鉄の心

今日は福岡から中津までの移動です。博多駅に着いたのがちょうど昼時。どこかでラーメンかお寿司…。と思ったのですが、それよりも灸^H急を要したのはマッサージ。とにかく、肩と首に激痛が走っています。30分ほどマッサージをしてもらって、かなり復活。ちょっとぜいたくだったけど、こんなのもありな日ということで…。そのかわり、昼ご飯は駅弁ということで。
今回は、中津までは鈍行で移動することにしていました。お金がないということもあるんですけど、時間があるということもあるし、さらに、単に友だちと飲みに行くだけということもあって「旅気分」だったというのが大きかったかなぁ。青春18切符で北海道を回った頃のことを思い出しました。西小倉で乗換の予定が、寝過ごして小倉まで行ったのはご愛敬。ひさびさに、のんびり気分で鉄道の旅を感じることができました。もっとも、普通の快速で駅弁を食べるのはちょっと恥ずかしかったです。というか、駅弁より恥ずかしかったのは500mlのビールかな。ソニックなら1時間ちょいのところ、2時間ちょいかけて中津に到着。

目覚め

朝、目が覚めると、なんだか向こうとあっちに人の気配があります。そうか…、学生さんが来たんだ。とりあえず、朝のコーヒーがないと生きられないのでそれだけをゲットしに、ふたりを起こさないようにそうっと部屋を脱出。
その後9時頃からダラダラとしながらチェックアウトの11時まで過ごしました。

なぜか福岡

まぁ、深い理由はさておいて(笑)、福岡です。
昼間は東京のお友だちや東京のお友だちの大阪のお友だち*1と待ちあわせをして、某中高一貫教育の学校で漫談をしたりしていました。いや、雨の中ご苦労様でした>大阪のみなさん、つっても、ここ見てないよなぁ…。
で、夜は懇親会(笑)。おいしいお酒とおいしい食事をいただきながら、話はなぜか授業の話へ。どうも最近のマイブームがこのあたりにあるみたいです。でも、聞かされる側はたまったもんじゃないかもしれませんね。深く反省をしながら懇親会の会場から2次会会場へ。
2次会はわたしの漫談を聞いてくれた学生さんの集まりです。なんでも、同じ時期に教員免許を取るための「修行」をしておられたそうな。
教員の集まりと学生さんの集まりはやっぱり雰囲気が違いますね。教員の方は、やっぱり経験豊かでアダルトなまたーり感があります。それにひきかえ、学生さんの方は、初々しさと不安と危なっかしさ(笑)が魅力的です。一晩で2種類の楽しい出会いがあったのはうれしかったですね。まぁ、話の内容は、それこそ「修行」へのアドバイスとかなんとか。そうそう、2次会メンバーの中にクラブでラグビーをしている学生がいて、「ラガーマン萌え〜」なわたしは、「バックスでした」という学生さんに、思わず「萌え〜」と叫んでしまっていました(恥)。まぁ、「つぼ八」だったから許されるでしょうね。
で、ホテルへ。気がつくと帰れなくなったり帰るのがめんどくさくなった学生さんが2人一緒に来られました。「ええんかいな」と思ったのですが、そのホテル、かなり寛大なホテルのようでいいみたいでした。12時過ぎまで一緒に話をしているうちに、ふと落ちてしまって一日が終了。

*1:ややこしい…

兵庫県のあの子

いろいろ考えるところもあるけど、まぁみなさんいろいろ書いておられるし、ほぼ出尽くしているのかな。
気になるのは、ジェンダーロールとジェンダーアイデンティティの混乱があるんじゃないかとか、後もどりをしたり立ち止まったりする余地を持っているかとか。いま「女性」として扱ってもらうことの困難より、将来的にもしも身体の性に性自認がフィットした時に、元にもどす方がよほど困難な気がします*1
ある子どもが「一番生きやすい」というのは、はたして「男として」「女として」に限定されるのだろうか…。

*1:変な文章…

東京より友きたる

その後、東京から来たお友だちと京都駅近くで合流。
会って最初に「ところで、兵庫県の」「あぁ、あれねぇ」といきなりの会話。みんな知ってるよなぁ。ふたりで「あれ、危ないよねぇ」と合意。
そこに、Yさん*1も合流。再び「兵庫県の」とふると、「あ、あれあれ!もう、第一報が入ったらあとはあちこち見に行きましたよ!」といささか興奮気味です。そのあたりが一応収まったあと、みんなで「青春時代、暗かったよねぇ*2」とか、しばし黒い話で盛りあがりました。おかげさまで久しぶりに思い出しました。わたしが中学時代に写真部で、鉄道研究会をつくったとかいう話。
やがて、「これを見せに来た」というとっておきの「ブツ」が開陳されました。いや、見事な春画です(笑)。サブリミナル効果はもちろんのこと、身もふたもない「モノ」とか、よくもまぁ…。まいりました。しかし、この作者、何を考えているんだろう…。
てことで、2時間大いに盛りあがって解散。
いや、いいものを見せてもらいました。ありがとね(謎)!

*1:「子」を入れると誰だかわかってしまう(笑)

*2:全員、写真部関係の経験者。暗いけど、赤いんですよ

近所づきあい

わたしの借りている駐車場の横の家、塀にすごくきれいな花を咲かせておられます。そこに、小山のような車を置いているので、いつもすまない気持ちなんです。
今日、パートナーが犬の散歩でそこを通った時、あいさつして、花を一本もらったそうな。すごくうれしそうな顔で「もらったで〜」と報告してくれました。ちょうどわたしはその時車を置きに行くところだったので「よかったね〜」と声をかけて、駐車場に行きました。で、車を置きながら、その家の人に「いつもすみませんね、大きい車で、せっかくの花がもったいないです」と声をかけました。すると、えらいきょとんとした顔をされています。で、返事は…。「いま、お家の人に会いましたよ」とのこと。そうか、そういう逃げ方があったのか(笑)。

やっと切った

前髪がうるさくてうるさくて。でも、なかなか切りに行くヒマがなくって、何ヶ月かぶりでいくことができました。
スノボ好きのマスターとスキー場情報やキャンプ場情報を交換しながら、30分ほどチョキチョキ。最後にブローをしたらおしまい。なんしか、よけいなことを一切しないので、安くて早くて、しかもうまいんです。お金を払う時に「男性料金じゃ割があわないんじゃないですか?」と聞くと「いえいえ、そんなことありませんよ」とのこと。このときばかりは、いつも複雑なんだよなぁ…。

こんなこともある

今日は月に一度、とてもしんどい日なんです。とうとうきちゃったんです。朝から気が重いです。教室の前で会った生徒が「先生、疲れてんの?」と心配してくれます。でも大丈夫。教室には笑顔で入りますから(笑)*1
しかも、今日は一日3時間の授業の日。でも、その方がかえっていいかもしれません。しんどさを忘れられるから。すっかり忘れて、やっと放課後が来たその瞬間、「アレ」がやってきました。
職員会議です。
なんだか、みんないろいろ話をしています。大切な話もあるのはわかるんだけど…。やがてやってきました。睡魔が…。そして、記憶が途切れます。ふと気がつくと、終わっていました。
よかったのか悪かったのか…。

*1:♪ 苦しくったって〜、悲しくったって〜、教室ーの中では、平気〜なの!

近所づきあい

そんなこんなで、ちょっと早めに家に帰れました。家に帰るとお隣さんが道を掃除しておられます。「こんにちは」と声をかけたのですが、無視。もう一度「こんにちは」と声をかけて「あの〜、◯◯さんのお姉さんなんですよね」とたたみかけると、驚いた顔で「◯◯を知っているんですか?」みたいなところから、やっと会話が成立。
で、しばらく話をしていたのですが、どうも話がかみあいません。やがて、キーワードが来ました。「おたく、ここの奥さんと違いますね。そういえば、ここのご主人も学校の先生をされているらしいけど、おたくさんもされているんですか?」。さて、どう答えたものかなぁと思いながら「はい、わたしもやっています」とごまかしてしまいました。
しかしさぁ、わたし、引っ越した時に名刺を持ってあいさつにいったぞ。インパクトが薄かったのかなぁ…。

人に伝えるということ

今日は、人権教育研究会の総会です。午後からは記念講演。今日のテーマは在日外国人、なかでも新渡日の子どもたちの話です。
講師の人の体験を語られるのですが、それはそれはまぁ、すざまじい経験をされています。知らない言語は、「聞いても意味がとれず、見ても記号にしか見えない」ということを、きわめてわかりやすく伝えて下さいました。
もっとも、これ、数学の授業をしていると、日常茶飯事に起こることなんですけどね。わたしたちにとって「lim h→0」みたいなことを書いたとしても、はじめて習った子どもたちには、まったくの異文化の記号だろうし、その時に「ちょっと待って、それって何が書いてあるの?」と聞いてくれる関係をつくっていなかったら、生徒たちが「わかっていない」事にすら無頓着になってしまう可能性があるわけです。そういう意味でも、すごく意味のある話でした。
しかし、ライフヒストリーがすごい。「いじめにあって」「がまんをして」「がまんできなくなって」「荒れて」「暴走族に入って」「そこではみんな立場こそ違えど、同じような経験をしていて」「心の安住すらすれども」「逆もどりできなくなって」「鑑別所に入って」「出てきたらヤクザ予備軍」。
パターンといえばパターンなんですけど、目の前の人が「そうであった」というのはまたぜんぜん違う迫力がありますね。で、必死に足抜けをしようとするのですが、なかなか許してもらえない。そのために、昼間はまじめなサラリーマン、夜はギンギンのヤクザという二重生活を余儀なくされてしまうという。そのころの写真を見せてもらいましたけど、聞いている人たち、爆笑でした。どんな感じかというと、わたしの10年前の写真*1と今の写真を並べて「昼と夜の顔です」というのの2倍以上のインパクトがあります(笑)。
そこからは、父親の死→更正→子どもたちのために働きはじめるという話になっていきます。このあたりは、う〜ん、ゴメンやけど、たんなるサクセスストーリーになってしまうんだな、これが…。「父親の死」が本人にすごくインパクトを与えたのはよくわかるし、「荒れ」からの脱出の糸口みたいなものがあるのはあるんだけど…。「結局特殊な事情だよな」みたいな感じになってしまう。
と、ここまで書いてふと我が身を振り返るわけです。自分とどの程度違うのだろう。わたしの話って、下手をすると*2サクセスストーリーととらえかねられない内容になりがちかな*3?でも、それが「いつきだから」ですんでしまったら、結局何も残らない。個人の体験に、いかにして普遍性を持たせるかということは、とても難しいけど、それをしないと「語る」意味がない。そんなことを感じさせられました。

*1:はじめての人のために

*2:下手をしなくても。つーか、話が下手やし(笑)

*3:ぜんぜんサクセスでもなんでもなくて、たんなる「クズ」のストーリーなのですが、実際は。