スキースクール・4日目

今日は班編制の巡りで、初心者レッスンです。
担当したのは5人。上は小学5年生、下は5歳児。まいりました。体力差のすごいこと。バランス感覚のあまりのズレ。これほどまでに違うんですね。上の子は「もっと滑りたい〜!」。下の子は「あるけない…」。これをどうやって一緒の班でレッスンするのよ。
結局、親にとっては5歳児は「託児をしたい対象」なんですよね。そらわかりますわ。自分が滑りたいもん。わたしだって、上の子とはじめてスキーに行った時、迷わずスクールに預けたもん。しかしうちみたいな小さなスクールだと、それがえらいことになるわけです。とりあえず、午後は断りました。
午後のレッスンは足並みがそろった関係で、すぐにリフト。親御さんには「1本だけ乗ります」と言っていたのが、結局3本乗ってしまいました。びっくりしたわ…。もどってきて親御さんに「すごい上達ぶりでした」と報告したのですが、「そうですか」とニッコリされたあと「ご苦労様でした、はい」と暖かい缶コーヒーを一本渡されました。やることが粋やなぁ…。こんなのはじめてですわ。
夕方は、屋根の雪下ろし。ここ1週間ほどに積もった雪の上に、大屋根から雪が落ちてきているので、屋根が崩落する危険性すらあります。そりゃやらなきゃなんないでしょうね。スタッフ2人で屋根に上がってエイサエイサと雪を下に放り投げていました。その向こうを温泉に行くお客さんが通ります。けっこういいパフォーマンスだったでしょうね。
夜、担当した子どもがわたしに話しかけてきました。「コーチ、なんで見た目が女なのに中身が男なの?」。う〜ん、「見た目が女で中身が男」か「見た目が男で中身が女」どっちがうれしいかなぁ…。複雑だわ。

スキースクール・3日目

朝からえらい雪と風です。ちょっと鬱です。なにしろ、うちのスクールのあるゲレンデ、、クワッドリフトに乗っていると、ものすごい風が吹いてくるポイントがあるんです。しかも山から吹き下ろしてくる風なので、向かい風。クワッドだから、こちらの方もいいスピードで動いているので、まともに顔に向かってきます。さらに、そんなところで「京風のため、一時リフトを停車します」とかやられた日には悲惨です。延々と暴風地獄の中で耐えなくちゃなりません。幸いなことに、今日はそんなことはほとんど(笑)なく、無事レッスンを終えました。
夕方は雪かき。「ママさんダンプ*1」を使ってかいていきます。昔は敷地内全部をママさんダンプを使っていたのですが、いまはブルドーザーがあります。楽になったもんです。
晩ご飯の時、ふたたびスクールの子どもさんが問いを発しました「先生、男?女?なんで髪の毛が長いの?」への校長*2の答「それはな、覚えてもらうためだよ」。昔は「なんだ、男のくせに髪の毛を伸ばして!」とさんざん言われたのですが、そういえば今年はぜんぜん言いません。「いつき」に改名したことも何も言わないし、リフトのパス券も名前が変わっていました*3。たぶん、わからないなりに必死で考えたんだろうなぁ。けっこうかわいいところがあるかな…。

*1:これがわかる人は雪国の人!

*2:この人、ジェンダーフリーの対極を行く人です

*3:ただし、「いづき」になっていた(笑)

スキースクール・2日目

朝、体がだるいです。
ふつうなら、着いた日が寝不足の上に運動をしたんだからしんどいんだろうと思われがちですが、どうやら違うようで、2日目の方がきついようです。
たぶん、初日はそれなりに気がはっているので大丈夫なんだと思います。それに対して、2日目は一気に標高1000mのところにあがったうえに、わかっているとは言え、身体が慣れていない生活になったもので、そのだるさが一気にくるんだと思います。
で、だるさのピークは午後のレッスンの最初のリフト。お昼ご飯を食べて、ほどよく身体がゆるんでいるところに適度な寒さが眠気を誘います。「寝たらアカン、寝たら死ぬで」という声が、どこからか聞こえてきそうです。てか、レッスン中に寝たらアカンやろうとは思いますけど(笑)。
幸いなことに、それなりの技量を持っている人が相手だったので、眠気をこらえながらもなんとかレッスンをしました。
夜は、ふだんはミーティングで遅いのですが、今年はぜんぜんミーティングがありません。10時頃には解放されて、あとはスタッフ同士でのんびり話をして寝てしまいました。
それにしても、あと3日もあるのか…。

スキースクール・初日

正月1日が終わると、毎年恒例のスキースクールです。
そういえば、結婚してからというか、それ以前からですが、三が日を京都で過ごしたことがないのは、やっぱり「あれ」ですわなぁ…。でも、まぁそういう生活を20年以上しているので、それが逆に普通になってきているというわけで…。
てなことで、3時半スタート。毎年ですと南の方*1からまわっていくのですが、今年からは真ん中からまわる*2新ルートです。まぁ、楽と言えば楽なんですが…。ところが、今年はどういうことか、やたら眠たいです。しかも、またまたこみあげてくるものが(笑)。なので、途中4回もトイレ&仮眠をしてしまい、大幅に遅れてしまいました。中津川からはR19です。南木曾を過ぎたあたりから雨はみぞれ混じりの雪に変わり、やがて道は真っ白に。あとは快適な雪道ドライビングです。そのまま木祖村の薮原へ。ここからいよいよ雪の山道です。といっても、通い慣れた道。ダラダラと1時間半ほど走ると到着。さて、いよいよ地獄の5日間です。
ちょっと仮眠の時間がもらえたのでふとんに入ってパソコンに火を入れました。案の定、無線LANのアクセスポイントなんてありません。もちろん、air H”圏外。しかも、携帯とつなぐUSBケーブルも忘れてきた。てことで、あっさり音信不通状態になりました(笑)。
雪は依然といて降り続いています。でも、例年になく暖かい*3なのが救いです。風もあまり吹いていないので、快適なレッスンができました。
宿に帰ると晩ご飯の準備とか後かたづけとか雪かきとかなんだかんだで、あっという間に一日が過ぎていきます。一方、メールチェックなんてやろうにもできない。てことは、完全に「あきらめ」モードです。そうなったらそうなったで、音信不通の生活もいいもんです。
そうそう。宿の子ども*4のわたしへの問いかけ「先生、男なの?女なの?*5」。わたしの答え「半々」。まぁそんなもんでしょう。

*1:R367で上野→名阪国道→東名阪→東名→中央

*2:中越え→R161→大津→名神→(東名→)中央

*3:-6℃あたり

*4:小学1年生

*5:ここのスクールには20年以上通っているので、当然性別はばれているしバリバリの男扱いです。

パートナーの転機

テレビを見ながらパートナーと話をしているうちに、なんとなく何が転機になったのかという話になりました。
パートナーが言うには、結局「頼っていたのがそうじゃなくなった」というのが転機だったようです。「わたしにはわたしがやらんとあかんことがある」ということを自覚した。それが子ども会だったようで、でも、そこに関してはさんざんわたしとの間でケンカをしてはいたけど共通の「部落解放」という明確な課題があって、そういうのが大切だったようです。いろいろとパートナーの元に相談事が来たりするようですが、答えるのはとてもしんどいようです。だって、あまりにも個々バラバラな状況の中で、うちの場合はたまたま「みんなが変わりえた」から、まだ共同体が続いているというわけで…。でも、「変わりうる可能性を自分が信じられる」ということって、大切だと思うなぁ。
いつの間にか、パートナーとはこれからの「子ども会」の話に夢がふくらみはじめたところで、そろそろ寝る時間。寝なくちゃ、明日がもたんぜ…。

いつもの1月1日

起床がもっとも早いのは上の子ども*1。なにせ、寝るのが最も早いですから。次に起きるのはわたし*2。なにせ、年が年になってきましたから(涙)。次に起きるのは…。下の子とパートナー*3。なにせ、ええ加減に起きんと昼になりますから(笑)。
てなことで、全員がそろったのは11時過ぎ。それから朝のあいさつです。「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」
あとは、お雑煮と昆布茶とお屠蘇、そしてお年玉という伝統的な(笑)正月を過ごして、すぐお昼。
昼からは年賀状のチェックとか返事書きとか。そんなことをやっていると、あっというまに3時頃。しかも、パートナーは犬の散歩とか。そりゃ、犬には正月はないわな…。でも、同じ正月がないなら、ネコの方がいいなぁ…。というのはおいといて…。
3時半頃におせちを食べて*4、ようやくお出かけ。目指すは上賀茂神社。印象は…。人手が多い。どうやら由緒がアリゲ。あとは…。御神酒はさすがに飲むわけにはいかんでしょう*5。てな感じですが…。でも、さすがに夕方です。ガンガン冷えてきます。「御神酒を燗で」と言えばよかったなぁとちょっと反省(笑)。でも、帰りの道々、子どもたちが買ったウィンナーとかなんばとか適当にかぶりつきながら暖をとりました。
で、家に帰ると立て続けに宅急便が…。ひとつは、愛媛からも送り物。大量のミカン*6です。もうひとつは宮崎の友だちから。「うちのおせちを送ります」とのこと。でも、割烹でっせ。もう、むちゃくちゃおいしいです*7。パートナーはひたすら「幸せ〜」と顔がゆるみっぱなしでした。なんでも、「つくらなかったらええことあるよね〜」とのことですが、それはちょっとちゃう気がします。
さんざん食べて飲んで、あとは隠し芸大会を見たり、ニューイヤーコンサートを見たり。正月やなぁ…。今日だけやけど。

*1:どうやら、さっさと起きたのはプレステをするためだったらしい

*2:得に理由なし

*3:パートナーは朝寝坊が好き。下の子はふとんの中で本を読むのが好き

*4:上の子どもが「なんで今頃」という問いを発しましたが、「起きた時間を3時間もどしたらちょうど今が昼」というと納得してました。

*5:聖別された酒は別のところで飲むことにしています(笑)

*6:ありがとね〜、めっちゃおいしいです。しぼると汁がガンガン出てビックリしました。クズの素を入れると最高です(笑)。

*7:くわいはすごく大きくてホクホク。数の子はたっぷりと味が沁みています。鮭の一品はどうやってつくったんやろう…、むちゃくちゃおいしい。シイタケと練り物のたいたんはすごく上品。あまりにもおいしかったですm(__)m。

今年も終わりかぁ…

パートナーと、「今年はがんばるのはやめようね」という合意がありました。なにせ、例年の大晦日は、「掃除掃除掃除→おせちおせちおせち」です。んなことでは身体が持ちません。なので、今年は「掃除→おせち」程度にしてのんびりしようというもくろみです。
まずは、午前中、車の掃除…をしてもらいにガソリンスタンドへ。この1年、荷車として働いてきた車の掃除、とうとう人に頼みました。楽でした。きれいになりました。
昼から。パートナーは家の片づけ。わたしは買い出し。近場をまわればいいので、楽勝です。それにしても、京都府南部より物価が高いのにはまいりました。
そうそう、年明けに行く恒例の場所のためにおみやげを買おうと思ったのですが、今年はいつも持って行ってる豆腐*1が遠くなってしまっていけないので、漬け物にすることにしました。この季節、京都で漬け物といえば、すぐきですね。で、ふと思い出したのが「あさだ」という漬物屋さん。小さい頃の記憶で、ここの前を通るといつも漬け物の臭いがプーンとしていたのを思い出していったのですが…。店の間に行くとなすびを仕込んでおられます。「それ、麻利漬のなすですね」と思わず声が出てきました。いや、子どもの頃、好物だったんです。先代が亡くなられて長い間つくっておられなかったようなのですが、復活したみたいです。お店の中にはいると、おばあさんが「お越しやす」とごあいさつ。「洛外やのに、京言葉やぁ」となにげに違和感を感じながら、ふと横を見ると値段書き。「すぐき、100g200円」「麻利漬120g500円」。高け〜。でも、まじで漬けておられる感じです。すぐきは、直接樽から出てきました。さらに、ふと横を見ると、ホワイトボードに「順正」とか「たん熊」とか書いてあります。えらい有名な割烹です。んなところに卸してるんや…。とりあえず、おみやげ用にすぐき、家用に麻利漬を買ってみました。子どもの好物になったらどうしよう…。
家に帰ったら晩ご飯づくり。コンロが足りなくて困りました。五口くらいあっても全部使ってしまいそうです。
夜は、男祭りなんかを見てすごしていたのですが、だんだん疲れてきてやめ。
その後はおせちづくりに参戦。結局寝たのは2時半頃ですか…。
そうそう、夜中に上の子どもが起き出してきて、「鐘突きに行かへんの?」と言っていました。去年までは京都府南部の町の「みんなのお寺*2」に行っていたのですが、今年はそんなお寺もないし…。隣が寺なんですけど、やっている気配なかったし…。「また来年ね」と言ったら納得して二階に上がりました。でも、ちょっと寂しかったかなぁ…。

*1:「三忠」といううちの勤務校の隣にある豆腐屋さんです。ここ、めちゃくちゃおいしいです

*2:家の西100mにありました

つーか、単なるコピペかな

今日の日付の朝日新聞天声人語。なんとなくよかったので、コピペ。ごめんなさいm(_ _)m
***
トリを焼く煙がもうもうとあがり、勢いよく通りに出てゆく。東京・吉祥寺の駅前で、井の頭公園に近い場所だ。この春に逝った歌手、高田渡さんの行きつけだった店の止まり木で、しばししのんだ。
「鉄砲や戦車や飛行機に/興味をもっている方は/いつでも自衛隊におこし下さい/手とり足とり教えます」。「自衛隊に入ろう」は1967年、高田さんが都立高の定時制に通う頃に作られた。このデビュー曲が放送禁止になった。
主義主張を正面からぶつける作風ではない。「あたりさわりのないことを歌いながら、皮肉や批判や揶揄(やゆ)などの香辛料をパラパラとふりかけるやり方が好きだった」と自著『バーボン・ストリート・ブルース』(山と渓谷社)に書いている。
何度聴いてもしんみりするのが「すかんぽ」だ。「土堤の上で すかんぽは/レールの間に 生きていた/急行ごとに気を付けをし/人の旅するのを眺めていた」。酒場や小劇場で自作詩の朗読を続けたドイツの詩人、ヨアヒム・リンゲルナッツの「哀れな草」に緩やかな曲を付けた。弱い草だが「目もあり 心もあり 耳もある」と、語るように歌う。
高田さんがドイツを訪ねるNHKのテレビ番組で、原詩に軽快な曲を付けて歌う現地の青年たちが出てきた。気を付けする草にはこっけい味があるから、明るく歌うのも分かるが、高田さんはその姿に、生きるものの愁いと根強さも見ていたのではないか。
1月1日生まれで、存命なら明日が57歳の誕生日だった。その歌は、人々の心の中に流れ続けてゆくだろう。
***
金敬得さんが亡くなられたのかぁ。まだ若いのになぁ…。

体調悪し…。

過去の日記をひもとくと、たいてい餅つきの翌日あたりに体調が悪くなっているようです。てことで、今年もやっぱり悪いみたい。昨日から微熱があったのはあったのですが、今日もう一日微熱が出たり下がったり。なので、テレビの前にふとんを引いて一日沈没です。ふたりの子どもも適当にふとんにもぐったり出て行ったり。本当は家を片づけるなとなんなとしなくちゃならないのですが、やる気が起こらないのでパス。きっと明日、地獄を見る悪寒。