「問い」の構造分析

今日のおべんきょのネタはハイデッガー。にしても、「ハイデッガー」と聞くと「どんなバスや?」と思ってしまうわたしは、根本的にダメですね。

で、話の方はタイトルにもあるように、「問い」の構造分析をされたのですが、すごいおもしろかった。
話の中身そのものは、考えようによっては言葉は難しいけど、日々の教室でのやりとりを考えるとなんとなくわかる感じなんですよね。
例えば、ひとつの問題を生徒に提示するとき、表面上は「個別の問題」を問うているわけなんだけど、その問題を通して、もう少し包括的というか、まぁ簡単にザックリ言うと「数学の学力」を問うているわけです。でも、そんなザックリした話ではなんの意味もないわけで、実際には、その問を通して必要とされる「概念(操作)」みたいなところができるかどうかを試しているわけです。できればokだし、できなければ、別の問を発することでそれを身につけられるように試してみる。
でも、そのやりかたというか、「意図の持ちよう」みたいなのは、もちろん担当者ごとにおそらくはぜんぜん違います。*1ですから、出てくる答えは数学の場合は同じですが、その評価という解釈というか、そういうものは、担当者ごとに変わります。

大切なのは、こんなことを漠然と感じるのではなく、分析をして意識化するというところにあるんじゃないかと思います。そうすることによって、「意図」が、より意識化→吟味できる。
そんなことを感じた70分間でした。

*1:というか、人によっては、そういう「意図」を意識せずに問を発している人もいるかもされません。