朝、いつもの雑魚寝パターンです。動かないというか、動かしたくたいというか、そんな身体ですが、しばらくゴロゴロしているうちに、ようやく動きはじめました。で、朝ごはんの「〆のラーメン」。昨日の鍋の〆は今朝らしいです。
「卒業生の会」の翌朝は京都の交流会です。果たして参加はあるんだろうか…。
フタを開けると、卒業生がひとり参加してくれました。
みんなでワイワイ言いながらお好み焼きづくりです。
いつも思うのですが、核心に触れる話なんて、そうそうできるものじゃないです。なんしか集まること。一緒に時間を過ごすこと。それが繰り返される中で「この人に話してみたいな」って思う。それは決してシェアではない。でも、それでいいんです。そこからしかスタートしない。交流会は、その出会いをコーディネートする「場」です。と同時に、それをするための「場」でしかないとも言えるんだと思います。
そんなことを感じたのは、交流会が終わってからの帰り道。ダメダメ先輩と京都駅に向かおうと歩きはじめたら、ある参加者が「一緒に帰りたいオーラ」を出しはじめました。「ふむ」。
駅に近づいたところで、「コンビニで飲み物買って、もう少ししゃべる?」ということになって、そこから悩み相談開始です。
その悩み、その悩みそのものをストレートに聞くと、決して「外国人としての悩み」ではありません。でも、その背景に、例えば両親の持つ文化と本人の文化の齟齬であるとか、本人の育ちの中で獲得してきた文化が移行していく過程での、本人の中の文化のズレとか、いろんなことが複雑に絡みあっていることがうかがわれます。
それを出したいんだな。そして、それが出せるのが「いま」なんだな。
てことで、道端に座り込んで、1時間半ほど話を聞いたりしたり。
ま、最後は本人が解決するでしょう。てか、解決策は本人が知っている(^^)。