「トランスという旅」

ふいに6年前を振り返るんだけど…。
ごにょごにょ(笑)をしたあとのイベントQで、Kさんと論争になった。
わたし「長い長いトランスの旅が終わった気がした」
kさん「トランスの旅に終わりはない」
この平行線だった。
いま振り返ると、「トランスの旅」に込めた意味が違ったんだろうなぁ。
もしかしたらkさんにとっては「トランスであること」は「自分が生きる」ということと不可分なものなのかもしれない。であるなら、「トランスの旅」は終わらないのは当たり前。に対して、わたしは「トランスであること」は「自分が生きることの一部」なんだろうな。いや、kさんもきっとそうなんだけど。ただ、「トランスであること」に過剰な比重を置く「旅」から「トランスを含み込んだ人生の旅」へと、その時フェーズが変わったんだと思う。それをわたしは「長い長いトランスの旅が終わった」と表現したんだよね。それは同時に「トランスであることを含み込んだ新たな旅がはじまった」ことを意味していたんだけど、それが伝わらなかったのかな。
たぶん、kさんはわたしの言葉を「トランスという病が治った」「トランスを卒業」みたいに感じたんだろうな。でも、そんなことはみじんも思っていなかったし、今も思っていない。わたしにとっては、kさんとわたしの差は、とても些末なものだと思っていたんだけど、kさんにとっては大きかったようだ。それからイベントQに来なくなった。
なんか、あれだけはとても残念でしかたがない。今も「また、来てほしいな」と思ってるんだけど、その思いは伝わらないだろうな。

今日は台風が来るとか。でも、きっと何も起こりません。だって、京都は四隅に結界がはってある(笑)。というのはおいといて、ほんとに「休校」はないです。まぁ、大雨とか洪水の警報じゃなくて暴風警報が出ないと休校にならないんですが、風が吹かないんですよね。でも、それはなんとなくわかります。勤務先は京都というか奈良というか、まぁそんなあたりですが、それでもやはり、山がまわりを囲っていますからね。ということで、子どもたちには「雨は降るけど、風は吹かない。残念でしたー(笑)」と言っておきました。
でも、実は災害がこないというのはラッキーなことなんですけどね。

で、夜は大阪に移動して会議です。今日は案件は少なかったものの、論議は長かった。まぁ、長くしたのはわたしなんですけどね…。
論議をしている中身は、基本的には「大きなお世話」な内容です。やりたきゃ好きにすればいい。言い換えると『性同一性障害 ジェンダー・医療・特例法…』の中の「間違う権利」にかかわる話です。なので、ドライに淡々と「どうぞ」って言えばいい。でも、論議になるんですよね。
ちなみに、論議になるのは「当事者」じゃないです。会議の「まな板」に出してきた人の考えであったり姿勢であったり、あるいはその背景にある社会や法律にまでおよぶ話です。なので、この会議で話しても意味はない。でも、やはり論議をしなきゃならないんだろうなと思います。

なので、会議のあとの呑み会でも、やっぱり論議は続きます。が、さすがに疲れます。と、「帰るぞ」と言われて、「おっと帰らなきゃ」と(笑)。今日も終電だ。