これはしんどいな

巷を騒がしてるこの話ですが…。
すでに「暴力はダメ」とか「トランス男性のジェンダー観」とかいう話はいっぱい出ているので、まぁおいといて。
やはり、うちのことを振り返るわけです。
まぁ、この人は実子じゃなくてわたしのところは実子なんですけど、そこに差はあるのかないのか。わかんないです。ちなみに、わたしは血統主義はとらない立場なので、「差はない」と思いたいです。でも、血統主義をとる人にとっては差はあるのかもしれないですね。
それにしても、「特例法」に「子なし要件」があることの理由として
「ある日、突然お父さんがお母さんに変わったら子どもがかわいそう」
って話があって、それをもって「子の福祉」が理由になった経緯があります。
ちなみにかつて書いた文章にこんなことを書いてます。

この特例法が出る1ヶ月前、2003年6月12日の朝日新聞に社説「苦しみに終止符を 性同一性障害」が掲載されました。この社説では、「(子なし要件があっても)法案を一日も早く成立させることを優先してもらいたい」としています。また、「子なし要件はやむを得ない」ととれるニュアンスとして「けれども子どもの立場に立って考えてみるとどうだろうか。たとえば父親だと思っていた人が、ある日から女性になる。子どもがそう言う事実と向き合い、受け入れるのに大きな困難がともなうのも事実だろう」としています。
しかし、当事者はある日突然「男から女」あるいは「女から男」に変わるわけではありません。長い年月をかけて家族と話しあい、さまざまなハードルを家族と一緒にクリアしながらトランジションをすすめていきます。そういう現実を知らず、想像で物事を考え、それが法律として成立していくことに、大きな不安を覚えます。

これを書いた背景には、わたしの家族のことがあるわけです。
別に、うちの家族が順風満帆だったわけではないです。いろんなことがありました。でも、なんとかかんとかなかよくやってます。
あの「子なし要件」へのアンチを、長い時間かけて実証してきたつもりでした。そして、そんな人は、実はたくさんおられます。
でも、それへの反例として利用される可能性がある。そして、反例はひとつでいい。
まぁ、特例法の「子なし要件」が「未成年」に「緩和」されたことで、すでに世間の関心は「手術要件」に移っているんじゃないかと思うのですが、そしてそのことはまったく正しいわけですが、そして、件の人もそこと闘っておられるわけですが、それをするためには、他のところを固めなきゃとも思うし、逆に、個人的には「子なし要件はいらねーよ」ってところに、やはりこだわりたいところなんですよね。

今回はまたーり

今日は2ヶ月に1回の滝井詣りです。
午前は授業。底の変換公式です。ちなみに、「底」は「てい」です。けっして「そこ」ではありません。これについては、わたしが担当した子どもたちはきちんと覚えてくれるはずです。
「これは「てい」な。「そこ」って読むとやな、京都タワーの西側に…」
という話を3回くらいやるので、そら覚えるわな。
午後からは雑務です。とにかく、ギリギリまで仕事して、職場を飛び出して、滝井へ。
到着すると16時。予約の最終時間です。が、今日はけっこうスムーズに診察が進んだのか、すぐに順番がまわってきました。
診察室の会話はいつも通りですね。今後の呑み会の予定とか、ふとしたことから「精神科医料の心得」みたいな話とか。
で、お勘定をすませたら、「まんまるの会」です。今日のお題は「雪にまつわるあれこれ」。みなさん、わたしの無茶振りにつきあってくださいます。よかったよかった。自己紹介のあとはいつもの宴会。10年間、ほぼ変わらないスタイルで続けてきたけど、まぁ、こんな感じで大きく盛り上がることもなく淡々と続けることが大切なんでしょうね。3年とか4年かけて、元気がなかった人が少しずつ元気をとりもどしていく姿を目のあたりにすることができるのが、まんまるのおもしろいところかな。
今日は参加者数がいつもより少し少なかったけど、逆に「全体」感があって、これはこれでいいですね。てことで、10時閉店。今日は余裕で帰れそうです(^^)。