世界が広がると感受性も増すのかな

朝、寒いです。久しぶりにお湯をかけた車のウィンドウが再凍結します。通勤途中も手が痛い。でも、これが普段の冬なんですよね。
電車の中から自分宛てにトドリストをメールします。職場に着いたら、トドリストに従ってサクサク仕事。
授業は2発。合間に生徒の走りにつきあってみたり。
それにしても、タイムは一緒に走る人に左右されるもんですね。今日は約4kmのコースをいいペースで走れました。

これ、ここ数年で一番早いペースかもしれません。
そんなこんなで、いろいろしてたら、あっという間に定時です。さっさと職場をあとにして、崇仁へ。今日は久しぶりのちょぼやき会です。会の前はいつもの通り、軽く燃料補給。今日は昨日角打ちで教えてもらった「おでん」を食べようかな。

うまい!味噌味がたまりません。一味をかけると、またおいしい。味噌味をビールで洗い流して、お店を出ました。
で、ちょぼやき会。今日の担当はYもぎ田さんです。現在リビングライブラリで本としてお世話になってる方です。今日の話はうちのガッコで話されてる内容+αを話してくださいました。
Yもぎ田さんの話を聞くと、仕事だけの人間がいかに狭い世界に生きているのかがよくわかります。たとえその職場がどれだけ大企業であってもです。話の中で「同じ話題しかない」みたいなことを言っておられましたが、そうなんですよね。結局仕事のグチがメインの話題になるんですよね。同質集団ってそういうことなんです。
そんなYもぎ田さんが、いろんなことがあって、仕事100%の生活がガラリと変わる。ここからがYもぎ田さんのおもしろいところなんですね。たぶんもともと興味をたくさん持つ方なのかな。そういうYもぎ田さんの特性が発揮される人生がはじまります。ただ、単に興味を持つだけじゃなくて、その興味を少し引いたところから観察したり、あるいは寄ったところから共感したり。そんなひとつが、例えば水俣病。そして水俣病から原発のことを問い直されます。
おもしろいなと思ったのは「被害者・当事者」となった時に、じぶんの「加害者性」へと思いを巡らせる。その加害者性は「他の問題」ではなく、自分自身の被害者性である原発へと向かうんですね。
ご本人は「考えるのが好き」って言っておられたけど、「考えながら生きる」ということがいかに大切か、そしてそれがいかに自分が生きる世界を広げてくれるかが、とてもよくわかる話でした。
うちの子ら、この話を聞いてるんですよね。伝わってるかな。というか、伝えるのはわたしたちの仕事か。
ちょぼやき会のあとは、今日は「中光園」に行きました。ここ、この間来たところです。ここでお腹いっぱいになるまで食べて、崇仁新町に行こうかと思ったけど、これは無理だなと。
てことで、いつものようにUりんちゃんに送ってもらって帰りました。家に帰ると10時過ぎ。よかった。10時半には寝られる…。

倫理学からのアプローチ

今日は某人権教育研究会の総会です。
午前はまぁ総会です。楽しみなのは午後の記念講演です。今回は「差別と倫理」の話を聞くことができました。
そう言えば高校の頃に「奴隷制度があったから哲学や科学は発展してきた。だから、奴隷制度は必要なんだ」って言ってた同級生がいて、もちろんそれはアカンのではあるんだけど、そこへの反論をしきれなかったという思い出があったりするわけです。つまり「アカンに決まってるやん」は答えにならない。かと言って「キミはそういう立場なのね。上等やんか」も答えにならない。
もちろんそれに対する答えとして「差別の現実に深く学ぶ」ってアプローチがあるんだけど、それもまた心許ない。
そんな中この日に堀田さんが倫理学からのアプローチをされていたのが、ずっと小骨が喉に刺さるような形で頭の中にありました。なので、今回の話はすごく楽しみでした。
結論的には「〇〇だから差別はアカン」という明確な解答はもらえませんでした。たぶん(笑)。ただ、すごくなるほどと思ったのは「トラウマ」という観点を提示されたことです。トラウマとvulnerabilityが結びついたとき、その具体例としてあげられるのがヘイトスピーチになります。つまり、ヘイトスピーチは肉体へのダメージになりうるということ。そしてそこにトラウマがあるということ。だからこそそこにvulnerabilityがあるということ。そのvulnerabilityはマイクロアグレッションで日常的にダメージを与えられ続けることによって強化されている。こうしたことが結びついたときに「差別とはなにか」ということが具体化される。つまり差別は具体的には「個」に加えられるものではあるけど、その個はvulnerabilityを持つカテゴリー集団と結びついている。そのカテゴリー集団を「被差別者」ということができるのかな。
こう考えると「差別はアカン」と単純に結果だけを言うのではなく、少なくとも差別の構造を心理学とも社会学とも違うアプローチで説明できるようになる。
別に倫理学でなきゃならないということではなくて、差別を論じるときに多様なアプローチがあるということに意味があるのかな、そんなことを、話を聞きながら考えてました。
うん、よかった!

気づく、つながる、築く・日教組教研3日目

朝起きると、7時。余裕です。ゆっくり朝ごはんを食べて、出発準備しましょう。ちなみに、体調は昨日よりはるかにマシです。でも、しんどいのはしんどい。
Aっちゃんとロビーで合流して、今日は市電で行きましょう。
会場に着いたら、ロビーでA井さんに腰を押してもらいました。あー、アカンのはそこだったんだ!
会場に入ろうとしたら、全国の女性部長がやってこられて「頼みたいことが…」とのこと。はぁ、わたしのでいいんですか。でも、ちょっとうれしい。
で、今日は総括討論です。テーマは「気づく、つながる、築く」です。さて、何を話そうか。
やはり、今考えてることはこの時話した内容ですね。それをいかに伝えるか。
たぶん「気づく」って、ワクワクすることなんです。そしてそれを教員はよく知ってる。知的好奇心ってのを持ってるんです。だから、新しい知識と出会うとワクワクする。
例えばその典型が、「部落史の見直し」でした。「えー!」って思ったし、「おもしろい!」って思った。そして、このおもしろい部落史をどうやって伝えようかと工夫し、授業した。で、どうだったか。ごく一部の子には伝わったけど、圧倒的多数の子どもたちにとっては「だから?」だったんです。それはなぜか。伝えようとしたことが「ワクワク」だったからです。ワクワクしない子にとっては伝わらないし、そもそもワクワクを伝えてもその先に行かなきゃダメなんです。
同じことが「性の多様性」でも起こってる。教員は「えー!」「おもしろい!」と思って、「性の多様性」を一生懸命勉強して、そのおもしろさを伝える。でも、そこで起こることは「部落史の見直し」と同じことです。
「部落史の見直し」のときにわたしたちが考えたことは、「部落史「を」教える」ことから「部落史を「で」教える」ことへの転換でした。そしてそこから伝えようとしたことは、部落差別は民衆の中にあって、政治権力はそれを利用し助長したってことでした。つまり政治を変えることだけではだめで、社会を変えること、そしてその社会はわたしたちによってつくられてるってことがわかったんです。だからこそ、「政治の問題」から「わたしの問題」へと転換したんです。
同じように、「性の多様性「を」教える」ことから「性の多様性「で」教える」ことへの転換がなにをもたらすか。それは、わたしのレポートが伝えようとした「多様性の中に権利の不平等がある」ということ。そして、その不平等を通して、わたしたちが「あたりまえ」と考える社会が実は当たり前なのではないということ。つまり、この社会がどのような「規範」でてきているかを明らかにするということです。
まぁ、そんなあたりを中心に発言して、午前で今年の日教組教研もおしまい。
終了後、またまたロビーでA井さんに腰を押してもらいました。やはり腰ですね^^;。
お昼ごはんはもちろんお好み焼きです。うーん、「かっくんスペシャル」を思い出して、少しさびしさを感じたり。
あとは新幹線に乗って帰るだけです。Aっちゃんと一緒にお酒を買い込んで、しばし宴会。京都駅で余ったお酒を片づけて、お家に帰ったら5時。あかん、限界です。寝よう。7時に起きて晩ごはんを食べて、でもまた寝よう。明日は日常だ。

絶不調だけど提案県・日教組教研2日目

朝起きると全身がパキパキです。しかも8時。起き上がると、部屋中がバラッバラになってます。ヤバイです。でもとにかく朝ごはんを食べて、コーヒーをボトルに詰めて、スタートです。
タクシーに乗って、なんとか会場へ。みなさんと朝のあいさつをして、さぁ分科会開始という直前に「忘れた!」ってことに気づきました。
実はわたしは今年は「レポートのあるレポーター」です。ちなみに、この立場になったのはmuchan時代の2005年1月9日以来、実に15年ぶりです。あの時はたしか、「CMは子どもたちにとってロールモデルになるか」というのをやったんでしたっけ。で、子どもたちにアンケートとったら、女の子のトップは上戸彩で、男の子のトップは星野仙一でした。まぁ、あこがれるCMキャラクターにはジェンダー差があるのはあたりまえだけど、そのイメージそのものがジェンダー差をつくりだしてる可能性があるってことが言いたかったんだけど、どうもあまり理解されなかった思い出があります。ちなみに、この時は『正論』にほめられちゃいました(笑)
で、今回は2回目ですが、実はここだけの話、このとりくみは2014年度の教研に出してるんですよね。ただその時は「レポートのあるレポーター」にはならなかったんですが、なぜか今年はそうなったと。
で、忘れたのは「カードゲームに使うカードのサンプル」でした。どうしようと思ったら、Aっちゃんから「とりにいきましょうか?」という天の声が…。ありがたい。去っていくAっちゃんの後ろ姿を見ながら、どこからともなく「秘書やな」という声が…。いや、申しわけない。
それにしても、今年は質問が多いです。レポートそのものは10分なんですが、2本のレポート&質疑で1時間半ほどかかりました。すごいな。てか、わたしのもそんなに質問きたらどうしよう(笑)。
で、休憩のあとはわたしのレポートです。「提案県に選ばれたのは北海道以来2回目でして、普段は発言時間が3分しかないなら、身体が3分に慣れてるんですよね」とひとこと挟んでから、「多様性ワークショップ」の紹介をしました。レポートが終わると質疑応答。えーと…。4つ…。しかも、うち3つは友だち(笑)。ひでぇ。質問が出ないって事は盛り上がらないってことですやん。悲しいなぁ。
昼ごはんは近くのロイホ。「悲しいなぁ」って言ったら、「レポートには穴を開けなきゃ」って言われたけど、それ、いつもやってることなんだけどなぁ。
で、午後は友だちが提案県なので、それを聞きました。まぁそれはいいんだけど、なんで「セクシュアルマイノリティ生徒交流会」が提案県になって、かつての「トランスジェンダー生徒交流会」は提案県にならなかったんだろ。まぁええけど。
ちなみに、司会の方や共同研究者の方から「今年は選ばれるかもよ」とか言われたんですが、なんのこっちゃ?
そんなこんなで、濁りきった頭で今日の論議は終了。実は朝の絶不調は、まだ続いてるのでした。昨日のダメージはどんだけやねん。
いったんホテルに帰って、お風呂に入って身体を温めて、飲み会会場へ。やはり体調がダメですね。飲もうと思ったけど、身体が食べ物を受け付けません。横になって、お酒をちびちび、料理をちびちび。ふと宮崎全同教の夜を思い出しました。熱はヤバイです。てか、インフルはもっとヤバイです。今週のスケジュールがすべて吹っ飛びます。でも、帰るわけにはいきません(笑)。E井さんが来られるはずです(笑)。A井さんがマッサージしてくださって、少し楽になったかな。
そうこうするうちに、2時間半たって追い出されることに。外に出ると
「なんでお前らが(笑)!」
インクルーシブ教育分科会の二次会が、わたしたちのあとでした。てことで、急遽合同二次会が決定。無事E井さんも合流されて、わたしも体調がもどってきて、ここからはゲラゲラ笑いながら飲みました。

帰りはAっちゃんとKわら田さんと3人。なんとなく小腹がすいたよねということで、カップラーメンと缶チューハイと炭酸水の三次会。でも、わたしは途中で寝ちゃったみたいです。
起こされて、部屋に帰って、今日は倒れることなく寝られそうかな。

今年も来た・日教組教研1日目

朝、電車がいつになく遅れてます。おかしいな、なにもないのに。と思ったら、どうやら濃霧と倒木でダイヤがずたずたらしいです。嫌な予感が頭をよぎります。案の定、始業は20分遅れの午前は45分授業。うーん、今日の予定はどうなるかなぁ。
朝一番目に昨日の決断の話をしたり。状況が急激に動きそうです。
てことで、今日の授業を終えて、午後から休みをとって移動開始。やはりダイヤの乱れは残っていて、思った時間に京都駅に着くのは無理そうです。1本遅い新幹線に変更です。で、到着したのは広島です。今日から3日間、いつもの日教組教研です。行きの新幹線では明日の宴会の場所の相談。
会場に着くと、すでに討議ははじまっています。さすがに流れがわからないので、しばし沈黙。ただ、去年と違って後半の討議には参加できそうだったので参加してみました。なにせ、「労働・家族」はあまり得意ではないものの、義務制と高校の違いはかなり顕著なので、そのあたりの指摘はしておかなきゃなと思いました。何が違うか。
なんか、義務制における進路指導は「なんにでもなれる」がベースにあるように思うのです。それに対して、高校における進路指導は「すでに決まった方向」がベースにあるように思うのです。それは、単純に義務制時代をどう過ごしたかだけじゃなくて、なんか生まれた瞬間、すでに決まってるみたいなことがあるかなと。やはり、ほんとうにしんどい家庭で生まれた子が「すべての可能性がある」とはとうてい思えない。
そう言えば、かつて「才能」について考えたことがあったなぁ。なので、帰り道にKわら田さんとそんな話をしたり。
その後呑み会です。この間取材してくれた人がKわら田さんと友だちならしく、まずは3人でお好みをつついたり。その後、いつものメンバーと合流。さらにそうこうするうちに共同研究者の堀江有里さんが合流。堀江さんはとてもとても昔からのつきあいです。
そんなこんなで、12時ぐらいまで呑んで、その後コンビニで缶チューハイを買ってAっちゃんと3人で屋外で呑み。
かなり酔っ払って部屋に帰って、そのまま倒れるように寝ました。

あっちに座りたかった

今日は午前は歯医者の日です。こないだ詰物がとれて、やっとです。
とれた詰物を歯医者さんに渡したんだけど
「あれ?おかしいな。どう見てもこうだよな」
ってやってはります。つまりうまく入らないと。
「虫歯もあるし、つくりなおしますね」
ということで、速やかに麻酔を打たれます。うまいわ。はじめにチクリとしただけです。でも、身体に力が入るのは条件反射ですね。
あとは削りまくって型をとって仮詰めして終了。来週もっかい来たらいいってことかな。

ここから移動開始です。目指すは京都府最南端の町。今日はここのガッコで某人権教育研究会の会議です。ただ、楽しみなのは、会議の途中でDARCの見学があることです。
てことで、30分ほど会議をやって、山の下にある木津川ダルクへ。何回か前を通ったことはあるけど、中に入るのはもちろんはじめてです。
中に入って、スタッフの方に
「あの、この間龍谷大学でえんたくに…」
と自己紹介したら
「あー」
とわかってもらえたのはうれしかったです。
部屋に入ると、参加者の皆さんがミーティングをすべく待ってくださっていました。
わたしたちは机から少し離れたところにあるソファで見学です。
やがてミーティングがはじまりました。まずはダルクのパンフレットみたいなのの読みあわせ。そして12ステップです。
そこからひとりひとりが語りはじめられます。まずは
「〇〇」
とアノニマスネームを言うと
「〇〇!」
と返されるのを見て、『アル中病棟』で見たこと、ほんとにやってるんだと再認識したり。
なんか、依存系の人の話を聞いていつも思うのは「さびしい人生でした」って、みなさん口をそろえて言われるんですよね。加藤さんも言っておられたな。
これ、逆に言うと、ダルクと出会って「さびしい人生から脱出した」ってことになるのかな。仲間と出会うって、そういうことなのかな。薬物をやることを通して人とのつながりがどこかで切れる。依存症の回復って、そういうつながりの回復でもあるんだろうな。そしてそれは、たぶん依存症の人だけじゃなくて、例えばトランスの子どもたちや在日外国人の子どもたちも同じなんだろな。もちろん違うところもいっぱいあるんだろうけどね。でも、例えばとーますの話とか読むと、やはり、つながりの回復なんだなって気がします。
ミーティングのあとは質問タイム。わたしもマーシーのことを聞いてみたり。そうか、マーシー、捕まる直前は日本ダルクに行かなくなってたんだ。しんどいな。
壁に貼ってある紙を、許可をとってパチリ。

拡大!

こちらも!

なんか、ココルームの天井を思い出しました。

帰る前に
「みなさんの話を聞きながら、実はわたしもこっちに座りたいなと思ってました」
とか言ってみたり。もちろん「言いっぱなし、聞きっぱなし」ではなく「ツッコミあり」ではあるけど、わたしが日常的にやってることでもあるし、依存症の回復者の友だちもいるしね。

てことで、木津川ダルクをおいとまして、学校に帰って会議再開。まずは感想の交流です。みなさん、「行ってよかった」と言っておられました。そうなんですよね。会わなきゃわからない。なんでも、木津川ダルクができた時に、学校の中に「心配」する声があったんだとか。たしかに幻聴さんとともに生きてる人もいるかもしれない。でも、そういう人がいないことになってるこの社会で、幻聴さんとともに生きる人と日常生活で出会えるこの学校の子らは、幸せなんですよ。
そんなことを話して、あとは会議をさっくりやって、5時前に終了。

ここからまたまた移動開始です。向かうは大阪駅。ここでKうさんと合流して燃料補給。

と、Hりさんも来られたり。
そんなこんなで、恒例の会議です。今日はけっこうあっさりめに終わって、恒例の飲み会。こちらもわたしはさっくりあがりましょう。
それでも帰ると0時前。さぁおべんと詰めて、さっさと寝なくちゃ。

移動開始

今日は午前と午後に恒例の某在日外国人教育関係の会議があります。まだ年明け早々ですが、来年度へ向けていろいろ決めなくちゃなりません。なかでも、全体会の講師選びが大切です。
はじめはK島さんとかHま田さんとかEの井さんとかの名前があがってたけど、ちょっと待てよと。次回大会は鳥取です。てことは、やっぱり鳥大の人じゃないかと。こんな時「まこっちゃん」が生きててくれたらなぁと思ったけど、考えてみたら、まこっちゃんの跡継ぎいるやんかと。で、検索かけたら、ちゃんといはりますね。兵庫で震災関連をしておられる方とか、静男でブラジル人関連をしておられる方とか。
鳥取の人は鳥大とつながっておられないみたいだったけど、たぶん研究者とつながるのはとても大切です。なので、ここをチャンスにつながりを持ってもらえばいいかな。
まぁそんな提起をしたり。実践は全然できてないけど、たぶんそういうことを考えるところに、わたしの存在意義が少しは残されてるんじゃないかな。
午後の会議はメンバーが少し増えて、午前の話プラスアルファの話。話をしながら、大分とか熊本とか徳島(笑)と連絡をとりあうのが、やっぱりわたしの存在意義かな。
会議が終わったら、飲み会です。が、いつも行ってたお店がつぶれてます。どうしようと思ったけど「京都駅の近くに屋台があるんだって?」とかいう他県の方のために崇仁に向かいました。が、そのまま崇仁新町というのも芸がないので、「地元の人しか行かない飲み屋に行く?」ということで、かっちゃんへ。
と、
「あれなに?」
「銀行」
ということで、柳原銀行に寄り道。
「こんにちは」
と入ったら
「こんにちは。でも4時半までなんですよ」
「すぐに出ます。あ、もう4時35分なんや」
「せんせい、さっと見てさっと出てね」
ということで見せてもらえました。
「せんせいって言われてる」
とか言ってる人がいたけど、いろいろバレてるねん(笑)。
10分ほどで外へ出て、かっちゃんへ。お店に入るといつもの空気が流れてます。でも、わたしがいられるのは15分ほど。出掛けに
「先に帰るけど、あんじょうしたげてね」
と言うと、笑われました。
さてと、明日へ向けて、移動開始だ。

サルベージしたら見つけた

今日のフィールドワークに触発されて、昔のフィールドワークの資料を探してみるなど。すると、ありました!
遠足のしおり
さらにこんなことも書いてたんだな。
学級通信第6号」は「震災の爪痕(その1)」です。ちなみに「その2」は出ませんでした。
学級通信第7号」は遠足前の注意事項。なにやってるんだ?この教員www。
学級通信第10号」は振り返り(その1)です。
学級通信第11号」は振り返り(その2)です。
それにしても、暑苦しい。そしてなによりすごいのは、この暑苦しい教員につきあってた子どもたちです。
まぁ、そんな感じですね。

今年は長田

今日~明日、日教組の近畿・中国・四国ブロックの女性部長会議があります。ちなみに、去年は「山登りの翌日」に山口に行き、おととしは京都で迎え撃ち、その前の年は小豆島に行きました。
この女性部長会議は必ずフィールドワークがセットであります。今年は鷹取に行くんだとか。ここ、かつてきたことがあります。サルベージした資料によると、1996年5月2日に来ていたみたいです。
てことで、とりあえず元町に行って昼ごはん。

八宝菜、とろみがないけどうまい!

で、集合場所へ。ところが1時間早く着いてしまいました。まぁええか。ゲンコでもやっつけましょう。
やがて集合時間が来たので受付をすませて、そこから鷹取へ移動開始です。降り立った鷹取駅、なんとなく25年ほど前に来た時の感じが残っています。なんでも、このあたり、全焼区域と全壊区域がテレコになっているみたいです。そんななか、ところどころに昔のままの建物があったりします。
これは、当時ボランティアの人が地元の人を元気づけようと書いたペイント。

このレンガはお墓の塀ですが、昔のものと新しいものが混在しています。

大国公園。

そう言えば、遠足の時ペーパードームに行くのを希望しなかった子らに「ここで遊んどけ」とか言ったよなぁ。ここに震災当時の電灯が残っています。

旧鷹取商店街。今はまったく変わっています。

そして、鷹取教会へ。あれ?礼拝堂、こんな感じだったけ…。

でも、やはり紙の芯を使って建物が建っています。

チョゴリを着たマリア像。

ベトナムの服を着たマリア像。

和服のマリア像。

あ!昔のペーパードームの写真が!これですこれです。

奇跡のキリスト像。

焼け残ったのが奇跡なわけではなく、ここに「人のつながり」ができたことが奇跡なんだとか。

あと、FMYYの中を見学して、金秋子さんの話がはじまります。
とにかくメッチャたくさんのことをしておられます。でも、元はというと、「ボー」とした大学生だったんだとか。それが、地域に住むさまざまな人と震災を通して出会って、そこから今の活動に入ってこられたんだとか。その経験から出てくる言葉はおもしろいです。
例えば、長田は元々ケミカルシューズをつくっていた街ですが、町全体がひとつの工場のようだったんだとか。なるほどな。そうやることによって、街の中をお金がまわる。すると、町全体が豊かになる。すると、街の中に人々が行き交うようになる。
あと、印象的だったのが、最初に話された「街の中にある多文化を発信する」ということかな。つまり、外から持ってくるんじゃなくて、もともとある声を発信する。そうなんですよね。それは学校も同じです。
とにかく、あまりにも盛りだくさんなので、覚えきれません。そうそう、「1.17KOBEに灯りをinながた-今、伝えたいこと-」は見なくちゃ。
そんな感じで話を聞き終えて、外に出るとすでに暗いです。なんでも予定よりも1時間くらいたくさん話してもらえたんだとか。でも、このあとのフィールドワークがキャンセルになってしまいました。
阪神高速。

なるほど、これはコケるわな。
そして、鉄人28号。

「よっるーのまっちーにがおー♪」
ということで、今年のフィールドワークはおしまいです。

合宿の朝→やっとの思いで帰る

朝、6時頃にふと目が覚めました。なんか、痛いです。どうやら名札が食い込んでるみたいです。しかも、板の間にシュラフを直接敷いてるわけで、痛いに決まってます。
それでもしばらくシュラフの中でぬくぬくしていましたが、Mーさんが朝ごはんをつくってくれたので、いただくことに。うどん、うまい!
で、迷ったけど、結局チューハイに手を出したところで、今日一日が終了しました。やがてSおりちゃんが起きたのでサムゲタンをいただきました。うまい!サムゲタンを食べながら、いろいろディープな話。当然ビールに手が出ます。
しばらく朝の会話をしたのち、片づけ開始。動くやつと動かないやつの格差がはげしいです。まったくもう…。
片づけが終わったら、いつもの通り、崇禅寺駅前の惣菜屋さんへ。ここで、おいしい鶏の唐揚とかおでんとかをつつきながら、まずはワイワイ話。そのうち子どもが帰ったので、もう少しディープなトランス話。そして、最後に残ったのがNPO法人の理事長と副理事長(笑)と理事の3人。なぜかNPO法人の今後の活動へと話がシフトしていきました。
でも、今日は早く終わりましょう。5時過ぎにお開き。駅に着くと、新快速の2分後に特急があります。うーん、特急に乗ろう。疲れた…。
でもおかげさまで、家に帰ってビールを飲んで、パートナーに腰を押してもらって、お風呂に入って、10時半には寝られました。
よかったよかった。