まったり

で、出張のあとは、おべんきょ仲間との呑み。思いのほか出張が早く終わったので、早めに合流。カラオケに行ったりして。その後向かったのはみず色クラブ。みんなでのんびりとおしゃべりしながら、のんびりとおいしいごはんをつつき、おいしいお酒を呑み、まったりとしたひとときを過ごしました。
この3年、こういう時間をそれなりに過ごさせてもらいました。それは自分にとってとても貴重な時間でした。なんだろ。自分が広がる。
決して「興味の一致」ではない。でも、やっていることは一致している。共通の言語を操りながら、異なる興味をだしあって、ひとつの話題について語りあう。
またこの仲間と、こんな仲間と語りあいたいなぁ…。

Nothing about us without us

今日は午後から出張で、とある研究会に参加です。その研究会、ある種「異種格闘技戦」でして、ふたつのジャンルの違う研究会と「管轄」が違う3つのグループ、つまり合計6団体からひとつ抜けた経緯があるので、5団体の合同研究会です。となると、当然出てくるレポートもテイストが違うわけで…。
で、どうなることかと思っていたのですが…。
うーん
きついですね。とある学校のユネスコスクールにかかわるレポート。なんでも、英語で討論してはるそうな。まぁ「よくおできになるお子さんたちですな」と聞いていたのですが、なんかもう、とても違和感。で、わかりきったうえで質問。
「あの、参加者の中に、どんなジャンルでもいいので、なんらかのマイノリティ性をもつ子どもってどれくらい参加してはりますか?」
もちろん答えは
「わかりません」
です。これはきっと「把握できない」ではなく「関心がない」なんでしょうね。
いや、やってることは立派です。考えも立派です。でも、決定的に欠けているものがある。それは

Nothing about us without us

です。
例えば、貧困や格差について討論し、なんらかの結論を出すなら、貧困な状態に置かれている子どもが「アプローチできない仕組み」でものごとを決めてはダメでしょうってことです。それを障害のある人々は主張し、認めさせてきた。その歴史から学ばなきゃと思うわたしは、あの場では変わりもんだったんだろうな…。