毎朝感じるんですけど…。
階段を駆け上がる人の手がこわいです(T_T)。今朝は「空手チョップ(死語)」されるかと思いました。
なんか、最近、大きく腕を振って歩いている人が…。増えたのかどうなのかは知りませんが、気になるようになりました。
これ、階段だけじゃないです。混雑している駅の構内や繁華街の道でもよくおられますねぇ。
「いや、車間距離、もとい人間距離をとればいい」
というご意見もあるかと思います。ごもっとも。
でも、そんな人に限って歩くのが遅いんです。遅いから、腕を振ってスピードを出そうとしている。で、わたしは決して歩く速度は早くないんですが、それでも追いついちゃうんですよね。で、腕や手がぶつかりそうになる。
んー
混んでる時は、腕を振らずに階段登ってくれませんかねぇ…。
あ!ナンバだ!
年: 2013年
6月の催し(笑)
過去は変わる(笑)
明日から中間試験です。もう、「やっと
!」という感じです。
まぁ、授業のほうは余裕で終わらせているので、今日は自習。
と、元気な子が、なにやら騒いでます。で、しゃーないから雑談。
い「なにしてんねん」
からはじまって、しばらくの会話ののち
S「センセ、昔、やんちゃしてたんやろ?」
い「いや、してへんで。おとなしかったで」
S「またまた、「ギャル!」みたいなんとちゃうかったん」
い「え…^^;;」
ぎ、ギャルですか…^^;;。
い「してへんしてへん」
とは返したものの^^;;。
うーん。この子、「配慮」とかそんなことをするタイプの子じゃないです。どちらかというと、思ったことをストレートに出す子なんです。てことは、ほんとにそう思っているってことです。
「わたしの過去」って、厳然たる事実としてあるものではなくて、わたしを知っている人が、今のわたしにつながるものとして、それぞれに持っているものなのかもしれません。そして、仮にわたしから、「わたしの」過去を聞いたとすると、それぞれの持つ「過去」に、「わたし」というバイアスをかけて修正する程度のものなのかもしれません。
とすると…。
そうか…。過去って変わるんだ。
崩れゆく境界線(笑)
朝、校門で立番をしていると、えらい重々しい車が入ってきました。放射線発射装置を装備した、あの車でした。そうか、今日は年に一度のうれし恥ずかし被曝の日か…。
てことで、列に並んでダラダラ話。
とりあえず男性陣の被曝終了。女性陣との境界線がわたしの順番です。
てことで車の中に入って準備をしていると、外からなにやら声が聞こえてきます。
係「はい、女性の方、車に入って」
教「えーと」
係「どうぞ入って」
と、いきなり呼び声が。
教「あの、いいですな?」
わ、わたしに言ってるのかな^^;;?
い「あー、まぁ、わたしのを見たければどうぞ^^;;」
教「じゃぁ」
じ、じゃぁって^^;;。入ってきたよ^^;;。
いや、向こうがイヤだろうと思っていたんですけど、案外向こうはこっちがイヤだろうって思っていたのかも。
よくわかんないですけど、境界線があっけなく崩れた日でした。
古今出版事情とメディア革命
夜はおべんきょです。自分が相対化されるとても大切な時間です。
今日の話はメディア革命が教育にもたらした変化についてです。
もちろん、「現在」が、まさにメディア革命の時期であることは言うまでもないのですが、実は近世、それも元禄前後もまたメディア革命の時期であったと。で、それは「写本」の時代から「木版」の時代という変化であったと。
ということで、メディア革命がどのような変化をもたらしたかということを、みんなで読んでいる文献では近世について書いてあるわけですが、あえて「現在」の視点で考えてみようという論議が、今日のおべんきょだった気がします。
で、いろんな人の考えを聞き、考え、発言したこと。
- 聞くこと、話すこと、読むこと、書くこと。連続しているようで、その習熟って、実は不連続なのかな。
- メディア革命の時代の教育機関の果たす本質的な役割は情報管理なのかも
- 現在のメディアって、ソースとしてのメディアとツールとしてのメディアがグチャグチャになっているのかな。あ、Lisp(笑)!
- 「伝える」って、もしかしたら伝えたい内容すべては伝わらなくて、結局は「何かを削る」ってことなのかな(サンプリング定理?)。
- 扱えるデータ量が増えれば増えるほど削っていることにマヒしてくる。なんとなく、すべて伝わっている気になってしまう(カセットテープは音が悪いから情報を削っていることを実感するけど、mp3って、なまじ音がいいから削っていることに無自覚みたいな)。
- 結局、「そこで人と人とが会って伝える」ことが、一番正確に近い形で伝えることになるのかな。
そんな「現在」の感覚を持って、メディア革命の起こった近世の状況を想像し、そこで益軒の果たした役割って何だったのかということが、たぶん次のテーマになりそうです。きっと、当時の最先端を走った人々に、驚きと尊敬の念を持ちながら過ごす日々になるかな。
と同時に、「現在」に優位があるとすれば、おべんきょに疲れた身体と頭を、ビールが癒してくれることかなとか思ったり^^;;。
クールダウンの先
7時半に寝たおかげで、朝はそんなに悪い体調ではありません。まぁ、少し睡いくらいですか。いつもの朝がやって来ました。
にしても、テンションの高さがほんの少し残りながらも、緩やかに日常に向かいつつあります。こんな時、いろいろ考えてしまいます。いや、ずっと考え、違和感を持ち続けてきたことを反芻してしまうというほうが正確でしょうか。
一昨日〜昨日もそうですが、一体何がどうなってるんだろうということです。
わたしは、京都の南部にある小さな町で働く、単なる一高校教員です。なのに、通常教員をしていたのでは決して出会うことがないであろう人たちと、なぜか会ってしまう。一緒に飲んで、いっぱい話をしてしまう。人によっては
「会えてよかった」
と、過分な声をかけてもらえる。
「あなたの近くの学校にいる教員と、わたしはさほど変わらない」
と、いつも思っています。なぜなら、それぞれの人は、それぞれのライフヒストリーの主人公として生きていて、もしかしたらそのライフヒストリーはとても退屈なものです。そして、そこにさほどの差はないと、わたしは考えているからです。例え波瀾万丈に見えるライフヒストリーであっても、平凡な日常はある。そのことを見逃してはならないと思っています。
でも、外から見るとき、つい、ある区切られた「波瀾万丈」に、気をとられてしまう。そして、そういう評価をまわりからされてしまう。一番こわいのは、その評価に自分がからめとられることです。そのことによって、自分のすべてを「波瀾万丈」と勘違いしてしまい、平凡な日常を軽視してしまう。
そして、そのクレバスはいつも足元にあります。
とても大きな「しでかし」をしてしまい、そしてそれがたくさんの友だちの支えでこなせた時、そのクレバスは静かに蒼くその口を開いています。
今日はそんなことを意識し、また、意識しなきゃならない日です。
でも、こんなことを書いてくださる方がおられる。ついうれしくて、そのリンクをここに貼ってしまう。
うーん、ダメですね。
クールダウン
朝起きると7時半です。みなさん爆睡です。そりゃそうです。昨日の夜、ふと目が覚めた4時半頃には宴たけなわでしたから。
で、わたしはのそのそ起き出して、冷蔵庫をゴソゴソ。ありました。チュー○イ。プシュッとやって、チヂミ焼き開始です。タネが残っているのでもったいないです。
焼き終わったら続いて昨日のひっかり雑炊に小麦粉と卵を追加して、おやき風に焼きます。んー、ついでにバターもトッピングしてみましょう。
写真をK野さんに送ったら
「ひっかり雑炊への冒涜だ!」
という抗議のメールが返ってきました。まぁね…。
そうこうするうちに、鈴木さん、蓮池さん、パートナーさんが起きて来られて、しばし朝ごはんをモグモグ。変わり種パンがおいしいです。
で、せっかくなのでお散歩に行きました。わたしを入れて四人。適性人数ですね。まずは南コース、そして北コース。その中ほどで雨が降ってきた&鈴木さんが東京でリハとかで、お散歩中断。またの機会があれば、続きをやりましょう。
で、おたふくへ。
おたふくは満員ですが、そこはそれ、雨が降ってもオープンテラスです。完全な迷惑もんです。ごめんなさいごめんなさい。
でも、鈴木さんもパートナーさんも「おいしい!」と食べてくださったのでよかったよかったo(^^)o
なんだかんだで終わったのは6時半というところですか。みんなもうヘトヘトです。三々五々、家路についたのですが…。うち一人、K田さんは「いつになったら家に帰れるんだろう状態」だったとか^^;;。
わたしはというと、お風呂に入って、晩ごはん前に
「ちょっと横になるね」
で、そのままバタンキューでした。
長い長い二日間が終わりました。すごい「しでかし」でした。日常にもどるのに、少しかかりそうですね。
大宴会!
センターに到着したら、すでに切ったはったが佳境です。わたしも遅ればせながらみなさんのテンションにあわせるべく、まずはビールで燃料補給。で、チヂミづくりだの、サムギョプサルづくりだの。その間、続々と出演者、スタッフの方々が来られます。これはえらいこってす^^;;。
とにかく、みんなフル稼働でごはんをつくり続け、ビールを飲み続け、11時くらいにようやく一息。
さて、ゆっくり日本酒を飲みましょう。なんしか、ビールでジャグジーができるほど差し入れがあるし、日本酒・焼酎もたっぷりあります。
なーんて考えていましたが、そんなん、もつはずもなく、午前一時くらいにダウン。みんな楽しそうにしゃべってるなぁ(T_T)。
アフターイベント
まずは、Divaさん登場。さっきのリハでは「まだ声が寝てる」って言っておられましたけど、なるほど納得。すごいパワーです。シリコンブギが炸裂してます。さすがプロです。
続いて、鈴木重子さんとバディタイムのセッションです。やっぱ、生はいい。でもそれだけじゃないですね。なんだろ。歌詞がいいんですよ。心の中の少し疲れた部分が、道端の石ころに座って休憩する感じ?
で、楽しみにしていた重子さんの「アメイジング・グレイス」。ア・カペラはいい!
てなことしてると出番です。さて、どうしたものか^^;;。やっぱり、なーんも考えてません。ま、しゃーないので、いつもの通りの出たとこしょーぶです。
それでも、野口さんやDivaさん、重子さんが話を振ってくださったおかげで、なんとか話をすることができました。
てことで、30分ばっかのトーク終了。
あとはロビーでお友だちたちや、聞いてくださった方がたとしばし話。
さて、東九条に向かわなきゃ!
BENT
で、芝居の開始。
わたし、けっして芝居が嫌いなわけではありません。いや、どちらかというと好きな方じゃないかとすら思っています。かつて労演に入っていたこともあったし、近鉄劇場に行ったこともあるし、アートスペース無門館。に行ったこともあるし。でも、最近なかなか見に行かないのは、もちろん時間の問題と、もうひとつは体力の問題かなと思います。ドラマにしても、映画にしても、芝居にしても、それなりの時間、ある世界に入り込むってすごく体力がいるように思います。
でも、今回はそういうわけにはいきません。気合を入れて座席に座って…。
はじまりました。
やはり芝居はいいですね。特に素舞台はいいです。蓮池さん、普段の顔と全然違います。当たり前なんだけど、それが役者ってもんなんでしょうね。
うーん。
わたしはゲイの人たちのライフスタイルは、実はよくわかりません。ま、当たり前なんですけどね。でも、話には聞くところはあるわけで、なんとなく「フムフム」という感じで見続けていました。
しかし、そういう感じが、ナチスが入ってくるあたりでガラリと変わっていきます。
やがて第一幕が終了。言葉が出ません。出そうと思っても出ないんです。とりあえず
「泣いちゃいました」
のひとことでごまかしながら、お腹が減ったので、楽屋に行ってドーナツなんぞぱくついて、第二幕。
もう、のっけからキツイ話なんですけど、けっして「暗い」わけではありません。でも、重さはズシンズシンとボディブローのように効いてくるわけで。
で、エンディング。てか、それがエンディング?ダメですよ。なんなんですか、この涙は。まったくとまりません。困ったものです^^;;。
てことで、BENT終了。