で、こちらがメイン

まぁ「一緒にまわりましょう」といった時点で、すでにここまで想定しているわけでして^^;;。
ふたりで行ったのが、なぜか「たつみ」です。
「明日の朝、早いから」
ということでさっくりと呑むことにしましょう。
ここで、宮前さんとハンセン病との出会いのこととか、わたしのものの考えの根元的なところとか、いろいろ話。そうそう、セクシュアリティについてもいろいろ話をしたかなぁ。
セクシュアリティという断面で話をすると、その人の新たな姿が浮かびあがってきて、すごくおもしろい。そんなことを感じながら、8時頃に呑み終了。
で、思わず
天一行きましょう!」
ということになったのですが、残念ながら思っていた天一が休み。てことで、しかたないので「みよし」で長浜ラーメンでも食べることにしますか。
しかし、こんな生活、あかんがな…。

京都に残るハンセン病の跡

その後、宮前千雅子さんの案内で京都に残るハンセン病の跡をたどるフィールドワークです。なんと豪華なことに、マンツーマンですよ。
まず行ったのは「長仙院」です。
ここにはかつて京都にあった「物吉村」のお寺にあった仏像なんかが移されています。そのことを示す「北御門院長棟堂 清圓寺」という札があります。仏像は真っ黒です。宮前さんは
ハンセン病の人たちが一生懸命護摩を焚きながら祈っていたんでしょうね」
と言葉を添えられました。
次に行ったのは松原通。ここ、かつての五条通とか。そういえば、そのままずっと行くと清水坂に行きますからねぇ。
ここの川沿いあたりが、かつての物吉村です。いまでこそ宮川町なんかがあってにぎわっていますが、かつては「野辺」だったところです。この一角に、「清圓寺」があったことを祀る小さな祠があります。

中にはちゃんとおいなりさんもおられます。
この一帯、「弓矢町」とか「轆轤町」という地名です。まさに、「つるめそ」であり「木地師」です。
わたしは、いわゆる「皮多系」についてはちょっとは勉強しましたが、「非人系」の歴史についてはほとんど知りません。というよりも、おそらくは研究段階なんでしょうね。それだけに、非常に興味深く感じました。