濃いぃ飲み会

人権学習がすんだら、とりあえず全力で片づけをして京都市内へ。放送部の顧問総会です。なんつーか、よくわからん…。でも、いまの委員長が「なんとかしたい」と思っておられる、その気持ちはとても伝わってきます。できることは協力したいなぁ…。って性格が、自分の首を絞めていくんだけどねorz。
で、バイクを家に置きに帰って、再び京都駅へ。
埼玉から来られたお客さん2人と地元の人1人とわたしの4人で飲み会です。
話の内容が、セクシュアルマイノリティハンセン病部落問題と、猛烈に幅広いです。ちなみに、その埼玉のお二人、こうした人たちへの膨大な聞きとりをされている研究者で、幅広いだけじゃなくて、深い。だもんで、言葉があふれ出てくる(笑)。
マッコリを飲みながら、肉をつまんだりサムゲタンを食べたりしながら、気がつくとあっという間に10時半。「あした、研究会で発表なんです。今晩は徹夜かなぁ(笑)」と言いながらお開き。元気やなぁ…。

語り

今日は2学期の人権学習。2年生は部落の人に来てもらって講演です。
この人、高校時代メチャクチャやんちゃをしていた人で、その後の人生も、そうとうハードな日々を送っておられました。でも、そういう自分のありようを、常に心の中では「あかん」と考えられていたようです。で、やがて子どもができて、もう一度人生をやり直して行かれたんです。と同時に、そういう自分の人生のバックに、部落差別があることもわかってきて、「語ること」をはじめられた。
ところで、かれこれ10年くらいこの人の話をあちこちで聞くんですけど、最近本当に「ええ話や!」と掛け値なしに誰に対しても言えるなぁと感じてきました。かつては、ものすごく攻撃的だったんですよ。それが、最近は、一度自分の心の奥をくぐらせて、そこからわきあがってきた語り口になってきました。すると、そのソフトな言葉が、わたしの心にしみ通ってくる。
なんでかなぁ…。
ふと気づいたのが、今回。
いままでその人、「自分のこと」を語っていたんですね。どうしてもそこには「うらみつらみ」とか「忸怩たる思い」が込められてしまう。ところが、最近は変わってきた。自分のことも話をするんだけど、自分の妹のこと、自分の子どものことを話されるようになってきたんです。なんか、「大切な人」のことを話す感じなんですね。それがすごくいいんです。
まぁ、単純に歳をとっただけかもしれないです。でも、一方で、だからこそできる「年輪」みたいなのを感じました。今年も来て下さって、ありがとうございました*1

*1:って、こんなとこ読んでねーよ(笑)