とにかく「マジか」が続きます。なんでなんだろ。ほんとに「マジか」という話なのか、はたまた自分の「マジか」感覚の閾値が低すぎるのか。
とにかく、土曜日です。が、雨です。散歩できません。仕方ないのでおべんきょです。が、とにかく難儀です。なにせ、座り机にPCを置いてますが、キーボードまで腕を上げるのがきつい。もう少し正確に言うなら、右手小指がデュプュイトラン拘縮で曲がってるから、そのぶん上にあげたい。なので、右肩があがる。ところが右肩をあげると肩が痛い。ダメダメです。なので膝の上にPCを置いて、後ろにもたれて打つというスタイルです。なんか不便。
てことで、午後に座椅子をゲット。ようやく体制が整いました。
そんなこんなで、おべんきょも少しずつ前進。いま掘ってるところはすでに三橋さんが掘ってくださってるのでありがたい。ただ、三橋さんだけに頼るわけにはいかないので、いろいろ調べながら進めていきます。
夕方「あと少し」を残して、やる気スイッチが切れました。
なので?崇仁新町へ。
お店に着いて、おかあさんに昨日から気になってたことを質問。すると
「そやで。まだ確定してないけど、そうなるよ」
とのこと。「マジか」。そんなに早く閉まるの?
しかたない。今日は飲みましょう。
それにしても、お店のみなさん、いつになくフリーダムです。いろいろ忸怩たる思いがあるんやろなぁ。
てことで、9時頃まで飲んで、さぁ帰りますか。
カテゴリー: おべんきょ
マジか…→再会
今日は最後の在宅勤務日です。
なので、朝は少し散歩。
家に帰ったら、おべんきょ再開です。
考えてみると、わたし、book listをつくらずにこれまでおべんきょしてました。ほんとにダメダメです。ただ、なぜそれができるかというと、ほとんど覚えているからです。じゃぁなぜ覚えてるか。記憶力がいいからじゃなくて、読んだ本が少ないからです(笑)。とは言え、さすがに「おべんきょ成果」のためには今のままではダメです。と、「excel使えばいいじゃん」と気づきました。ほんとに今ごろです。
ただ、文章を書いている最中に本とかペーパーにぶつかる。そしたら、それをexcelに書く。単にそれだけのことなんです。が、今までそんなことをせずに「おべんきょ成果」を書いてきました。ちなみにどうやっていたかというと、ザーッと書いて、あとから読み返してlistをつくっていました。どんだけ無駄なこと&リスキーなことをやってたんだろ…。てか、なぜにexcel使えばいいことに気づかなかったんだろ。
でも、まぁええわ。
で、昼前に脱出。ディピュイトラン拘縮の続きです。病院に行くと、やはりものものしいです。が、整形外科はガラガラ。なんでも4月から再診のみにしたんだとか。で、待合室に行った次の瞬間に呼ばれてしまいました。
今日も担当のお医者さんは楽しそうな笑顔です。で、衝撃の言葉が。
「いま、ザイヤフレックス、つくってないんです」
へ?マジか。
医「メーカーがつぶれましてね」
い「え?旭ファーマが?」
医「あれは取次店です。薬つくってる大本のメーカーです。うちも3月末までは在庫でやってたんですけど、今は在庫がないんです。たぶん、日本の中には1本もありません」
い「そしたら、手術しかない?」
医「でも、まぁそのうちどこか別のメーカーが買い取ってつくるでしょう。半年か1年たったら出まわるんじゃないですか」
そういうもんなんだ…。
医「えーと、前にザイヤフレックスを打ったのはいつだったっけ?」
い「ちょっと待ってくださいね」
ということで検索したら、ちゃんと出てきました。思わず看護士さんに「ほら」って見せたら爆笑されました。
ということで、ザイヤフレックスが復活する日まで、経過観察のために通院することが決定です。
まぁ進行していないからいいんですけどね。
家に帰って、再びおべんきょ。
今日使わせてもらうのはゼロ島さんの成果です。
自分なりにいろいろ考えて、この日見つけた5部作の続きはゼロ島さんと決めてました。そこから入っていくのがたぶんスムーズ。
ゼロ島さん、いつだったか「海外の判例を紹介してるだけ」って書かれてたことがあったけど、膨大な裁判記録の中からそれを見つけ出してくるのってすごいことだし、それを適切に位置づけて紹介するって、これまたすごいことです。でも、特例法ばかりが目立って、そういう地道なところが案外それが評価されていない気もします。
てことで、ここでゼロ島さんと再会できたのが、なんとなくうれしいな。今日はワインを飲もうかな。
マジか…→おべんきょ番外編
このブログで「マジか」で検索すると、かなりいっぱい出てきます。まぁそれだけ「マジか」なことが多いってことです。が、今日も「マジか」なわけです。
今日は出勤日です。なのでいつものように出勤。ただし、車を車検に出すので車です。いつもの時間に出るとメッチャ早い時間に着きます。
で、ゴチャゴチャ仕事。
と、勤務時間がはじまって間もなくメールが。読んでみると
「今週で在宅勤務は終了」
とのことです。
マジか…。
たしかに子どものことや学校の運営を考えると、早めの休校解除がいいでしょうね。なので前倒しになっていくのはわかります。が、個人的には予定がメチャクチャになります。
「予定ってなんやねん」
って話ですが、基本的には5月末まで今の勤務体制だろうと思ってたので、例えば肩のCTとか受診日も、ある程度安心して予約が入れられてました。それが一気に崩れました。
まぁ、病院の予約はいいけど、おべんきょがなぁ。
「そんなん個人的な話やないか」
ってことで、それはまったくそのとおりですが、通勤の時間がもったいない。その3時間だけでもかなり大きい。
教員たるもの「子どものいない学校はなにか物足りない」「子どもの声が響くのが学校」という感覚を持つべきなんだろうけど、ましてや人権やってる人間であれば身体レベルでそんな感覚が身についているべきなんだろうけど、「べき」からズレてるわたしは、悪い教員なんやろな。
そんなことをふと思ったけど、まぁしゃーないです。
気を取り直して、今日は「おべんきょ番外編」です。ターゲットは「学校の中のケータイ小説 : ケータイ小説をめぐる活動と成員カテゴリー化装置」です。こないだもらった宿題です。
はっきり言って、EMはむずかしい(笑)。なにがむずかしいって、言葉がむずかしい(笑)。「成員カテゴリー化装置」って、どんな機械やねんと思います。英語が「membership categorization device(MCD)」です。deviceとか言われたらdevice driverが浮かんでくるわたしにとって、あまりにもむずかしすぎます。
ただ、今回じっくり細かくと読んで、今まで知ってたMCDの理解よりも少し深まった気がしました。あと、なによりこの時のやりとりを思い出したのも収穫かな。
やはり責任持って読むもんやな。
クリティカルリーディング
今日はzoomでおべんきょです。ゼミに参加は久しぶりです。在宅勤務&おべんきょ場所の休校措置のおかげです。
ただ、zoomのおべんきょはあきませんね。まず、おべんきょ仲間はwifi環境にないみたいで、1日何コマかあったらカメラをONにするとパケ死するらしいです。なので、カメラはOFF。すると、互いの姿が見えない。
T「誰がこのテーマ、発表しますか?」
一同無反応。
みたいな感じです。まぁ、カメラを切ってミュートしてたらそうなりますよね。たぶんセンセ、不安だっただろうなぁ。
そんな中で、今日のテーマはクリティカルリーディングでした。
読書の方法は3種類。「鑑賞」「速読」「批判的読書」です。そのうち、おべんきょに必要なのは「速読」と「批判的読書」です。そりゃそーだ。てか、「速読」ってあったんだ。というか、それでよかったんだ。いつもおもしろいけど難しいからじっくり読んでしまって、「時間が足りない!」ってなってました。で、みんななんでそんなに文献読めるんだろうと思ってたんだけど、「速読」してたんだ。で、ノートとったりメモをつくったりするのは、そういうことだったんだ。
で、批判的読書、つまりクリティカルリーディングですが、これまたたいへんだなと。ただ、途中から「全称命題」とか「特称命題」とか出てきて、それの否定とか出てくると、「それって数学の命題じゃん」って話になってきます。後ろの方をパラパラ見ていると「逆・裏・対偶」とか出てきて、「これ、数学の教科書じゃん」と。
てか、おべんきょ生活9年目にして、今ごろこんなこと知った自分が情けないのですが、逆に「なんで今まで誰も教えてくれなかったの?」と(笑)。まぁもっとも、それを知らずにここまで来られたってのも、ある意味たいしたもんだとも思ったりします。シロウトってこわいです。
まぁそんな感じで楽しくおべんきょしていたのですが、なぜか来週の発表があたってしまいました。テーマはこれ。これ、前読んだな。てか、センセ曰く
「EMは…。いつきさんかな」
ってどういうことよ。ちょっとうれしいけど^^;;。
てことで、来週までにまとめをつくらなくちゃならないことになったけど、自分のおべんきょどうする?
使えるな
「えいや!」とやった次は、概念の押さえが必要かなと。いちおう「流れ」は前も書いたけど、三橋さんや康さんのがあるし、最近のことについては針間さんが書いてます。あと、筒井さんや東さんもはずせないし、石井さんのはすんごい詳しいし。題材はかなり豊富にありますが、他のところも少し掘ってみようかなと。
てことで、検索かけてたら、めっちゃおもしろそうな5部作のペーパーが出てきました。読んでみよう。
ちょうど今日は曇り空。陽が出てると夕方のゆらゆらはまぶしくて、ものを読むのがしんどいんですよね。今日は少し寒いけど読むのは読みやすそうです。
ふむふむふむ。3時間くらいゆらゆらしながら、5部作を一気に読み終えました。
なるほどな。やはりトランスジェンダーって「秩序を撹乱する行為」なんだ。もちろん秩序は人がつくるものだから、そこには時代や地域や、それに伴う文化の持つ価値観とか規範とかそんなのが色濃く反映されます。
使えるなo(^^)o
夜は某在日外国人教育関係の「お試しズームミーティング」です。わたしは某リベラル派大学からアカウントをもらってる関係で、いちおう時間無制限です。
そうそう。このリベラル派大学がリベラルってのは、アカウントをつくる際のこんなところにもあらわれてます(笑)。
なわけないか…。
てことで、お試しミーティングやったけど、問題は「情報格差」なんですよね。
なにせ、かつてドコモのアナログの携帯電話を持ったときに「誰がそんなん使うねん」とか言われたことがあったし、パソコン通信時代にnifty serveのアドレスをやりとりしてたら「そんなん、メールやってる人間だけのもんやんけ」って揶揄されました。ちなみにそれから2年もたったら、みなさん携帯もメールも使っておられましたけどね。なので、「zoomとか知らん」とか言ってても、みなさんそのうちzoom飲み会してるんでしょうね。
まぁそれでも8人来られたし、来週までになんとかしてもらいましょう。zoomでもなんでもいいけど、ネット会議は距離の格差を埋めてくれるという意味では使えます。
しかし、webカメラ、売ってないのか(笑)。
えいや!
今書いてるのは、たぶん最後に書くところです。どうせ最後に書き換えるんだろうけど、やはり最初から書かなきゃ、あとが書けません。
一昨日書いたとおり、ここでなぜか「障害学」を扱ってます。が、「障害✕学校教員シンポジウム」でも触れたけど、わたしの出発点は、やはり「社会モデル」なんですよね。なので、その宣言をしないとあとが続かない気がしてるんです。
ただ、自分の中に必然があったとしても、それが外から見た必然になるかどうかはわからない。なので、どうしようかと悩むのです。悩みながらだけど、あまり深いりしないように、でも必然が伝わるように。
そんな中で参考になるのは先達です。例えば『トランスジェンダーと現代社会』の書きっぷりとか、「それなー」と思ったりします。
てことで、とにかくほんの少しだけど「えいや!」と書いて、とりあえず次を向きますか。
にしても、また緩やかに落ちてきたなぁ。
ここを深掘りしてもしかたないんだけど
今掘ってるところは、なぜか障害学です。ここは本来の場所ではありません。ただ、少しだけだけど、やはりここを掘っておかないとアカンかなと。
それにしても、「本来の場所」なら本棚に行けばそれなりに資料もあるけど、障害学は耳学問なので、ほんとうに知らないことだらけです。でもまぁ、それだけにひとつ知識を得ると「そういうことだったのか!」と驚けるから、お得感はハンパないです。国際障害分類とか国際生活機能分類とか、はたまたUPIASとか、いろいろ検索してはデータを読んで「ほぅ」と驚くの繰り返しでした。でも、「社会モデル」への理解は少し深まったかな。あと、「差異派」と「平等派」の話なんかもおもしろそうだけど、そこまで深追いするのはやめましょう。
ただ、これだけだとダメなんですよね。もうひとつ足りない。で、いろいろ探してると、『フォーラム現代社会学17号』ってのにつきあたりました。メンバー見て「ひぃー」ってなりました。あまりにもおもしろそうすぎる!さらに「社会学と障害学の対話」という特集見て、これまた「ひぃー」です。なにせ、この間読んだばかりの秋風さん、いつもお世話になってる佐藤さん、そしてこの間講演に来ていただいた浦野さんが話しておられます。なんかもう、自分がどれくらい恵まれたところにいるのかなと。
でも、アカンアカン。ものすごく引力が強いけど、ここを掘りすぎたらアカン。
全体を見わたす
とにかく肩が上がらないというのが、これほど不便かと。なにが不便かというと、キーボードが打てない。いや、打てるんだけど、長時間打つときついんですよね。ついでに右手小指のディピュイトラン拘縮もあるから、これまた打ちにくい。なので、おべんきょ成果からどうしても離気味になってしまいます。どうしたものか…。
と、天の声が…。
「とりあえず、全体を見わたしたら?」
ほう、それか…。
そう言えば、同じようなことが『高等学校の数学I』にも書いてあったよなぁ。
おべんきょ成果をつくるって、山を登るのと似ているんですよね。山を登っている時はどうしても下を見ながら一歩ずつしか歩けないんですよね。でも、たまに見晴らしのいいところに着いた時にあたりを見わたす。それから、たまには地図を見て全体を見わたす。地図はもちろん頭の中に入っています。でも、確認する。そういう時間が必要です。
ということで、頭の中に入っている地図を具体的に文字に落とすことにしました。
基本的に、わたしは「口で考える」パターンです。しゃべりながら、しゃべることで考える。でもそれは空中に消えていきます。だから忘れる。今日はそれを文字化する。文字化すると、自分が考えていることが具体化され、思いもよらない言葉が出てくる。
まぁダメ元です。とりあえず、この方向で行きますか。
ほんの少しだけど前進
在宅勤務の朝は、やはりゆっくりです。ほぼいつもの時間に目が覚めるのは、まぁしかたがないです。そんな感じで、別に寝坊をするわけではないけど、とにかくパタパタ出発する必要がないので、のんびりコーヒーを淹れて、のんびり朝ご飯をつくって、のんびり食べて、のんびり片づけ。それでも8時にはなりません。てことは、ふだんどんな生活してるんだって話ですね。
で、朝の散歩をして、在宅勤務開始です。
とにかく今日は書きたい。書かなきゃはじまりません。昔ぐだぐだ書いたおべんきょ成果に則って書こうと思ってたけど、目的が違うから意味はないなと。ただ、「言葉」はきちんと説明しとかなきゃならんので、ここはもっとコンパクトにやりましょう。で、参考にするのはこないだの本です。あの本の冒頭のコンパクトさは「参考になる」なんですよね。
にしても、あらためて、ひとつの言葉を説明するためには歴史をひもとかなきゃならんのだなってことを痛感します。いつも考えてることなんですけど、「言葉が生まれる」時はパラダイムの変換が起こってるんですよね。だからこの時はキレたんですよね。で、「変換」があるということは、そこには「変換前」という歴史がある。で、「言葉」は常に変わり続けるので、結局歴史をたどることは必然なんですよね。
まぁそう考えると「歴史修正主義」ってのが、いかにひどいかがよくわかります。
というのはおいといて…。
で、歴史をひもとこうとおもったとき、誰にあたればいいかははっきりしてます。海外だとSusan Strykerやパトリック・カリフィアになるのかな。日本だと、もちろん三橋さん・康さん・針間さん・筒井さんになりますね。いずれの人ともかかわりがあるってのは、やはり贅沢だし、幸せなんだろうな。
そんなことを考えながら、のつこつと書きはじめるのですが、なかなか進まない。てか、文献がない。しまった!さらに肩が痛い。関節が痛いわけじゃないのですが、腱にたまにピキンと痛みが走ります。これが致命的です。おべんきょ成果なんて、書いては消しの繰り返しです。その「書く」をしたくなくなります。
それでもなんとか最初の部分だけは書いて、あとは「昔のグダクダ」のリメイクでいけるかなというところまできました。
ふぅ…。あとは筋トレかな…。
そうそう。おとつい第一報は入ってたけど、今日正式に5月31日までの休校という連絡が入りました。なんでもyoutubeを使った授業は歓迎なので、やる時は管理職に相談してねってことなんだけど、そういうとりくみかたでいいのかなぁ。でも、案外、教科で動くのたいへんなんですよね。みなさん、それぞれのやり方があって、たまに対立したりもします。あと、どこまで進むとか、今後テストがあるかどうかとか、まったく先がわからない。てか、それ以前に連絡先知らんし(笑)、打ち合わせとか会議とかもできません。
どうしたものかなぁ。
読書感想文
朝、「おべんきょ成果」のことを考えていました。なんかいい「言葉」はないものか。
と、「これ読んだら?」という天の声が…。
『軽度障害の社会学』という本です。
ちょうどKちゅかる子さんからバトンがまわっていたので、これをとりあげようかなと。てことで、facebookに書いたものを掲載。
***
ひとことで感想を言うなら、とにかくわかりやすいし、読みやすい。パラパラパラと読むだけなら、半日で読めてしまいます。だからといって、中身が薄いってわけじゃないです。これまでの研究や実践や運動をきちんと整理して、その上でそれらをふまえながら、ものすごく現実的なところをついてこられます。
そういう意味では、もしかしたら障害学の入門書としてもいいのかも。
もうひとつ、わたし固有の問題として…。
ひとつは、とにかく参考になりました。なんの参考かっていうと、「足の裏の米粒」のための参考です。まぁ、これはあまり深入りはしません。
もうひとつ、こちらが大きいんですけど「軽度障害」への着目です。
わたしはもともと「マージナル」にすごく興味があります。だからこそ、パラムの会にも参加したし、例えばTーますやYきみちゃん、あるいはUっじぃなんかの存在にもずいぶんと興味も持ち影響もされました。
日本籍外国人の問題は、生活上の不都合がないようでありながら、でも身もだえするような「なにか」があるってところにあるように思います。そして、もうひとつ、それを共有できないというところにもあると思っています。
このことと、この本が扱う「軽度障害」が、なんとなく重なるんですよね。この本では、軽度障害をインペアメントが低いけどディスアビリティが高いという形で表現されています。これ、日本籍外国人の置かれている状況を説明するのにも使えるじゃんと。
てことで、障害について書かれている本であるにもかかわらず、さまざまなインタビューを、頭の中で「あ、これ、あの人っぽい」みたいに、知っている日本籍外国人の人々とどこかで脳内変換しながら読んでいました。
さらにもうひとつ。トランスジェンダーとも重なるところがあるんですよね。
ーーー
「石川准は「差別を繰り返し被った人々は、激しい自尊心の損傷を経験する。損傷した自尊心は修復を要求して存在証明に拍車をかける」(石川 1996: 172)として、存在証明のパターンとして<印象操作><補償努力><他者の価値剥奪><価値の取り戻し>の4つをあげる。
ーーー
というのが繰り返し出てくるんですけど、これまた「あるあるある!」と顔が浮かんでくるわけですwww。
タイトルにある「異化&統合」は、こうした「存在証明」の無限ループから脱出する方向として、本書の最後に提示されています。
ーーー
彼/彼女は「同化&排除」にいることをよしとしない。異化の状態であるがままの自信が受け容れられ、統合されることをめざす。(中略)ここにいるのは一人である。緊密なネットワークにたった運動という形で迫るものでもない。自身の希望に忠実に、声高にではなく地道に統合を求め続ける。
ーーー
これ、「どこかで読んだな」と思ったのですが、福岡安則, 1993, 『在日韓国・朝鮮人―若い世代のアイデンティティ』中公新書.でした。この本は、在日韓国・朝鮮人を「朝鮮人の被抑圧の歴史への重視度(強弱)」と「日本社会における自己の生育地への愛着度(強弱)」の2軸で構成される4タイプを「共生志向」「祖国志向」「個人志向」「帰化志向」として、最終的に「共生志向」に可能性を見いだすという話だったという記憶があります。これを読んだ時「それ、民闘連じゃん」と思ったことがありましたが、それと「異化&統合」ってけっこう似ていないかなと。
こんな書き方をするとあれなんですが、本書の結論は「ありきたり」なんです。つまり、1993年の本と共通している。ただ、この「ありきたり」へたどりつくために、著者が自分の人生を振り返るとともに、たくさんのインタビューをおこなった。 そこに価値があるし、そこに普遍性がある。
なんか、そんな気がしました。
***
で、facebookに投稿したら、ご本人からコメントがあってビックリしたり。
さらに、北海道のK野さんという方からこのpdfへの書評が送られてきました。ありがたい!で、読ませてもらって、これまたありがたい!
そんな感じで感想文が行ったり来たりする日でした。ただ、それぞれにヒントが含まれていて、なんか前を向けそうな気がしました。