教をしてもらったことがありました。わたしは、歴史学者である土肥昭夫先生が、復活についてどのように語られるかにとても興味がありました。すると先生は言われました。「歴史には事実と真実がある。そして、復活はまぎれもなく真実である」と。

そして、8時半過ぎに前夜式終了。いろんな人と再会を喜びながらも、その底に流れる悲しみだけはどうしようもありません。
そして、9時過ぎ。教会に布団を運び込んで、もともとの家族4人の最後の宴会の開始です。父親の枕元にビールを持っていって、みんなで乾杯。教会の牧師さんも交えて、いろんな思い出話をします。泣いたり笑ったりの充実した時間を過ごさせてもらいました。1時を過ぎたあたりで、明日のこともあるので寝ることにしました。

忙しいのかヒマなのか…

朝、目が覚めると6時。すごく眠りが浅かったはずなのに、身体はそれなりに動きそうです。なんかこういうの、あぶないです。
母親もそんな感じみたい。寝室から降りてきて、朝ご飯の準備をしています。「ごはんを食べる?」と聞かれたけど、昨日の夕食がすごく遅かったので、ぜんぜん食欲がわきません。すると、母親は、「お父さんに持っていってあげよう」と、これまたなんともいえないことを言います。
そうこうしているうちに、ようやく8時。今日とらなくちゃならない連絡先に連絡ができる時間にさしかかってきました。まずは、わたしの職場に連絡。続いて、司式をして下さる牧師さんや会場になる教会に連絡。9時をまわったところで、今度は動ける時間にさしかかってきます。まずは、警察医のところへ。「死体検案書」なるものを受けとりに行きます。続いて警察へ。署長のハンコがいるらしいです。検案書の半分は「死亡届」なので、いったん家に帰って書くことにします。が、ついビールを呑んでしまったので、区役所に届けるのは明日ということで^^;;
午後からは納棺式。
式そのものはあっという間にすみましたが、その後、前夜式と葬式のうちあわせ。ところが、全体像がイマイチつかめていないです。「ハァ、ハァ、ハア、そうですね。そうですね」といっているうちに終了した気がします。
その後、家に帰ってお風呂にはいることにしました。考えてみると、30日から入っていません。しかも、30日の夕食は焼肉でした。あぁ、さっぱりした。
で、お医者さんへ。無事血を抜いてもらって、実家へ。パートナーと弟の合作の夕食を食べて、ビールを呑んでるうちにどんどんおねむになります。耐えられなくなったところで布団を敷いて爆睡。

サドンデス

ぜんぜん「日常」じゃないんですけどね…。
家に帰って玄関のドアを開けたとたん、上の子どもが「じいちゃんがたいへんらしい」とえらい勢いでしゃべります。「なんやねん」「風呂場で倒れたらしい」
んなもんあかんやんか!
あわてて実家へ。
風呂場に行くと、たしかに倒れています。なんしか、呼吸があるかどうかを確認。わかりませんorz。心臓が動いているかどうかを確認。わかりませんorz。そのころにやっと119と連絡がつきました。電話口で「気道確保をして下さい」「息を吹き込んでみて下さい」「心臓マッサージをして下さい」立て続けに指示が来ます。息を吹き込んでみたり、心臓マッサージをしていると、救急隊が到着。AEDを使い、管を入れて心肺蘇生の開始です。
そうこうすると、警察が来ました。わかっちゃいるけど、えらい時に来るやんか。てか、完全に「結果」がわかった行動やろ…。そうこうするうちに、パートナーや子どもがやってきます。
やがて、収容する病院が確定。母親とパートナーが一緒に乗って搬送されていきました。
さて、わたしは警察の対応ですわorz。やがて、習い事をしている下の子どもを迎えに行く時間がやってきました。「そろそろ行くし」と警察を追い払って、一段落です。
子どもを迎えに行って、待ちながらパートナーと連絡をとりあいます。「救急処置室にはいった」「いま待っている」とか連絡があったのですが、やがて「19時15分心肺機能停止」という連絡が入りました。
遺体はそのまま警察署にまわります。わたしは子どもたちをつれて実家へ。実家に着くと、家の前に車があります。またまた警察ですわorz。
そうこうすると、病院に行った母親とパートナーと弟も実家に来ました。
警察はあちこち調べていろいろ聞いて、仕事が終了したらしく引きあげていきました。
あとは、検死が終わるのを「待ち」です。10時過ぎにようやく連絡が入り、警察署へ。検死結果*1を聞いたあとが、これがまた長いです。なんでも、調書の確認をしなくちゃならないらしいです。延々と待つこと小1時間。ようやく調書ができあがったらしく、確認ができました。
で、家に帰って別の車で身体が帰ってきました。寝慣れたベッドの上に身体を横たえてもらって…。すごく普通の顔をしているのが不思議です。
やがて、弟家族もうちの家族もみんな帰って、母親とふたりで午前1時の夕食。ビールを呑んでメールチェックをしたら、いつしか目が…。

*1:おそらく突然心臓がとまったんだろうとのこと。たぶん本人も「あれ」と思って「んんん!」と思ったら意識を失ったのではないだろうかとのことでした。

勝負の朝

目が覚めると、ここちよい朝でした。家族はみんなまだ寝ています。もそもそと起き出して、新聞を取ってきて、コーヒーを淹れて、しばし一人の静かな朝を楽しみます。
新聞を読み終わったら、この間録画しておいたモトGPのビデオをようやく見ました。ロッシ(;_;)。でも、シーズンははじまったばかりだ…