なんてことを、考えられるわけがありません。
今日は、古久保さくらさんの講演を聞きに行ったわけで、その講演のタイトルがこれだったということです。
「日本古来の男女の役割分業」が、高度経済成長期に成立したということは、まぁ知っている人にとっては当たり前のことなんでしょうけど、それでも、労働力率のグラフをみると顕著ですねぇ。1940年代の女性の労働力率の低下は特徴的ですね。
ところが、古久保さんが言われるには、「いま」という時代は、そうした高度経済成長期の「性別役割分業」を、すでに担えなくなった時代であると。そうした状況の中で、男女共同参画社会というのは必然的に起こってくる問題であると。
とまぁ、このあたりはまぁ既知といえば既知なんですよね。で、その後、少しだけ触れられたところがおもしろい。というか、深刻。
私立の高校生のジェンダー意識を調べたところ、階層的に上層部と思われるあるいは、階層的に上層部に行くであろうと思われる高校生のジェンダー意識は、近代的ジェンダー観からかなり自由である、と。ところが、階層的にしんどいであろう層の高校生のジェンダー意識は、近代的ジェンダー観にそまっている、と。
つまり、「性別役割分業」を現在でも担える「層」は、実は階層的に「上」の層なわけです。階層的に「下」の層にとってみると、近代的ジェンダー観に基づく家族の在り方というのは、階層的に上昇をめざすことにつながっていくわけです。
でも、「階層社会」がいわれる日本において、これはかなりしんどい話です。
じゃぁどないすんねん。
やはり、労働の問題がここにある。
基幹労働者の労働時間の短縮と賃金の切り下げ。と同時に、パート労働者の賃金の適正賃金への上昇。この2つを同時の行うことが、基幹労働者のアンペイドワークへの復帰を可能にしていくということのようです。
でもなぁ、ウチの学校の子どもたちの状況を見ていると、きびしいわなぁ。
それと、子どもをこんな時代に生み出してしまった親の責任というのも、考えざるをえんわなぁ…。