怒濤の2日間(その5)・「関パレ」ではなく「完バレ」で

で、終了後、あわてて駅まで送ってもらって電車に飛び乗って、到着したのは新大阪。今日は「トランスジェンダー生徒交流会」です。
ふだんは11時にはじめる関係で、10時ぐらいから準備を開始しているのですが、今日はとうてい間にあわないので、M木ちゃんとかYちゃんとかにそのあたりをお願いしてあります。さらにこちらの交流会にはたくさんの大人がかかわっていますから、まぁそんなに心配はいりません。
到着したら、すでにみんな本日のメニューのそうめんをすすっているところでした。で、わたしはとりあえずビール。ゴクゴクゴクっと呑んで、ようやく一息です。
おなかがかなり減っているので、そうめんをツルツルッとやったら、あっという間におなかが一杯。いったいどうなっているんだろう。
で、人心地ついたところでようやく自己紹介。今回ははじめて来られた人も何人かおられました。特にある参加者は鬱状態でありながらの参加みたいで、自己紹介の時はかなりしんどそうでした。まぁあんまり無理をさせないでおきましょう。
一通り順番がまわったところで、あとはふたたび「ご歓談」です。と、初参加の人、みんなの話の輪の中に入っています。と、笑顔が出てきました。
うん、あの笑顔を見られただけで、
「今回やった意味があったよ」
と思いました。
もちろん人数を集めることも大切です。でもそれだけでは「集まる意味」の半分でしかないとも思います。はじめて参加した人が笑顔で帰ってくれるかどうか。何度も参加してくれている人が、ほんの少しでいいから変化をしているかどうか。そんなことを確認する場でありたいなぁと、わたしは思っています。

そうそう、今回は「関西レインボーパレード」の人が何人か来てくださっていました。
わたしはねぇ…。意義は十分に認めます。でも、個人として参加をするかどうかとなると…。まぁ行きたい気持ちもないわけではないのですが、「万難を排して行くかどうか」となると、いささか微妙なものがあります。
もちろん
「こんなにたくさんのLGBTが存在している」
ということを、「当事者ではない人」に伝えるだけではなく、「当事者」にも伝えてそこで元気をもらう。あるいは、クローゼットの人が年に1回自分を出せる場所。そのことの意義はよくわかります。
でも、「完バレ」のわたしのキャッチフレーズは「24時間一人パレード」です。365日ずっと自分の生活の現場でプラカードを持って歩き続けているわたしにとって、もしもパレードの一日がプラカードを降ろして休める日であるなら、どちらかというと「休み」を選択したい。まぁそういう感じなんですよね。もっとも主催者からすると、
「おまえが休むのは勝手にしたらいいから、わざわざそんなことを言うな」
ということでしょうね^^;;。

怒濤の2日間(その4)・

朝5時に起きる参加者がいます。そ〜と、帰って行かれました。それだけ無理をしてまで来てくれているということです。朝6時に目覚ましをかける参加者がいます。でも動く気配がありません。てことは、目覚ましのセットしてるの、わすれているだけですね。やれやれ…。で、わたしは7時に起き出してシャワーを浴びてスタートです。あとはK淵さんたちにまかせます。まぁ卒業生だからなんとかなるでしょう。
で、京都駅から再び大阪府南部へ。それにしても、昨日堺市にいたんだから、そのまま泊まれば楽なのに、なにが悲しくていったん京都にもどるんだ?まぁ、完全な日程調整のミスですね。
で、到着したのは「南花台公民館」です。
なんでも、東京のある団体に講演依頼をしたら、京都の人が紹介されたらしいです。でも、せっかく京都の人間に声をかけてもらったんですから、東京の人とはひと味違う話をしたいものです(笑)。
お客さんは主として地元のちょっと年齢層が上の方々です。でも、あえて来られているわけですから、皆さん積極的です。はじめは
「ふ〜ん」
という感じだった人も、なんか最後の方は目が笑っていましたから、成功としましょうか。
終わってからも何人かの人に声をかけていただいて、気持ちが通じたんだなぁと感じました。

そうそう、終わってからの会話の中で
「科学的に考えるか否か」
みたいな話が出てきまして。
う〜ん、おそらくは科学的に考えなくちゃならないんでしょうけど、それは簡単にすぱっと切りわけるためのものじゃなくて、直感に頼らないというための「科学的」なんだろうなと思います。
まぁなんのことかわからないな。

怒濤の2日間(その3)・才能が開花か?

生徒たちの交流会が終わったら、続いて卒業生の交流会です。
とりあえず生徒交流会の台所の片づけが終わったところで、いったん「〆」です。ここからは卒業生の会。
まずは卒業生の会用の買い出しです。
実は
「料理人になりたい」
というYさん。さっそくAさんと一緒に買い出しに行ってくれます。すごく頼もしいです。その間、わたしはチューハイを飲んで、参加者から
「またや」
と笑われながらダラダラします(笑)。
今回は渡日間もない中国人の子が来るという情報が入っていたので、中国人の卒業生に動員をかけていました。いや、元来動員は嫌いなのですが、「どうしても必要な時」はやっぱり
「来てくれ!」
とメールをします。
卒業生たちもそこのところはよくわかっているので、
「来てくれ!」
のメールは、わたしのヘルプだと思い、万難を排して来てくれます。ほんとうにうれしい。
今回は結局その子は来なかったのですが、まぁ卒業生の会でのんびりするのも卒業生たちにとっては大切な時間だと思います。いつもはマダンセンターの和室が人で埋めつくされるのですが、今回はいつもより少なめです。どうやらあまり連絡がうまくまわらなかったみたいです。
「連絡方法、考えないとあかんなぁ」
とだべりながら、Yさんのつくってくれた「豚バラと白菜のミルフィーユ」をつつきます。これ、マジでうまい。ミルフィーユですから、かなり手がかかるのですが、これをていねいにやっているからこの味が出るんでしょうね。もしかしたら、Yさん、かなりやるぞ…。次回の玖伊屋でつくろうかな。
てな感じで、ボチボチやっているうちに、それでもボチボチ人が集まってきます。まぁこんな感じもいいかもしれません。人数がすべてじゃないってことで^^;;

怒濤の2日間(その2)・民族文化の継承か?

とりあえずお座敷が終わったら、少し雑談をして、速攻会場をあとにします。
電車に飛び乗って、京都に逆戻り。で、1時間半後に到着したのはマダンセンター。今日は「京都・在日外国人生徒交流会」です。
元来開始が11時なので、今日はK淵さんに早めに行ってもらうように頼んでいました。今日はこの間の事前合宿に参加した二人が来るのがわかっていたので、ある意味安心です。
会場に着くと、この間いろいろサポートしてくれているAちゃんも来てくれていました。台所はすでに戦場になっています。なんでもフィリピン系の揚げ春巻きをつくるとか。和室では在日コリアンのYさんがひたすらチヂミを焼いています。
Y「実はチヂミをつくるのはじめてなんです」
い「へ〜」
Y「家に電話して粉の調合教えてもらったんです」
い「ほ〜」
Y「一口食べてみてください」
食べてみると、外カリ中フワです。すごい!とてもではありませんが、はじめてつくったとは思えません。
Y「うち、ふだんニラと豚バラでつくるんで、それでやってみました。あと、卵がたっぷり入っているのでふわふわなんだと思います」
味はわかっているわけです。あとはそれをどうすれば実現できるかなんですね。一枚一枚、焼くたびにだんだんおいしくなってきます。これはすごいです。
そう言えば、フィリピン人の子も前回も今回も料理のつくりかたを家に電話して聞いていたな。
もしかしたら、「食べてもらう」というモチベーションの中で、やっぱりおいしくしたいし、そうするためには「家に聞く」のが一番確実になるのかもしれません。で、はじめてつくったものが
「おいしい」
と食べてもらえると、ますますモチベーションが高くなります。
もしかしたら、当事者自身が自分のエスニシティと肯定的に向きあうきっかけとして、「食」はあるのかもしれませんね*1

3Fという言葉がありまして。「Food,Fashion,Festival」の略で、わたしたちのギョーカイでは
「んなことばっかりやっていてもアカンで」
の表現方法として使われます。
でも、ここで力点が置かれているのは
「ばっかり」
なんですよね。3Fはあくまでもきっかけ。そこからどう話を深めていくのかが、実は大切なわけなんだと、あらためて思いました。

*1:もっとも、「キムチ嫌いな朝鮮人」も山のようにいますから、必ずしもそうは言えないのはわかったうえでの話ですが…

怒濤の2日間(その1)・「ええ加減」なお座敷

で、朝、お座敷です。
いつものつかみもできないし、さてさてどうしたものでしょう。まぁ、「1時間15分で」と言われていたので、ショートバージョンで流していきましょう。
と思って話しはじめたのですが、なにせ聞いておられる方が「その筋」の人たちなので、話への食いつき方が半端ないです。てことは、当然話をする側としてもコッテリになりはじめるわけで…。気がつくとあっという間に1時間ほど過ぎています。でもまだ半分も行っていません。
「どうしよう」
と思ったところで司会の人が紙を持ってこられます。これは
「あと15分だぞ!」
という紙だろうなと思ったら、
「30分延長OK!」
という紙でした。なんちゅう…(笑)。延長可能な時間としては、今までで最長です。
もともとがショートバージョンだったおかげもあって、もしかしたら普段よりも深いところまで話ができたかもしれません。
「このパターンもありかな」
と思った瞬間でした。

でも、あとが詰まってきたな…。

なぜか堺市へ

仕事が終わったら、とりあえず同僚に駅まで送ってもらって電車に飛び乗りました。で、目指すは堺市
今晩からあしたにかけて、「部落解放共闘女性会議」というのがあり、明日の朝ちょこっと話をしなくちゃならないことになっています。
会場に到着したら、いろんなつてで知っている人が数名。中でも当然といえば当然なんですが、S谷さんもおられます。
「この人らの前でしゃべるのかい」
と、少々緊張気味です。
ちなみに、S谷さん、開口一番
「あんたのためにサイボシ持って来たったでぇ!」
もう、あまりにもうれしすぎです!
とりあえず、今晩は懇親会だけなので、そのあたりは気が楽です。でも、いろいろ「ばれて」しまうから、あしたがしゃべりにくいなぁ。
で、懇親会。
一通りごはんを食べたところで、参加者の皆さんがひとりひとり「しっかりとした」自己紹介をされます。その内容がまたすごい。みなさん、それぞれの現場でかなり激しく運動をされていることがよくわかります。きっとあしたのお座敷、ガッツリとした感じになるんだろうなぁと、うれしい予感がします。
20時頃に懇親会が終わったところで、ちょっと隙間をあけて2次会開始です。
なんだかんだとしゃべりながら、結局12時頃までのんびりとした時間を過ごしました。

しかしあしたからがたいへんだ…。

生徒との会話

授業中、放心状態になっている生徒が今した。思わず
い「起きてる?」
と、生徒。
生「起きてるよ」
い「そうかぁ。起きているように見えないんだよね」
生「うん、よく言われる」
い「いいかい。聖書の中に「いつも目を覚ましていなさい」って書いてあるんだ」
生「…」
い「それからね、「すべてに時がある」とも書いてあるんだ」
生「…」
い「つまりね。その「時」が来たことを感じるためには、いつも心の目を覚ましていないといけないということなんだよ」
生「…」
い「わかるかな?」
生「なにを言ってるのか、ぜんぜんわからへん…」
まぁそうやろうな(笑)。

やってみた

5時間目の1年生の授業。
どうしようかと思ったけど「非現実的な夢想者として」を生徒たちに配って読ませてみました。
はたして読むだろうかと思ったけど、半分以上の子が一生懸命読んでいました。
で、子どもたちが読んでいる間に独り言のように黒板に書いたわたしのメモ。

我々は被害者であるとともに加害者である。
→「なぜ「加害者」なの?なにもしてないのに…」
→「なにもしていない」ってどういうこと?
→「我々」って誰?「みんな?」「国民?」「民族?」「日本人?」
→わたし(たち)の言う「我々」と、村上春樹の言う「我々」は同じ?

みたいな*1
まぁわかろうがわかるまいがいいんです。でも、どこかでふと思いだしてくれたらなぁ。

あ、もちろん授業もしましたよ(とアリバイづくり)。

*1:全部は覚えていないんですよね

とうとうダウン

朝、とりあえず起きてみたけど、ダメです。出勤時間の7時頃になっても、動こうという気が起きません。
う〜ん、今日の授業は…。
決めました。朝、休みをとりましょう。
パートナーにアロマオイルをちょこっと塗ってもらったりして、しばし休憩。
1時間もしたところでようやく復活です。さて、行きますか…。

ちょっと一杯のつもりが

今、新たなことにチャレンジをしようとしているのですが、そのための資料をK淵さんがくれるとか。
てことで、ちょいと近場で会うことにしました。
はじめに行こうと思っていた店は定休日。結局たまに行くごく近所の飲み屋へ。
まずはビールで乾杯をして、そこからいろいろと情報収集をしたり、アドバイスを受けたり、問題意識を話しあったり。楽しいのは楽しいのですが、やっぱり近場はいかんです。なにせ、終電を気にする必要がありません。6時に店に入って、気がついたら閉店時間が近いじゃないですか。てことは、6時間ほど呑んでいる?
あまりのヤバさに気がついたので、とりあえず帰ることにしました。が、メチャ安い。そりゃそうです。呑んでばかりで全然食べていません。
これはあしたがこわいです。