いろんな文章を読んでいると、たまに
「それはあまりにもプラグマティックじゃないか」
みたいな批判めいたことが書いてあることがあります。でも、プラグマティズムについてきちんと勉強していなくて、いままで
「んー、わからん(笑)」
と読み飛ばしていました。
それが、ここにきて、いきなり月曜日も木曜日もプラグマティズムで、まぁ、ちょうどいい機会だなと。
にしても「教えてもらう」って、楽ですねぇ。言葉がシャワーのように降ってきて、それをできるだけこぼさないように受けとめるだけで「知」が手に入る。
今日もまさにそんな感じでした。やめられんな、こりゃ(笑)。
で、1時間ちょいの話を聞いて感じたことは、
「プラグマティズムって、ご都合主義じゃん(笑)」
ってこと。と、同時に
「あたしゃ、プラグマティックなやり方してるなぁ」
ってこと。考えてみると、いつも「理想的な解」ではなく「現実的な解」を求めているし、石橋はとりあえず渡ってみないとわからへんと考えているし。いつも
「なんでこんなやり方してるんやろ」
と、いつも考えていたんですが、
「これが、あの昔批判的に書かれていたプラグマティック*1ってやつか!」
とわかった瞬間、すごくクリアになりました。
でも、たぶんわたしはこんなやり方を続けるんでしょうね。なぜなら、今、現実に生きているやところからしか、わたしは出発できないからです。
*1:「「チック」じゃない、「ティック」だ」っつっても、わけわからんわな(笑)
> 「それはあまりにもプラグマティックじゃないか」
それ、私の周囲では昔「改良主義」とも呼ばれていたような。
> たぶんわたしはこんなやり方を続けるんでしょうね
それで正しい気がします。 …そういや私も昔(と言っても学生時代)、なんどか「この改良主義者めっ!」と批判された記憶が…
(゜ペ)ウーン
でもねぇ。
原理原則に立ってみせるのは、そりゃラクですよね。自己完結だけ考えていれば、現実との調整をほとんどしなくて良いし。口先だけで団結を求めておけば、実現しなけりゃ他人のせいに出来るし。
でも、正義や理想っていうのは人の数だけあるワケで。なので、原理原則に立つことに熱中し過ぎると、どうしても対立が生まれ分裂しバラバラになり、雲散霧消してしまい、結局無力。
今日(25日)の朝日新聞朝刊にいつきさんの映画の記事が掲載されていました。なんか嬉しかったなぁ…。
ところで、伊同教研究大会の分科会報告はお手元にとどきましたか?
必死のパッチ!(古っ)で書きましたよォ。
> 樹村さん
そうなんですよねぇ。せめて、「最小公倍数」の運動って、できないのかなぁ…。
> はねきゅうさん
アップしました。
分科会報告、ニュースレターですか?
分科会報告は冊子になったものなんです。伊同教の事務局の人に郵送してもらうようにしますね。
ありがとうございますm(_ _)m