今日は生徒は「自宅学習日」です。でも、いつもの通り出勤です。わたしのセクションの職員室は一番乗りです。まぁ別に朝の立番があるわけでもないし、勤務時間に間に合えばいい日ですからね。
職員朝礼の時に、M田さんに昨日書いてもらった生徒のコメントを読んでもらいました。3学期、M田さんが来てくれたおかげで空気が締まりましたからね。そのお礼です。あとは人権の総括会議の日程調整とか。と、ある教員が
「話を聞いてもらえますか」
と。瞬間ビビります。なんでビビるのかなぁ。で、話を聞くと…。
「来年度、授業の一環でBafa-bafaをしたいんです」
とのこと。めっちゃええやん。
「こんなの、人権と関係ありますかねぇ」
とか言われるので
「めっちゃ関係ありますよ!」
と。うちの学校、こんな感じで「やりたいこと」をされる雰囲気になってきたのかな。大歓迎ですね。
頃合いもよしということで、職場をスタート。向かうは先月もおじゃました中学校です。先月は教職員のみなさん対象のお座敷でしたが、今日は2年生対象のお座敷です。行きの車で「元気な子がいる」と聞いたけど、どうかな。
入ってきた子どもたちをみると、いますね。「元気な子」が。お座敷がはじまったら、速攻ツッコミを入れてきたり。ただ、しばらく元気にしていたけど、だんだん飽きてきたみたいです。でも、けっこうガッツリ聞いてくれている子もいたりして、まぁ120人もいたら、いろんな子がいて当然だよなぁと。確かに45分×2コマは長いんでしょうね。
でも、最後の拍手はしっかりしてくれたから、きっと伝わったんじゃないかな。
お座敷が終わったあと「元気な子ら」が会場に残っていたので、しばし話。なんでも「おイタ」をしたそうな。しっかり怒られてくれたまえ。
ということで、中学校を後にしながら、送りの教員の方といろいろ話。「元気な子ら」のしっかりと面倒を見たいそうで、このあたり中学校教員ですね。
ということで、電車に乗って京都へ。と、京都駅近辺で、新羅のオモニとバッタリ。久しぶりなのでハグをしたり。
その後、「集団」を探しましたが、いましたいました。多文化共生ネットワークサロンの駐車場で、フィールドワークの締めをしておられました。メンバーは、ウトロのボランティアのみなさんです。
「なんでここに?」
「いや、お酒と肉の匂いがしたもので」
ということで、そのまま合流して水月亭へ。
久しぶりやなぁ。しかし、豚足を焼いたら、きっとリンダさんに怒られるな。
水月亭は2時間縛りがあるので、6時半に終了。このまま帰れるはずもなく、Sファンさんたちと一緒に2次会へ。さらに「カラオケ」とか言いはじめて、うどん屋さんへ。
そんなこんなで、帰ったのは11時過ぎでした。明日、やばいぞ。
カテゴリー: 呑み
やっと一員になれた
朝、9時過ぎの電車に乗って第2のふるさとへ。今日は「解放文化祭」があって、それにウトロ農楽隊が呼ばれています。ちなみに
「何を着る?」
と言われてたので、せっかくだから
「第一候補はチョゴリで」
と答えておきました。まぁ第2のふるさとですからね。
隣保館に到着したら、知り合いがいっぱいです。うれしいなぁ。あちこちにあいさつして、ウトロの人たちと合流しました。で、さっそくお着替えです。チョゴリで登場したら、みなさん[1]含む、全国の委員長(笑)。、びっくりしておられました。そりゃそうだ。
しばし待機をして、農楽隊の出番です。まずはソルチャンゴから。そしてわたしのトークです。
みなさん、ご無沙汰しています。ウトロ農楽隊です。
前回解放文化祭で農楽をさせていただいたのは、かれこれ30年近く前のことです。当時、チャキチャキだったみなさんも…。今もチャキチャキですね。今、ソルチャンゴという曲を演奏をされましたが、最高齢の方は84歳です。見えないと思いますけど。
今、ウトロの皆さんは、ようやく安心して住める場所を手に入れました。いつ追い出されるのかと心配する必要はなくなりました。雨が降ったら水に浸かる生活もなくなりました。でも、その生活を手に入れるためには長い闘いがありました。
日本が戦争に負け、アメリカ軍に占領された時は、アメリカ軍から出て行けと言われました。それでもウトロに住み続け、ようやく安定した生活を手に入れると、今度は地上げにあいました。そんな中でも、みなさんはウトロに住み続けました。前回、ここで農楽を演奏させていただいたのは、ちょうどその頃です。その後、いろいろな人々の協力のもと、ようやく自分たちで土地を買い、これで一段落と思ったら、放火に会いました。そんな中で、それでもようやく手に入れられた生活です。
ウトロ農楽隊のみなさんは、そんな闘いの先頭に立って太鼓を叩き続けて来られました。ただ、忙しい日常の中で、だんだんと農楽隊の活動が減っていって、いつの間にか活動しなくなりました。そんなウトロ農楽隊ですが、2年前、ウトロ平和祈念館のオープニングイベントで再び活動を始めました。その時「これからは楽しむために叩く」と笑顔で語られた顔が忘れられません。
でも、やはり今も農楽隊のみなさんは闘っておられます。ウトロの街並みは変わりました。人もどんどん変わっています。そんな中で残るのは「文化」です。みなさんはその文化を守る闘いを、今も続けておられます。
では、どうぞ、農楽隊の演奏をお聞きください。
ちなみに、こんな格好でした。
その後、農楽です。しかし、チョゴリの裾を踏んでしまって、あぶないのなんのって。まぁそれでもなんとか無事叩き終えました。
服を着替えたところで、午後の悠以さんさんのリハも終わったみたいなのでごあいさつ。
「あの、いつきといいます」
と言いかけたら
「えっ!」
とびっくりされてしまいました。わたしのこと、知ってるのかいな^^;。なので、
「2015年はお世話になりました」とお礼を言うなど。ブログには書いてないけど、交流会で歌っていただいたのでした。
おべんとを食べたら、悠以さんのトーク&ライブです。
まずはトークですね。プレゼンテーションソフトを使わずにトークをするの、今となってはけっこうむずかしいけど、それをされるのがすごいですね。基本はご自分のライフストーリーです。しかし、若いなぁ。てか、インタビューした人たちと同じくらいかな。
そしてライブ。ひとりデュエットはトランス定番のネタです。が、声がきれい。そして、声量が豊かです。聞き惚れてしまいました。
せっかくなのでCDを買ってサインしてもらいました。ちなみに
「トランスで教員やってる人がいることに励まされました」
って言ってもらえたので、恐縮するやらうれしく思うやら。最後に握手して、第2のふるさとをあとにしました。
で、ウトロに帰って、ホッとひと息。とりま、夕方から飲むビールとワインを調達して、いつもの支部へ。夕方から焼肉です。なんでも屋内でカンテキ使ってやるんだとか。マジっすか。
とりま、近くの撤去された家のあたりからブロックを拾ってきて、コンパネを敷いて、その上にカンテキを載せて、準備完了。まだみんな揃ってないけど
「試し焼き!」
とか言って、焼き肉開始です。
やがてみんな集まってきて、本格的な焼肉です。
ちなみに、支部は放火があったところの向かい側です。
「また放火かって消防車来るで」
とか不謹慎なことを言いながら爆笑するのもウトロです。
そんな中、こんなことを言われました。
「いつも思ってるんやけど、MCするとき、なんで「ウトロのみなさん」とか「農楽隊のみなさん」って言うんや?いつき、農楽隊のメンバーやろ」
「そやそや!」
「「わたしたち」って言えばええねん」
「そやそや!」
ずっと、日本人でウトロに住んでないわたしは、たしかに農楽隊のメンバーではあるけど、でも、メンバーと言ったらダメだと思ってきたんですよね。だから、MCの時は、そういう言い方をしてきたんです。でも、ウトロの人たちはそうは思っていなかった。だから、たぶん今日もわたしに似合うチョゴリを、みんなで選んでくれた。
ウトロに来るようになって、そして一緒に太鼓を叩くようになって、かれこれ30年です。そう言えば、第2のふるさとからウトロに「帰ってきた」という感覚がありました。やっと農楽隊のメンバーと言えるようになったのかな。ほんとのほんとにうれしいな。
あまりにうれしかったので、T橋さんと京都駅までもどる途中、S煥さんに、ひとことライン。
「で?」
速攻
「行きましょう!」
との返事。てことで、Tじさんにライン
「りょあん集合!」
いろいろおかしな4人が集まって、〆の飲みです。明日、どうなるんだ?
footnotes
↑1 | 含む、全国の委員長(笑)。 |
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なかなかに熱い人たち
朝、8時過ぎの新幹線に乗って、東へ。新幹線の中では、昨日の5行の修正と加筆です。品川に着いたら、さらに移動です。ここからははじめて乗る電車なので車窓を楽しみましょう。と思ったけど、今日のプレゼンの微修正。そんなこんなで到着したのは若葉駅。目的地は女子栄養大学です。今日と明日、ここで日本健康相談活動学会が開催されてます。主として養護教諭の方や、養護教諭を目指す学生さん、そしてその育成をされている方々の学会です。なぜかその「教育講演」で呼ばれてしまいたした。
わたしに声をかけてくださったのは遠藤さんです。このおべんきょ成果のpdfを書いた時にお世話になりました。が、遠藤さんはもっと前からわたしのことを知っておられたとか^^;。なんか、申しわけないですね。とにかく1年くらい前にメールが来て「話してほしい」と言われました。なんでも、学会1日目の最終プログラムなんで、みなさんが東京観光に行かないようにするためなんだとか(笑)。
いや、わたしが話したら、余計に皆さん帰られるでしょう^^;。
てのはおいといて…。
学会にどこから参加しようかと思ったけど、せっかくなのでできるだが早くから参加しようかなと。ちょうどランチョンセミナーでフェムテックのことをされるということなので、そこから参加しましょう。と、座長が石原理さんでした^^;。
ランチョンセミナーなので、お昼ごはんつきです。
おいしい!しかもお昼ごはん代が浮いてしまいました。
で、フェムテックですね。
あらゆる医療が「男性の男性による男性のため」に開発されてきて、女性のニーズは男性によって解釈されてきたのに対して、女性のニーズにあわせた開発がフェムテックってことですね。確かに話を聞いていたら、絶対に「おじさまたち」が考えられそうにない製品をつくっておられますね。ただ、さすがに製品開発とかされている最前線の方です。どことなくキラキラ感があってまぶしい。まぁしかたないですね。そうでなければ生き残っていけないのかな。
ランチョンセミナーの次はシンポジウム。なんでも、日本健康相談活動が学会になって20年なんだとか。そこで、これからの20年を展望するシンポのようです。いや、熱いわ。この人たち。おそらくこの20年の中で、健康相談活動を引っ張ってこられた第1人者の方の一部は亡くなられて、その遺志を引き継いだ方々が今の最前線におられるのかな。それだけに熱いです。
しかし、文科省の人がICTの導入の話をされましたが、そのスライドが、まるで視力検査です。あかんスライドの見本みたいです。たぶんご本人がつくられたんじゃなくて、「使わなきゃならない」スライドなんでしょうけど、誰がつくったんだろう。
ただ、どうやらここで論議になっているのが「質の向上」というか「研修」というか、そういうあたりのようですね。まぁそのあたりはどこも同じです。ただ、この学会がいいところは、育成をされている方がかかわっているところかな。だから、すごく現実的です。最後はそういう話がガンガン出てきて、おもしろかった。
そして助成金をとった人の発表です。保健室にpepperを置くとか、なんかめちゃくちゃだけど、そういうのをマジメにやってるところがおもしろいですね。そして、一般演題。えーと、「おもしろそう」と思った演題は、すべて遠藤さんの教え子さんですね。それにしても、今日日の加工できるカメラアプリが、逆に自分の首を絞めていく感じは、やはりそこにハマっている世代しか気づかないよなぁ。勉強になりました。
そうそう。健康観察とかもアプリを使うって話があるんだけど、確かに有用だなと思う一方、みんなマジメに入力するんだなと感心したり。というか、古いタイプの人間としては、アプリを使わないと子どもたちの心身の健康が把握できないのは悔しいけどね。
ということで、とうとう最後のプログラム。わたしの順番です。他の会場に行ってた人も帰ってこられました。与えられた時間は1時間ちょい。一昨日とほぼ同じです。なので、ネタも同じミッション5です。が、一昨日よりも少しネタを増やしてみました。果たして収まり切るだろうか。まずは、座長の遠藤さんがわたしの紹介をされます。ハードルを上げられます(笑)。てことで、スタート。
今日も超速で飛ばします。返ってくる反応が柔らかいですね。さすがは養護教員関連の人たちです。ただ、相変わらず「間」がないので、たぶん笑う暇がないんでしょうね。しかたないです。という感じで、最後まで突っ走って時計を見たら、ちょうど6時でした。よかった。
それにしても、あの早口で聞き取れたのかと思ったのですが、どうやら遠藤さんの早口でみなさん慣れておられるとか(笑)。よかった。その後も、いろいろ話に来られて、概ね好評だったみたいで、ほっとひと心です。なにせ、結論はちゃぶ台返しみたいな内容ですからね。でも、案外、養護関係の人もまた、同じような結論に至るのかもしれません。
てことで、懇親会。「海」というお店です。集まってこられたのは40人くらいかな。みなさん、元気です。そして明るい。なんなんだろう。同じ教員なんだけど、文化が違う感じがしますね。基本的に、「人」に対してポジティブなのかなぁ。養護教諭って、学校の中で唯一評価をしない教諭なんですよね。それがこういうところに出てくるのかな。つまり「人」に対して「評価」をしない。だからポジティブなのかもしれません。できれば、わたしもそうありたいな。
そんなこんなで、〆の鍋の具を見てびっくり。
もずくと白ネギです。これを鍋に投入すると、こうなります。
これで豚のしゃぶしゃぶです。これはあまりにもおいしい!
ということで、いっぱい飲んで、いっぱい食べて、いっぱいしゃべった懇親会でした。しかし、石原さんに「某学会もこんな空気だったらいいですよね」と、ついつい言ってしまいました。
てことで、ホテルにチェックイン。ちなみに、自販機を見たらソフトドリンクしかなかったので、部屋呑みは断念。でも、断念して正解のはずです。なにせ、ベッドに寝転がった瞬間に落ちましたからね。
さすがに疲れる(笑)
今日はトランスジェンダー生徒交流会です。なので大阪市内へ。集合場所に行くと、すでに参加者がいたります。集合場所から会場に行くと、今日のメニューである鍋の材料がドカンとあります。ところが、なにをどうするかの指示がわからない。どうするねん。
それにしても、場所が変わって使い勝手がずいぶんと変わりました。今はその調整中という感じですね。まぁでもいいでしょう。
てことで、あとはみんなでひたすら野菜切り。小さな子どもも一生懸命切ってくれます。そのおかげもあって、あっという間に切り終えました。切った野菜はビニールの大袋に入れるのはいつものことです。ここから鍋&ホットプレートに投入。あとは時間がつくってくれますね。
やがて完成。鍋の前には長蛇の列です。しかし、今日はいったい何人来てるんだ?おそらく小さい子どもは10人くらい。中高生はそれ以上ですね。
昼ごはんを食べ終えたら、子どもたちは外で走りまわります。中高生はコンビニに行ったのかな?てか、なんでみんなコンビニに行くのかなぁ。
そして話し合い。今回も中高生に混じって話しましょう。
「最近あったこと」かぁ。やはり「1000円お願いします」かなぁ。なんかそんな感じで、いろいろ話し合い。そうそう、今日はK同通信の記者さんが来ています。最後に質問権を渡しましょう。すると
「みなさんにとって大切なもの/ことは?」
問いかけられた子どもたち、みんな悶絶していましたそれでもひとりひとりが思い思いの答を返してくれました。わたしは…。やはり「身体」かな。なにごとも、この「身体」とともにあります。まぁ「呑みすぎるな」って話なんですけどね。
そんなこんなで1時間半の話し合いにフル参戦。さすがに疲れました。でも、フル参戦できるのは、きっとノンアルになったからですね。だからいいことです。
交流会が終わったら、いつもの打ちあげです。てことで「しゅんちゃん」に移動。ここでさんざん呑んで呑んで呑んで、記憶をなくしそうになりました。でも、さすがに疲れたので10時半頃に
「そろそろ帰ろうか」
と言ったら、みんなびっくりしてました。そりゃそうか。
てことで、Kっかわくんに送ってもらって、無事帰れました。
長い一日でした。
stn21のセミナー
今日はstn21のセミナーです。3連休の中日にやるのは、きついと言えばきついですが、この日くらいしかないという話もありやなしやなので、まぁええか。
ただ、なぜか集合時間に「近鉄京都駅改札前に来てほしい」というオファーがあって、そちらに向かうなど。ここでM田さんと合流して、集合場所の「老上海」へ。到着したら、すでにメンバーはそろっていて呑んで食べてます。腹ごしらえが完了したところで会場の多文化交流ネットワークサロンへ。ちなみにチラシの会場名、間違えていました。すみませんすみません。
そうこうするうちに、今日の講師の大輔さん登場です。メールやネットではお会いしているものの、リアルでお会いするのはいつ以来だろう。とにかくごあいさつ。と、島袋さん登場です。背が高いな(笑)。島袋さんとはtwitterかなにかで「ブラウザはopera」「わたしはvivaldi」とかいうからみをしている時に、とつぜん「いつきさんって、あのいつきさんですか!」と言われたところからのつきあいです(笑)。ということで、ごあいさつ。
やがて時間が来たので大輔さんの講演開始です。今回は中高生向けの講演のダイジェスト版なんだとか。まずは例の「外科医」のワークから。ネタ、知ってるぞと思っていたら、そうか、そういうパターンもありかと。そこから「ジェンダーバイアス」「異性愛主義」「シスジェンダー主義」の3つを導き出されます。そして「らしさ」の話。ここでも「らしさかぁ」と思っていたら、延々とらしさの話をされます。すると、驚くほどに「多様性」へと結びついていく。
いつも「らしさ」を多様性へと結びつけていくことに疑問を持っているわたしですが、これは納得です。逆に言うなら、ここまでネチネチていねいにやらなきゃならないということですね。
そしてもうひとつ「フツー」を問い直す。実は、「フツー」の存在は「フツーではないもの」によって担保されています。ただ、その境界線は隠されています。それを可視化させるのが「クイア・ペタゴジー」です[1]このあたりは「土肥いつき, 2022, 「性の多様性教育」『こころの科学』223: 44-48.」で使わせてもらいました。。このあたりのことをどう伝えるかってメッチャ大切です。それを、ものすごくわかりやすく提示されます。さすがは第1人者ですね。
そして、最後のワークがいい。白い紙に何かを書くのかと思ったら、折って破るだけ。でも、その結果がこうなるんですね。思わず拍手してしまいました。
講演会の後はグループにわかれて振り返りです。わたしはお菓子の配布役。その後、テーマ別の交流会。わたしのところには誰も来ないだろうと思っていたら、一人来られて、自己紹介が
「東ゼミで修論書きました」
でした。ここから、東さんの研究への厳しさと、人へのリスペクトの話で盛りあがって、stn21のセミナー終了です。
セミナーのあとは懇親会。陣取ったテーブルには大輔さん・島袋さんに加えて大山治彦さんもおられます。あまりにも重いテーブルです。が、みんなで難しいことも楽しいこともワイワイ話しあって、2次会へ。
ところが入れる人数ではありません。どうする?と、
「老上海は?」
という提案が…。電話をしたらあいているらしいです。
ということで、本日2度目の老上海です。ここで、ついつい「女として教員をする」にからんでしまって、すみませんすみません。まぁでも、いまだにこの言葉の意味がわからないので、しかたないか。
そんなこんなで楽しい1日が終わりました。
あした、おべんきょできるだろうか…。
footnotes
↑1 | このあたりは「土肥いつき, 2022, 「性の多様性教育」『こころの科学』223: 44-48.」で使わせてもらいました。 |
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ウトロづくし
朝、眠いです。が、出かけなきゃなりません。
ということで、眠い身体を鞭打って、向かうはウトロです。今日は支部の新年会で、オープニングが農楽隊の演奏です。ちなみに去年も出演したのでした。
支部に到着したのは20分遅れです。すでに練習がはじまってます。が、なんか、新しいことをやっておられます。とにかく観察しましょうか。
ひと通り流し終えたら、延々と打ち合わせです。これが長い。しかも、いろんな人が発言されます。いつものウトロ農楽隊です(笑)。ようやく打ち合わせを終えて、もう一回流します。なるほど、そこがそうなったのね。
昼ごはんはカップラーメンを用意してくださいました。ありがたい。昼ごはんを食べながらよもやま話。
「あんな、人を好きになるほど幸せなことはないんやで。好かれるんと違て、好きになるんや」
とは80を過ぎたハルモニのおことば。深いです。
頃合いもよしということで、わたしは放送セットです。今回はワイヤレスを4本出すことにしました。まぁ全部使うでしょう(笑)。
セットが終わったら、舞踊とか合唱とかのリハ。と、今日の講師の崔江以子さんが登場です。これまでスピーチは何度か聞きましたが、まとまった講演ははじめてです。楽しみです。が、動画を流されるんだとか。しもた。そのためのケーブルはないぞ。しかたないです。マイクで拾いましょう。
そして本番です。農楽隊のみなさん、メッチャ笑顔です。いい感じです。と、ケンガリのスニさんがこちらをチラリと見て笑われました。しまった!わたしが先頭で動かなきゃならないところを忘れてました。まぁそれでも、和やかな感じで農楽隊の演奏終了。お次は朝鮮中高級学校の演奏です。舞踊、うまいかぁ。合唱、うちのガッコの生徒に聞かせたいなぁ。そして吹奏楽、すごいです。去年も感じたけど、ものすごく低予算で少人数の学校なのに、ここまでの子とができるのって、いったいなんなんだろう。
そして、第2部。崔江以子さんの講演です。まずは「桜本」とはどういうところなのかという説明からです。本当に多文化共生の街を自分たち自身でつくりあげてこられたんですね。そこにヘイトが襲いかかってきた。崔さんははじめは「回避」されていたんだとか。そりゃそうです。極めて正しい選択だと思います。でも、ヘイトは川崎駅前から桜本へと舞台を移した。だから回避できなくなった。選択肢は「守る」こと。そのためには「闘う」こと。
しかし、ヘイトやってる人たちは、とんでもない人々を「そちら」へと巻き込んでしまったんだなと思いました。いや、おとなしく川崎駅前でやっていたら、みなさんは「回避」で終わったのにね。今の状況は、自らが招いた結果だったということです。
そこから、崔さんたちの闘いの話です。あらためてすごいなと思いました。もっとも、その闘いが可能となったのは、桜本という地域をつくりあげてこられたからなんですよね。それはきっとウトロにも通じるところがあるんだろうな。
崔さんたちは国会を動かし、川崎市を動かして、差別に抗する街づくりを今も続けておられます。でも、崔さんへの「個人攻撃」は今も続いているんだとか。そんな話を聞いて、ふと「自分はどうだろう」と思って検索すると、いろいろ書かれてました(笑)。そりゃそうか。
そんな感じで、崔さんの講演終了。本当に貴重な話を聞かせていただきました。
が、わたしはここからは機材の撤収です。まぁ、ワイヤレスなので、そんなに大変ではありません。機材をすべて車に積み込んで、支部に移動。今回も農楽隊の人にガッコまで車で一緒にきてもらいました。人使いが荒いな。
そして、農楽隊の新年会です。もう、ひたすら笑いっぱなしです。何かが引き金になると、いきなりノレがはじまり、オッケチュムがはじまります。いつものウトロの風景です。
出てきたお好み焼きがこれ。
重い(笑)。なんでも「東九条スタイル」らしいです。
それにしても、お酒を飲むと、みなさん遠慮がなくなります。一人ひとり指名されて話をするのですが、ツッコミが入りまくります。そんな感じで、8時半ごろまで大宴会でした。
その後、京都駅近くに場所を移して2次会です。こちらはSファンさんはもちろん、石橋さんや一成さんがおられます。まぁ、今回の「正規の打ち上げ」の2次会ですね。ここにT橋さんと一緒に乱入です。さらに、Tじさんにも声をかけました。「なんだかもう」な飲み会が延々と続いて、結局お開きになったのは0時です。
明日、やばいぞ。
お呼ばれ
朝、今日も寝坊です。完全にゆっくりするのが定着してしまってます。こわいな。それにしても、何をする気も起きません。走りに行きたいと思ったけど、体調が悪いです。しかたないので、買い出しのあとはダラダラしましょうか。
と思っていましたが、資料集の組版をしないと自分の首が締まることを思い出して、少し仕事。そうそう、筋トレくらいはしておきましょう。
夕方、スタート。今日はN川せんせいのお家にお呼ばれです。
到着して出迎えてくれたのはこれ。
ご自分で釣られた80cmくらいの鯛で、その兜の酒蒸しです。うまいわ。他にもサワラの刺身の炙りとかゆべしとか。
そんなおいしい食べ物をいただきながら、ひたすら人権教育をめぐる話が続きます。やはりこの世界にいるんだなぁ。
てことで、気がついたら終電の時間でした。ヤバイな。
葬儀式では修正した
葬儀式は11時からです。いちおう10時集合だけど、起きたのは9時前です。とにかく身体が動きません。すんごいきついです。それでも、とにかく起き上がって朝ごはんを食べて、スタートです。
教会に着いたら、遺族代表あいさつを考えるために別室へ。元ネタは『ありのまま〜』にして、そこにいろいろ付け加えましょうか。
しかし、この作業はきついです。なにかを話すためには思い出さなきゃなりません。それも子どもの頃の事を思い出さなきゃなりません。まぁなんだかんだ言っていい子ども時代を過ごさせてもらったんだろうなということ、そしてそこからずいぶんと遠くまできたってことを思うたびに涙が出てきます。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。
10時59分になったので、タイムアップ。
牧師さん、昨日とは聖書を変えてこられました。ちなみに、昨日は「フィリピの信徒への手紙 3章12-14節でした。てか、これは父親が好きだった箇所です。今日は「ローマの信徒への手紙5章1-5節」でした。たぶんこちらが母親が好きなところなんだろうけど、思わず「これかよ!」とは思いました。
そんなこんなで式も滞りなく終了。わたしのターンです。
今日は母・淳子のためにわざわざお越しいただいてありがとうございます。
最近の若い人はスピーチの時にスマホを見ながらしゃべるので、わたしもタブレットを見ながら話すことにします。
母・淳子は、戦前生まれとしては珍しく国立の教育大学で数学を研究していました。小さな頃、手回し計算機の話をしてくれたことを思い出します。根っからの理系で、ずっとNEWTONという雑誌を購読していました。数学を好み、音楽を好み、文学を好み、星を好み、山を好み、植物を好む、そんな天真爛漫な人でした。
わたしは一番目の子どもとしてとても大切に育てられました。家には中古の白黒テレビはありましたが、テレビの思い出はほとんどありません。実は、わたしが仮性近視ということで、テレビを見るなと言われていました。仮面ライダーを見たいというわたしのために、両親は一緒にトランプやダイヤモンドゲームやチェスを一緒にしてくれました。両親はとてもたくさんの時間をわたしに割いてくれたんだなぁと思います。 わたしはそんな両親の影響を強く受けながら育ちました。星が好きで、音楽が好きで、文学が好きなわたしは、紛れもなく母親の影響を受け、今は数学の教員をしています。
わたしが物心ついた頃から、家には父親のゼミ生がよくきていました。そこでは激しい議論をする学生たちに混じって、本気でその議論に参加している父親の姿がありました。でも、その激しい議論が終わると、母親の得意料理のミートローフをみんなで食べました。きっと、議論することもさることながら、みなさん、ミートローフを食べるのを楽しみにしておられたんじゃないかと思います。
母はとても不思議な才能を持っていました。家の庭にはたくさんの植物がありましたが、ほとんどが山歩きで摘んできたものでした。それらを不思議なほどに上手く育てていました。ある時「家でできたコゴミだから天ぷらにしてくれ」と持ってきたことがありました。どんなふうにしたら家でコゴミができるのか、いまだに不思議でなりません。
とにかく母はフリーダムな人で、束縛をとても嫌いました。例えば骨折をしても人工関節は絶対に拒否をしました。今から5年前、心臓の弁膜症で救急搬送されたことがありました。実はその時、気管挿管をするかどうかを決めなければならなりませんでした。その時も、弟と話し合って「しない」という決定をしました。医者はびっくりしていましたが、「もしも一命を取り留めた時、「この管は何?誰がこんなものを入れると決めたの。こんなのを入れたまま生きるのは嫌だ!」というに決まっている」と説明しました。
そういう人なので、きっと皆さんにもご迷惑をおかけしたことがあったかと思います。でも、皆さんのおかげで、母はフリーダムな人生を送ることができたんだと思います。本当にお世話になりました。
きっと今頃、父・昭夫と天国で再会をしているんだろうなと思います。 母親は、もしかしたら父親の窮地を助けたかもしれません。が、この社会はまだまだ窮地にある気がします。その窮地をなんとかするのが、残された私たちに与えられたことかもしれないと思います。
最後に、残された妹さん、そして弟家族や私たち家族をこれからもよろしくお願いいたします。
そして献花→最後のお別れです。職場から供花があったおかげで母親は花で埋まりました。ありがとうございます。この4年間飲めなかったワインも入れました。
そして出棺。わたしは喪主ということで、牧師さんとハイヤーに乗りました。中では牧師さんといろいろ話。
んー、やはりたいへんやったんやろなぁ。とにかくフリーダムだし、ガンコだしなぁ。まぁまわりは困ったかもしれないけど、本人も「いろいろたいへん」だったんだろうなぁ。そうやってたいへんなまま生きられたのも、まわりの人たちのおかげですね。
やがて京都斎場に到着。簡単な式をして、やがて母親はバーナー室へ。待ち時間の間に昼ごはん。おなかが減ったので、明太子釜玉うどんにしました。
うまいなぁ。おなかいっぱいです。
やがて骨になった母親と対面。お骨を拾って骨壷へ。これで「式」関連はすべて終わりました。あとは母親を家に連れて帰るだけです。
実家に帰って、父親と仲良く写真を並べて、山のような花を飾って、おしまい。
晩ごはんは弟家族とサイゼです。白ワインのマグナムボトルを頼んだけど、1本あけてしまいました。もしかしたら、母親がへつったのかもしれません。
さて、家に帰ってお風呂に入って寝ましょうか。
自分で完結させる・日教組教研3日目
起床は6時半。もう少しゆっくりしようかと思ったけど、さっさと朝ごはんを食べることにしました。今日は「健美定食」です。ネバネバが入ってます。
さば、うまい。が、おなかがあまり減ってないので残してしまいました。すんません。
部屋にもどったら、学校関係への連絡です。いろいろ迷惑をかけるなぁ。8時になったら荷造りです。しかし、おとついのワインが半分残ってます。どうする?
そんなこんなを袋に詰め込んで、会場へ。今日は総括討論です。
会場に着くと、いろんな人が「一緒に写真を撮ろう」と(笑)。なにかがおかしい。なんでも画面越しで見るのとリアルで見るのは違うらしいです。いや、そーゆーことではなくて…。
今日は「ジェンダー平等教育の実践をしてよかったこと」「今回の教研で得た気づき」「ジェンダー平等教育を伝え広げるために」の3つの柱で話しあいです。
ただ、その前に多賀さんから言葉の整理です。やはりジェンダーという言葉の使い方がバラバラってことです。「社会的文化的性別」としてのジェンダーと「性差」という意味でのジェンダーが混在している。まぁたぶん、混在しているのはわたしのせいなんだと思うのですが、逆に言うと、それを持ち込んだほうがいいと思ったんですよね。
てことで、大第1ターンは「気づき」です。
もともとわたしはジェンダーを「社会的文化的性別」としか認識できていませんでした。なので、例えばデートDVの教材もそういう切り口でつくっていました。ただ、そういうふうにすると、男と女の対立の構図をつくってしまう。でも、その対立の構図はなぜできるかというと、構造としてのジェンダーがあるからなんですよね。そういうふうにジェンダーを捉えると、デートDVの教材も違った扱い方ができるんじゃないかと。まぁそんな話。
第2ターンは「伝え広げるために」です。
まずはさっきの話を引き継いで、「構造で捉えると「敵」をつくらなくてすむ」ということです。その例としてアファーマティブアクションを通して考えたこと。つまり「政治的なことは個人的なこと」にしないということ。そうすることによって、共通の地盤でものごとを捉えることができるようになる。それが広げることにつながらないかってことです。
そして第3ターンは「よかったこと」です。
かつてゲイのAさんとの出会いを人権教育の分科会でレポートした時に言われたことを、まずは紹介。みなさん、口を開いてビックリされていました。そんなわたしがたどり着いたところが「両性」だったんですよね。そして、「両性」を通じていろんな出会いを与えられました。その出会いは、その先にあちこちで孤立しているセクマイ教員とのつながりをつくってくれました。stn21も、そんな中にあります。そしておそらく今回も新たな出会いや出会い直しがある。もちろん、こわがられたり敬遠されたりもあるでしょうが、それはしかたなし。
そんな話をして、わたしのターンはすべて終了。ちなみに、総括討論では誰かのレポートにかかわる話としてではなく、自分のこととして完結させた話であることを心がけました。
そうそう。オブザーバーのみなさんの話もよかったなぁ。丸2日ぶんの論議のあとの話ですからね。もっとも、ひとりだけ、ここで話をするために来た人がいてビックリしたけどね(笑)。
さてと。これで今年度の教研もおしまいです。また来年!来られるかなぁ…。
とりま、S渡さんとTまちゃんと3人で新千歳まで移動。フライトは17時台なので、特には急ぎませんが、まぁ早めに行っておきましょう。昼ごはんはフードコートです。
なにせボトル半分残ってるワインを飲みきらないと帰れません。しかし、ここでジンギスカンか。でも、おいしかった。
あとはお土産買って、セキュリティを通って、荷物の重さを計測して…。7.15kgだったけど、パスしてくれました。
予定をかなり過ぎて離陸したけど、予定より少し早く関空に到着。ここからはランです。発車直前のリムジンバスに乗れました。これで少し早く帰れるな。
帰ったら、一杯飲んで寝ましょう。明日から忙しい。
またまた甘噛み・日教組教研2日目
目覚ましをかけたのは6時半。起きたくないけど起きましょう。まずは朝ごはん。なんでもやよい軒に行くみたいです。
ロボットが持ってきてくれました。
しかし、洋定食は失敗でした。
さて、ここからは連絡しまくりです。なにせ今回はPCは持ってこずipadだけでやろうと思ってたので、なかなかハードです。それでも母親のPCからサルベージしたメールからアドレスを引っ張り出して、とにかく連絡メールを出しまくりました。10本ばっか送ったところでタイムアップ。会場に行きましょう。
で、分科会開始。
午前は「意識・慣習の見直し」です。どのレポートもおもしろい。おもしろいけど、なにかが引っかかります。それはジェンダーの捉え方です。
もしかしたら、みなさん、ジェンダーそのものを「悪いもの」あるいは「なくすべきもの」と捉えてないか?
例えば、みなさん、ジェンダーと結びついた色を問題にされたりします。ただ、例えば小さな子どもに自分の所属すべき性別カテゴリーを教える時、なんらかの性別カテゴリーと結びついた「装置」を使わざるを得ません。まぁつまりMCDってやつだってことです。そして、それそのものは、本来は「悪」ではない。それが「悪」になるのは不平等と結び付いた時です。てか、そもそもジェンダーがなくなったら、えらいことになります。もちろん、わたし個人としてはジェンダーがなくなってもまったく困りませんがね。
例えば「はじめてズボンを履いた女の子」の絵本を教材にした実践が話されました。なんでも迫害される女の子に対しておじいさんは
「あたりまえが壊れるのがみんなこわいんだ」
と言ったという話が出されたので、思わず
「それは「あたりまえ」ではなく「秩序」なんだと思います」
つまり
「女の子はスカートを履かなければならない」
ではなく
「スカートを履く子が女の子」
なんだと思います。そういう秩序があって、例外ができると、その秩序が乱れる。だから、迫害する。
もしかしたら、
みなさん、固定的で絶対的なセックスの上に社会的文化的なジェンダーが乗ってるって思ってないか?そうではなくて、ジェンダーは構造と捉えるべきなんじゃないのか?
そんな話を、ついしてしまいました。
てことで、TまちゃんとS渡さんと3人で近くのラーメン屋さんへ。案の定I藤さんたちも来ていました。そういや、19年前、I藤さんとラーメン屋に行った[1]このページの1月9日の記事なぁ。なつかしい。その後、「正論」にほめられたんだ(笑)。
さてと、何を食べよう。味噌ラーメンにしようかと思ったけど、つけ麺にしてみました。ちなみに、辛さはLv.3なんだとか。
辛くないな。そして味が濃い。でも、麺がおいしいし、全体的には満足ですね。
で、午後の分科会。テーマは「性の教育」です。「生命の安全教育」をどのように使うかってあたりの論議がされました。が、それとは違うレポートで、またまた細かいところが気になりました。
「トランスジェンダーが「いない」と考えるのではなく「いる」ことを前提にする」
って書いてありました。それそのものは、もちろん極めて正しいです。部落も在日も障害者も「いる」のを前提にしなきゃなりません。が、「トランスジェンダー生徒がいることを前提にする」とはどういうことかわかっておられるのか?って思ってしまったので、質問をしてみたした。
が、たぶん質問の意図がわかっておられない感じです。
「常にいるつもりで」
と返されるので
「いや、具体的にどういう学校づくりをするのかということです」
とかぶせてしまいました。たぶんこわかったやろなぁ。すんません。甘噛みしてしまいました。
なので、その後の討論の中で解題。
「トランスジェンダー生徒がいることが前提の学校というのは、性自認でものを考えるということです。書類上の性別でなく、本人が言う性別を信じるということです。逆に言うと、トランスの子に制服とか体育の授業とかトイレとか更衣室とかを聞くなら、シスジェンダーの生徒にもそれらを聞くということです」
言ってること、わかったかなぁ。
そんなこんなで分科会終了。と、担当のN嶋さんから「かぶせたらダメ」と、イエローカードをもらってしまいました。反省やな。
今日は両性の仲間の飲み会です。が、15人入れるところがない。Tまちゃんが半日電話をかけまくってくれて、ようやくお店を見つけてくれました。
ここでえっきーと久しぶりの再開。おじさんになったなぁ。まぁお互いさまか。M浦さんとかI島さんとか、ほんとに久しぶりです。まぁそれだけ北海道に来ていなかったということです。
ワイワイ飲んでいたらK同通信の記者さんが乱入。なんか、メッチャ飲むな。そうこうするうちに、共同研究者の3人も来られて、うれしいなぁ。古田さんの隣に座るのははじめてで緊張します。ここで労働運動の話とか法律の話とか、さまざまな話を聞かせてもらいました。
そうこうするうちに、みなさんどやどやと帰られて、残り5人くらいに。取り残された多賀さん
「みんな、ずるいなぁ」
とか言いながらつきあってくださって、ほんとにいい人です。
で、11時くらいにおひらき。
「もう少し飲もうか」
ど言ったけど、全員から却下されて、おとなしくホテルへ。大浴場でクールダウンして、補水をして、さて寝ましょう。明日は総括討論だ。
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