バスの中で、軽くセルフ乾杯。と、同僚から
「駅の近くで呑んでいます」
と連絡あり。で、駅に着いたら合流。なんか、気がついたら20代の若者7人と呑んでいました(笑)
ふだん呑んでるパターンとはちがって、テンションが高い。あるメンバーがはしゃいでいたら、店の人から
「もう少し静かに」
と怒られてました。でもまぁ、そんなのもたまにはいいです。だって、この同僚たちと日々の仕事をしてるんですからね。
日: 2011年7月4日
で、ここからが本番
で、中学について、まずは給食をいただきました。メニューは夏野菜カレー。お味は…。まぁヘルシーですわ(笑)。
で、体育館へ。わたしにしては珍しくプレゼンテーションソフトを使います。いや、400人相手にすると、ホワイトボードではきついんですよね。
で、お座敷開始。
みんな暑いのに体育館に座ってくれて、ほんとうにしんどいやろなぁ。と、元気のいいぼーいずが後ろから入ってきました。えらい騒いでいます。横の扉のあたりにも元気のいいがーるずがなんとなくたむろっています。
先生方、なんか気が気じゃないみたいです。その感覚、わかります。でも、あの子ら、聞かないつもりだったら、おそらく入ってきません。聞こうと思っているからわざわざ入ってくるんでしょうね。でも、おとなしく聞くことはプライドが許さない。まぁそんなプライド邪魔なだけなんだけど、そこは厨房というものです。なんだかんだと言いながら、結局最後まで体育館に居続けてくれました。そうそう、圧倒的多数の400人ぐらいの子どもたちも、暑さに耐えながらも、けっこうまっすぐな目をして聞いてくれていました。
事前に
「聞けるかなぁ」
と言われていたのですが、なんか心地よかったです。もっとも、1時間を越したあたりでみんな限界だったみたいですけどね^^;;*1。
終わってから校長さんが
「校長室へどうぞ」
と言ってくださったんですが、扉付近のがーるずにつかまって、しばし話。でも、こういう時間が実は大切なんですよね。その横を体育館から出てくる生徒たちがいっぱい通ります。みんななんだかんだと声をかけてくれます。やっぱり優しいなぁ。
で、しばし校長さんと話。なんでもかつて奈良の中学校で教員をしておられたみたいで、「やんちゃくれ対応」みたいな話で盛りあがりました。
その後保健室へ移動。もちろんがーるず&ぼーいずの根城です。なんだかんだと興味本位な質問が来るのですが、それは適当に流します。やがて、ぼーいずはお互いにじゃれあって走りまわります。それを横目で見ながら、わたしはがーるずと一緒に、なぜかテーブルの上にあるジグソーパズルをしています。
い「おとこってしょうがないなぁ」
が「おんなが大人なだけなんちゃう?」
い「うん、おんなはいろいろあるから」
みたいな会話をしみじみします。あとで聞いたらこの子、家庭環境がすごく大変らしくて、ほんとうに「いろいろある」とか。ふだんはほとんど学校に来ていないけど、今日は話を聞くために学校に来てくれたとか。ほんとうにうれしいです。
他にも、金髪だけど妙になつこい笑顔の子が、保健室を出たり入ったり。たぶん言いたいこと、伝えたいことがあるんだろうけど、言えないんだろうなぁ。でも、その態度で十分「言いたい」という思いは伝わってきますよ。
やっぱりお座敷のあと、学校に残って保健室に来てよかった。
でも、そろそろ学校を出ないと帰りのバスに間にあいません。みんなと握手して玄関を出たら、野球部の子どもたちが拍手で見送ってくれました。さらに校門の外には金髪の子がいます。たぶんさりげなく見送ろうとしてくれていたのかな。もう、感激です。
でも、みんな混乱しているやろうなぁ(笑)。
*1:いちおう約束は70分だったんですけどね
納得!
朝、ふと目が覚めると、やっぱり6時前。教はかなり寝坊ができるはずなのに、やっぱり早起きしてしまいます。まぁいいや。mkv→mpgの変換を走らせてしまいましょう。
しばらくテレビを見て、朝ご飯→お風呂。
で、昼前にホテルをチェックアウト。向かうはT中学校です。今日はここの2・3年生を相手にお座敷です。でも、せっかくなんで、津山市内をほんの少しだけ散策。
きっとこの町、かつては栄えていたんだろうなぁ。いまの価値観で言うなら「こんな山の中」だけど、吉井川があって、高瀬舟があって、おそらくは交通の要衝だったんだろうと思います。それが人の動線が変わることで、こんなになってしまうんだと思いました。さらにそれに追い打ちをかけているのが、大型小売店舗ですね。かつては活気があったであろう商店街も、ぜんぜん人がいません。でも、道を歩いていると、ちょっと気の利いた感じのお店がポツポツとあります。そのあたりがおもしろいなぁと。
で、バスセンターへ。バスに乗って会場近くまで。そこからH瀬さんの車に乗せてもらって、ちょっとだけ近所を散策。もちろん「ムラ巡り」です^^;;。
わたしたちのギョーカイでは
「岡山→渋染一揆」「美作→解放令反対一揆」
と反射的に出てくるものでして。ただ、「部落史の見直し」の中で、これらは従来のように
「差別されて差別されて、それでもなおかつ→思いあまって一揆」
みたいな構図じゃなくて、もう少していねいに史料を掘り起こしながら考える必要があるということが言われています。特に「解放令反対一揆」については、従来とはまったく違うことが言われています。こんな感じ。
江戸時代、岡山県中部では経済状態は百姓*1<<<被差別民であった。しかし、別々のヒエラルキーの中にいたから、百姓にとって被差別民は「違う人」でしかなかった。ところが、解放令が出たことにより、両者が同じヒエラルキーの中に組み込まれてしまった。すると、経済的に百姓は下位に置かれることになる。そのことへの反発が「解放令反対一揆」という行動に駆り立てた。
つまり、従来言われていたように、被差別民が経済的に下位であれば、あえて解放令反対一揆を起こす必然性がなかったのではないかということです。
こんなことを考えながらムラを見せてもらうと…。
驚きました。
確かに道は狭いけど、あたりには昔からの大きな家がガンガン建っています。家には蔵があります。とにかく一軒一軒のつくりがゴツイ。都市部落では考えられない風景です。どう考えても、経済力があったとしか考えられません。先ほどの「解放令反対一揆」の説を裏づける感じです。いや、すんごい勉強になりました。
*1:≠農民