つんだ(;_;)→お?

とりあえず、いま、目の前に「素材」がふたつあります。こいつらをどう料理するか。
似てるんです。でも、違うんです。
とりあえず、ふたつの素材の似てるところを見つけるべく、まっすぐ立てて並べてみたのですが…。
わ、わからん!違いしか見つからん!
片方にあってもう一方にない。両方にあるけどぜんぜん違う。たぶんあっただろうけど、「素材」にはあらわれてない。
まったく「似てるところ」がわかりません。
投げました(;_;)。

と、とあるところから声が…。
「校舎を徘徊。遠くを見て深呼吸」
あー…。
やってみたけど、花粉を吸うだけです。ゲフンゲフン、くしゃんっ(;_;)。
とりあえず休憩!

と、降りてきました。
立てちゃいけない。横にして並べてみる。足元をそろえるんじゃなくて、お腹の高さでそろえてみす。
あ…。もしかしたら…。見えた?
あしたきちんとやってみよう…。
でもなぁ…。あしたがおべんきょタイムなんですよね(;_;)。

今年もはじまった

3年目になる「おべんきょ」ですが、なんか久しぶりです。あ、2ヶ月あいてたんですね。
今年前半のテーマは「カウンセリング」です。同業者がもっともできてないテーマです。ちなみに、「できてない」であって「苦手とする」ではないところがキモでして。
同業者って、「できてる」つもりで「できてない」ということが多いんじゃないかなと。いや、みんな「課題解決」のためにがんばるわけです。で、「よかれ」と思っていろんなとりくみをするわけですが、たぶん、その「よかれ」があかんのやろなぁと思うのです。でも、そこにあまり気づかない。
てなことは思っていたのですが…。

今日の話を聞いて「なるほどなぁ」と。
カウンセリングとは「対人支援」。で、劇薬は好まない。どちらかというと、物足りないくらいで充分。
そもそも「臨床」とは「死を目前にした人の床に臨む」わけで、たぶん「なにもできない」。
その、「なにもできない」という謙虚さからスタートする。
例えば家庭訪問。アポをとるかとらないか。誰と話をするのか。どんな話をするのか。なんのために行くのか。そこをきめ細かく考える。

たぶん、ある側面では気づき実践をしてきました。でも、そこに理論がなかった。無意識ではなく、直感でもなく、慣れでもなく、意識化して行動を選択していることに自覚的になること。
たぶん、そのためのとてもいい機会になりそうです。

プレッシャー

今日はなぜか朝の8時から駅前で「おはよー」を100回くらい言いました。まぁ、そーゆー仕事なんです(笑)。
で、それをスタートに、夕方までノンストップ。合間の時間にメールチェックをしようとしてもネットがダウンしててなーんもできません。まぁ、それはそれでいいです。どうせ、その手の仕事をするヒマないし。
夕方になって、ようやくひといき。自分のイスに座れました。

で、少し早めに職場を出て「おべんきょ場所」へ。センセとしばらく話。
今年は勝負の年なので、一年間の流れや、これから2〜3ヶ月の動きを考えました。
で…。メッチャ、プレッシャーがかかってきました。
ずっと向こうにあると思っていた高い高い山。気がつくと麓まで歩いてきてたことに気がついて、「ほんとに登らなくちゃならないんだ」って、立ちすくむ感じです。
ま、登るしかないか。あの山の向こうには、まだまだいくつも、もっともっと高い山があるはず。

迷走

今日のおべんきょはおべんきょ仲間を含めて3人で。で、話題提供はわたしです。
さて、どうなるか…。
ここ数日で突貫工事でつくったペーパーですが、もちろん不満です。不安がいっぱいです。でも、やらなきゃならんのでやるわけです。
で、いろいろディスカッションしたわけですが…。
一人の人間の生き様に「がっこう」って、どれくらいの影響を与えるんでしょうかねぇ。だって、「がっこう」は学校単独では存在しない。地域の影響や保護者の影響、さらには政治の影響もうけるわけです。さらに「がっこう」ってなんだろうと思います。教科?特別活動?教員?クラスメイト?クラブ?それらが複雑に絡み合う中で、なにを「がっこう」とするのか。
逆に言うなら、それらのうちの、「狭義の学校」というものがあるなら、それはなにか?学校体制?カリキュラム?教職員集団?個人としての教員?例えばそのうちの「なにか」を取り出して、「それ」が果たして一人の人間の生き様にどの程度影響を及ぼすんでしょうかねぇ。
いや、現実にはとても大きな影響を及ぼしています。しかし、「この影響のこの部分はこれ」と切り分けられるほど簡単なことではないということです。
なんだか、考えれば考えるほどわからなくなってきました。
でも、この「わけのわからなさ」を突き詰めないと、どうやら「その先」には行けないようです。

で、インタビュー

トークのあとは、京都に帰ってインタビューです。あ、わたしが聞く側ですけどね。
今回も、かなりおもしろい話が聞けました。
いままでいろんな人といろんな話をしてきたけど、ゆっくりと「その人の話」を聞く機会はなかなかありませんでした。でも、今回、いろんな人の話を聞けそうで、これからも楽しみだなぁo(^^)o

絶対値じゃない理由はそこか…。

いや、わたし、ほんとに数学のことをわかってないなと、あらためておもうわけです。
なぜ「分散」の計算に偏差の絶対値じゃなく偏差の2乗を使うのか。ま、偏差を使ったらゼロになるから意味がないのは当たり前として(笑)。いままで「偏差の2乗を使うのは、より離れたところの値の影響を強くするため」と思っていたんです。でも、違った。というか、当たり前なんですね。微分との親和性だったんですね。
回帰直線を求めるためには分散の最小値を考える必要がある。ということは、当然微分を使うわけです。で、センセ曰く。
「絶対値は微分と相性悪いですから」
ごもっともm(__)m。

もう一つの収穫は、標準偏差よりも四分位偏差の方が小さいってこと。
なーるほど。考えたことなかったです。てことは、2つが近くなるのはふたコブラクダのような分布の場合なんですね?
おもしろいなぁ…。

不合理か?

今日の「おべんきょ」は、わたしたちのグループの発表です。過去2回、他のグループに「優しい質問」をし続けたので、今日はやり返されるんじゃないかと、心臓バクバクです(笑)。ま、でも、相方さんがそうとうしっかりした方なので、安心といえば安心なんですけどね。というか、発表内容をつくってくれたの、ほとんど相方さんです(笑)。いやぁ、楽でした^^;;。
わたしたちの発表内容は「同性愛」。
「じゃ、次、同性愛グループ」
と言われて
「お、おぅ^^;;」
ってなったりはしたのはご愛嬌です。
ま、それぞれ担当の15分をパシっとやりきって、無事終了。その後の質疑応答も強気に押しまくって乗り切りました(笑)。

で、後半は部落問題。
教材はおもしろいし、展開もおもしろいんですが…。今回もひとことに引っかかってしまいました。
「差別が不合理であることに気づかせる」
なんか気になります。じゃ、「合理的な差異は差別ではなく区別」ってこと?
実は、「差別→不合理」ということは、対偶をとると「合理的→差別ではない」。言い換えると、「合理的な差異は差別ではなく区別」。でもそうかなぁ。その「合理性」って、不変のものなのかなぁ。解釈の余地は入らないのかなぁ。
「差別は不合理」という命題を真にすると、同時に対偶も真にしてしまい、「何が不合理か」という解釈を経て、差別に理由を与えるんじゃないかと思うのです。
例えば。
「国籍の違い」は「合理的な差」であるという解釈は成り立ちます。とするなら、そのことによる処遇の差は差別にはならない。
ということです。「いや、国籍の違いは合理的な差ではない」という主張をしたとしても、いずれも解釈の問題にしかならない。逆に、今行われている差別的な処遇は、「だって合理的な差があるんだもん」っていうところに担保されているように思うのです。
「肌の色の違い」や「性別の違い」が「合理的な差」として法的に処遇の差を与えられていた時代があります。その当時は、それを差別とは考えられていなかった。逆に、「処遇の違いは合理的」とすら考えられていたのではないかと思うのです。
であるなら、「差別は合理的におこなわれる」というふうに考え、「その合理性を問う」としたほうが、より現実に近いんじゃないかと思ったりするわけです。

わたしの基準点の置き方

今日のおべんきょは、先週に引き続き、人権学習の教案の発表会です。
ま、それぞれに対してそれぞれに考えたことは多々あったのですが、なにより大きかったのは、わたしのものの考え方を「言葉化」できたということでした。
例えば、在日外国人問題の教材における「我が国」「我々」「彼ら」という言葉、あるいは、障害者理解教育における「配慮」という言葉に、わたしは反応してしまったんです。前者については「我は誰を指すのか」「彼は誰を指すのか」ということ、後者については「配慮は誰が誰にするのか」ということでした。
まぁ、前者についてはよく言われることなんでいいとして、後者ですね。実はこの質問をしたら、発表者の方はよく考えておられる方みたいで「相互の配慮」という形で返されてきました。で、かつてわたしは障害者から配慮された経験があるので、瞬間「うーんやられた」となったんですが、でも言葉化できないまま「違う」とだけ返しました。

わたしが受けた「配慮の経験」というのは…。
とある、自立生活をはじめる人のための「ピアスクール」というところにおじゃました時のことなんですが。そこにCPの人がおられて、やたら話しかけてくる。正直わからないから「困ったな」と思いながらも、「わからん」と返してたんです。そしたら、向こうの方「しゃーないな」って感じで50音表を出して、話しかけてくれました。それでようやく会話ができるようになりました。
ただこれだけの経験なんですが…。
でもその時「ごめん、わからへんで」と思ったんですね。「いらん労力かけさせて」って。つまり、わたしがその人の言葉を理解する能力を持っていればそんなことさせなくても会話できたのに、わたしの能力不足のために相手に「配慮」させてしまった。もっと言えば「こいつ、わからんやっちゃな」って、わたしを見捨てることもできたのに、たまたま喫煙所で出会った見知らぬわたしのために、そういう配慮をしてくれた。立場を変えるなら、わたしが配慮を強いたとも言えるわけです。
で、これ。街角で英語で道をたずねられて困ったら「英語ができない自分のせい」って考えるのに、CPの人だったら「自分にわからないことを言っている」って相手のせいにしていた自分に気がついたんです。それ以来、CPの人の言葉がわからなかったら「わからないわたしの能力不足でごめん」と思うようになったんです。
ま、そういう気づきの経験でもあるわけです。

で、その時のその人とわたしの関係がどうだったからわかりませんが、わたしの側からすると、ま、アウェイな空間でもあったので、そのおかげで比較的フラットな関係に近かったからこそ、わたしを「変える」ことができたのかなと思いました。これが、わたしがふだんいる空間であればそれができだろうか。
そう考えた時、「マイノリティがマジョリティに対しておこなう「配慮」とは「遠慮」じゃないか」と、ふと思いました。
たぶん、わたしがひっかかったのは、そこだったのかな。

「配慮」という言葉にしろ「我々」という言葉にしろ、それらは、歴史や社会をどこから見るのかということと直結しているしているように思います。
ふたつの発表が、ともに用語解説や歴史を公的機関をソースとしていたのも象徴的でした。当事者の姿が希薄、あるいは見えない。もちろん「おべんきょ」の世界で生きてきた人に「当事者の視点」をいきなり求めるのは酷かもしれません。でも、それ抜きで「人権教育」はできないと、わたしは考えます。というか、わたしはそう考えていたんだということに、あらためて気づかされました。

「当事者にもいろいろいる」「特定の当事者の観点から物事をとらえるのは偏ったものの見方」という意見はあるでしょう。でも、「公的機関からとらえる」こともバイアスのひとつです。というより「バイアスがないふりをする」という意味で、「もっともバイアスがかかった物事のとらえかた」ということもできるかもしれません。
であるならば、わたしは「当事者の歴史や現状」をマジョリティであるわたしが見るという幾重ものバイアスのうえに成り立ったところに基準をおきながらやりたいし、きっとそうしたいと今までも思ってきたんだなと、気づかされました。

てことで、来週の発表は、そんなことに留意をしながらやりたいな。

1日おべんきょ

10月からこっち、センセに無理を言って、わたしの都合のつく時間におべんきょさせてもらっていたのですが、それもそろそろ限界かなと。やはり、夜のおべんきょが週3〜4回もある時はかなりしんどいです。なので、最後の無理ってことで、「まとめておねがいします」というお願いをしてしまいました。
てことで、今日は朝からおべんきょです。
昼ごはんを食べて*1、午後からはプチお座敷もあったりして。
ま、そんなこんなで半年間の刺激的だったおべんきょ終了です。あとはレポートかぁ…。

夜は夜で数学のおべんきょ。今日は確率でした。助かった^^;;。

*1:なぜかおごってもらったりして^^;;。

はじまった→かどや@飛鳥

いままで1年半以上「準備」をしてきましたが、準備そのものがどうにもこうにも、ほとんど進みません。先週に至っては四周くらいまわってもとのところに来てしまいましたから。てことで、
「もう、とりあえず、やっちゃう?」
ってことで、本番、見切り発車です。
てことで、朝から大阪へ。某所でYーキと待ち合わせて、本番開始。
センセからは
「普通はあっという間に終わっちゃうよ」
って言われてたんですけど、こいつはハンパないです。なんか気がついたら3時間近く経ってました。はじまる前は
「チョロいやろ…」
って思ってたんですけど、終わったらメッチャ疲れてました。
でも、よかった(^^)。

終わったあとは、久しぶりの「かどや」です。
あいも変わらずホットケーキのような「関西風」とグラタンのような「べた焼き」です。

この店、生地の味もさることながら、ソースが強い!これだけマヨネーズをトッピングしたらソースの味が負けるだろうと思いきや、この店はマヨネーズのまろやかさに鋭く切れ込むソースのスパイシーさがたまりません。
さらに、上に散りばめられた韓国の唐辛子が辛さではない、でもカプサイシン効果をくれます。美容にもいいってことですね!

最後の最後までトロットロのべた焼きを楽しませてもらって、至福の時間を終えましたo(^^)o。