今日は、2学期の人権学習2週目です。1年生は在日朝鮮人の方の講演、2年生は部落の青年(K口くん)の講演、3年生は先週の講演を受けた事後学習です。
ところで、講演が2つあるということは、講演会場が2ヶ所あるということです。講演会場が2ヶ所あるということは、放送機器を2ヶ所用意しなくちゃならないということです。ところが、講演会は3・4時間目。しゃーないので、放送部員に頼んで1・2時間目の間の休み時間に機材を運んでもらってセッティング。ケガが治りきっていないので、走れないのが痛いです。でもまぁ、なんとか1時間でセッティング終了。
話の方は…。話の内容はいいのですが、う〜ん^^;;。まぁ、講演というのは、話す側と聞く側のコラボレーションということがよくわかりました。
投稿者: ituki
きのうのツケ
朝起きると、頭が痛いです。なかでもこめかみが痛い。で、昨日チェで打ったのを思い出しました。朝ご飯のトーストを食べようと思ったら、パンの耳をかむ時こめかみがズキンとします。あまりにもやばすぎ。
東九条マダン
今日は、恒例の東九条マダンの日です。で、これまたわたしにとっては恒例の「京都・在日外国人生徒交流会」の焼肉屋開店の日でもあります。なにしろ、この間手づくりしたタレとキムチを使って、一日に30kgの肉を焼いて売るという。でも、この売り上げが交流会の一年間の活動資金になりますから、けっこうみんな必死です。
8時に家を出発。何人かのメンバーをピックアップしながら、会場へ。さっそく準備です。30kgということですから、普通のバーベキューコンロでは間にあいません。使うのは200リットルのドラム缶を半分に切ったものを使ってつくった*1コンロです。炭は12kg用意してあります。ちなみに、つけあわせのキャベツは10個。
ひたすら、キャベセンづくりとか米を炊いたり肉を焼いたりしていると、あっという間にお昼頃です。しばらくすると、だんだんと人が増えてきます。もちろん中学生や高校生もそうですが、京都の交流会の卒業生や他府県の交流会の卒業生も来てくれます。みんな、久しぶりの再会のひとときを楽しんでくれていました。
なんといっても、「これ」なんです。毎年毎年10年間出店を出しつづけてきました。時として、高校生が誰も参加せず、教員だけでやったこともあります。でも、出しつづけた意味は、「マダンにいけば出会う場がある」とみんなが思ってくれるところにあるんです。「今年はやっているんだろうか」ではない、なんというか「安心感」が大切なんじゃないかと思うのです。そして、そうやって集まってきた人たち同士が出会える場でもあります。もちろん、わたしにとっての新しい出会いの場であることもうれしいのですが、「マダン」を介して人と人が「つながる」瞬間に立ち会うことが、とてもうれしいんですよね。なので、ついつい人を紹介してしまうという…。
てな感じで、「マダン」を満喫しているうちに、あっという間に夕方です。あとは、一番しんどい片づけです。でも、集まってきた生徒たちがテキパキ動いてくれて、あっという間に片づけ終了。でもそのころには、あたりは真っ暗。生徒たちは打ち上げ第1弾のカラオケ。教員は片づけの最終チェックです。
で、7時過ぎ。今度は生徒たちと合流して、マダンの打ち上げです。
マダンの打ち上げはすごいです。みんな大きなことをやりきった充実感でものすごくテンションがあがっています。飲み放題のアルコールがビールとチューハイだけなのは、たぶんえらいことになるのを防ぐためなんでしょうね。で、1時間半ほど盛りあがったところで、いよいよマダンをしめくくる打ち上げのエンディングです。東九条のサムルノリのメンバーがサムルをたたきはじめると、いつのまにかみんなが輪になって踊りはじめます。と、そこへ、「叩きにおいでよ」とわたしの腕を引っ張ってくれる人がいました。実は、「打ち上げの時、プクをたたきたい」と言っていたんで、たたかせてくれると言うんです。めっちゃうれしいです。プクを貸してもらって、あとは乱打です。あまりにも乱打しすぎて、チェ*2でこめかみを打ってしまったのはご愛敬です(笑)。
こうして、今年のマダンも無事終わりました。家に帰った時は、ボロ雑巾になっていました。ちょうど、パートナーが下の子どもを寝かしつけているところだったので、添い寝をしたら、わたしのほうがすぐに寝てしまいました。
マダン前日
京都の運動って「イベント主義」とよく言われます。たしかにそのとおりだなぁと。ふだん、「人民の海」にもぐっている人たちが「ここぞ」という時にはワラワラと出てきます。ほんまに「どこにこんだけいたんや」と思うのですが、いるんです。
でも、ほんとうにふだんはぜんぜん会わないんですよね。で、イベントに行くと「おぉ、なにしてんねん」「おまえこそなにしてんねん」という会話が、そこここで聞かれて、ほとんどイベントは同窓会になってしまうという(笑)。
んてなことで、あしたは毎年ある同窓会でも最大規模の「東九条マダン」です。ちなみに、毎年じゃなくていいのであれば、たぶん次の最大規模のイベントは「Xデー」だろうな、と。前のXデーもすごかったらしいっすから(笑)。
マダン前日は、いつもちょっとローテンションです。とても長い一日であるということ、そして誰が来てくれるだろうかという不安。そんなものを抱え込んで、でも、しんどい状況とわかっていて突入していく感覚は、結局、学生時代からなんにも変わっていないなぁと。つっても、まぁ京都は楽ということもあるらしい。
さて、今日は寝よう。明日が来る。
マダン前日
京都の運動って「イベント主義」とよく言われます。たしかにそのとおりだなぁと。ふだん、「人民の海」にもぐっている人たちが「ここぞ」という時にはワラワラと出てきます。ほんまに「どこにこんだけいたんや」と思うのですが、いるんです。
でも、ほんとうにふだんはぜんぜん会わないんですよね。で、イベントに行くと「おぉ、なにしてんねん」「おまえこそなにしてんねん」という会話が、そこここで聞かれて、ほとんどイベントは同窓会になってしまうという(笑)。
んてなことで、あしたは毎年ある同窓会でも最大規模の「東九条マダン」です。ちなみに、毎年じゃなくていいのであれば、たぶん次の最大規模のイベントは「Xデー」だろうな、と。前のXデーもすごかったらしいっすから(笑)。
マダン前日は、いつもちょっとローテンションです。とても長い一日であるということ、そして誰が来てくれるだろうかという不安。そんなものを抱え込んで、でも、しんどい状況とわかっていて突入していく感覚は、結局、学生時代からなんにも変わっていないなぁと。
さて、今日は寝よう。明日が来る。
なので、生徒に宣言
生徒には「わたしは毎年10月の終わりから11月ごろに一年間の疲れが出てくるしな。疲れがたまるということは、怒りっぽくなるということや。まぁ、今年はまだ笑っているけど、去年なんかひどかった」ととりあえず宣言しました。11月のわたしの体調については、去年の11月の日記を読んでいただければわかります。月末には生徒の前で泣いちゃったからなぁ。今年は、どこまで持つかな…。
怒濤の11月がはじまる
抜糸の日
事故のあとの傷跡の方、どうやらほぼくっつきかかっているようです。1週間ほど前に9針中5針分だけ抜糸をしてあったのですが、今日は残り4針の抜糸でした。長かったなぁ…。「これでやっとお風呂に入れる」と思ったのですが、甘かったです。どうも、傷口が壊死をしているようで、そこがはがれ落ちて、おちつくまでダメとのことです。
しかし、まぁ秋でよかったですわ。
クラブの定期演奏会
わたし、高校の時はコーラス部に所属していました。当時は毎年定期演奏会をしていて、卒業後も招待状が毎年来ていました。ところが、ここ数年招待状が来ないなぁと思っていたら、どうやら途切れてしまったらしいんです。で、それが10年降りくらいに定期演奏会を復活させるとの情報が入ってきました。なんでも、恒例の先輩合唱もあるそうな。久しぶりに先輩達や同級生に会うのもいいかなぁと思って、行くことにしました。
開演は2時からですが、先輩合唱の練習があるので、午前には会場に入らなくちゃならない。なので、指定された時間に行ったのですが…。だ〜れもあいさつしてくれない。ま、あんまり知った顔がないので、しゃーないかと思い、受付をすませて、楽譜とバインダーを受けとりました。そうこうするうちにようやく知った顔を見つけたので「よぉ」と言ったのですが、相手は「ん?」という顔。名前を言っても「ん?」。やっぱそんなもんですわねぇ。向こうはあまり変わらないのですが、こっちはずいぶんと変わったらしいので(笑)。それでも、だんだんとしゃべるうちに、まぁそれはそれなりになんとかなってきました。
そうこうするうちに、練習→リハーサルです。で、困ったのが並ぶ位置。客席から見て前列左側がソプラノで右側がアルト、後列左側がテナーで後列右側がベースです。で、バインダーをもらったのはいいのですが、これ、前列に立つ女性用のものだったみたいです。でも、わたしが歌えるのはテナー。しゃーないので、ソプラノとテナーの間あたりをウロウロしながらテナーを歌っていました。
昼から本番。先輩合唱の出番がきました。男性・女性が2列に並んで、女性が先に出て行きます。しゃーないから残っていたのですが、まわりの人から「ほら、急いで行かんと」とせかされまして、しゃーないので「あの、女性だけどテナーを歌うんです」とだいたい本当のことを言うと、「はぁ?」という顔をしながら「確かに、声が低いね」。いや、本人としては高いつもりなんですが…。で、本番。一曲歌い終わったあとのステージの上で、隣の人が「たしかに、テナーの声やなぁ…」。いや、そうなんですよ。テナーなんです。
同年代の昔からの知りあいは、かなり固まりながらも「そんなもんか」と無理矢理理解をしたみたいですけど、先輩達には大いなる疑問符を残したみたいです。
本番の方はというと、久しぶりだったにもかかわらず、ほとんどが暗譜で歌えるという…。おそらく、「音」がわたしのDNAに刻み込まれているんだろうなぁと思いました。で、総勢100人の合唱は、そりゃぁ気持ちのいいもんでした。
本番のあとは、当然のことながら打ちあげ。家が近いのをいいことに、ダラダラと最後までいました。ちなみに、残った人たちはかなりコアな人たちでして、卒業後数十年たった現在も合唱*1をしているような人とか、現役時代の名声がいまだに残っている人とか。久しぶりに、音楽というか合唱というか、そういう空気にどっぷりとつかることができました。
しかし、どうやらわたしは強引系に弱いらしい(ボソッ)
*1:たとえば京都エコーとかで
午後は在日外国人生徒交流会
で、レポートを終えて、東九条へ。こちらでは、京都・在日外国人生徒交流会のメンバーが、11月3日の東九条マダンへ向けて、キムチのつけ込みと焼肉のタレづくり。行ってみると、卒業生とかその友だちとか、結構いっぱい人がいてなかなか活気がありました。キムチ・タレづくりと平行してお昼ご飯づくりもやっていました。メニューは、定番のチヂミと水餃子、あとは簡単なところでピビンパです。作業が一段落したのは、すでに3時頃。それからみんなで昼ご飯を食べて、いろいろ話。卒業生の在日の子が、中国帰国の中学生とけっこういい感じで話をしてくれていました。やっぱり、教員ではできない役割があることを実感したし、それをきちんとやってくれる姿に関心をしました。
昼ご飯のあとは、在日の子が持ってきてくれたチョゴリを使って試着タイム。とうぜん(笑)、生徒からは「次はいつきちゃんな!」という声がかかります。で、その声に答えて、初チョゴリ。*1これがそれです(笑)。ピンクのチョゴリにはちょっと歳がいきすぎていますが(涙)、まぁ、それはそれで…。でも、ちょっとうれしかったです。
なんだかんだで、交流会が終わったのが5時半頃。メッチャ疲れました。でも、たくさんの生徒が来てくれて、とても活気がありました。やっぱり、生徒が来るとおもしろいなぁ。
さて、次は東九条マダンだ!
*1:そのうち公開します