あれから20年

今日は全国キリスト教学校人権教育研究協議会のセミナーです。今回は30回の記念セミナーではありますが、実はここが「セクシュアルマイノリティ分科会」をつくって20年という記念のセミナーでもあります。そんなこともあって、今回も20年前と同じ大阪女学院が会場となりました。
わたしの出番は午前のリレートークと午後の分科会。まぁ、そもそも第1回の矢田解放塾の時代から参加してて、第4回の京都セミナーでは在日朝鮮人分科会のレポーター、その後、運営委員になって刷物担当やってましたから、とてもとても深いつきあいです。その後、メッチャ忙しくなって今は疎遠にはなってますが、それでもわたしにとっては大切な協議会です。
どれくらい大切かというと、たぶん全キリと出会ってなかったら、今のわたしはいません。そんなあたりのことは、「例の本」にも書いてありますし、「2000年度の日記」とか「2001年度の日記」の8月あたりとかを見ればいろいろ書いてあります。とくに2001年度の8月のところには、過去2回のこともあわせて書いてあって「あぁそうだったよなぁ」と懐かしく思い出してしまいます。

てことで、8時過ぎに玉造に到着。歩いてるとY田さんを見つけたので一緒に大阪女学院に向かったのですが、昨日も一昨日も来られたはずなのに、なぜに道に迷う(笑)?
Y「北がどっちかわからない」
い「環状線は玉造では南北に走ってるから、駅を出たら西方向になってるってなぜわかりませんか(笑)?」
みたいな会話。
そうこうするうちにT井さんと出会って無事会場へ。中に入ると古い知りあいがいっぱいです。ひたすらあいさつ・あいさつ・あいさつです。
で、リレートーク。若手3人とベテラン3人のリレートークというどこかでやった企画みたいな内容です。まずはベテラン勢の自己紹介。「3分」って言われてるのに延々と話をするのがベテランのアカンところです。なので、わたしは1分で終わりました。お次は若手のトーク。こちらは10分です。それぞれがそれぞれの悩みを抱えて疲弊されてることが伝わってきます。そんな姿は、かつての自分と変わるものではありません。いや、つい最近までのわたしの姿かな。今は、うちのガッコの若手教員やstnの若手教員という、ほんとにいい人たちと出会えてのんびりしてますが、ほんとにきつい時代がずっと続いてました。
なので、悩んでいるみなさんに
「わかるわー」
とひとこと。あとは「悪い人になること」と「つながること」の大切さを話しました。そして、これらをするためには、なにより「5時に帰る」です。学校の外のいろんな人やいろんな知識とつながって、それらをつなげて、そうしたものと子どもをつなげる。そして子どもをつなげ、そんな子どもたちとつながる。子どもを軸として教員がつながり、学校や社会を変えていく。
そこで基点になるのは被差別の立場にある子どもたちです。だから「支援」するのではない。
まぁそんなこんなですね。

で、午後は分科会。くみちゃんが来てくれました。
20年前はくみちゃんと堀江有里さんがゲストスピーカーで来てくれて、そこにまこっちゃんとかがいてくれて、そしてわたしも初女装が可能となったんだよな。てか、わたしが「トランスしてもいいんだ」って思ったのもくみちゃんだったなぁ。西大寺の居酒屋で「トランスしたい」って言ったら、ケラケラ笑って「そんな親を持つ子どもは幸せ」って言ってくれました。それまでの人は「子どもがかわいそう」でしたからね。あの笑い声を頼りにトランスしてきたのでした。
でも、ここでかけるネタはミッション3。フルスピードで飛ばします。でも、みなさんネタではきっちり大笑い。くみちゃんもツボにはまって吹き出してました。うれしいなぁ。こういう自由さが、このセミナーなんだよな。
途中、30分のインターバル。沖縄の遺品展を見に行ったり。とても刺激的な展示でした、
で、後半戦。話残したことを少し話して、あとは感想や意見を述べあって、最後にわたしのライフストーリーを15分ほど話して、分科会終了です。
もともと「あれから20年」を話してほしいと言われました。ちゃんとその期待に答えられたかな。でも、今回のお座敷こそが、くみちゃんや全キリとの出会いからはじまったわたしの20年の総決算だったんだよな。

てことで、交流会があるけど、それはパス。あまりにも疲れすぎです。でも、ビールは飲みたい。てことで、くみちゃんとS水さんと3人で近くのダイニングへ。ここで、ビール→日本酒でクールダウン。でも、楽しいひと時を過ごさせてもらいました。
さぁ帰ろう。今日は10時前に帰れるな。