後かたづけ

朝、やっぱり6時に目が覚めてしまいます。
なにせキャンプ場はワンセグの電波くらいしか飛んでいませんから、やることがありません。しゃーないので、缶コーヒーを買ってきてしばし休憩。そうこうするうちに、みんなも起き出してきます。
さて、片づけも済んだからゴミを車に積み込んで出発だぁ。
とりあえず、帰って風呂入って寝よう。

OBOG会

今日は、放送部のOBOG会です。場所は、なぜか近くのキャンプ場。
学校が終わったら、とりあえずわたしは買い出し。肉と炭を買い込んで、キャンプ場へ。到着したら、先発隊がすでに準備を開始しています。
ほどなく炭もいこってきました。肉を焼きはじめます。わいわい食べている連中を見ながら、わたしはビールを一本。
しばらくすると、他の卒業生たちもボチボチ集合。今年はちょっと集まりが悪いけど、みんな忙しくなってきたからなぁ…。
10時を過ぎた頃になると、そろそろわたしはおねむ。ロッジの中に入って布団にもぐり込んだらそのまま爆睡…。

改造が必要だったんだ…

数年前に画像安定器を買ったんですが、あまり画像が安定しないんですよね。で、新しいのを買おうかと思っていろいろ検索したんですが、どうやらわたしの持っているのって、往年の名器だったみたいです。で、きちんと画像を安定させるためには改造が必要とのこと。
なんでも、ユーザー登録をしたら折り返し画像を安定させるための改造方法を書いた無記名の封筒が送られてくるらしい*1んですが、わたしユーザー登録していなかった可能性が大です。てか、いまどこにあるかわからんし。
で、サイトの中にあった改造方法を見て、確認のために裏ぶたを開けてみました。ありました改造箇所。改造しやすいように、とてもわかりやすい基盤パターンになっています(笑)。
ただ、いろんなところを見ていると、同じ製品でも製造メーカーによって改造が必要なものと必要でないものがあるらしくて、うちの器械がどっちのものかよくわからないんです。で、パートナーに「ちゃんと画像は安定する?」って聞くと、「イマイチ」という答え。
よし、ではあさって改造をするか…。
あ、あくまでも用途は画像の安定のためです。

*1:あまりにもあやしくて好きです。こーゆーの

語る手法

今日は、職場の人権学習で具志アンデルソン飛雄馬さんの講演がありました。
この人がどういう人かということは、サイトを見ていただくとして^^;;。
わたし、基本的には自分の高座ではプレゼンテーションソフトとかビデオは使わない主義なんです。というのは、「教員たるもの、口先三寸で人をだまくらかすのが商売」と考えているからなんです。落語家の場合は「カゼとマンダラ」が必要なんですか。そのかわりに、チョークと黒板は使いますけどね。
で、具志さんの場合、プレゼンテーションソフトを使いまくりなんです。でも、この人はほんとうにうまい。そして、プレゼンテーションソフトを使う意味がはっきりとあります。納得です。
もちろん話の内容もすごいので、生徒たち、ピタリと静かになって、ものすごく集中して話を聞いていました。
それにしても、ああいう話を聞いてしまうと、また「教員の話はしょぼいなぁ」と思われてしまうんですよね。やれやれ…。

融和主義の再評価

1時間目の授業を終わらせて、すぐに職場を出発。にしても、やっぱ授業が終わってすぐには出られません。だって、いろいろ生徒への声かけが必要なんでねぇ。
で、旧愛宕郡へ。
午前の部は、地元で活動しておられる方からの講演です。いちおうテーマは「歴史と現状・課題」となっているのですが、講演の大半はまちづくりにかかわる話でした。そりゃぁ駅前の一等地なわけで、ここがこれまで放置されてきた*1というあたりに、まさに「歴史」があるし、いま新しい波が来ているみたいで、このあたりに「現状と課題」があるんですよね。
午後の部は部落史にかかわる秋定さんの講演です。
前から聞きたかった人の講演なんですが、見事です。あっという間にみなさん寝ておられました(笑)。いや、話の内容はとてもいいんですが、語り口と午後の眠気でそうなるんですよね。
わたしはというと、ギンギンに起きてましたよ。
秋定さんって、融和主義の再評価みたいなあたりの話をされると聞いていました。ただ、今回の話は骨格にそのことを置きながら、部落史を全般的に振り返る感じでした。で、佳境は質疑応答の時だったかなぁという気がします。
「わたしたちが部落史を教える時にはなにに留意をしたらいいか」
という質問に対しての答え。

自分の中にある部落とのかかわりを話すことが大切なんじゃないでしょうか。
わたしにも部落との出会いの話はあります。
大学生の頃、友だちの家に行ったら「オレは部落だ」と教えてくれた。そして「誰にもいわないでくれ」と言われた。その友だちとたまたま街で会った時、彼は知らないフリをして通り過ぎていった。自分が部落とまわりの人に知られるのを避けるために、彼はそうしていたんです。やるせなかったです。
在日の人との出会いの話もあります。
そんな話はいっぱいあります。

もしも部落の悲惨な姿を描くならば、融和主義の観点から出された本の中にたくさん書いてありますよ。いっぱいあります。自殺した人もいっぱいいます。そんなことも書いてあります。
でも、そんなことを最近の学生に話をしてもねぇ…。
だから、わたしは科学的な話しかしないようにしているんです。

正確にはおぼえていないし、なんか最初と最後の話が逆転しちゃっていますね。でも、訥々と自分と部落との出会いを語られた話は印象的だったし、そんな話を「最近の学生に話をしてもねぇ…」としながらも、やっぱりそこからしかスタートできないということがとても心に残りました。
ちなみに、わたしもひとつ質問をしました。
「オールロマンス事件*2と同和対策特別措置法*3の間の19年あるんですが、その間になにがあったんですか?なぜそんなに長い空白があったんですか?」
これ、ほんとうに前々から疑問だったんです。
部落の近代史を話をする時、行政闘争の出発点としてオールロマンス事件をあげます。で、京都市ではその後、同和対策がされていったんですよね。でも、これが同対審なり措置法なりに結びつくまでに10年以上の年月がかかっているわけです。その間、いったいなにが論議されていたのか、なぜそれほどまでの時間が必要だったのかということが、実はどの本を見ても書いてないんです。なので、近現代の教材をつくっても、そこのところがすっぽりと抜けたままだったんです。
で、これへの答え。
「京都の部落史を読まれましたか?」
「いちおうは…」
「あそこに書いてあるとおりです。その研究については、実はまだされていません。現在さまざまな研究会でやっているところです」
とのことでした。
てことは、原典にあたるしかないということですね。とりあえず、年表を買うしかないか…。

*1:バブルの頃に地上げ屋が入ったけど、この時は最終的には地元の人たちは自分たちの土地を守りきりました。

*2:1950年かな?

*3:1969年

先読みか

まだまだ先かと思っていた人権学習の日があさって。しかも、明日は一日出張。てことは、雑事をする時間は今日しかありませんよ。てことに、朝、言われて気がつきました。てことで、猛ダッシュで雑事開始。
それにしても、先週末からのバタバタで、完全に曜日感覚がずれています。やばいなぁ…。
とりあえず印刷して、クラス別にわけて、付箋を貼って一段落。放送の下準備をしておいて、ついでにあしたの出張で使う放送セットも準備をしておいて…。てなことを授業の合間にバタバタやっていると、あっという間に1日が終わります。なにやってんだか。
家に帰ってF1観戦。フェラーリマクラーレンのスタートの差はいったいなんなんだろう。さらに、ハミルトンがトラブル?そして、ライコネンが年間チャンピオン!おどろきますわ…。んなことがあるんだなぁ…。ま、フェラーリファンのわたしとしてはうれしい限りですが。それにしても、スパイ疑惑がとりざたされてからのマクラーレンのバタバタはいったいなんだったんだろう…。

行こうと思ったけど…

今日はツーリングに行こうと思っていたけど、やめました。
さらに、10.21だったわけで、円山野音で集会もあったけど、それもやめました。
で、なにをしたかというと…。なにもしなかったんですよね。これが。昼は焼きそばを2種類つくって*1、食べてビールを飲んで。ビールを飲んだら運転できないことをいいことに午後もなにもしない。9時半頃にはウトウトしてきたので寝ちゃいました。
なんしか、金・土・日の疲れをとるのが先決ですわ。

*1:普通のソース焼きそばと五目あんかけ

夜明けは近いか?

朝、起床は6時。6時半の電車に乗って京都に帰ります。途中、めちゃくちゃしんどいです。でもまぁ乗っていれば着くからいいか、と。
で、京都市内某所に着いたのが10時半。
11時過ぎからレポートです。なんしかここでレポートしないと、冬に旅行ができません。なので「万難を排して」っていうヤツなんです。
で、お昼。ふだんなら交流会があるんですが、午後からのプログラムに備えてノンアルコール。もっとも我慢ができない人もいるわけで*1、近くのコンビニで仕入れてきてチラッと呑みました。
で、午後からのプログラムはヒップホップ講座。
あたしゃ身体の動きが硬いんですよね。いや、体も硬いけど、それとは別なんです。今の生き方をするようになって、それでもずいぶんと身体が柔らかく動くようになったんですが、それでもやっぱりダメです。まだまだ「解放」ってヤツは遠いなぁ、と。

*1:含む、わたし

突然やってきた!

その後、支部長さんと交流会の会場へ。道中、講演では話をされなかったご自身の揺れとか葛藤とかプライベートなこととか、すごく心にしみる話を聞かせてもらいました。わたしもわたしなりに返せる自分のことを返したり。
で、交流会では…。松下さんもほどなく来られて、あとはひたすら呑みました(笑)。
で、2次会。お友だちにも声をかけたのですが、みなさんそれぞれスタッフをしておられたのですごくお疲れだったみたいです。で、元気な数人で現地の人の行きつけのスナックへ。まぁ元気にみなさん歌っておられます。かなりうるさい。「静かに話をしようと思ったのに…」などとはじめは言っていたのですが、結局、みんなでうるさくしゃべっていました。と、突如支部長さんが歌いはじめます。
「オレの、オレの、オレの話を聞け〜!」。
ここは一緒に歌うしかありません。だって、あの話をした支部長さんですよ!
「オレの、オレの、オレの話を聞け〜!」。
その瞬間、完全に声がつぶれました。あ〜あ…。

で、恒例の…

せっかく支部長さんと知りあいになれたので、ご自分のムラにつれていってもらいました。高台に5軒。なんでも、もともとはちょっと離れたところにある20〜30軒ほどのムラだったそうですが、施策によって移転する時に手をあげた家が5軒しかなかったとのことです。移転→新築の家には入れると考えがちですが、やはりそうではないんですよね。それとひきかえに周囲のまなざしがくっついてくる。というか、おそらく移転してもしなくても一緒なんですけど…。
現在は高台に入る道があるんですが、かつてはその道はなく、ぐる〜っとまわってようやくその5軒のある場所に入れたそうです。「ここができた当初はまさに陸の孤島で、まわりの人からは「あそこが同和」と言われていました」とのことです。いまはまわりにも住宅ができ、交流もできるようになってきたとのことです。
ところで、家の中にも入れてもらったのですが、「へぇ〜、3間あるんですか」と言うと、「こちらの8畳は自分で建て増したんですよ」とのことです。てことは、2間か…。狭いっす。例えば、一家4人はきついだろうなぁ。けっこう田舎なので土地は広いのですが、「最小限」の住宅なんですね。ふぅむ…。