振り返るといろいろあるな

実は、こういう大きな行事をやる中心的な人たちって、1年ほど前から必死で準備をしているし、今日終わったからと言ってすぐに仕事が終わるだけじゃなくて、事後処理もまだまだ残っています。なので、ほんとうにたいへん。
あと、今回のような、インターハイに匹敵する行事をやるには府教委や市教委の協力は少なすぎ。正直言って、10年ちょい前のインターハイとの落差に_| ̄|◯でした。まぁ、文化系クラブへの扱いっていうのはその程度のものなんだろうと思います。そういう意味でも、中心的にやってこられた方々には心の底からご苦労様と思っています。
それに比べたら、たかだか3日ほど炎天下にたつのは、さほどしんどい仕事じゃないです。だから、いろいろ文句を言うのは筋違いというのは、別に初日からわかってはいました。たぶん、担当が逆になったらわたしだって自分の仕事をこなすのでいっぱいいっぱいだっただろうと思います。
てなことで、かなり好き放題に言いすぎたなぁと、生ビールを飲みながら思いました。
はたしてわたしの声が本部で中心的に仕事をしておられた人たちのところまで行っているかどうかはわかりません。もしかしたら、不快な思いをされたかもしれないですね。
ま、10月に顧問総会をするそうです。またその時にいろいろ振り返りながら、これからのこともゆっくりと話ができるかな。いままでバラバラだった京都の放送部が、それでも一緒にひとつのものをつくってきたんだから、大きな成果だったよなぁと思います。
てことで、こんなところ読んでいないだろうと思いますけど、みなさん、ほんとうにお疲れ様です*1

*1:過去形にならない…

自己決定・自己責任

午後、芦原橋駅近くの人権文化センターで「Hさんとの二人会」をするハメになったので、行ってきました。
それにしても、金曜日の夜からずっと飲み続けなのがやっぱり気になります。今日一日、身体持つやろか…。でも、泣いても笑っても今日は来るし、今日は終わります。いまやらなきゃならないことをやり、できることをするしかないです。
ところで、Hさんと二人会とはいえ、ネタあわせがぜんぜんできていません。なので、少し早めに行って打ちあわせ。お互いに「いつきさんから」「いえ、Hさんから」と譲りあうのはお約束です。で、結局「しゃべり」なわたしが先行していくことになってしまいました。まぁ、わたしのネタってあまりバリエーションがないから、専門のHさんが後攻めの方がいいのはいいんだと思います。
で、サクッとネタあわせを終えて、あとはよもやま話。最近Hさんが考えていることについていろいろ話。
なんでも「自己決定って、「必ず成功させる」というような確信を持ってやらなくちゃならないことなんだろうか。そんなこと、みんなやっているんだろうか」ということのようです。これ、自己責任の問題とからまってくるわけなんです。さらに「自己決定の結果って、どうせ必ず自分で責任をとらなくちゃならないわけで、それを他者から「責任をとれ」ってあらためていわれなくちゃならないものなんだろうか、という提起がある」みたいなことも言われました。
なるほどなぁ。わたしは「自己責任って、他者から「責任をとれ」と言われることじゃなくて、怒った結果に対して、自らが「よし」とすること」と思っているんです。で、それが可能にするためには「すべてが選択だ」と考えることからかなぁと思っています。まぁ、こういうのって強者の論理という批判を受けそうですが、でも「選びたくて選んだワケじゃない」という発想はその結果がしんどい状況になった時に、その責任(原因)を他に求めることにつながっていくし、そういう姿勢が他者から「自己責任」を押しつけられることへとつながっていくんじゃないかなぁと思うわけです。
もっとも、いまは「選択肢」があまりにも少なく、「自己決定」がきわめて難しい状況であるということは否定できませんね。

誰がつくるのか?

で、ここでついケンカをしてしまいました(笑)。
はじめのうちは「お前な、ホンマに性同一性障害なんか?」という秀逸な質問が出てきていて、「おもしろいなぁ」と思っていたのですが(笑)。あ、ちなみにわたしの答は、もちろん「そんなん、わからへん」ですよ。で、「そやけど、無理してへんのか?」という質問には「ぜんぜん(笑)」です。てか、無理はしてますよ。だって、だれしもどうやって生きていくにも多少の無理はあるし、ましてや「女性として生きること」は、ある意味「(ネーチブであるかどうかにかかわらず)無理の連続」だという気がします。でも、例えばホルモンをとっていることについては、全然無理じゃないです。そういうことなんです。
で、ついでですから「わからへんけど、診断書くらいやったらなんぼでももらえるよ」とは言っておきました。で「なんでやねん」というので、「いや、自分の性別への違和感とか相手の性別への同一感が3年以上続くとか、診断基準があるねん。いちおう、それには合致しているねん」と答えておきました。すると「そやけど、診断基準は人間がつくったんやろ。だから間違いもあるやんか」という反論。いや、笑いました。その通りです。ちなみに、診察しているのも人間です。もちろん間違いもあります。だから、わたしがそういう診断書をもらえるのは間違っているそうです。
まぁ間違っていてもいいですけどね(笑)。
さらに「長いつきあいで、バイクが好きだったりヒゲをはやしていたお前を知っている。そんなヤツが性同一性障害とはどうしても思えない。間違ってるやろ!」とのこと。いや、重ねて言いますが、間違っていてもいいですけどね(笑)。しかし、そうなるとかなりの人が「間違い」になるなぁ。
しかしさぁ、自分が間違っているという可能性はないのかねぇ。
そのあたりでだんだんイライラしてきていたところに、「在日の子らの交流会ではその問題を出すな」ときたもんで、このあたりでぶち切れです。いや、4年ほど前に、ようやく自分が自分らしくいられるようになった頃、やたらそういう話をしていました。それは反省しています。だから今は自分からは言わない。当然です。ただ、問題は、LGBTIの問題を抱えている在日の子が来た時、それを隠したままでしか参加できない交流会をつくっているということなんです。在日であるということも、その子の一面。セクシュアリティもその子の一面。どちらもすごく大切な一面であって、どちらが欠けてもその子ではないということなんです。
ちなみに、そこにいたもう一人の人は「別に言うてもええじゃないですか」という立場。日本国籍を持つ中国帰国の方で、その人の生い立ちを交えながら「マージナルであること」をいろいろ話されました。おもしろかった。でも、どうやらわたしにくってかかってきた人は、そういう「マージナルさ」を排除したところしかわからないみたい。
まぁ、最後は、「もしもわたしが交流会に不要な人間だとあなたが思ったら、どうぞ「やめろ」と言ってください」と念押しをして解散。
だって、んなところにいてもおもしろくないもん。わたしには、京都の仲間がいる。

免許の更新

あんまりこういうことは書きたくないけど…。
あの「10年ごとの免許の更新」ってなんだかなぁと思います。
いや、研修がいやというわけじゃないです。基本的には、いろいろな研修会に行くのは好きです。「どんな内容からも、学びうる部分はある」というのが、わたしの基本的なスタンスです*1
でもねぇ、30時間でしょ?一日8時間としても、4日では無理です。5日目に突入ということは、1週間まるっぽということ。で、10年ごとということは、新規採用から30年目の人もその講習を受けるわけですよね。30年目というと、人によっては教頭だったり校長だったりします。もしかしたら、教育委員会の指導主事とか、総括指導主事だったりするかもしれないわけです。その人たちの更新のための30時間=1週間のカリキュラムは、わたしだったら考えるの、イヤだなぁ。てか、無理。
で、内容面はそういうことですけど、予算はどうするのかな?全国の教員免許を持っている人の数ってすごいと思います。その人たちが受講可能*2なだけの講師・施設・テキスト・スタッフをどうやって確保し予算するのか?ただでさえ、教育予算を削っている時に、無理でしょ?それとも自費?それはあかんやろうと思うし、百歩譲って自費を呑んだとしても、純粋にひとりあたりにかかる費用以上をとらないと赤字ですよ。「受講するかもしれない」人のための余剰分まで「受講しなくちゃ仕事がなくなる」人が負担するのはまずいでしょ?結局予算化しないといけない。
講師は誰がするのかな?わたしゃ、これ、天下りの温床になりかねないなぁと思うのです。まぁ、おもしろい教育学者*3の講演だったら聞きたいけど、退職校長とかの話なんて聞きたいとは思わない。まぁ、聞いたら聞いたでなんか学ぶところはあるかもしれないけど、30時間はきついです。
あと、時間はどう確保するのかな?30時間校務に穴を開けるわけです。いまだって、新規採用の教員はものすごい研修漬けで、特定の日に研修が入ります。すると、その日の時間割をあけなくちゃならない。すると、時間割がすごくいびつになります。一人の時間割がいびつになると、全体の時間割に影響をするわけで、そうすると単純に「その人」のことに限らず、学校全体の運営に支障が出てきます。長期休業中にやるのかな?夏休みとか、最近は教室にクーラーが入った引き替えに補習授業をする学校が増えているから、同じことだと思うなぁ。クラブとかやっている人もいるし。てか、学校の教職員数って、こういうことをすることを前提に配置をしていないから、厳しいんじゃないかなぁ。
っつーか、なによりも運転免許の更新って、おもしろい?役に立つ?みんな「だるいなぁ」とか、「こんなん意味がない」とか思いながら一日休みを取って行っていると思うのですが、あれが10年に一回ではあっても5日あるんですよね。鬱だなぁ。まぁもっとも、あたしゃ青切符を数年に一回もらう人だからねぇ(笑)。

*1:昔、ある官製研修で「君たちの採用年度の研修参加率はものすごく低い」と怒っている講師がいました。「そんなもん、出席している人に怒ってもしゃーないやろう」と思ったわけですが、ふと「あ、ショートホームルームでおんなじことやってるなぁ」と我が身を振り返ることができました。学んだなぁ…。

*2:全員が受講するかどうかはわからないけど、教員を現在やっていない人でも受講できると書いてあったので、受講可能にしなくちゃならないですよね

*3:佐藤学さんとか苅谷さんとか志水宏吉さんとか、その他いろんな人がいますけどね

新聞記事から

家に帰って朝日新聞の夕刊を拡げてしばらく読んでいると、三土修平さんの記事がありました。思わずパートナーに、「この人、知りあいやねん。ウチの掲示板にも書き込んでくれはったことあんねん」とジマソプレイ。穏やかな表情が、なんともいい感じでした。
内容は、靖国問題についてでした。
その時思ったこと。かつて池田久美ちゃんから「「あなたは教員として有名なの?レズビアンとして有名なの?」と聞かれた時、自分は答えに瞬間躊躇した」と言われたことがありました。その言葉が、いつもわたしに突き刺さってきます。いま、わたしの立ち位置は「トランスの教員」なんだろうか、それとも「教員でトランス」なんだろうか。願わくば、後者でありたいなぁと思います。

自分でつけるラベル・他人がつけるラベル

わたしがはじめて岡山病院に行ったのが2001年のことでした。実は行こうかどうしようか、ずいぶんと迷ったのですが、結局行きました。このときから、GIDとのおつきあいがはじまったことになります。
ところで、なぜ迷ったのか。これは「もしも「違う」と言われたらどうしよう」だったんです。わたしは「性同一性障害」というラベルを獲得することで、自分の「場所」を確保しようと思っていたんです。と同時に、その後も病院に行こうと思ったのは、やはり「ホルモン」「SRS」の可能性を模索したいということでした。で、2004年に関西医科大学に行くようになって、「ヤクゲト」するようになって、と。
そんなわけで、いちおう「性同一性障害」らしいのですが…(笑)。
最近思うのですが、「わたしはわたしをどう表現するか」ということって、とっても大切だと思うのです。その時その時の「わたし」の問題意識やアイデンティティのあり方が如実にあらわれます。もちろん、否定してしまいたい過去のわたしや、消し去ってしまいたい過去のわたしもまたあります。でも、そんな自分もまた、「わたし」なんだと思うことからスタートする必要があるかなと思います。
さて、いまのわたしにとっては「わたし」を表現する言葉はいったい何なんだろう。
トランスジェンダー?」OKです。「変態?」OKです。「女装?」あまりしてないけどね、でもOKです。「GID?」自分からはあまり言わないからなぁ。たしかに、そのラベルを獲得するために岡山まで行きました。その結果、中島さんと出会い、その後織田さんと出会い、あるいはGID研究会や交流会を通してたくさんの人々と出会いました。そこで出会った仲間たちのおかげで、いまのわたしがいることは、まぎれもない事実です。だから、「GID」というラベルを否定はしないです。でも、わたしにとっては「借りてきた」感があるんですよね。「GID」というラベルがわたしに貼られる時、一抹の違和感がどうしてもぬぐえないんです。もっとも「じゃぁ、GIDじゃないんだね」と言われたら、「う〜ん、違うというわけでもないかもしれない…」となってしまうのが、弱いところというか、ずるいところというか(笑)。おそらく「GID」って、自分で獲得した言葉じゃないんですよ。わたしのありように対して、他の人がつけたラベルなんだと思うんです。それを自分が「よし*1」とするかどうかということなのかな。
「わたしはわたし、それ以上でもそれ以下でもない」。ほんとうはそう言いたいんだけどなぁ…。

*1:というか「まぁええか」

つかまないと放せない、放さなきゃつかめない

人権学習の講演なんかの生徒の感想文に「なんであの人はそんなに部落にこだわるねん」「なんであの人はそんなに朝鮮人であることにこだわるねん」というのがよく出てきます。たしかに「こだわり」の強い人が多いですね。でも、ある講演で「部落の人間だって、24時間部落であることを意識しながら生きているわけじゃない」といった人もいました。
あるいは「自分はそんなことにこだわらずに人とつきあう(だから差別はしていない)」という感想文もありますね。あと、教員の中にもいます、「自分は部落や在日にこだわらず、みんなを平等に扱っている」という人。でも一方、例えば全同教の「差別の現実から深く学ぶ」というスローガンは、「一人ひとりの生徒のかかえる差別の現実に、徹底的にこだわる」ということだと思います。
「こだわる「当事者」」と「こだわらない「当事者」」。そして「こだわらない「「非」当事者」」と「こだわる「「非」当事者」」。
おそらく、「だれが」「どんなシチュエーションで」「どんな人間関係で」…、そのことを話しているかということが大切なのかなぁと思います。

翻って、自分のこと。

1997年に「トランスジェンダー」という言葉を知って、ようやくバイアスのかからない自己表現の方法を獲得しました。ようやく、「(自己否定としての)女装」や「変態」という言葉から解放をされたわけです。でも、それから長い間「女装」や「変態」という言葉への忌避感が続きます。おそらくそれは、自らに内在する「女装フォビア」「変態フォビア」のあらわれなんだと思います。もう少しいうなら、「トランスジェンダー」という言葉を獲得することにより「女装、イチ抜けた〜」「変態、イチ抜けた〜」という感覚が確かにあったんだと思います。
そうそう、2000年のことですが、ある2泊3日の人権関係のセミナーに「スカートをはいて」「女性」として参加したことがありました。このときは、最終日ジーンズに履き替えながら「男にもどりたくない」と泣きましたっけ…。
ここ数年、人前で話をさせてもらう機会がありますが、おそらくはじめて話はじめた頃と今とではずいぶんと違いがあるんじゃないかと思います*1。とりわけ、「女装」「変態」という言葉をめぐるあつかいに変化があるんじゃないかと思います。
かつては、おそらく「女装という言葉はいけない」「変態という言葉はいけない」みたいな空気を、直接は表現しないまでも漂わせていたんじゃないかと思います。でも最近は、そんなことはないんじゃないかと思います。なにが変わったんだろう。
きっと、「言葉」を獲得することで自分を表現できるようになる。でも、その時同時に「フォビアにまみれた言葉」を捨てるということも同時にするのかもしれない。やがて、獲得した「言葉」すら捨てられるようになった時、かつて「フォビアにまみれていた言葉」を再び拾うことができるようになるんじゃないかなぁ。そんな気がします。

*1:てか、違いがなかったらあかんやろ(笑)

アイデンティティは「単独」で存在しうるのか?

「自分はなにものであるか」ということに突きあたった時、どうやってそれを表現するんだろう。もちろん、まったく新しい概念で自分を規定することができる人もいることだと思います。でも、わたしにはそんな力量はない。なので、まずはじめに、既存の言葉を援用するところからスタートするわけです。
では、どんな形で「既存の言葉」を選び取っていくのか。
小学校の頃のことを思い出すと…。おそらくわたしは、まわりにいた人たちの姿や、マスコミで流れる情報と自分とを比較しながら、「あ、同じ」「あ、違う」と考えながら、ひとつひとつ自分をあらわしそうな言葉を選んでいったんじゃないかと思うのです。もちろん、ある言葉を選ぶこと=肯定じゃないです。否定的な言葉を選ばざるを得ないこともあります。また、比較しようにも「比較の対象としての具体的なモデル」がないこともあります。そうした時は、比較の対象は自分の持つ「常識*1」になります。
で、わたしにとっては、小学生の頃はじめて自己規定をした言葉が「変態」だったわけです。でも、さすがに小学生のわたしには、これは荷が重かった。そのあたりが、子どもの頃の自分の「悩み」だった、と。たしかに、あの頃は日常を楽しみながらも悩んでいたよなぁ。

*1:これもまた、世間とのかかわりでつくられてくるわけですが

誰がわたしをそう呼ぶのか

なんていう意味深なタイトルをつけてみましたが…。わたしがそんなややこしいことを考えることなんてあるはずもないわけで(笑)。
ただ、最近遭難所で「立ち位置」のことが少し話題になって、ずいぶんと考えさせられました。なかでも、「玖伊屋を運営しているいつきがGIDっていうのはどうよ」みたいな話があって、正直言って「きびしいなぁ」とか「でもなぁ」とかいろんな考えが頭の中を駆けめぐりました。
で、わたしの考えをまとめるための補助としていくつかのキーワード(キーセンテンス)をこれから数日かけてメモしておこうかと。

それはおまえやろ!

今日は、全学年一斉の人権学習の時間。1年生は「障害者問題」、2年生は「ジェンダー」、3年生は「就職差別」についての学習です。
人権学習が終わって帰ってくる人たちを職員室で待っていました。けっこうみなさん楽しそうに帰ってこられて、正直ホッとしました。ジェンダーにかかわる話がちょっと心配だったんですけど、ある人は「時間が足りなかった〜。でも、いろいろ話ができたし、これはあくまでもきっかけですもんね」。うれしいなぁ、よぅわかってはるわぁ。ある人は「生涯賃金の話の時に「先生のところは奥さんの方がたくさんもらってんやろ」っちゅう質問があってなぁ「はい、年功序列です」と答えてん」。ええなぁ。人権学習って、結局は自分たちの生活を語ることやし、テーマはあくまでもネタやと思うんですよね。
やる前はしんどいけど、やったあとはそれなりに充実した時間になるのが人権学習のおもしろいところなんですよね。
で、
とそこへもう一人。「ぜんぜんやった。こんなんやるのムダや。こんなプリント捨てよ」と、えらいおかんむりです。この人です。鬱陶しいので、別のところに用事があるフリをして職員室をいったん出ました。で、時間を見はからって再び職員室へ。「どない?」と聞くと…。
「あの人ね〜、ムダにしたのは自分なんだっていうことにぜんぜん気づいていないね〜」。そうなんですよ。別に、自分の考え方と教材が食い違っていたら、自分の考え方を言えばいいんですよ。ここの教員の考え方を抑圧するんでは人権学習とは言えませんから。たとえば極論ですが「差別は社会に必要だ」という主張をする教員がいたとして、その教員が人権学習の時にその話をしてもかまわない。大切なのは、その時に教員という権力を振り回さないこと。生徒や他の教員とタイマンをはること。
「反差別」という思想は、天から降ってきたものじゃないです。「痛い!」と思った人間が*1少数ながら声をあげ、「そんなん痛いと思うのはおかしいわ」「んなこと言うても痛いもんは痛いねん」というようなやりあいをする中で出てくる、ダイナミックなものだと思うのです。だから「正しさ」なんてありません。じゃなくて、「自分はどう生きるのか」ということを考え・実践することを通して、変化していくことなんだと思うのです。
一番ムダな時間を過ごしたのは、実は一緒に時間を過ごすことを余儀なくされた生徒たちだったんだと思うんだけどなぁ…。

*1:これは、必ずしも「当事者」とは限らないことは、こちゅかる子さんのコメントhttp://blog.ituki-d.net/20060613#c1150470130の通りです。