今日は終日分科会です。昨日の3人+1人で今日の作戦を練りながら(笑)分科会場に移動です。あぁ、ますます同じ穴に見られてしまう(笑)。
分科会場にはいると前の方に3人で陣取ります。もう、あきらめました。
まずは、大阪のレポート。
とてもとても大きな都市型のムラでの話です。ということは、一見、施策が進んでいるように見えるけど、実は、都市における諸矛盾が集中していてとてもたいへんということです。歴史的にも長いとりくみの経過の中で「いま」があります。そして、それだけのとりくみをしているにもかかわらず、課題は解決していない。「じゃぁなんでやるねん」と思われそうですが…。たぶん、その「ムダに見える」とりくみをしていなければ、もっと厳しい状態が確実にあると思います。「なんにも変わってへん」のは、そのレベルで押しとどめているということなんですね。
ただ、大阪のとりくみって、ともすれば非常にシステマチックに見えてしまいます。なので、愛媛とは逆に「個々の教員の思いこみ」みたいなものが希薄に聞こえてしまいます。それはそれでいいとは思うんだけど、なんか物足りないです。う〜ん。
続いて、香川のレポート。
すみません。集中力が切れてしまっていましたm(_ _)m
で、ご当地石川のレポート。
中国帰国生徒へのとりくみです。なんかなつかしかった。いや、こんな書き方をしたらすごく失礼なんですが、ほんとうになつかしかったです。かつて自分がやってきたとりくみを、いまここで聞かされているみたい。だからこそ、暖かいエールを送ろうと思ったのですが…。全同教の「暖かさ」は、なかなか理解してもらえないんですよね。というか、かつてわたしもわからなかったし*1。
ここで昼ご飯。
三重からきたお友だち2人と合流して、近所のラーメン屋さんへ。実は昨日も来たんですが、ぎょうざがすごくおいしそうで、でも、1人前12個は食べられへんと思っていたので、今日はリベンジです。お店に入ると奥の方で手を振っている人がいます。大分は宇佐のM野さんでした。なんで石川のラーメン屋で大分の人と会うねん…。
てことで、午後からはそのあたりの人が群れをつくって座っています。
レポートは新潟からのもの。
新潟の状況を聞くと、ほんとうにすごいたいへんです。例えば冠婚葬祭なんかではきっちり「排除」されてしまっている。でも、理由がわからないんです。「ムラだったんだ」というのは、「ここ、ムラですか?」という問いかけがないとわからないんですよね。
おそらく、「変だ」とは思うんだけど、それだけでは自分が何者であるかはわからない。
そんな中でのとりくみです。迷いながらもていねいにていねいに話しこんでいかれます。そうやって立っていったムラの子は、「なにかしんどことがあったらかけつけるから」というレポーターに「大丈夫。わたしには仲間がいるから」と返すんですよね。いい出会いをつくっておられるなぁと思いました。
よく「その子の一生を面倒見るつもりで」とか「ずっと寄り添って」とかいう話が出ます。まぁ、気持ちはわかるし「そういう覚悟で」というのはいいんだけど、無理ですよ。だって、毎年新しい子どもと出会っていくわけで、いったい何百人の子どもと「寄り添い続ける」ねん。どちらかというと、「君とは離れるけど、後から後から出てくる君の後輩たちと、ずっとやっていく」という感じの方が、わたしにはピッタリ来ます。で、その子が「ひとりには決してならないため仲間」をつくる機会と力をどうつけていくのかということが大切なんじゃないかなぁ、と。
そう思っているわたしにとって、新潟のレポートは、まさに「ツボに入った」という感じでしたね。
でも、まぁ、あちこちから「暖かいエール」が飛んできて、レポーターの方、泣いていました*2。
で、総括討論の時間。
K口くんはミニ講演会をはじめるは、T川さんは怒りレベル5*3に到達するは。わたしもついつい自分がかかわっているいろいろな交流会のことについて語ってしまいました。ん〜、子どもを変えるのは子どもなんだみたいな感じかな。で、そういう「場」をつくることは、ハードパンチャーの教員じゃなくて、わたしみたいな「ジャブジャブ・クリンチクリンチ・離れ際にレバーに反則パンチ」みたいな教員でもできるわけで。
てなことで、最後に一悶着あったけど、分科会も終了。
今年の全同教大会も終わりました。
『よく「その子の一生…」』の件、丸々同意!
この前はお疲れ様でした。今回の全同教交流会は熱かったですね、ただ分科会はなぜかさめた気がしてるのは私だけでしょうか・・・・・・・・・
部落差別があるのにない・・・・某元県知事が部落差別はないと解放同盟の人たちに言い放ったスタンスと変わりない・・・・・・
北陸・新潟・長野関東など部落差別はないと言わんばかりなのかな・・・ととても危惧していますが・・・・
翻って私の周りにも差別はないのかといえばうそになります、まず自らの差別心と向き合うこと・・・・このこと抜きには語れないし、ここ一ヶ月だけで障害者差別にかこつけて部落差別をする、人がいますここ数ヶ月地道な返しで取り組んできたつもりですが自分がむなしくなる場面も多々あります。
本当に差別をなくすなら徹底的に糾弾しつるし上げたり、あるいは名誉毀損で差別発言した人物を刑事告発することも視野に入れています
全同教大会のアピールに異議申し立て
すると白い目でみられる、人の世の冷たさを味わいました、しかしこんなことではひるまないぞと思いをつよくした、今日この頃です今後ともよろしくお願いいたします
へへへ > のりよしさん
> おおくぼさん
「差別」をなくすためには、大きくはふたつの方法があると思っています。ひとつは「制度を変える」、もうひとつは「人を変える」。
わたしは後者に力点を置いていきたいと思っています。
人を変えるには、大きくはふたつの方法があると思っています。ひとつは「きたかぜさん」でもうひとつは「たいようさん」です。
わたしは「たいようさん」になりたいと思っています。なぜなら、「強い言葉」に共感するには、それ相応のトレーニングの経験が必要だと思うからです。そうでない人は、「強い言葉」に対しては、単純にひれ伏してしまい、次からは避けて通られるだろうと思っているのです。
べつにすべての人が「たいようさん」にならなくちゃならないとは思っていないし、それではダメだと思っていますが、逆もまたあるかと思います。
あとねぇ…。
先ほどとは逆かもしれないけど、「聞いてくれる人」に強い調子で話をしても意味がないと思うのですよね。みんな聞いてくれるけどね、そこから「新たなもの」が生まれるとは思えない。
「被差別者」は、時として権力者であるということを、わたしは肝に銘じながら生きていきたいと思っていますが…。