ところで、話をする前にちょっとレジュメをとりに行った、その時。ビビッと来る視線を感じました。瞬間「仲間や!」。終わったら「こっちへ」と言われたのですが、「仲間が来ている感じがしたので、会場に行って来ます」というと、おられない_| ̄|◯。とそこへ、目の前にあらわれました。いや、よかったです。会えて。うれしいなぁ…。
しかし、どこでこの高座(笑)の情報、聞いたんだろう…。
年: 2006年
新ネタ
なんで日田まで来たかというと、今年も漫談をしに来たんです。
なんでも、去年話をしたあとのアンケートに「この話の続きが聞きたい」というのがすごく多かったそうな。で、担当の方から「続きを聞かせてほしい」という電話があったわけです。その時のわたしの返事は「あの…、続きはないんですけど…」。
いや、最近わかったことですが、漫談というのは「いやぁ、ついしゃべりすぎてしまって、全部しゃべれませんでした、ごめんなさい」ぐらいでちょうどいいみたいなんです。なので、ふだんしゃべっていないところって、実は中身を考えていないという(笑)。
で、そこをしゃべれということは、完全な新ネタっていうことになります。ネタおろしって、実はかなりむずかしいんですよね。まだ自分のものとしてこなれていないし、なによりウケる自信がまったくありません。なので、「笑ってもらえる自信がありません」って答えたんですけど、担当の方「別に笑いたいから話を聞きたい訳じゃないです」って…。んなまじめなことをいわれても…。笑いをとって中身がないというのがわたしのウリなんですから、笑いがなければなんにもないじゃないですか…。
でも、とりあえずこれもなにかの経験ということで*1引き受けてしまいました。で、ずっと考えていたかというと、そういうわけじゃなくて、きのう「ゆふ」の中で30分ほど考えて、とりあえず半分くらいはネタができたところでやめてしまったという…。
そんなところで話をはじめたのですが…。まぁなんとかなりました(笑)。てか、なんとかなったのか?とりあえず、最後の〆のところは「あ、まだ終わっていませんね、続きを聞きたいと思われたら、3回目を。そのころにはなんとかネタとして練れていると思いますんで」とひどいことを言っていました。
てことで、すみませんでしたm(_ _)m。
*1:ひでぇ〜!
統合するために
H田って、これで来るのは3回目です。1回目は2年前の夏。福岡から宇和島に行く途中、1日あいたので友だちと一緒に遊びに来ました。K町というムラでいろいろ話を聞いて、その後「ムジゲの会」の人たちが呑んでいるところに乱入して、濃いぃ一晩を過ごしました。
2度目に来たのは、去年の12月です。この時は、漫談をしに来ました。で、翌日、久住に行くために早々に出なくちゃならなかった、と。なので、市内を見るヒマもなく、久住高原を越えてしまいました。
で、今朝、ふと目が覚めたのが7時頃。天気予報では曇りか雨ということだったのですが、まだ降っていないみたいです。用事があるのは9時半から。ということは、朝ご飯を食べてもまだしばらく時間があります。てことで、散歩に出かけることにしました。
なにせ、ホテルがあるのはえらく区画整理がされている場所なんですけど、一昨年行ったK町は川の畔にある小さなムラです。ぜんぜん自分の中でつながりません。とりあえず、フロントで近所の地図をもらって、場所を確認。なるほど、こうなっているのか…。
まずは、近くにあった亀山*1を攻略。階段をトントントントンッとあがると、すぐに頂上です(笑)。そこにあったもの。「松方神社跡」。そうかぁ、ここが部落の貧困化の原因をつくった松方デフレで有名な松方正義の出身地かぁと、ちょっと感慨深く…。もちろん、そこにあった案内板にはそんなことは書いてませんでしたけどね。
そして、三隅川を渡ると、K町のムラがありました。2年前と同じ椋の木もありました*2。椋の木の下の枯れ葉をそうじしていたおっちゃん曰く「この木、触ったら御利益あるで」「そりゃそうですよね。たくさんの人の命を救った木ですものね」「ちゃうちゃう!年末ジャンボや!」まいりました。「昭和28年の水害の時、おっちゃんは中学生でなぁ。水が胸くらいまで来たんや。でもそのあとがたいへんやった。ここらいちめん水浸しでなぁ。いまでこそ同和対策事業でこんなにきれいになってるけどなぁ」。おいおい、いきなりカムアウトです。いい出会いをさせてもらいました*3。
あとは、温泉街を通ってホテルへ。
ようやく、わたしの中で「日田」がひとつになりました。
ちょっと遠出…
仕事の方は、午前であがらせてもらって、ちょっと遠出をしてきました。
遠出ってどのくらいかというと…。まずは新幹線に乗って西2時間半ほど。その後「ゆふ」に乗って1時間半。待ちあわせの時間も含めて5時間ほど。おかげさまで、某所の版組とか、ずいぶんと進みました(笑)。で、到着したのは、O分県のH田という町です。
そこからホテルに荷物をおいて、向かったのは「四季の里」というお店。
住宅地の中にあるお店なんですけど、前に立った瞬間「かっこいぃ〜」と思わず声が出ます。さらに、中に入ると「えぇ〜」という感じです。高いんとちゃうん…。
ここで、わたしを入れて7人で晩ご飯です。
ところで、飲酒運転が厳しい昨今、みなさん「代行」の利用です。それにしても、日Tみたいな町だと、車じゃないと飲みに行けないだろうし、でも晩ご飯を食べながらゆっくりと楽しむならお酒は必要だし…。まぁ、これも「格差」ってやつですね。
ここの食事、なかなかいいです。凝ってるというのじゃないですね。自然の素材の味を生かして、それを引き出す感じ。まさに好みだし、自分もこういう料理がつくれたらと思います。もちろん、こんなことをプロ相手に考えるなんて失礼だと思うのですが、自分には無理だな、と。
鮎飯*1とか、鯉の皮のから揚げとか、鯉の刺身*2とかは、それでもまだ想像がつきます。びっくりしたのは、グラタン。柿をくりぬいて器にしてあります。なるほどなぁ。もちろん、中身は突き出しに使ってあります。そして絶品だったのは、鯉の刺身の横についていた柚胡椒。普通、鯉の洗いは酢みそで食べますが、ここでは柚胡椒+醤油でいただきます。この柚胡椒が手づくりなんですよ。なんでも、柚の皮を細かく切って唐辛子とかとあわせてつくるらしいです。最後に出てきたみそ汁*3
店の外にも手づくりのものがいっぱい。蔓をとってきてイスをつくったりしているそうですが、イスの脚になるような蔓があるんですよね。あれならつくれるな…。
いや、おいしかったし勉強になりました。
そうそう、話の方はというと、やっぱり教員同士というもので、昨今のいろいろなことね。こちらの方もあつかったです(笑)。
自分の身を守るために
夜、パートナーと下の子どもが風邪のために医者に行ったので、上の子どもと二人でごはん。
今日のごはんは鍋。てか、こないだ鍋にしたらおいしかったからか、それともその時の野菜があまっていたからかわかりませんが、鍋が続いています。まぁ、おいしいし、あったまるからいいけどね。
ごはんの最中の話題は、昨日から今日にかけての社会の動きとか、今後予想される社会の動きとか。そんな話と自分の未来を重ねあわせて、上の子、かな〜り「将来は暗い」という感覚を持ったみたいです。で、わたしからの提言。
とりあえず、「いま」がそういう時だということを認識すること。そこから自分がなにができるのかを考えること。そこから道は開ける。もしもそれをしなければ、時代の中に巻き込まれていく。だから、まず認識することからはじめよう。
てことで、夕食後は数学の勉強(笑)。
去年はダメダメだった「三角形の合同の証明」がそれなりにできるようになっていて、ちょっと安心。
で、衆院も
通ったよ…。
なにより怖いのは、このことが職員室で話題にならないこと。
かつてだったら、ラジオなりテレビなりが鳴っていて、刻一刻と情勢を追う人もいただろうに、いまはみんな淡々と仕事をしています。もしかしたら、ネットで情勢を追う人もいないんじゃないでしょうか。
なんでこんなことになったんだろう…。
とりあえず、放課後、会う人ごとに「通っちまったよ」と声をかけました。
一人でできる闘い…
大切なことを忘れていました。
「軍靴の響き」に対抗できるものをわたしたちは持っているんだった!
無力さ…
大学の頃から感じていました。時代のどうしようも流れの中で、はたして自分一人でなにができるんだろうという無力感。そんな思いをますます強くする今日の出来事でした。
いや、実はぜんぜん知らなかったんですよ。のんびりと子ども達といっしょにテレビを見ていて、「あ、津波警報や」としか知らなかったんです。さらにその後、「へ〜、松阪は60億円かぁ」とのんきに構えてました。と同時に、トップに来ないんだから、強行採決はなかったんだろうと思っていたのです。ところが、ネットニュースを見たら、すでに通っていた…。
先の衆議院選挙の結果が出た翌日に日記に書いたことが、いま現実のこととして展開されていることを、ひしひしと感じます。
学力低下・少子高齢化・教育の荒廃・不景気etc…。すべてを「誰か」のせいにして、「誰か」をたたくことでよしとしてきた勢いは、とうとうそれらを含めすべてを「法律」のせいにして、「法律」を変えるところまで来ました。
いや、人のせいにするのはやめないといけないですね。少なくとも、わたしは。
後々、子どもたちから「あのとき、父ちゃんはなにもしなかったの?」と言われた時、「これくらいのことしかできなかったけど、それでもやった」と言える程度のことはしないといけないかなと思います。そして、それでもこの国に住むならば、「非国民」という称号を胸に生きていくしかないかとも思います。それが、残された「ひとりでもできる闘い」かもしれないです。
ダウン…
金曜日くらいから調子が悪かったんですが、土・日のダブルパンチが効いたのか、月曜日の授業が効いたのか、体調が絶不調になってきました。
幸い今日は出張日なんで授業時数が少ないです*1。てことで、午後から休みをとりました。
途中、昼間にしかできない用事もしたりして、電気屋にも用事があっていったりして、なにしてんねんという感じですが、それでも楽ですね。電気屋ではついでにマッサージチェアに座ったりもしていたんで…。
あとは一日家でのんべんだらり。夜はちょっと子どもの数学を見て、その後ウトウトしているうちに、部屋には私一人になっていました。そんな感じ。
ちなみに、熱の方はというと、37.5℃。平熱がわりと高め*2なので微熱といえば微熱なんですけど、やっぱ走りまわれる体調じゃないです。
さて、あしたは下がっているかな?今週末からが、死のロードなんですけどね(笑)。
言ったからなにかあるの?
最近、校長さんの自殺が相次いでいますね。なんか暗澹たる気分になります。
ちょっと前までは「先生なんてぜったいするのイヤ!」とか言っている生徒に「まぁ、教員という仕事も悪くはないよ」と話していたんですけど、最近は「まぁ、よほどしたいんならとめないけど、やめたほうがいいんじゃない」という気分です。現役の教員がそんなことを言いたくなるような世の中ですから、そういう感じなんでしょうね。
で、「言ったから」っていうのは、「報告」にかかわる話です。
「できたこと」の報告をするのは、別にたいしたことじゃないです。もっとも、「できたこと」ばっかり報告するのは変だなぁと勘ぐられるかもしれませんが、それはまぁおいといて…。問題は「できなかったこと」の報告です。これ、しにくいですよね。でも、もしもきちんと相談できる人間関係があって、適当なアドバイスがもらえるなら、案外「できなかったこと」も報告しやすいのかもしません。
じゃぁ、イジメの話。
仮に、「ウチの学校でイジメがあります」という報告を、教育委員会にしたとしましょう。すると、教育委員会はどう動くか…。まずは「いじめられている子どもを守りなさい」とか「家庭訪問などにより、親の理解を得られるように、きちんと対処せよ」という話でしょうか。あとは「いじめている子どもの心の内面に迫れるように指導をせよ」という話でしょうか。
いや、こんなことは現場はやっているわけです。なんのアドバイスにもなっていないです。
で、さらに「より詳細な報告をあげよ」とかいう話が出てくる可能性もあります。これ、ほとんど意味がないし、逆に仕事の増量なわけです。そんな報告書をまとめているヒマがあったら、現場としては、生徒と話し込まなくちゃならないわけです。
となると、教育委員会に報告するメリットってなにもないです。
さらに、そのことが勤務評定とかかわってくるとすれば、デメリットの方が大きくなる。となると、だれが報告なんてするんでしょうか?
で、もしもなにか起こったとしても、結局頭を下げるのは現場*1です。教育委員会は責任をとってくれるわけじゃないです。ましてや、文部科学省が責任をとるかというと、んなわけがない。逆に、「指導」を強めるだけですわ。
となると、だれが「どこかに報告をしよう」と思うかということです。で、なにもなく穏便に過ぎたらそれでOKなわけです。だって、何かおこったとしたら、どうせ責任をとらなくちゃならないのは現場ですから。
もしも、報告をあげた時に、例えば至急にスクールカウンセラーを派遣する。あるいは、教員の増員をする。さらには、なんらかの予算措置をして、その事態に直接かかわっている教員の授業時数を軽減するなどの処置が執れるようにするという、具体的な支援をしてくれるならば、報告をあげる意味があります。んなもんないのに、逆に「なんでやねん」と責められるならば、ねぇ…。
「話をしない」人に対して「なぜ話をしない!」と怒るんじゃなくて、「なぜ話してくれないか」とその問いを自分に向けるような考え方をすることが大切だと思うし、それが教育にかかわる人間の発想だと思うんだけどなぁ。
*1:含む、校長