新エントリをつくる→再演するなど

朝、5時過ぎに目が覚めました。なんでこんなに早く目が覚めるんだろう。それに比べてパートナーはよく寝るなぁ。しかたないので、ブログに新エントリ「フィールドワーク」をつくりました。これ、かなり便利です。もっとも「お好み」エントリとあわせて、かなりヤバイ気もしますが…。
その後、猫の額でコーヒーを飲んで…。それにしても蝉がうるさいです。なんでだろうと思ったら、猫の額の木にとまって鳴いてるんだ。猫の額は狭いから、至近距離ってわけで、そりゃうるさいに決まってます。

で、京都駅へ。自動発券機で新幹線のチケットを出そうと思ったけど、外国人観光客が延々と独占されていて困った。えーと、あと8分…。「Hurry up.I must start 8 minutes later.」って言ってしまった。すまぬ。いや、時間があったら操作してあげるんだけど、そのヒマがないんですよ。
で、新幹線に乗って西へ。まずは小倉で途中下車。そこにおられるのはH上さん。久しぶりです。近くの居酒屋で昼ごはん。このあいだ沖縄に行った話とか、互いの近況報告をしたりして。でも、昼から仕事がある時は2杯までと決めているので(笑)、日本酒2杯でストップ。2時間の昼呑み終了。また会いましょうね!

で、ソニックに乗って大分へ。明日、大分市人教のお座敷で、今日はそれのプレイベントです。ちなみにプレイベント、もともとは呑み会だったんですが、こないだのつぶやきに反応されたもうひとりの方H本さんがおられて、思わず「じゃ、大分でやりましょうか」ということになってしまったという。ということで、今月頭に引き続き大分でもやることになりました。
聞いてくださったのは大分市人教のみなさん。ちなみに、ほとんどが小学校の教員です。まぁ子どもたちの状況はずいぶん違いますよね。
プレゼンの前に、うちの学校の人権学習の状況を少し話をしたり、プレゼンには不備があったり認識不足があったりするけど、それは「スペシャリスト」ではなく「ジェネラリスト」だからだという言い訳をしたり。そんなこんなで、プレゼンスタート。このあいだもそうだったけど、自分が何をきっかけにこのプレゼンにいたったのかとかを、あらためて意識化することができました。
その後、同和教育の継承にかかわるようなやりとりをしたりして、ミニ学習会終了です。押しかけ学習会、すみませんでした。

で、ホテルにチェックイン。それにしても、あまりにも身体がガチガチです。フロントに行ってマッサージ屋さんの場所を聞いたら「うちのマッサージを」って言われてお願いしたら、結局無理だったり。しかたないのであたりをほっつき歩いてみたけど、結局見つけられなかったり。てことで、マッサージは断念。
その後、本来のプレイベントである呑み会です。はじめはおとなしいけど、だんだんしゃべりはじめるのはいつものことです。最後はとまらない。反省。
その後、H本さんとおしゃれなバーに行ってジンリッキーを1杯いただいて、ホテルへ。
と、H本さんがマッサージをして下さると。いや、「断念しました」って言ったら「やってあげるよ」って言われて、恐縮しながらも誘惑には勝てず、小一時間マッサージをしていただきました。もうしわけない。でも、ほんとにありがとうございます!
てことで、H本さんが部屋に帰られて、わたしもベッドにもぐり込んだ瞬間に意識が飛びました。

消えゆく街

朝起きると8時前。よしよし。睡眠時間は7時間。もっとも、どうやら2階に上がって横になった瞬間に倒れたようで、4時に目が覚めたら電気がつきっぱなし、6時に目が覚めたらスマホの充電してなかった。そんな感じだったので、細切れの7時間ではありますが…。
朝ごはんは、もずくのスープと小さなチーズトースト。ひとつはゴーヤとじゃこ。もうひとつはニガナとじゃこ。おいしい…。
しばしゆんたくして、2階に上がってブログの更新でもしましょうか。
その後、いつも行く「大城ストアー」に行って、いつも買うスーチカをゲット。ついでに、「ゆしどうふ、送れますか?」と聞くと「送れるんじゃないかなぁ」ということだったので、ゲット。さらに、卵ポークもゲット。いい買い物ができました。
帰り道、ふと思いついて、あたりをグルグル。
実は、今回来て一番おどろいたのは、ブルドーザーが入って建物の取り壊しがはじまっていたことでした。なんでも、立ち退きが決まって、ここに公共施設ができるんだとか。まぁ、もちろん時代の流れもあるし、今住んでる人たちの気持ちやニーズもあるだろうし、しかたないっちゃしかたないんですが、やはりショックです。というか、「なくしてええんか?」「なかったことにするのか?」って気持ちも湧いてきます。
「あと2回来たい」と思った「ryuukyu.com」もなくなるんですね。そう思うと、つい写真を撮りたくなるってものです。

PIN UP」もなくなるんですね。なので、やっぱり写真。

タクシー屋さんもなくなるんだろうなぁ。

そして、この街並みも。

かつてここに人が座ってたのかな。

組合の証。

講習ってあったんだ。

きっと来年来た時は、この街並みはないんだろうな…。

そんなことを思いながら野入さんのお家に帰って、しばらくしたらYーいちが来ました。
途中、「平敷兼七ギャラリー」に寄りました。ここなら「あの街並み」を見ることができます。Yーいちにもそのことを伝えたいな。と思ったんだけど、去年来たことを話したら、なぜか盛り上がって、記念写真をとってもらいました^^;。
そして、那覇の食堂へ。「フーチャンプルー」をふたりでわけわけ。

そして那覇空港へ。
さてと。しばしのお別れですね。

大宜味村への遠足

朝6時に目が覚めました。7時からスタンディングのはずですが、まったく動きがありません。どうしたもんだろ。いちおう「スタンディング→琉大まで送ってもらう」って話だったけど、これはあぶないな。
てことで、7時半くらいに置き手紙だけして、こっそりと「そいそいハウス」を脱出しました。
そこからバス→タクシーを使って琉大へ。いろいろ探して、教室に潜り込めました。

てことで、「基礎演習」です。去年も参加させでもらいましたが、ほんとにおもしろいです。学生の発表は、やはり未熟です。でも、野入さんの仕掛けのおかげで質問が出ます。時として「それ、質問と違ごて意見やろ」みたいなのも出ます。それへの返しがおもしろい。
そして、野入さんからの臓腑をえぐるような質問。「わかりません」と打ちひしがれる学生さん。こうやって鍛えてもらえることって、すごく幸せなんだよな。
最後にコメントを求められたので、わたしからはふたつ。
ひとつは「発表者としての皆さんが知っておられることを、聞いている人が知っているとは限らないので、基礎情報は伝えてね」。もうひとつは「調べ学習から研究に移行してね」。
まぁ1年生だからしかたないかもしれないけど、逆になまじ小中高で「調べ学習」をやってきた子らだから、そこから抜け出られないのかなぁ。

「基礎演習」が終わったところで、恒例のフィールドワークです。車を出してくださるのはT村さん。3人で楽しくドライブです。車中で
「プレゼンの雛形みたいなのは出されないのですか?」
と聞くと
「出しちゃうとみんな同じ型になってしまうから、あえて出さない」
とのことでした。つまり、自分で調べろってことですね。

で、車は一昨日いた名護を通って、愛楽園を通って、さらに北上します。到着したのは「笑味の店」です。
大宜味村は長寿の村として知られていて、その長寿を支える食をだしてくださるのがこのお店です。お店で出す食材は、ほとんどが自分の畑でとれた野菜です。そのためは、火・水・木が定休日。おそらく畑仕事をしたり、仕込みをしたりしておられるのかな。
お店の裏は、ひたすら山です。山原ですね。

わたしがお願いしたのは「くふぁあじゅぅしぃランチ」です。

野入さんとT村さんは「まかちぃくみそうれランチ」。

うーん、失敗したかな。でも、たぶん多すぎるな。と思ったら、野入さんがタケノコの料理を、T村さんがテビチをわけてくださいました。ほんとにすみません。
なんかもう、どこまでも身体に優しいんですが、あまりにもおいしいです。くふぁあじゅぅしぃ」にシークヮーサーをしぼると、これがまたおいしい。食べることで身体が元気づくってよくわかります。こうやって、少量の野菜を、その代わり多品種を食べることが身体にいいんですね。
食後は散歩です。てか、畑への案内の地図が笑えます。

「海」「笑味の店」「畑」「山」しかありません。これが大宜味村なんですね。つまり、耕作地がほとんどない。それが大宜味村をつくっていくんですね。

続いて向かったのは「塩屋」です。ここは、世界ではじめて牡蠣の養殖をおこなったところです。ちなみに、牡蠣の養殖がはじめての養殖なので、つまり世界ではじめて「海を使って育てる」ことをしたところです。

ここから石巻なんかに牡蠣の養殖が引き継がれていきました。
それにしても、現在のバラエティはひたすら「日本、すごい!」ってやってますが、それは当然批判すべきことなんですが、なぜか塩屋が紹介されることはないです。それはいったいなぜなんだろうと思います。
そんなことを考えていたのですが、ふと山の方からひたすら「カンカンカン」という鳴き声が聞こえてきます。「あれなんですか?」と野入さんに聞くと「セミです」とのこと。へー、そういう鳴き声なんだ。と同時にもうひとつ気がついたのが、「蝉の鳴き声が聞こえる」という事実です。それをかき消す騒音がない。つまり、ヘリが飛んでない。これが北部なんですね。

お次に向かったのが、「大宜味村役場旧庁舎」です。

これが沖縄初のコンクリ住宅です。メッチャおしゃれです。

これをつくったのが「大宜味大工」たちです。
大宜味村は、とにかく耕作地がない。そこでどうしたか。男性は学力の高い子は医者。そうでなければ大工。女性は芭蕉布です。大宜味大工はすごく高い技術を持っていて、例えば那覇に行って役場の建築関係の仕事なんかも奪っていったとか。那覇大工と争いになることはもちろんありますが、ボコボコにやられても
「あの病院の前でやってくれ。あそこには同郷の医者がいて、助けてもらえるから」
とか言って那覇大工をビビらしていたとか。でも、そのネットワーク力はすごいです。
で、この旧大宜味村役場は、その大宜味大工の総力を結集してつくったものらしいです。ほんとにおしゃれだし、かわいい。
役場の前には、「琉球政府」の溝蓋が!

ガジュマルの木にはブナガヤーが!若干こわい^^;;

隣には慰霊碑があります。

憲法九条をメッチャ押してます。建てられたのは2017年。大宜味村の人々の気合いを感じます。
役場前の碑。

「人材を以って資源と為す」とあります。これが大宜味村なんですね。そういや、かつて日本もこうだったよな。でも、今は人材を使い捨てにする国になってしまった気がします。もう終わってるな。

続いて向かったのは、道の駅。パイナップルは露地物がおいしいんだそうです。

てか、露地物のパイナップルとか考えられません。実は、大宜味村は石垣にたくさんの人が移民に行っていて、台湾から伝わったパイナップルが、その移民の人たちを経由して大宜味村に入ってきたと言うことです。なので、パイナップルは当たり前にそのへんにあるっていうことです。

お次は「田嘉里酒造」です。ここは沖縄最北端の酒造ということです。予約をすれば蔵を見学させていただけるとのことで、T村さんが予約を入れて下さっていました。
ここがおもしろい!案内してくださったのは、若い女性。メッチャ詳しい。
使うお米はこれ。

思わず「インディカ米!」と口走ってしまいました。泡盛はインディカ米を使うんですね。れを山原の水で洗って、黒糀の菌をつける。で、放置して発酵させます。で、蔵の壁や天井が真っ黒です。

これ、どう考えても黒糀の菌とか酵母が住んでます。『もやしもん』の世界です。
で、発酵しはじめたお米をタンクに移して加水します。ここでアルコール発酵がはじまります。

タンクのあたりに行くと、ものすごく香ばしい酵母の香りがぷんとしてきます。それにしても、この香り、しょっちゅう嗅いでるなと思ったのですが、うちの子どもがパンをつくったりする時の香りです。まぁそりゃそうだなと。
お次は蒸留工程です。

最初に出てくるアルコールは、70度くらいなんだとか。その後出てくる水で少しずつ度数を下げていくらしいです。これを寝かせます。

他の酒造メーカーは4ヶ月ほど寝かせて出荷するところもあるらしいですが、ここは最低1年は寝かせるんだとか。そして、奥には古酒のタンクがあります。
そして瓶詰め工程を経て、ラベルが貼られて製品になります。

ということで、試飲タイムo(^^)o

左から20度・25度・30度・30度の3年古酒・40度の5年古酒・44度の5年古酒・10年古酒・17年古酒です。左から順に呑んでいくと、ほんとうに「差」がよくわかります。なにより、30度から30度の3年古酒になったとたんに明らかに味が変わりました。ここからはどんどん味が濃くなり、舌触りがまろやかになっていきます。おもしろい!
と、野入さんが石垣島に行った時の話をしたとたん、社長さんが出てこられました。そこからは、延々と大宜味村の歴史と石垣への移民の話です。なんか、すごい。
野入さん曰く「石垣に移民した人が大宜味の何が恋しいかというと、「水」って答えたそうです」。
車長さん「あー、水はね。向こうからひいていたんだよ」
みたいな。さらに社長さん曰く「「水」っていうのはね、たぶん泡盛のことだ」
マジか(笑)。
さっき書いたパイナップル畑の話も出てきます。なんでも、海の際から山のてっぺんまでパイナップルが植わっていたとか。子どももパイナップルの入ったカゴを運ばなきゃならなくて、頭のてっぺんにカゴの跡がついたそうな。
ところが、そのうちパイナップルの相場が暴落したらさっさとパイナップル畑をやめてしまう。さらにキューバ危機で(笑)砂糖の価格が高騰すると、すぐにサトウキビの栽培をはじめて、またまた海の際から山のてっぺんまでサトウキビを植えたんだとか。
社「大宜味の人は飽きっぽいからねー」
いやいや^^;;。
ちょうどこのころ社長さんは高校生で
「高校が終わったら、サトウキビをトラックに積んだよ。懸垂みたいな感じで投げ上げて、トラックいっぱいで50セントかな」
セント!そりゃそうだ。キューバ危機は返還前です。にしても、こんな話がシームレスに出てくるのがすごいです。
そんなこんなで、結局30分ほど、すごく濃いぃ話を聞かせてもらって、社長さんは退社です。で、「今の方が社長さん?」という野入さんの質問に対して、説明してくださった方が
「はい、そうです。わたしの父です。ショートリリーフなんです」
てことは、この方が次期社長!すごい!
なんでも、ここの酒造、大宜味の人々が共同出資してつくったらしいです。で、お酒ができたらみんなで呑んだと。すると、売る分がなくなったと。これではダメじゃんということで、酒蔵の建て直しをはかって、今の社長さんになったとか。なんかもう、大宜味の人はフリーダムすぎます。そんなことで、ほんとうに地元の人から愛されている酒蔵なので、ここの泡盛は80%は大宜味で消費され、那覇や首里に行くのは20%くらい。県外にはほとんど出まわっていないんだとか。
なので、30度の3年古酒を買って、ついでに次期社長さんが着ておられたポロシャツも買ってしまいました。で、最後に記念写真をパチリ。

次に向かったのは「芭蕉布会館」。
芭蕉布はバナナに似た糸芭蕉の茎の繊維を糸にして織ったものです。原料となる糸芭蕉。

この糸をつくるのがものすごくたいへんなんだとか。今、この糸をつくれる人は大宜味でもひとりしかおられなくて、その方は人間国宝らしいです。
記念館に着いて、作業場の2階に向かう階段で、向こうから白い長靴をぶら下げて降りてこられた98歳のおばあは、なんと人間国宝!しばし作業を見て、下に降りて製品を見て、紹介ビデオを見て、外に出ると、人間国宝が水をまいておられました(笑)。どんだけカジュアルな人間国宝やねん。
ちなみに、大宜味のエイサーは、沖縄県内でも数少ない女性のエイサーだとか。今度の日曜日、2年に1回の「喜如嘉まつり」があって、その時に見られるんだとか。うーん、それを見たら帰れない。残念!

今日の遠足最後のポイントは「共同売店」です。沖縄北部には共同売店があって、一度のぞいてみたいと思っていました。
共同売店の歴史は、日本が沖縄を植民地化した当時、本土から商人がやってきて、山原の木でウチナーの人がつくった炭をメッチャ安く買いたたいて、舟で那覇へ持っていき、帰りは舟で生活品を持ってきて高値で売るという、あこぎな商売をしていたところからはじまります。でも、生活品は買わなきゃしかたないから、やむを得ず買う。
ところが、大宜味の人たちは、自分たちで舟をつくります。さすがは大宜味大工の地です。そして、自分たちで炭を運んで売り、地元の人々から必要な生活用品を聞いて、それを仕入れて売るための共同売店を、自分たちでつくったんだとか。しかも、その共同売店は、本土の人がつくった共同売店の隣につくる。そうやって、本土の人の共同売店を駆逐していった。ほとんど、共産制です。
現在は、栃木から移住してこられたヤチムンをつくっておられる芸術家の方が共同売店を運営しておられるとのことです。ここでなにかを買おうかと思ったけど、考えてみたら地元の人の要望で仕入れてきたものなので、あまり買わない方がいいですね。なので、炭酸水を買うことにしました。で、裏にあったベンチでしばしゆんたく。ひと息ついたところで、さぁ帰りましょう。

野入さんの家に帰って、おいしい手料理をいただきます。

いつもびっくりしますが、チャチャチャとつくられます。そしてヘルシーでおいしい!
と、間もなく、Hでぼん登場。久しぶりです。てことで、またまたゆんたくしていると、Hでぼんが突然「いつきさん、マッサージしなくていいですか?」と、ありがたいお言葉を言ってくださいました。
てことで、少し脚を揉んでもらうなど。で、12時くらいにHでぼんは帰って、野入さんと1時くらいまで話をして、長い長い一日が終わりました。
あぁ、刺激的な一日だった。

今日が本番

今回の沖縄は今日が本番です。「現代社会のしくみ」で話です。
2014年にはじめて来た時はミッション1でした。2015年は「Yデーのあとのゴタゴタ」でお休み。2016年はミッション1で、2017年は沖縄人権学習のビデオづくりの報告でした。そして、昨年はミッション2の大学版をかけました。今回は去年と同じ内容にしようかな。
と、野入さんから
「「現代社会のしくみ」の最終回だから、最後に15分残してください。終了は11時35分です」
とのお言葉。マジか…。1時間15分。でも、やるしかないです。たぶん最後まで行かないけど、去年もそうだったし、それはそれでひとつのゴールだからいいでしょう。
てことで、お座敷開始。
ちょっとおねむの学生さんもおられたけど、ほとんどの学生さんはがっつり聞いてくださいました。特に最後の方はメモまでとっておられれて、いろいろ恐縮です。それにしても、ちょっと遅刻してきた人、なにやらオーラが違うぞ?メッチャイケメンです。たぶん、「こちら」の人ですな(笑)。あとでYーいちに聞いたらアタリでした。
てことで、11時35分ちょうどに終了。やったね!
昼ごはんはいつもの「SORA」でおいしいイタリアン。

午後はこれまたいつもの通り、ゼミに出させていただきました。
今日の発表者は2年生と3年生のふたり。それぞれ興味深い内容です。でも、それだけに難しい。そうやってあの興味深くて難しい内容を論文へと持って行かれるのか、楽しみです。そして、そういうゼミをさばきながら、論議を深めさせていく野入さんは、やはりすごいなぁ。

ゼミの後は野入さんとバイバイして、普天間にある「そいそいハウス」へ。ここで、Mりさんと合流です。どこかに食べに行こうかと思ったけど、結局買い物をして、自炊で呑むことになりました。てか、つくってくれるのはMりさんですけどね。おいしいゴーヤチャンプルーをつつきながら、ここ1年にあったつもる話をするなど。
しばらくすると、N山さんコンビ登場。ここから話は一気に広がっていきます。さらに、家主のAか峯さん登場。ここから話は一気に沖縄の運動と選挙の話になっていきます。さらに辺野古から帰ってこられた方が登場。もう、わけがわかりません。
と、野入さんからメール。
「明日の朝は早いので、もう寝ます。今日はそちらに泊まってください」
そりゃそうだ。で
「泊めていただけますか?」
とたずねると
「それはいいけど、明日の朝普天間基地の西ゲートでスタンディングに参加するのが義務です」
とのこと。ぜんぜんOKですよ。
ということで、最後はAか峯さんと辺野古帰りの人と3人で呑んでいましたが、少しずつ倒れていってしまったので、おふたりを置いて、わたしは寝ることにしました。
長い一日だったなぁ。

今回の研修・国立療養所沖縄愛楽園

朝、7時45分にスタートだとか。早い(;_;)。
で、とりあえず名桜大学へ。カフェでモーニングです。食べ過ぎた(;_;)。
しばしメールへのお返事をした後、1回生のポスター発表の見学です。LGBT関連がふたつあって、関心の高さを感じました。が、参考文献がネットなのがさびしいなぁ。まぁ、しかたないか。
それ以外に、名護市営市場の発表もありましたが、市場のはじまりが内地の人のお店だったというのを知ってモヤっとしたり。あと、ハンセン病のポスターがあって、「正しい知識を持つことが排除せずにすむことにつながる」みたいなことが書いてあったので、これまたモヤっとしたり。なので、思わず「隔離政策を支えたのは一般の人々の善意なんだよ」ってツッコミを入れてしまいました。
てことで、ポスターセッションが終わったら、せっかくなので「愛楽園」に行くことにしました。なんでも名桜大学にはハンセン病を専門にしてる伊波せんせいって方がおられるとか。その方に紹介してもらおうと思ったら
「突然行っても大丈夫ですよ」
とのこと。なので、Yーいちの車で愛楽園へ。
事務所で「あのー」というと、「交流館に展示資料がある」とのこと。交流館に行くと、すんごい展示がありました。数々の詳細な証言や、写真など。そして米軍が撮影した動画とか。頭がクラクラします。
で、伊波せんせいに「園内の案内ってしてもらえるんですかねぇ」と尋ねると、「自治会に行けばやってもらえますよ」と。
「そんなん、飛び込みで行っていいんですか?」
「いいんじゃないですか」
どんなんやねん。というとこで、自治会へ。
「あのー、ここに来れば案内してもらえるって聞いたんですけど」
かなり怪訝な顔で見られながらも
「ちょっと待ってくださいね」
と奥に行かれて、別の人を連れてこられました。
「どこの案内をしてほしいんですか?」
「えーと、あのー」
「時間はどれくらいありますか」
「別に特には。せっかく京都から来たので」
と、驚きの発言が!
「もしかしたら、京都で、同和教育をしておられて、在日外国人教育もされてる高校の…」
「はいそうです。いつきです」
「あー、やっぱり!わたし神奈川で教員やってた時に、京都の全国在日外国人生徒交流会に生徒を連れて行きました」
「あー!」
1993年のことですね。Sずきさんという方でした。
するとさっきまで怪訝な顔をされていた方が、満面の笑みになって
「よかったねー」
と(笑)。
てことで、Sずきさんが案内してくださることになりました。ちなみに、Sずきさんのことは、伊波せんせいが「ハンセン病回復者の戸籍のことで博論書いてる人がいる」って聞いてたんですが、まさかそのSずきさんが知り合いだとはわかりませんでした。
てことで、最初に向かったのは小中学校の跡地です。

なんでも、他の療養所内にも小中学校はあるけど、それらはすべてどこかの学校の分校なんだとか。ところが、愛楽園では屋我地の小中学校の分校にすると、本校の人間も「らい病」と間違われるということで反対運動が起きたんだとか。そこで、当時の琉球政府は「じゃ、分校じゃない学校をつくる」ってことで、政府立の学校をつくったんだとか。そしてその英断をくだしたのが、屋良朝苗であると。サブイボ立ちました。
さらに中学校を卒業したら高校に行きたい。でも、高校は本土にしかない。当時の米軍統治下では、沖縄の中学校を卒業しても受験資格がない。そんな中、本土の高校に連絡をとって、パスポートをとって。ハンセン病の人は船には乗れないけど、それをなんとか乗って、降りられないけどなんとか降りて、そうやって療養所に行って診察を受けて「ハンセン病認定」されることで高校に行く。「赤いマフラーしてる人に会え」という情報ひとつで、とにかく高校に行く。でも、愛楽園のカルテには「逃亡」としか書かれなかったとか。
ほんとにすざまじいなかを生きておられたんだなと。
次に行ったのは防空壕あと。

入り口は貝の堆積物があります。

これで手を切って、化膿して、指を落としてしまった人が多数だとか。さらに、奥には通路と無数の穴があいてます。この穴を掘るために、座った状態でツルハシを振るう。ツルハシの跡が生々しいです。

落ちたゴロタ石を手ですくって外へ放り出す。そういう作業の中で、脚を切断することになったり手を切断することになったりする。
防空壕のおかげで、空襲で死んだ人はひとりだけだったけど、防空壕のせいで手足を失った人がたくさんいたとのことです。
そして、出ました貞明皇后の石碑。

そして納骨堂です。

Sずきさんの話をよく聞くと、死者の話や死にゆく人の話がほとんどです。それが療養所の置かれた現実なんですね。
愛楽園のお墓は、療養所内部にふたつ、そとにふたつあるんだとか。ひとつはこの「平安之苑」で、もうひとつは聖公会の納骨堂です。

さらにカトリックの納骨堂が療養所にあります。カトリックの納骨堂ができた時「死んでまで療養所にいたくない」という人たちが、聖公会からカトリックに変わったとか。そこで聖公会も外に納骨堂をつくったんだとか。
愛楽園の納骨堂には子どものお骨もあります。ハンセン病の人たちへの断種や堕胎は知られてることですが、そういう処置を拒否して、あるいはかいくぐって子どもを産んだ方もおられたとか。でも、堕胎させられた方が圧倒的多数でした。小さな子どもを浜辺に埋めて、後でそのお骨を拾う。でも、お骨を見失うこともある。そんな時は骨の代わりに石を入れたりサンゴを入れたりしたんだとか。
納骨堂の隣には「名もなき子どもの碑」があります。

この碑をつくるにあたっても賛否両論あったんだとか。それを象徴するのが、除幕式での当事者の方の「複雑な思い」というスピーチです。ここに祀られた子は幸せだけど、断種・堕胎が強要されることで子どもが持てなかった人がたくさんいるんですよね。そういう歴史が「なかったことにされる」ことへの怒りみたいなものが、その根底にあります。
ちなみに、この納骨堂は3代目だとか。初代は空襲でやられ、2代目は粗悪な材料でつくったために老朽化が激しく、現在の3代目は入所者の皆さんがお金を出しあってつくられたんだとか。
そして、旧面会所。

かつてはこの面会所を境に、「有菌者」と「無菌者」の居住区がわかれてたとか。そしてその間には壁があったとか。その壁は、物理的には越えようと思えば越えられるんだけど、越えられない。そういうものだったらしいです。
ただ、愛楽園は「外部」に行きやすい。具体的には脱走しやすくて、案外脱走してる人が多かったみたいです。が、もちろん見つかったら、翌日は処罰される。だから、職員が怖かったとか。また、職員も愛楽園で働いていることは人に知られなくなかったんだとか。
なんかもう、幾重にも囲まれた社会なんだなと。
でも、現在はゲートボールの名護市長杯をやったり、外部との交流が進んでるとか。あるいは、どこの療養所でも課題になってる「最後のひとり」問題を、外部の人も入所できるようにすることで乗り越えていこうということも考えておられるとか。
なんか、崇仁みたいな感じですね。
ここから再び戦争の時の話です。
機銃掃射を受けた水タンク。

機銃掃射を受けて穴があいた塀。

沖縄って比謝川に米軍が上陸して、そこから南下していったから、読谷村以南で地上戦があって、それより北の被害はまた別種なのかなと思ってたけど、そういう世界じゃないですね。
ここに書ききれないことが、まだまだあるけど、約2時間のすんごいフィールドワークをしてもらいました。Sずきさん、ありがとうございます!って読んでないだろうけど(笑)。
帰りの車から見た橋。これが「こっち」と「向こう」をわけてたのかな。

で、そこから「水車そば」で遅めの昼ごはんを食べました。テビチ、うまい。

にんにく入りのコーレーグースうまい。

その後、今日お世話になるN入さんのお家へ。「おべんきょ成果」の報告をしたり、あれやこれやと話をしながら、手料理をごちそうになり、ぁゃιぃお酒を呑んでと。

さてと、今日は早めに寝ましょう。明日が本番だ。

久しぶりのふくろうの会

朝、すこしゆっくりして移動開始。はるかにのって、関空に行って、いつものジェットスターです。で、到着したのは、これまたいつもの那覇空港。今回来てくれたのはYーいちです。
久しぶりのご対面。やっぱりおもしろいヤツです。
で、ふたりで58をひたすら北上。到着したのは、これまたいつもの名桜大学です。今日はふくろうの会&宴会です。
実は、このふくろうの会、ここ3年くらい、ある種、濃密なつきあいがありましたが、昨年度「濃密な人々」が卒業してしまいました。現役の人たちも充分に濃いぃ人たちなんですけど、卒業した人々があまりにも濃いぃ人たちなので、相対的に薄く見えてしまっていたのですが、前回来た時に、現役の人たちもメッチャおもしろいことが判明しました。なので、やはり「ふくろうの会」は来たいなと。

名桜大学に着いたら、まずは「教養セミナー」なる自主講座に潜入。この自主講座、なんでもそれぞれの教員の興味に基づいて開講されていて、単位とは無関係らしいです。でも、これが成立してることがすごいです。今回のテーマは「子どもの貧困」です。でも、すでに発表は終わっていて、ディスカッションもほぼ終わってる状態でした。残念。
ただ、次回の購読の本を選んでおられて、『裸足で逃げる』が出されてたので、ついでに『ハマータウンの野郎ども』を推薦しておきました(笑)。

で、ふくろうの会です。
今回のふくろうの会のテーマは「老いとわたし」だとか。えーと、それ、わたしへのあてつけか(笑)?ちなみに、学生さんたちの話を聞くと、やはり「老い」は遠い世界のようです。なので、10年後あたりの話をされていました。
わたしは…。「折り返し点」から、まだ数年しかたってないので、まだまだこれからな気分です。なので「たぶん老後はないですね」って話をしました。
「ふくろうの会」のあとは「海洋」で晩ごはん&呑み。その後、ふくろうの会のメンバーさんの家で呑み。そのまま倒れるように寝ちゃいました。
やれやれ。

あり?

今日の午前は第2のふるさとで会議です。なので、朝は少しゆっくり。行きの電車ではたまりまくってるブログの更新です。
会議はというと、まぁいつもの通り。それぞれのガッコでやってる実践を出しあいます。とにかく、小中と高の違いが顕在化します。小中はガッコの規模が小さいのもあるけど、縛りがきつい。それが「一丸」となる契機にもなりうる。例えば、「ミニ研修」と題して、各教員が自分の興味があるテーマについて調べたことを発表したりします。そんなの、高校ではとうていできません。少なくとも京都ではね。
ま、そんなことを感じながら、ガッコへ。
メールチェックをすると、待ちに待ったゲンコが来てました。開いてみると、長っ!でも、いいんです。とても貴重なデータです。ただ、表ありグラフありのメッチャ組みにくいレポートです。こいつをうんうん言いながら、サックリと組みます。しかし、勉強になるわ。
で、著者に校正原稿を送って、お次は「おべんきょ成果」の修正です。が、ここで時間切れ。

夜は大阪で恒例の会議があるので、電車の中でスタイルガイドを見ましょう。なにせ、第2版に準拠して書いたもので、お手紙の中に「第3版に準拠してね」ってあったけど、どこを変えたのかわからないから、全部読まなきゃなりません。
ふむふむ、なるほど。えーと…。あり?
「見出しは前後一行あけてゴシックで中央寄せ」
マジか…。まったく気にしてなかった^^;。
実は、おべんきょセンパイの書き方とかはいろいろ注意をしてたんですが、こういう根本的というかレイアウトというか、そういうところは気にしてませんでした。てか、レイアウトは組版屋さんの仕事と思ってますからね。なまじ自分が組版屋なんで(笑)。
でも、どうやらそういうものではないのが、この世界のようです。これはかなりきっちり読まなきゃならんなぁ。

夜の会議はつつがなく進んでいきます。
そして、恒例の飲み会。カキがあります。やはり生でいきましょう。なにがあっても悔いはない(笑)。
てことで、少しタイムオーバー気味だったけど、無事に家に帰れたので安心です。
と、あり?
思い出しました。20日〆切の校正があるじゃん(;_;)。

大人気なんていらない

朝、体が痛くて目が覚めました。まぁそりゃ体育館にシュラフを敷いて寝たら痛いに決まってます。マットを持ってきたらよかったんだけど、荷物がなぁ。
てことで、ノロノロ起きたら、朝ごはんの準備をしてるSゅん輔がいたりして、ダラダラ話。そうこうするうちにお米を買ってきてくれたり。なんでも、道の駅に行ったらまだあいてなくて、でも「いいですよ」って売ってもらったんだとか。優しい町です。
で、朝ごはんを食べたら、なんか子どもたちがソワソワしはじめました。なんだろうと思ったら、みんなでドッチボールをしたいんだとか。
てことで、「ドッチボールやらなかったらバスに乗せへんで!」って言いながらみんなを集めました。
題して「大人気ないドッチボール」の開催です。
みんなガチです。ガチなので、たまに顔面にボールがあたります。もちろん、顔面セーフなわけですが、あたると痛いわな。そうこうするうちに、ボールが増えてふたつになって、やがて3つになるあたりでワケがわからなくなりました。とにかく、どこからボールが来るかわからない。でも、ガチで受けて、ガチで投げて、ガチで逃げるドッチボールはおもしろいです。
てことで、後かたづけをして、集合写真を撮って、パスに乗車。
それにしても、N田さんとO田さん、ずっとつきあってくださって、ほんとに申し訳ないです。でも、みなさんのおかげで、今年楽しくてステキな経験ができました。ほんとにありがとうございました。

あとはパスに乗って帰るだけ。とは言え、運転するのはわたしとYーき。パワーのないバスをひたすら走らせて、なんとか5時過ぎに到着。
バスを返して、幸楽に行くと、すでにみんな飲んでます。ここで、なぜかお座敷の打ち合わせなんかをやりましたが、まっとうにできるはずもなく。さらに、なぜがWぃんたが来て、なんだかもう、混沌です。でも、これこそが打ち上げだな。
さてと。明日は寝坊しよう。

今年も遠出・トランスジェンダー生徒交流会のキャンプ

子どもたちは朝8時半に集合です。が、わたしは8時に某所に集合。とりあえず、マイクロバスの受け取りです。このために限定解除したのでした。
てことで、マイクロバスを運転して、みんなの集合場所へ。今回は島根県に向かいます。
発端はこの日です。瓢箪から駒で決まった今年のトランスジェンダー生徒交流会の島根キャンプです。今年はどうなるのかな。
てことで、ひたすらマイクロバスを運転。2時前にYーきとドライバーチェンジ。ふう。とりあえず「ぷしゅ!」。Yーき、すまん。でも、セジッカラ、めっちゃうまい!
そうこうするうちに、バスは下道へ。やがて4時前に公民館に到着。出迎えてくださったのは、N田さんとO田さん。よろしくお願いします。
子どもたちは早速着替えて川遊びに出発です。小雨け降ってるけど、濡れたら一緒です。みんなでキャッキャ遊んでる時に、ふとN田さんに質問。
い「お風呂、ありますか?」
N「ないです」
い「シャワーは?」
N「物置になってます」
い「え…」
N「近くにお風呂ならありますよ」
い「え…」
てことで、みんなに
「お風呂行く?」
と聞くと
「行く!」
とのことでした。さすがはチャレンジャーやな(笑)。
でも、お風呂に行ったら幸い貸し切りでした。友だち同士なら安心です。それでも、見られなくないところは見せない。あたりまえのことです。このあたりまえのことが、なぜわからんかな。
てことで、体も温まったことなので、焼肉のはじまりです。うまい!O田さんがおにぎりを握ってくださって、これがまたおいしい!お米を大阪で買わなくてよかったです。
そうこうするうちに、子どもたちは思い思いの友だちとダラダラ話をしたり、体育館でボール遊びをしたり。大人たちは体育館に机を持ち込んで酒盛りです。まぁ、ここからあとはいつものパターン。「エロい」とかなんとか言いながら、いらん写真を撮ったりしているうちに、シュラフを敷いたら爆睡です。

久々にアクセル踏んだわ

朝、メールチェックをすると、メッチャメールが来てます。てことは、メールの返事祭り?てことで、ひたすら返事を書いたのですが、返事を書くと返事が来るのがメールというものです。アカンやん(笑)。
あとは夏休みの宿題をつくったり、なんだかんだとやってたのですが…。

問題は授業だな。
そもそも、なんでこんな時期に授業があるねん。進学校は知らんけど、そうじゃないところも進学校にならって授業がある。というか、わけのわからん「授業時数確保」とかで授業がある。だって「内容的な必然」でやるなら意味があるけど「確保」のためなら、単なる穴埋めですよ。
そもそも、わたしが教員になった頃は、「試験休み」なるものがあって、期末試験と長期休業の間は成績処理のために授業がなかった。ところが「試験返しをせんとあかん」という理由で「休み」がなくなった。そこからなし崩し的に試験返し→授業になって、すると採点の時間を確保しなくちゃならなくなって、試験が前倒しになって…。すると試験前の期間が短くなって単元を終えるのがきつくなる。ほとんど本末転倒です。
さらに言うなら、授業時数を確保してたくさん授業をやったら学力があがるのかというと、そんなevidenceはどこにもない。てか、PISAあたりのことを鑑みると、日本は授業時数が多い割に、授業時数が少ない国よりも点数が低い。じゃ、なんのための「授業時数確保」なんだと。
ほとんどかつての「スポコン」の世界です。ちなみに、スポーツの最先端は「根性」ではないですよね。科学的なevidenceに基づいてトレーニングをしている。スポコンがまかり通ってるのは授業くらいですよ。
さらに、大学までも「半期15コマ」が厳守だとか。なので、土曜に振替をやる。でも、そんなんイレギュラーだから、例えば土曜日に定期的に用事を入れてる学生は出られない。もっと言えば「学生ローン大国」の日本では働かなきゃ大学に行けないわけで、なのに「半期15コマ厳守」とか、ムリじゃん。必然的に振替の日は出席率は低くなる。言い換えるなら学生の学習権が侵害される。でも「自己責任」となる。
構造を問わずにこの責任にしたら楽ですよね。
で、誰がこんな世界にしたかというと、おそらくは制度と現場が相互反映的にやっていったんだろうとは思うど、その最初の「言い出しっぺ」はいるわけです。それは、おそらくは「教育の素人」だろうと思われるわけです。
誰が教育の玄人かというと、ひとつは教育学者です。あとは、現場にどっぷりと浸かり込んでいない教員です。ちなみに、現場にどっぷりと浸かりこんでる教員は、「舵取り」はできません。「考え」ではなく「感覚」で判断してるからです。
てことで、教育の素人が口を出すなと。

まぁそんなことを考えざるを得ない、週末に1日たりない木曜日なので、思わず子どもたちに
「なんでこんな日に授業やねんと思わへんか?」
とグチモード。すると子どもたちはポカンとしてます。そりゃそうだな。子どもたちはこれが当たり前だから、自分の置かれてる状況を疑いようもないよな。
てことで、一席ぶったあと、しかたないので授業です。
単元は「不等式のあらわす領域」です。

まぁ、社会もふたつにわけたがるよね。例えば、この出席簿に書いてある君たちも、ある記号でふたつにわけられてるんですよ。なにかわかる?「性別」です。
そんなん、当たり前やんと思ってるやろ?じゃ、女って何?男って何?「そんなん、チンコがあるのが男で、マンコがあるのが女やん」と思ってるやろ?でも、実際には身体の性はスッパリと二分できないんだよ。「だって、書類に書いてあるやん」と思ってるやろ?でも、世界の中には「X」っていうのがある国があるねん。実は、そんなに簡単なことじゃない。
そもそも、「男とは何か、女とは何か。誰が男と言われ、誰が女と言われるのか。男とは誰で、女とは誰か」ってことを考えるのが、わたしが大学で研究しているテーマなんですよ。
人間をわけるのは、他のことでもいい。例えば、アメリカでは肌の色でわけてきたし、今もわけてる。日本でも部落か部落外かでわけてきたし、今もわけてる。あるいは、日本国籍を持ってるかどうかでわけてる。いろんなわけかたがあるのに、なぜ「性別」でわけるのか。
それは、この社会は「異性愛」だからですよ。だから、ふたつの性別が必要となる。
例えば君たちは、制服を着ている。制服はふたつの性別でわかれてる。君たちは制服によってふたつの性別にわけられてるんですよ。髪型は自由意志?でも、だれかモデルになるものがあって、そのモデルにしたがってわけられてるんですよ。
そうやってふたつの性別にわけたうえで、男性中心の社会をつくってる。そういう社会をつくるために女性を利用する。
だから、「性別」があるんですよ。
まぁ、領域も同じようなもんでね。ある直線を境にふたつにわけるんだよ。じゃ、例23を見てみようか。

久々にアクセル踏んだわ。
でも、ポカンとしながら、必死でこっちを見てる子がいたのがうれしかった、夏休み前の授業のひとときでした。