今日は下の子どもの小学校最後の授業参観。行かない手はないです。
てことで、行ってきました。
しかも、授業内容は「エイズ学習」。もう、wktkですよ(笑)。
まぁ流れとしては、
「基礎知識」→「ジョナサンくんの話」
という、それだけの展開です。
でも、45分の中で何をどう伝えるか、ずいぶんと悩まれたんでしょうねぇ。いや、わたしも15年ぐらい前に、はじめてエイズ学習にとりくんだ時、同じ流れでしたから。
でもねぇ…。子どもたちの感想を聞いていて、「なんだかなぁ」という気になりました。担任さんには悪いけど…。
子どもたちの感想は
「エイズは怖い。ジョナサンえらい」
なんですね。はたしてこんな感想を求めていたのかな?きっと違うはずなんですよね。たぶん…。
知識っていったいなんのために学ぶんだろうと思いました。
当事者にとっては、まさに自分が何であるかを知り、生き延びるために必要不可欠なものだと思います。
では、非当事者にとっては?きっと、「病気にかからない」ためじゃなくて「ともに生きるため」に必要なんだと思うのです。
当事者がいくら
「日常生活ではHIVは感染しない」「だから安全なんだよ」
と言っても、まわりがそれを知らず、あるいは認めなかったらその当事者は「安全である」とはみなされない。社会において「安全」とみなすのは、本人からの訴え(申告)ではなく、まわりの受容(知識)に依拠するんじゃないかと思います。
っていうの、いずれも一緒のことだよなぁ…。