ところで、死亡届には届出人の欄があります。わたしが持っていったので、やっぱりわたしの名前になります。性別欄がないので(笑)、生年月日を西暦にする以外は書きにくいところはありません。
で、「これ」と出したのですが…。
「あの…。届出人はご長女ですか?」
\(^o^)/
「あの、戸籍上は長男です」
「あ、ごめんなさい」
「いえいえ、長女と言ってもらってうれしいです」
「あ、そうですか(笑)」
なごんでいただけたかな(笑)。
ちなみに、窓口には「印鑑登録証明申請書等から性別欄は削除しました」という張り紙があります。で、根拠として「特例法」があります。ふぅむ…。
日: 2008年4月2日
異様な人数
いや、参列して下さった方がという意味ではありません。出席して下さった方の中のセクマイ率が高いんですよね。
実に、MTFがわたしを含めて4人。ビアンが1人。これ、あくまでも「わたしが把握している」という範囲です。トランスはともかく、ビアン・ゲイの人は他にもいたんじゃないだろうか。そうそう、弔電も他にもうひとりMTFから来ていたし。
まぁ、そういう人だったということなんでしょう。それが、朝日新聞の特集「家族」に出てきた
やがていつきは数学教師になって、淳子(じゅんこ)と結婚。学校に来ない生徒たちの家に通ううち、校区内の被差別地区に住まいも移し、地域とかかわるようになった。在日外国人の子どもたちを支える活動もしていると聞いた。理論家である昭夫にはできない実践だった。改めて口には出さないが「よくやっている」と思っていた。
そのいつきが、性別を超えるトランスジェンダーとして生きていくという。ならば自分から言うことはない。遠いところへ行ってしまう寂しさはあるが、「そこを信頼し、支えるのが親だろう」と思った。
それより前、同志社大時代の教え子がレズビアンだと明らかにした。同性愛者がキリスト教団の牧師になることへの慎重論もあった中で、受け入れられ、堂々と生きていることを、昭夫は誇りに思っていた。セクシュアル・マイノリティー(性的少数者)としてのそんな生き方も、いつきを思うとき思い出した。
という記述にもつながっているんでしょうね。
あれから2日か…
今日は前夜式の日です。てことは、午前中はヒマかなぁ。ちょっと学校に行こうかなぁなどと思っていたのですが、完全に甘かったですね。
まずは、死亡届を書いて弟の家へ。単にコピー機があるからなんですけどね。その後、区役所に行って提出。かわりに火葬許可証とか斉場の使用願いなんかをもらいます。ついでに、今後必要になる書類の申請用紙をゲット。
実家に帰ったら、交代に、母親にわたしの家に行ってもらってお風呂に入ってもらうことにしました。なにせ、父親がもしもお風呂場でなくならなければ入れるだろうけど、ちょっとね…。
で、わたしは実家で待機。しばらくすると、花屋さんが来ました。って、約束の時間と違うよ。あわててわたしの家に電話して帰ってきてもらいました。
そんなこんなでバタバタしているうちに、徐々に家族が集合。教会に移動します。そうそう、わたしは軽食を買い出しに行かねば。しばらくすると、だんだんと前夜式のために各地から駆けつけていただいた方々がいらっしゃいました。
やがて、7時。前夜式の開始です。式そのものは、礼拝なんですが、途中4人の方々が自分なりの思い出を語って下さいました。そのうちのひとりの方の話の中に、とても印象的な言葉がありました。
かつて、自分の教会でイースター礼拝の時に説教をしてもらったことがありました。わたしは、歴史学者である土肥昭夫先生が、復活についてどのように語られるかにとても興味がありました。すると先生は言われました。「歴史には事実と真実がある。そして、復活はまぎれもなく真実である」と。
そして、8時半過ぎに前夜式終了。いろんな人と再会を喜びながらも、その底に流れる悲しみだけはどうしようもありません。
そして、9時過ぎ。教会に布団を運び込んで、もともとの家族4人の最後の宴会の開始です。父親の枕元にビールを持っていって、みんなで乾杯。教会の牧師さんも交えて、いろんな思い出話をします。泣いたり笑ったりの充実した時間を過ごさせてもらいました。1時を過ぎたあたりで、明日のこともあるので寝ることにしました。