かつて、年に何回講演を聞いただろうという「部落史の見直し」ですが、そう言えば、ここ数年とんと講演の企画をしなくなりました。
まぁ、みんなひと通り知ってるだろうというふうに思って、あえて他の企画を優先していたのですが、最近ふと
「みんな、知らんのとちゃうん?」
という気がしてきました。というのは、担当者はくるくる変わっていて、部落史の講演をやまのようにやっていたころの人はほとんど残ってないんじゃないかなってことに気づいたのです。
てことで、今回久々に部落史の講演を聴くことにしました。講師は本郷浩二さん。依頼内容は
「基本編でよろしく」
です^^;;。もちろん個人的にはマニアックなところを聴きたいのですが、そんなところをやられても、はじめて聴く人にとっては「は?」ってなるのは確実です。なので、今回は通史的なところで攻めてもらおうかと。
で、話を聴きながら感じたのは
「こなれてきたなぁ」
ってことでした。
なんというか…。今から10数年前、「部落史の見直し」という「黒船」がやってきた時は、現場はすごく混乱しました。でも、混乱していたのは現場だけじゃなくて、たぶん研究者も「いま、ここ」でやっていることをようやく言葉化・文字化できた時代だったんじゃないかなと思います。だから、ひとりひとりの講演がそれぞれ微妙に違うし、なにより講演がとんがってました。それが、今回話を聞いていると、あの頃の「とんがり」がなくなっている気がしました。そういう意味では、ようやく例えば素人であるわたしたちでも教材化できるところまできたのかなという気がしたんです。
もうひとつ感じたことは、「プラスαとしての提言」ができるところまで来たんだなってことです。
たぶん10数年前も提言はあったんだと思います。でも、それはまだ個人としての思いみたいなところであったり、そういう言い方をせざるを得ないさまざまな時代状況のしばり*1なんかの中で「提言」として、わたしたちのところまで届いてこなかった。それが今回、はっきりと部落史を学ぶ意味みたいなところまで届く内容だったんですね。それが印象的でした。
たぶん、次のステップとして「部落差別の成立の歴史」から「多様なとりくみの歴史(紹介)」を聞かなきゃならないのかなと思います。これこそが大切だし、でも「時代」という流れに溺れそうになりながら、あるいはその流れにうまく乗りながら、でも「部落解放」を志向してきた歴史、あるいはそこから脇道にそれた人もきっといるわけで、そんな歴史も含めて、そこから学ぶものはハンパないんだろうと思います。
なんか、ワクワクしてきました。もう一回本郷さんにお願いしたいな…。
*1:大人の事情ともいう