昔の名前で出ています(笑)

こういう時って、「わたし」が生まれてから出会ってきたたくさんの人々と出会う時でもあります。これがまた、ややこしい。
弟はみなさん簡単に認識されます。「久しぶり」「この度は…」「弟さんですよね。ぜんぜん変わらないわね」などなど、懐かしむように声をかけておられます。続いて「お兄さんは?」。
すると、弟は「あそこに」。
「へ?いや、お兄さんのお嫁さんと違てお兄さん」
「あそこ」
「いや、あなたのお嫁さんと違てお兄さん」
「だから、あそこ」
「へ?いや〜、えらい変わらはって、ぜんぜんわからんかったわ〜」
でもそこからは
「いや〜、けんちゃん、久しぶり」
と、ごく気軽に声をかけて下さいます。わたしのほうもだんだんめんどくさくなってきているので「あ、お久しぶりです。謙一郎です」と自己紹介をするようになりました。
まぁ、どのみち「連続」が大切と思っていますから、そこを否定しちゃいかんのだろうなぁと思います。
もちろん、わたしが「いつき」として生きている事を知っている人たちは、わたしのことを「いつきさん」と呼んで下さいます。
結局、「いつき」が「わたし」であると同じくらいに、「謙一郎」も「わたし」なんだろうなぁ…。

最後の日

朝、教会の中で目が覚めます。考えてみると、ほんとうに子どもの頃、教会学校のお泊まり会かなにかで泊まって以来ですね。窓の外ではウグイスがきれいな声で泣いています。空気は4月はじめ特有の「ピン」とした緊張感を持っています。すごく心地よい朝です。ちょっと寝不足気味ではあるけど(笑)。
とりあえず、宴会のあとを片づけて、午後からのお葬式ができるようにイスを並べ直してと。そうそう、棺の上に置いてあるワインも回収しなくちゃね。いったん家にもどってお風呂に入って支度をします。
昼前に再び教会に集合。父親の弟さんも来ておられます。まいったなぁ。「ずいぶんかわったなぁ」を連発されてしまいました。そりゃ変わりましたよ(笑)。
やがて、告別式。
聖書の箇所は父親の好きだった「フィリピの信徒への手紙 3章12節〜」です。

フィリピの信徒への手紙

  • 03:12

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。

  • 03:13

兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、

  • 03:14

神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

  • 03:15

だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。

  • 03:16

いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。

そういえば、たまぁに父親の説教を聞いたことがありますが、この箇所はよく使っていました。そうそう、大学の頃チャペルアワーで聞いた「冬の日を走り抜こうではないか」という説教の時も、たしかこの箇所だったよなぁ。
聖書の箇所はもう一個。「使徒言行録17章の一部」です。

  • 17:32

死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。

  • 17:33

それで、パウロはその場を立ち去った。

  • 17:34

しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

牧師さんの話の中で、父親の「仕事」がたくさん紹介されていました。その中には「ヤスクニ」「天皇制」という言葉があちこちにちりばめられています。自分がかすかには知っていたはものの、やはりそこにまで至っていなかったさまざまなことがよみがえってきます。いや、大学の頃には「興味」でかじっていたようなことなんでしょうか。でも、そのことを深く追及せずに今まで来てしまったよなぁ。
もっかい自分のスタートラインに立ち直そうかなぁ…。
話のあとの讃美歌はこれです。

讃美歌 121番「馬槽のなかに」
由木 康 1923 ”Mabune” 安部正義 1930

まぶねのなかに うぶごえあげ
木工(たくみ)の家に人となりて
貧しきうれい 生くるなやみ
つぶさになめし この人を見よ

食するひまも うちわすれて
しいたげられし ひとをたずね
友なきものの 友となりて
こころくだきし この人を見よ

すべてのものを あたえしすえ
死のほかなにも むくいられで
十字架のうえに あげられつつ
敵をゆるしし この人を見よ

この人を見よ この人にぞ
こよなき愛は あらわれたる
この人を見よ この人こそ
人となりたる 活ける神なれ

実は、ある場所に書いてあった愛唱讃美歌は別のものだったんですが、先ほどのフィリピ書とセットになって、この讃美歌をよく選んでいました。
そんなこんなで、やがて告別式も終了。最後に献花です。「親族だけで」と言われていたけど、外に行ったらわたしの「仲間」たちがなんとも言えない顔で立っています。「こいつらと一緒に献花をしたい!」という思いがこみあげてきて「入ろう!一緒に花をあげてよ。その方が喜んでくれるよ」と呼びかけました。みんな入ってくれました。
そして出棺。
斎場に行って火葬に…。
骨になった姿を見て、「なんかあっけないなぁ…」という思いがわいてきます。お骨を拾って残った姿と別れ際。小さな声で「バイバイ、またね」とつぶやいて、すべてが終わりました。
斎場からの帰り、骨壺と遺影を持って同志社の横を通って教会→実家へ。まぁ、再びいつものルートで家に帰ってきたということです。
「最後の日」は、実は「はじまりの日」でもあります。いまごろ、きっと天国で、先に逝った研究仲間と仲良く議論をしていることでしょう。