ほんとにこの人たちは強力な味方だな

今日は岡山の青年司法書士のみなさんに呼んでいただいてのお座敷です。
たぶん、みなさんとの出会いは去年の5月になるかな。シンポが終わったら話しに来られた方がおられて、間もなくメールが来て台風に負けずに呑むハメになったということです。でも、まぎれもなくこの時のお座敷が青年司法書士のみなさんとの正式な出会いですね。その後、インフルエンザの中のお座敷やったりワインでマーブル模様になったパーカー着てのお座敷やったりと、いろんなところでお世話になりました。
で、今日です。
とりま、起床は7時半。コーヒーを淹れて精神統一です。そして、静かな心で朝のおべんきょです。なにせ、急遽今度の火曜日に「公開フルボッコ大会」にエントリーすることになったので、そのためのネタをつくらなきゃなりません。2時間半ほどパソコンに向き合って、とりあえず完成。速攻関係諸方面に送って、少し走りましょう。まぁ、出発までの時間を考えたら20分というところですか。ということは4キロ弱。どこ走ればいいんだ?ま、ええかと走ったら4キロちょい走ってしまって、タイムオーバーです。やばい。
急いでシャワーを浴びてギリギリの時間で地下鉄に間に合いました。
で、会場到着。みなさん「We are one」Tシャツを着ておられます。気合入ってます。わたしはというと「Anti Fscist」Tシャツなので、まぁ似たようなものです(笑)。
で、お座敷開始。今回は「思う存分2時間話を」ということだったので、調子に乗って話してたのですが、笑いの代わりに深い頷きがあったりして、これはどうしたものかと。いや、それはそれで実はうれしいのですが、芸風がそうじゃないので、とまどったりもして。でもさすがに鉄板のスライドは笑ってもらえました。
てことで、調子に乗って話してたらあっという間の2時間でした。で、司会の方が動こうとした瞬間「すんません、まだあるんです」と、エピローグ部分を話したら、結局15分オーバー(;_;)。やはり「思う存分」はあきません。
その後シンポです。「マイノリティの方は日常どう過ごしておられますか?」という質問には笑いました。「朝目が覚めて、出勤して、仕事して、帰ってお風呂に入ってビール飲んでます(笑)」という答え。もちろん、そういう答えを求めておられるわけではないんでしょうけど、そういう「生活」を前提にして、そこに+αで考えなきゃね。まぁ、そんなあたりはネタですが、「法律の専門家としてなにができるか?」はすごかったです。
実は、法律の専門家としてできることは、どちらかというと同性パートナーの問題なんですね。つまり同性パートナー契約書みたいなものの作成とか、遺言状の作成とか、いろんなことができるみたいです。たしかに同性が法的にパートナーと認められないために「優遇措置」はないのですが、パートナーとして認めさせるための手続きはいろいろ可能なんですね。つまり「結婚」というやつは、こういう諸手続きがワンパックになっていて、さらに優遇措置があるということで、それをいちいちしなきゃならんというところが問題なわけですが。
でも、こういうことを話しながら「たまにとってもうれしいことになるんですが(笑)」とネタを振られるのがおもしろい。
でもそうなんですよね。つまり、同性パートナーの法的な問題にかかわるということは、顧客が増えることにつながるわけです。「お金に換算は汚い」という向きもあるかもしれませんが、大切なことですよね。そして、同性婚が可能になったら、またそれはそれでニーズが増えるわけで、社会はうまくまわるようになると思うんだけどなぁ。

そんなことをやってると、あっという間の6時前。
ここからはお店に行って懇親会。途中からずっと会場のめんどうをみておられた方ととなりになって、気がついたらOS談義です(笑)。
「NEXT知ってますか?」
「知ってますとも!わたし、けっこうOS/2が好きだったんです」
「やはり理想は堅牢なOSに使いやすいx-windowが載ってる感じですよね」
「結局それがいまはmacなんですよね」
みたいな。
ここでそれをやるかと思うけど、楽しかったです。
二次会はおしゃれなバーです。ビールの種類が多いので、思わずランビックを頼んだり。酸っぱ!
てことで、楽しい岡山の夜です。

補習の極意→ひたすら外部との連絡

今日から「教えあい学習」です。でも、今回は「ほんまもん」の相手をしないとやばそうです。とにかく「点を取るテクニック」と「できるかも感」をつけること。前者はなんと言っても「捨てる問題」を見分けることです。高望みをしない。そのためには、問題集にバツをつける練習かな。そしてもうひとつは解答欄の面積を考えることです。簡単に言うと、解答欄の面積が広いものが配点が高く、狭いものは低い。言い換えると、解答欄の面積が狭いものは簡単で、広いものは難しい。わかる人にとっては当たり前のことが、わからかい人にとっては「目から塗り壁」なわけです。なので「解ける問の数」でものを考えるのではなくて、「狭い面積の問の解き方のパターンを覚えて、その面積を少しずつ増やす」ことで取れる点数を考え自信をつける。
まぁそんなことをやってみたりして午前は終了。午後は、おべんきょ後輩から「発表原稿見てアドバイス!」とかいう藁にすがるメールが来たので、藁は藁なりに読んでアドバイス。そんな合間に、若手の同僚と「文系理系の野球カントクの違い」について暑く語ってみたり、経験豊富な新採の公開授業を見に行ってみたり。そんなことをやってると、ひっきりなしにメールが来るわ電話がかかってくるわ。
てんやわんやであっという間に定時です。
でも、なんとなく思ったのが、これだけで終わるなら、それはそれで充実した一日なんだよなってことです。問題は、それで終わらないことです。火曜日のレジュメとか金曜日の課題とか、はたまたルビうちとか、わけわからんことがいっぱいあるのがツラッティ(;_;)。

名前とかカミングアウトをめぐるあれこれ

まぁ、ここを読んでる人はほとんどいないだろうから、個人的な考えをテキトーに書きましょう。

たぶん、自分にとっての事の発端は、ガイドラインにまで遡ると思うんです。ガイドラインには「カミングアウトの検討」というのがあります。たぶんあれです。つまり「カミングアウト」がガイドラインの中に組み込まれることで、みんなカミングアウトしなくちゃならなくなった。で、適応があるかどうかの判定は「周囲の理解」で見ちゃいます。なので、「カミングアウト」が「理解を求めること」を前提になってしまった。そして、例えば「某会議」なんかで話を聞いていると「親にカミングアウトしたら受けとめてくれた」「友だちも受けとめてくれた」「せんせいも受けとめてくれた」みたいな話が頻発するわけです。もはや「カミングアウトの検討」とかいらんやろうと。カミングアウトはダダ通しやないかいと。なので、「某会議」では「カミングアウトってなんなんですかねぇ」とかいう意見を言ってしまうわけです。
まぁ、ある種しかたないといえばしかたない側面があることは否めないです。だって、2000年の日記見たら「あるクラスでカミングアウトしました」とか書いてるし、そんなもんではあると思います。
で、こういうカミングアウトだと、そりゃ「ノンカム」=「クローゼット」なんでしょうね。
でも、わたしは「カミングアウトしました」とか書いていた頃の後、少しずつスカートはいたり化粧したりしてパーティーなんかに行くようになって、「あなた、源氏名どうするの?」とか言われて、そこから「いつき」という人生がスタートしたわけです。それはそれでよかったんです。というのも、当時のわたしは「K」というわたしと「いつき」というわたしを切り離して生きてましたからね。だから、それぞれのシチュエーションにあわせた「名前」で生きることにさほどの矛盾もありませんでした。
でも、フルタイムで生きていくことを選択した時から「引き裂かれる自分」がいることに気がついたんですよね。つまり「いつき」という自分で新たにつくりつつあることと「K」という名前で今までやってきたことが引き裂かれる。
もちろんそんなことはよくあることです。だからこそ、女性たちが「姓の選択を!」と主張するわけです。そしてもちろん逆のパターンもあると思います。つまり「ペンネームでやってきたこと」が自分をつくりあげてるなら、それを選択することもあるでしょう。ただ、わたしの場合は「K」でやってきたことの上に「いつき」があるにもかかわらず、ふたつの名前があるという状態だった。それが「引き裂かれる自分」でした。
だから、2002年に「土肥/いつき」という名前で『部落解放』に出ることにしたんです。『部落解放』は、教育委員会はもちろん読んでるし、わたしが住んでいる地域の人も当然読んでいる、あるいは読む可能性があります。てか、地域の公民館に置いてあったし(笑)。そしてなにより、いままで「K」という名前でつきあって来た人や、その人に連なる人々も読んでいる。そういう雑誌に実名で出ることにしたんです。ちなみに、その時にコーディネーターをされた方は、諸般の事情で仮名で出られました。それを批判する気は毛頭ありません。それぞれがそれぞれの置かれた状況の中で選択するだけのことですからね。
そして「/」をとるために2004年に改名しました。もちろん「K」のままで生きることも考えたし、政治的正しさはそちらの選択にあることはわかっていました。そしてなにより、「本名(民族名)を呼び名のる」と言ってきたわたしが、そして生徒が本名を名のる瞬間に立ち会ってきたわたしが、「名前を変える」という選択をすることはどうなのか。そこでずいぶん悩みました。
けど、すでにフルタイムで4年ほど生きていて、すでに「K」はしんどかった。なので、「いつき」を実名にすることに決めた。なので、その選択を「同化」あるいは「クローゼット」と言うなら、まぁ、それはそうやなと思うわけです(笑)。実際そう思ってますから。
でも、「いつき」という名前ですべての時間を過ごすことを通して、ようやく「統合された自分」になりました。それが「いつき」という名前の選択の過程です。
で、実名で生きるってことです。
それは例えばわたしのクラスにいた在日の生徒が本名を名のる時に、最初の反対は家族から来たということとつながります。つまり、その子が本名を名のるということは、同時に家族も在日だということがわかるということです。部落の子が立場を語った時は家族の反対はなかったけど、やはり自分に連なるルーツについて話さざるを得ない。だから、その子の立場宣言は親が部落出身であることからスタートしました。そして部落の場合、家族だけではなく、その地域全体のカミングアウトにもつながります。
つまり、在日にしろ部落にしろ、カミングアウトは自分ひとりではおさまらない。でも、あの子たちはそれをしたんです。
あるいは、あるアメラジアンの友だちは、祖父のfamily nameを自分の「名」の前につけてミドルネーム風の名前にしました。別のダブルの友だちは、通名と民族名の両方を名のっています。そうやって「名のる」ことにこだわりぬいた人たちがいる。
そんな人たちとつながり、そんな子どもたちが語る場に立ち会ってきたわたしはどうするのか。
もちろん、部落や在日とトランスは違うという選択肢もあります。でも、わたしは「違う」という選択をしなかった。それは、あくまでも「わたし」の選択です。
だから、実名で生きることを選びました。それは同時に、わたしに連なる人々、すなわち家族にとってのアウティングでもあり、家族がおこなうカミングアウトでもあります。そういう生き方を選んだ。それがわたしの選択であり、家族の選択でもある。だからその総括として、朝日新聞の特集「家族」に出ることにしたんです。あのあと、家族についての取材はすべて拒否しました。
なので、実名にこだわっています。そして、実名で生きることをもって「わたしはトランスジェンダー」(笑)という言葉に依拠しないカミングアウトをしているつもりです。それが「24時間ひとりパレード」ということの意味です。
わたしが「カミングアウトしていない」というのは、最初に述べたカミングアウトをしていないということです。そう言えば、ふと思い出しましたが、かつてH間さんに「わたしって、Real Life Experienceしてますか?」って聞いたことがあったけど「微妙」と答えられました。たぶん「カミングアウトしてますか?」って聞いたら、やっぱり「微妙」なんでしょうね。でも、こういう生き方が可能であるということは、わたしがやっていることがその証明なわけです。

もちろんこれは「わたし」の「こだわり」なわけであって、そのことをもって他の人の生き方や選択と優劣や正誤をつける気はまったくありません。が、わたしがわたしのこだわりとして「実名主義」をとる限り、わたしの話すこと書くことにそれが価値あるものとして描かれてしまうのはしかたがないことでもあります。でなければ「こだわり」でなくなってしまいますからね。
まぁ、そんな話。

落ち込みからの

昨日の夜の帰り道、なんか、「自分は何をやってきたんだろう、自分は何をやってるんだろう」という気持ちになって、少々落ち込みながら帰りました。なので、今日もローテンション。
それでも、3・4時間目の授業では久しぶりに「三省堂」の『高等学校の代数・幾何』を使ってみたりして、少しテンションがもどりました。ちなみに、かつてのこの本、まだ職員室においてあるんですよね。宝物です。
問題は山のようにある原稿です。それでも昨日は御着までの道中で原稿書きが進みました。その続きをやらなきゃなりません。それでも、昨日「ヒント」になる足跡をいっぱい残しておいたので、もしかしたらなんとかなるかも。
そんな感じでノツコツやるうちに、あり?できた?
とりあえず一晩寝かせましょう。
なんしか、よかったよかった。

総会は長い

で、子どもと一緒に帰って、大阪駅でバイバイ。わたしは毎月恒例の会議です。ふだんより1週間遅いので、決めなきゃならないことが多いです。さらに今日は総会なので、会議時間は延長です。終わったのは9時半。さすがにしんどいです。
終わってからのビールがうまかった!

4度目の訪問

今日はとある人権教育研究会のフィールドワークです。今回は久しぶりに「皮なめしの街」に来ました。
1度目は2009年3月で2度目は2010年2月、3度目は2011年6月でした。前3回は立て続けでしたが、今回は7年あいてます。ずいぶんと変わっただろうな。
ちなみに今回は、なぜかうちの上の子が参加です。なんか、昨日の夜に「御着に行く」って言ったら「行きたい!」と。
で、御着駅に到着。すでに柏葉さんが来ておられて、いきなりペンケースのおみやげをもらってしまいました。で、上の子を紹介したり。すると、柏葉さん
「お母さん、あ、お父さんか」
とボケられて、周囲の教員大爆笑です(笑)。
それにしても、お元気そうでうれしいです。
で、フィールドワークスタート。ところが驚いたのは、今は工場ひとつしか見学させてくれないとか。なんか、いろいろあったらしいです。かつてはクロム鞣しとタンニン鞣し、それからシェービング工場も行かせてもらえたのになぁ。そう言えば、シェービング工場から革を干してるのも見えました。あの風景はもう見られないのかなぁ。
クロム鞣しの工場に入ると、相変わらずの臭いです。やはりこの臭いは現地に来ないとわからないです。その後、タンニン鞣しの工場の横へ。なんでもうちの子どもが
「タンニン鞣しの臭いをかぎたい」
と強い要望を出したとか。どんだけマニアックやねん。そしてそれに応えてくださる柏葉さんはすごいな。
その後、皮革資料館からの柏葉さんの工房です。
柏葉さんの話、フリーダムです。でも、それがおもしろい。なんでもマンチェスターに行かれたらしく、その旅行談がマニアックにおもしろいです。が、あまりにも御着の話からはずれっぱなしなんで、思わず
「すんません、そろそろ革の話を…」
などと言ってしまったり。そんなこんなで、約2時間の講演会が終了です。聞いてたみんな、どうだったかなぁ。
帰りに上の子どもが
「もう一回タンニン鞣しの臭いがかぎたい」
とか言うので、工場へ。しばらく歩くと
「きた、きたきたきた、うわきた」
という感じなんですけど、どうやらそれを表現したいらしい。なるほどな…。

とにかく前に進める

今、抱えている原稿が全部で5本。うち1本はおべんきょ成果なので強烈に時間がかかる予定です。なので、他のをさっくり仕上げなきゃならないのに、まったく手につきません。どうしたものかと、この間ずっと悩んでました。で、出した結論は、「原稿を書かない」でした。とにかく、目の前にある仕事をこなしていく先に原稿があるはずです。
そう考えると、雑務をするときの雑念が消えました(笑)。なので、雑務がサクサクすすみます。まぁ、雑務なんてしょせんは雑務ですから、雑務なんです。脳みそのリソースを使わずに、機械的にこなせばいいだけです。
放課後、生徒が質問に来たけど、こんなのも雑務です。こないだ「取り出し」をした時にノウハウは考えました。定時30分前だったので、定時終わりにはならず、いつもの電車には乗れませんでしたが、まぁいいでしょう。
なんか、おかげでおだやかな1日でした。

打ち合わせはまかせた!

今日は夏の「全国在日外国人生徒交流会」を引き受けてくださる人との打ち合わせです。実は2週間ほど前にやることになってましたが、いろいろあって今日になりました。で、打ち合わせの場所は「滋賀朝鮮初級学校」です。何でも今日はここの焼肉マダンだとか。これはいかねばなりますまい。
ということで、京都駅でAっちゃんと待ち合わせして膳所へ。そこからハッキョまで移動です。到着すると宴もたけなわです。まずはビールとワインをAっちゃんに調達してもらって、ヱビスで乾杯です。そして肉!うまい!すでにこの時点で何をしに来たかわからなくなっています。やがて打ち合わせの相手のまゆ姐さんが来られましたが、なんかわたしはぜんぜん別の話をしなくちゃならなくて、えい!打ち合わせはAっちゃんにまかせた!
なんか、打ち合わせも10分ぐらいで終わったみたいですけど、大切なのは顔合わせです。なので、これでいいんでしょう。
マダンそのものは3時くらいに終わりましたが「時間のある人は残ってもらっていいですよ」と言われたので、これは残らねばなるまいと、再びAっちゃんにワインとチューハイを買ってきてもらって、飲み直しです。途中、話をしている相手から障害者手帳を見せてもらったり、はたまあウトロのプヨンジャの話で少ししんみりしたりしてして、なかなかディープな飲み会です。が、6時をまわったところで校長さんから「そろそろ終了」と言われてようやく終了。
いやぁ、ハードでディープで楽しい焼肉マダンでした。滋賀の友だちにもいっぱい会えたし、よかったーo(^^)o。
てことで、家に帰ってビールを呑んで倒れるように寝ましたとさ。

走って呑んで

今日は組合の定期大会です。今年もわたしは議長やらなきゃなりません。まぁええけどね。でも、せっかく朝から定期大会があるなら、会場まで7〜8キロなので走って会場に行こうかなと。でも、空を見上げると、雨が降りそうです。走ってる最中に降られたら洒落にならんので断念。会場に早めに行って、御所のまわりを走ることにしました。
で、スタート。御所は南北方向が長くて、しかも北行きは軽い登りです。てことは南行きは下り。つまり、500m程度の平坦路をはさんで、1.5kmくらいの登りと下りを走る感じです。1周目はいいんですが、きっと2周目の登り区間できつくなるだろうなと予想。なので、そこの約2キロは6分くらいで走って、他は5分30秒くらいでいきたいなと思っていたのですが、見事に考えてたペースで走れたのでうれしかったです。なんと言っても、最後の1キロがペースがもどったのがうれしいですね。
走ったあとは筋トレです。そして定期大会の議長。まだ汗がひいてません(笑)。でも、滞りなく議事もすんでよかったよかった。
昼ごはんはおべんとう。とここでえらいことがわかりたした。お酒がない!それはアカンやろということで、ビールと日本酒を買ってきて、おいしいおべんとをいただきました。
で、いったん帰宅。お風呂に入ったりしばし休憩したりして、再び外出です。今日は放送部の卒業生の飲み会です(笑)。さすがにしんどい。でもみんなと会えるのは楽しみです。集まってきたのは10人。みんなでイタリアンをつつきながら、ビール→ワインです。結局10時過ぎまでワイワイ遊んでお開きです。
さすがに疲れた(笑)。

ウケたからよかった

今日は午後から「とある学会」です。なので、時間割を変更して1・2の連続授業になりました。ちなみに、昨日「キリのいいところ」で終えておいたので、今日は復習タイムと言いながら、極めて危ない子ら対象に取り出し授業をしました。それにしても危ないな。計算のミスがあるんですよね。
授業を終えたらさっさと準備をしてスタート。途中おにぎりをパクつきながら着いたのはポートアイランドです。こないだのインフルエンザ以来です。今回は大丈夫ですけどね。
とりあえず、打ち合わせの部屋に入ると、なんだかいつものメンバーという感じです(笑)。ここで荷物をおいて、受付して、さらにPCも受付しなくちゃならないらしく、そんなことをやっているわたしをKうさんが心配そうに見ているという図も、まぁいつものことですか…。
で、シンポジウムスタート。トップは針間さん。DSM5やICD11に至る歴史的経緯を説明したあと、DSMとICDのスタンスの違いを簡単に説明されました。なるほど。打ち合わせの部屋で針間さんが言っておられた「危惧」はこれか…。
続いて中塚さん。こちらは保険適用とか特例法とかを含んで、現在のGIDをめぐる状況の中での課題を述べられました。
で、鶴田さん。おもしろい!目の前でとても簡単ではあるけど「会話分析」をしてくださって、いろいろ「なるほどな」と。そんな中で「GIDトランスジェンダーは日本においては「水と油」ではない」という話をされました。「トランスジェンダー」という言葉にこだわって生きてきた自分としては「うがー」となるんですが、だから「GID」と言ってきた人々がシームレスに「トランスジェンダー」に移行できるのかと。
で、最後はわたし。「指定発言」らしいけど、他の人とほとんどイーブンです。向こうの方にKうさん、O田さん、Nわさんが並んでおられます。やれやれ。わたしの話は前半は「ある中年トランスジェンダーAさんのライフストーリー」です。そして後半は「トランスジェンダー生徒の学校経験」。とはいえ、マジメに話をするはずもなく、ネタに走り続けます。Kうさんが苦笑されています。O田さんうれしそう(笑)。会場のみなさんもけっこう笑ってくださっています。ちなみにみなさん精神科医なわけで、まぁそんな人らが笑ってくれるわけですから、よかったよかった。
で、質疑応答ではDSDXジェンダーのことが出てきて、もう混沌です。ということで、予定された2時間はあっという間に終わりました。
その後、会場の前で立ち話。主役はS藤さん。アルコール依存の話なんかで盛り上がってましたが、そろそろ会場を出ないとハッピータイムがもてません。ということで、針間さん・鶴田さん・織田さんと4人でガード下の串カツ屋さんになだれこんで、あれやこれやの話です。でも、わたしを含めみなさん、あまり時間もありません。6時くらいにお店を出て、それぞれの方向へ。鶴田さんとわたしは大阪方面なので、一緒に新快速に乗って、しばし社会学系の話をしたりして、大阪でパイパイしました。

ここからはまったく違う飲み会です。メンバーは交流会参加者と保護者、そして教員3人というわけわからん組み合わせです。でもま、昔はこんなんよくあったしなぁ。ということで、グダグダ飲んで、今日は二次会はなし。さて帰りましょう。
よく飲みました。