今日は午後から「関西インクルーシブ教育研究会」です。はじめて参加したのが約一年前です。日程があわずに来られない時もあったけど、ここで新たな世界を見させてもらってます。
まずは発表。ここでは、「発達保障論」と「共生教育論」の話が出てきて、これもおもしろい。関西インクルーシブ教育研究会に集まってる人は、もちろん「共生教育論」なんだけど、でも「発達保障」の必要性を実感してるんですよね。なので、たぶんその融合というか、バランスというか、そんなのを考えてます。そんな中で「ふたつはイデオロギーの対立として捉えてはいけないんじゃないか」とか「いや、イデオロギーとして考える必要があるだろう」とか、いろんな論議がなされました。中でもおもしろかったのは「イデオロギーではなく浮き輪なのでは」という提起でした。つまり、そこにつかまっていれば安心ってわけです。だから放したくない。
続いて文献購読。今回の文献購読は『分解者たち 見沼田んぼのほとりを生きる』です。
おもしろい!
ひとことで言うと、なぜみんな障害者問題というか、障害者解放運動というか、自立生活運動というか、介助というか、そういう世界に引きこまれていくのかがすごくわかります。
なんというか、パラパラなんですね。なにかひとつの共通する課題があって、その課題解決のために団結して運動するってことではないんですね。あまりにもパラパラ。そして単に生活をする。たぶん本人は運動なんて思ってなくて、でも生きることがすでに運動だったりする。
でも、それって本来はおかしいんですよね。で、なぜそんなふうになったのかってことと、土地の歴史をつないで考えるってのがおもしろい。ある種「反近代」みたいなところがあって、だからこそ「福祉農園」ではあるんだけど、でも、そこには近代が位置づいていたりするんですよね。
つまり、単なる前近代への復古というわけでなく、かと言って近代を全肯定したり受け入れきってしまったりしてるわけでもなく。そこのバランスの行き着いた先が
「「とるに足らない」とされたものたちの思想に向けて」
ということなんでしょうね。つまり「とるに足らない」ミミズやダンゴムシや、そういった虫たちが土壌を「分解」するように、都市の外部としての辺境や都市の内部につくられた辺境へと追いやられたものたちこそが固まった土壌を分解し、豊かな土壌へと変えていく。
常々「一寸の虫にも五分の魂」と念じながら生きているわたしにとって、なんともいえない染み渡り方がする本でした。
やっぱり楽しいな(^^)。