某所に「ドーナッツ化現象」という記述があって、「ふぅむ…」となり、自分がなぜGID研究会に行くのか考えてみました*1。
たぶん、遊びに行っている。もしくは同窓会気分。でも、とりあえず「自分のトランスの参考・実現のために行っている」とはとうてい考えられない。
このあたりで、お得意の在日の話に横滑りさせると…。
たとえば、某在日外国人教育関係の研究集会に、当然在日外国人も来ます。そのなかには、在留資格の問題などで、支援のアピールをしに来られる方もいます。あるいは、ひどい差別を受けてそのことを訴えに来られる方もいます。あるいは、中学生・高校生あたりだと、「仲間との出会い」を求めたり「アイデンティティ探し」に来たりという人もいます。まぁいうならば、「問題を抱えている人」が「自分のために」来ているということができるかもしれません。もちろん、それはそれですごく大切。
でも、「個人としてはきわめて「成功」した在日外国人」もまた、来られるんです。経済的にも安定した生活もし、まわりの人たちも理解をし、本名で生活し、精神的にも安定し…。たぶん、個人として問題は抱えていない。たぶん、わざわざ年1回、時として遠方まで時間とお金をさいて来る必然性はありません。その時間があるならば、他にやりたいことはたくさんあるはずです。でも、来られるんです。
それは、「自分のために」じゃないと思います。おそらく、「自分<たち>のために」なんです。そしてその「たち」に含まれているのは、在日外国人だけじゃなく、日本人も含めて、この社会全体をどうしていくのかということを、ともに闘う仲間たちから学び、一緒に考えるためになんだと思うのです。
まぁ、これはあくまでも某在日外国人教育関係の話ですけどね…。
で、わたしにとってのGID研究会。
う〜ん。なんだかんだ言って、楽しいから行っているらしい…。
*1:「司会をしに」というのはなしね(笑)