で、みんなで帰ったのですが、わたしだけ東九条で寄り道。今日から明日にかけて、夏にやった全国在日外国人生徒交流会の生徒実行委員会の総括合宿をやっています。で、わたしも夜から参加。といっても、着いたらすでに今日の論議は終わっていて、生徒はお風呂へ。教員はビールという状態でした。なんとなくぐだぐだしゃべっているうちに、昨日からの疲れがでてきておねむ。おとなしく2段ベッドの下段にもぐりこんで、おやすみなさい…。
日: 2005年10月9日
で、ふたたび祭
帰ったら、夜店もたけなわ。さっそく、たこ揚げ屋さんになりました。揚がったたこ焼きを、パックに5個入れて、ソースを塗って、青のり・粉鰹をかけて、楊枝をさして、ふたをして、輪ゴムでとめたらおしまい。これを延々と3時間ほどやりました。でも、てきとうにビールを飲んでつまみながらやっていると、けっこう楽しかったりします。やっぱり、夜店は客より店側が楽しいな。
老人会用のカラオケは10時までやるとかいう話だったけど、店の方はほぼ完売ということで、お役御免になりました。まだ最後の一盛りあがりがあったけど、家が遠いので、お先に失礼しました。
それにしても、区の区長さん。引っ越しても祭の手伝いに行ったのが、よほどうれしかったのかなぁ。帰りにビールを持たせてくれて、しかも見送りにまで来て下さいました。恐縮です。
女人禁制のシンポ
詳細はあまりよくおぼえていないのでパス(笑)。
途中、すごく事細かな質問があって、これへの回答として、コーディネーターの方から「ケガレ意識」あたりの話が出てきて、なかなか興味深い展開になりました。
ここで話された「ケガレ意識」って、たぶん「延喜式」あたりから出てくる話なんでしょうけど、この価値観のおよぶ範囲って、しょせんは京都を中心とした当時の都近辺だけですよね。となると、その勢力の外側にある地域では「女人禁制」ってあったのかなかったのか。あったとしても、「延喜式」を元にした「ケガレ意識」というわけにはいかないだろうと思うのですよね。にもかかわらずあったとしたら、もう少し普遍的に「女性を排除する」という文化があったというふうに考えなくちゃならないだろうし、それってどうとらえたらいいんだろう…。
それ以外にも、いろいろ話がありましたが、まぁ、これもここではパス。というか、「祭」のために帰らなくちゃならないので、途中で失礼したという…。