会議な一日

今日は午前も午後も会議です。
まずは午前の会議。第2のふるさとに向かいます。山の上まで歩く気満々でしたが、駅から出たところで会議の参加者が車で通りかかって乗せてもらうことになりました。歩けないのは残念だけど、やはり楽です。というか、会議の前にやっておきたいことがあったからラッキーです。
会議の方は、各保小中高の人権教育のとりくみについてです。それぞれの学校の特徴があって興味深いです。てか、保育園でどうやって人権教育と思いますが、保護者や保育士の啓発が主となるみたいです。そりゃそうか。となると大変ですね。だって、保護者が自主的に人権研修に参加するかというと、少なくとも京都市以南ではほぼ絶望的です。さらに保育士さんについては、最近では「臨時」の人が多いとか。となると、これもきつい。さらに、そもそも保育士さんの勤務時間内って子どもがいるわけですから、保育が優先です。となると、研修は勤務時間外になります。
でも、保育園については保護者や保育士の子どもへの日常的なかかわりこそが人権教育なので、これはたいへんだなと。
小学校はきめ細かい感じがしますね。まぁ授業そのものもきめ細かいし。というか、やはり担任が授業をするからありとあらゆるところに人権を入れることが可能になります。うらやましいと言えばうらやましいけど、息を抜くヒマがないとなると、これもたいへんだなと。
中学校は、なんか体育会系だなと。個々の担任というよりも、集団で押していく感じがします。なのて、コンセンサスをとるためのさまざまな仕組みが必要になりますが、これがまさに研修なわけですね。で、いま「うまくいってない」という評価が出ているらしいです。なんでも、もっと研修をしなくちゃならないという評価を他の教職員もらったらしく、これまたたいへんだなと。
高校は…。まったく様相が違います。教職員、みんなフリーダムだし(笑)。そんなフリーダムな人たちが「やろう」と思えることを提供するのは、それなりにたいへんなんですがね。
でも、いずれのところでも問題になったのが「継承」でした。結局、保小中高それぞれが、世代間のつながりや地域とのつながりを切られてきた。それは、あきらかに教育行政がしてきたことです。もちろん、「わたしたち」は抗ってきたけど、人事だけはどうしようもありません。まぁ、たまにどうしようもあることもありますがね(笑)。
で、この縦と横の分断をつなぎあわせることを教育委員会は今ごろ言ってるけど、「お前らがしでかしたことの尻拭いをわたしたちにさせるなよ」と思いますね。しかも、ほとんどの学校では校内人事で相変わらず分断し続けてるし。
とは言え、グチを言ってても仕方ないのでやるわけですが、そういう教員の「自主性」に甘える教育行政に腹が立つわけです。

で、午後からは高校の人権教育担当者の会議です。こちらはこちらでたいへんやなと。
みんな人権を大事にしてるし、一生懸命やってはるんだけど、あまりにも知識がなさすぎです。ひとつの何気ない言葉の中に、例えばジェンダーにかかわる話があったり、障害にかかわる話があったりするわけです。で、そんなのにセンシティブになるためには、知識がなければどうしようもありません。だって、いかに「鋭い人権感覚」とか言っても、知識がなければそれがなんらかのテーマに触れるかどうかの判定はできませんからね。簡単に言うと、「ルールを知らずに監督・選手・審判ができるか」って話です。みなさん、感覚や持論(経験)でものを言われますが、もう少し知識で話をしたほうがええんとちゃうかなと思うのです。
そのあたり、若い人は慎重です。そりゃそうです。感覚も経験も不足してることを認識しておられますからね。そして、たぶんいろんな話を聞きながら知識を吸収していかれる。
まぁ、これはこれでええんかもしれませんけどね。

てことで、会議の場所はかつてチョコチョコ通った呑み屋のある場所です。なので、帰りにそこで1杯引っ掛けて、さあ帰りましょう。