見捨てない

昨日の放課後、なにやら廊下で「反省文」を書いてる(「書かされている」とも言う」子がいて、その隣で課題をやってる子がいて。たいていこういう時は「なにやってんの」と、適当にからむことにしています。まぁそれはそれでいいんですけどね。
その「課題をやってる子」は、今一番手を焼きながらも心配しているAという子の友だちBです。で、
い「あんな、図書室学習やることにしたの、Aのためやねん。Aは、クラスやったら私のことキライやから勉強せーへんやろ?でも、図書室やったらするやん」
A「うん、今日はフツーにやってた」
い「うん、知ってる。そやし、頼むわな」
みたいな会話がありました。
ほんとうに、ちょっとやんちゃな子がいる学校だったら、全国どこにでもある、少し離れてみるとクッサイ会話です。でも、クッサイけど、大切な会話なんだろうなと思っています。なぜなら、大切だからこそ、全国どこででもそういう会話がされているんです。

で、今日、心配しているAは欠席。しかたないです。でも、昨日は質問しなかったBが質問してくれました。たぶん、Aを見捨てたくないと思っていることがBに伝わったのかもしれません。そのあとで休んでいるAのところにも行きました。みんなの前ではわたしに反発しているAも、1対1ならいい子です。これも、少しやんちゃな子がいる学校では、全国どこにでもある風景です。
い「これ、プリントな」
A「持ってる。きのうやった」
い「知ってるよ。でも、もう一枚。勉強してほしいねん。あと、これな、公式集。これ使ったらぜったいできるし」
A「ありがとう。これ、Cに渡してくれる?」
い「ええよ。渡しとく。ほな、頼むで」
これまた、全国どこにでもあるクッサイ会話です。
でも、こんなことを少しずつ繰り返していくことが、笑って年度末を迎えるために大切なことなんだと思います。

でも、別の子Dとの授業中の会話。
さらに別の子が「こじき」という言葉を使ったのに対して、
「その言い方、あまり好きとちゃうなぁ」
というわたしに対して、「今はホームレスっていうんやで」みたいな会話があって、そこに
D「あれは自己責任や」
という発言がありました。なので
い「ちゃうで、社会のしくみを知らんとアカンで」
と返したのですが、
D「でも、オレはそう思う」
い「「思う」ではあかんな。社会のしくみを知る必要がある」
D「知らんでもええ、オレは思う」
みたいな会話。最後は「からんでくるな」と。いや、からんできたのはキミですわ(笑)。

まぁでもこいつも見捨てずに、これからの長い長い1年の中でいろいろやっていくしかないだろうな。