何度でも聞いてみよう

今日は、第二のふるさとの某研究会の総会。記念講演は神野ちどりさんです。これは行かねば(笑)。
ちなみに「神野ちどり」で検索かけるとこんなのが出てくるのが、かなり恥ずかしいです。
でも、このときに聞いて、そのあと、別のところで聞いて、さらにうちの職場に来ていただいて…。今回で4回目なんですよね。はじまる前にあいさつすると
「同じ話ですよ」
と笑われたのですが、でも、「聞きたいなぁ」って思うのです。それは、やはり聞くたびに新たな気づきがあったり、忘れていたことを思い出させてもらったり、そんなこんながあるからなんですよね。

で、今回も迫力満点です。てか、自分の「しんどかった頃の話」なんかを聞かせてもらって、
「そうだよなぁ」
と自分を振り返り
「自分はまだまだやなぁ」
と反省し。
そんな1時間半でした。

電車通勤の醍醐味

電車通勤になって3年目。朝起きるのは辛いけど、そしてこの5時半起きが定年まで続くのかと思うと(笑)、気が滅入ります。
でも、電車通勤の状態で遠距離の出張があると、例えばこんなことができます(笑)。

他にもいいことがあって、例えばどこかの駅まで迎えに来てもらえたりするわけです。すると、いろんな人と話ができる。車やバイクで通勤してた時には話さなかった人、話せなかった話をできたりするんですよね。ま、よもやま話ではありますが、それはそれで大切かなと。
あと、いろんな車に乗せてもらえる。
これはおもしろいです。それぞれの車の特性がわかるんですよね。トルクフルな車、非力だけどがんばる車、スムーズな車。乗せてくれた人のアクセルワークに対するレスポンスを助手席で感じるんです。これが楽しい。で、感じた特性を乗せてくれた人に話すと、けっこう話が弾みます。
ちなみに、一人になりたい時は電車に乗ればいい。
いやぁ、やはり電車通勤はいい!

ここが某超高級住宅街…

朝、なぜか阪急に乗って、駅からタクシーに乗って、兵庫県内の超高級住宅街へ。
一緒にタクシーに乗っている人たちと
「目が痛いわー」
とかいいながら、まわりの豪勢な家並みをキョロキョロ。と、えらい低い車が…。フェラーリか^^;;。お次は…。ベンツか^^;;。はいはい。いったい、どんな人が住んでいるんですかねぇ。
で、用事を済ませて、再び駅まで。時間は11時。今後の打ち合わせもあるし、ちょいとビールでも…。お、中華料理屋です。「揚げワンタン」とか書いてあります。生ビールもおいしいらしいです。入らない手はありません。
てことで、「済ませた用事」が無事すんだことを乾杯。
「揚げワンタン」「水餃子」「レモンエビ」おいしい!ついついビール→紹興酒と進んでいきます。と、一緒に行ったIさんがいきなり
日中戦争のように泥沼化…」
とかつぶやきます。あのね、ここ、中華料理店。
と、Bちゃんもつぶやきます。
「まだ盧溝橋事件ぐらいやな…」
マジでたち悪い連中です(笑)。
「うん、ちょうど鉄道爆破ぐらいか」
とか、みんなでつぶやきながら、メッチャおいしい料理をつついて、すてきなランチタイム終了です。

その後、大阪市内に移動して、ちょいとお散歩。で、京都にもどって…。

そんなためか?・鶴橋安寧(その2)

なんか、今日もヘイトスピーチがあるとか。かなり迷いましたが、やはりカウンターに行くことにしました。
少し遅れて駅に着いたら、なるほど、やってます。

にしてもわーわー言ってるだけで、なにがなにやら。ま、カウンター側が圧倒しているわけで、これでいいわけですが…。
しばらく「対岸側」にいましたが、せっかくなので正規部隊の方に行きました。こちらでは、こちらのアピールでヘイトスピーチはまったく聞こえません。と、かろうじて聞こえてきます。なんだろと思ったら、「朝鮮人」を連呼しています。いったいなんなんだ?あとで聞いたら、歌うたってた人もいるとか。
こうなると、いったいなんのためにスピーチしているのかわかりません。こんなことにつきのために、警察は200人。カウンターも150人が日曜日の午後に来ているんです。後ろのお店は貴重な土日の昼下がり、それぞれ2時間ほどの間お客さんが入っていません。多大な迷惑行為としか、わたしには考えられません。
まったく、あきれてしまいました。

なんかもう、暗澹たる気分で、それでもカウンターが終わったところで家用のおみやげを買って、今日も茂利屋へ。と、みなさん、おそろいで^^;;。そうこうするうちに、続々とやって来ます。
ここでしばし、クールダウン。
さて、今日は早めに帰りましょう。

家に帰っておみやげを開きました。

ロックヴィラのキムチサンドに、茂利屋の豚足とチヂミです。
何と言っても、パートナーのカウンターが世界一こわいわけでして^^;;。

人を生かす言葉を・鶴橋安寧(その1)

朝、もそもそ起きだして、大阪へ。午前中は人生を聞かせてもらい、考えを語る二人会^^;;。
ふだん大人数の中で「すれ違い」みたいな声をかけあうだけだったけど、ゆっくりと人生を聞かせてもらうと、その人を見る目がガラッと変わりますね。なんか、いままでいろんな人の話を聞かせてもらってきましたが、たとえ自分よりはるかに若い人であっても、その人がその人の人生を生き抜いているという意味で「リスペクト」です。

で、2時くらいにバイバイして…。
わたしは鶴橋へ。いや、焼き肉食べに行くわけじゃなくて、いや、もちろん焼き肉は食べるんですが、その前にやらなきゃならないことがあるわけです。
てことで、ガード下へ。すでにたくさんのお友だちがそこにおられます。一通りあいさつをして
「ほんまにやるんかなぁ」
「なに考えてるんやろねぇ」
と、ひとしきりグチ。
と、3時前にいきなり緊張があたりを走りました。
「来た?」
とりあえず、わたしは大きな荷物を持つことになったので、「正規部隊」のところに行って、準備をしようかと。で…。あり?マイクがない?てか、電池もない?
どーすんねん。この巨大なトラメガ^^;;。
と…。あり?正規部隊のトラメガとメーカーどころか型番も同じやん。てことは、周波数をあわせたら使えるやん。
コンビニに駆け込んで、電池とドライバをゲット。コチョコチョしてやると、いきなりアピールの声がトラメガから出てきました。
よっしゃ!トラメガ2発あれば強いです。

にしても、ほんとになにやってるんだろと思います。「ヘイトスピーチが趣味」とか、わたしにはわけわかりません。そのためにどれだけの人が傷つき、どれだけの人が「日常」をなくしているか。おそらく「ヘイトスピーチが趣味」な人はそれが楽しいんでしょうね。でも、それが楽しいんだとしたら、それは「悪趣味」です。「ほっとけばいい。騒ぐから増長する」という意見もあるでしょうけど、「傷つける行為」はほっとけません。

途中からトラメガ担当を変わってもらって、対岸へ。しばしプラカをかかげているうちに、なにやら終わったみたいです。帰っていきました。
結局、「彼ら」が言ってることはほとんど聞き取れず。まさに「何しに来たんだ?」状態です。でもそれは、カウンターが圧倒したからできたこと。もしもここに誰もいなかったら、「人を傷つける言葉」が垂れ流されていたんだろうなと思います。できることならば「人を生かす言葉」を使える人間でありたいと思うわたしとしては、それは許せない。許せないことは行動にあらわす以外ないんだろうなと思うようになった、この一年です。

さてと。あとの時間は静かになった鶴橋の街を楽しみましょう。
てか、「彼ら」は店の前で騒ぐだけ騒いて、どっかに行くんですよね。まさに「商店街のじゃまもの」です。
まぁ、どこかに行けば誰かがいる。そんな鶴橋の街です。ここは当然「聖地・茂利屋」でしょう。

ホルモン、うまっっっ!
最後は幸せな時間を過ごせました(^^)。

京都府民の人権意識調査からわかること

今日は某研究会の総会です。眠い目をこすって(笑)参加しました。まぁ、事務局やってるから当然のことです。
で、午後は記念講演。講師は「おべんきょのセンセ」です。
講演の内容は、個人的にはすでに2回ほど聞いていますが、でもだからこそ「みんなに聞いてほしい」と思う内容でした。
とても簡単に言うならば、京都府民の部落への忌避意識は、10年前も20年前も現在も、さほど変わっていないということです。となると「んじゃ、やっても意味ないじゃん」となるのですが、実はそうでもない。それは地域差があるからです。有り体に言うなら、京都府中部・北部は忌避意識が低く、京都市内と南部はそれが高い。なぜなら、中部や北部は人権啓発をかなりていねいにしておりるからなんですね。ま、それ以外に、「部落のありよう(周囲の捉え方)」みたいなのも関係するんじゃないかと、なんとなくは思いましたが、それはおいといて…。
では、どんな啓発が有効かというと、ここで「接触仮説」というのが出てきます。簡単に言うならば「差別と闘っている人間と出会ったことがある」という回答と「差別はいけない(「どちらとも言えない」とは回答しない)」という回答の相関関係があるってことです。で、この時の「差別と闘っている人間」は、別に当事者である必要はない。てことは、例えば、学校で言うなら当事者ではない教員でもいいし、社会教育で言うなら、当事者ではない人権擁護委員でいいわけです。
これはとても気が楽です。だって、自分がやればすむわけですからね。
また「魅力ある啓発」としては、やはり当事者の講演はとても有効です。
つまり、このあたりを組み合わせていくことで、学校教育の中での人権教育のヒントが手に入るわけです。
まぁ、ぶっちゃけな話をするなら、直感的には感じていたし、結局昔からやっていたことなんですけど、昨今の状況の中でくじけそうな気持ちになることもあるわけです。それをデータとして見せてもらうことは、ちょっと後ろから背中を支えてもらえる気がして、やはり元気になるんですよね。
「これまでやってきたことを、もう一歩前へ」
って。

朝起きると、やはりめっちゃしんどいです。この体調で…。悩みます。しかも、なんだか仕事が詰まって、やりたい仕事がろくにできない状況です。頭の中を「おべんきょー」という言葉がよぎります。行くべきか行かざるべきか。
とりあえず、お友だちのS納さんに
「今日の集まり、出席連絡してないんですが、頭数に入ってるんですか?」
とメール。すると、電光石火で
「もちろん!二次会もさくっと」
という返事。
「り、りょうかい」
「ふひひ」
というわけのわからんやりとりがあったので、すべてを振り払って行くことにしました(笑)。
向かった先は、関西沖縄文庫。今日は「ちゃんぷるーを食べながら、戦争と平和の境目について語る会」という謎の集まりがあるとか。ちなみに話題を提供して下さるのは金城馨さんと辛淑玉さん。いやがおうにも期待が高まります。
ちなみに、金城さんの話は何度か聞いていますが、辛淑玉さんの話を聞くのははじめてです。どんな話をされるんだろo(^^)o。

会場に到着すると、いきなりS納さんが辛淑玉さんに
「カウンターの闘士」
とかいう紹介をされます。いや、ちゃうし^^;;。でも、リュックについてる缶バッチを見て、辛淑玉さん、「おぉ!」みたいな反応されていました。普段はいきなり殴られるんじゃないかなんて思うこともあるだけに、いいこともあるもんだなと。

で、おふたりの対談。
硬と柔、急と遅。クリスタルブレードのような輝きを持つ辛淑玉さんの言葉。かたや、金城さんの言葉はしなやかに届いてくる、なんと表現すればいいのか、例えようがない感じです。
そんなおふたりの話を聞いていると、自分の中から「考え」が引き出されてくる感じです。
辛淑玉さんの
帰化した韓国人も日本人とみなされていない。沖縄も日本人とみなされていない。たぶん部落もそうでしょ。セクマイだってそう」
という言葉は、実はストンと落ちてくるものでした。かつて金城さんの講演で聞いた話とつながるものでした。初めて会ったふたりとは思えません。

にしても、金城さんのものの考え方、好きですねぇ。
「深く考えると疲れて考えるのをやめちゃうので、「もう少し考える」んです」
なるほどなぁ…。「少し考える」ことを続けていくことで、いろんなことを考えることができますよねぇ。
ま、そんなこんなで、30分ちょいのセッションのはずが1時間近くになって、晩ごはんタイムです。まさに「ちゃんぷるー」な食卓にさいぼしの差し入れがあったりして、めっちゃ豪勢です。オリオンを飲みながら、今度は自己紹介。ひととおりまわったところで、突然辛淑玉さんからの金城さんへの質問タイム。これがいいツボついています。聞いてる人、みなさん爆笑しながらも「なるほど」を連発です。

で、9時をまわったところで二次会会場へ。
ここでわたしはちゃっかり辛淑玉さんの隣に陣取って、あれやこれやと話。テンション高く見えるけど、情が深い人ですね。
うーん。この場を去るのがあまりにも惜しいです。結局、最終電車を見送って、デッドライン電車で帰りました。
でも、一点の悔いもないです。
素晴らしい企画をありがとうございます→S納さん!

怒られた

朝、眠いです。もうやです。
でも、大阪に行かなくちゃなりません。今日も人の話を聞かせてもらう予定になっています。
でも、かなり身体がグダグダです。パートナーがマッサージをしてくれました。
で、出がけに
「もしも元気があればカウンターに行こうかな」
とつぶやくと
「あんたな!元気なんやんか!」
と怒られてしまいました^^;;。でもそのあと
「話聞き終わったら帰ってきなさい」
というつもりを
「カウンター終わったら帰ってきなさい」
っていい間違えていたから、たぶん、そうなんでしょう。

で、まずは話を聞かせてもらったんですが…。
まぁ驚きの連続でした。「そうやったんやぁ」「へー」「ほー」です。
しかし、ふと思ったのですが、「自殺予防」と「いじめ対策」って、イコールの関係になるんだろうかと。「性的マイノリティの68%がいじめられた経験を持ち、そのうち約30%が自殺しようと考えた」とのことなんですが…。
なんかこれ、「いじめが原因で自殺しようと考えた」という筋書きに乗った言説のような感じがするんですが、はたしてそんなにまっすぐつながるのかなぁ。
例えば、トランスの場合、もともと自分の存在がイヤで、根源的にはそちらが自殺念慮の原因で、それとは別にいじめが存在している可能性もある。もちろんいじめる側はトランスにからまるところをついてくるわけで、いじめられた方も「それが原因のいじめ」とは答えるわけですが…。
もちろん「自殺予防」も「いじめ対策」も大切なんですけど「自殺予防をするためのいじめ対策」と両者を直線的に捉えると効果が薄いのではないかなと。というか、もっと言うなら「いじめを解決したのに自殺した」なんてこともありうるかもしれない。その時「いじめ」と「自殺」を直線的につないでしまうと、「あるはずのない犯人」を探すことになってしまうのではないかということです。
実は、わたしは、昔から、この「内在する自らの存在へのフォビア」にこそ、もっとも注目しなくちゃならないのではないかなぁと、漠然と考えているんですけどね…。

てなことを考えながら、話も無事終了。
で、お礼にお昼ごはんを奢って、瞬間の躊躇の後、御堂筋線に乗りました。
外に出るといい天気です。こんな日はどこか河原にでも遊びに行きたいものです。やれやれ…。でもしかたないですね。河原の代わりに心斎橋から難波まで散歩しますか。
いつもの場所に行くと、いつもの人々がおられます。ほんとに頭が下がります。
わたし、実は街宣の内容、聞こえてないんです。なんだろ…。単なる騒音でしかないんです。意味を伴った「言葉」と認識できない。仮に認識できるとすれば、「悪意に満ちた騒音」。あるいは「とても下品な騒音」。
だから、一字一句に腹を立てたりしているわけではないんです。でも、その「悪意」や「下品」を浴び続けると、どうしようもない消耗がやってくる。いつもカウンターの場にいる人たちは、そんな「音」を浴びながらやっているからこそ、頭が下がるのです。そして、そんな「音」が街の中に響くことへの反発が、わたしをカウンターに向かわせているような気がします。
今日もいつものようにカウンターをやって、ぐったりと疲れました。いつものようにビールを飲みに行く元気もありません。
とりあえず、スミノフアイスを1本呑んで、早々に帰ることにしました。

と…。
やばい!
今朝、パートナーに怒られたんだ(;_;)。
パートナーのカウンターが一番こわい(;_;)。

3連発

なぜか朝の9時半に大阪へ。またまた人の話を聞かせてもらいに行った次第でして…。
なんか、「居心地いいところ」に落ち着くためには、たぶん試行錯誤しなくちゃならなくて、そのためには一度振り切れる必要もあるのかなぁと思いました。
これ、まぁ、年齢の問題もあるんでしょうけど「年齢ゆえにそこそこで」ってやると、逆に長引いてしまう。で、その「長引き」は、本人にとっては「残された時間」との兼ね合いで、かなり切実なものになる。とするなら、「ええ歳」の人にも一度「振り切れ」を経験させる余裕を持つことが必要なんじゃないかなぁ。
なんてことを考えながら聞かせてもらいました。

で、京都にもどって「某在日外国人教育関係」の会議です。まぁ、こちらの方はいつものように淡々と^^;;。
にしても、同じ時間に奈良では大変なことが進行中です。ホントは駆けつけたい気分だけど、そうもいきません。時折、会議の参加者に奈良からの情報が入ってきます。と、突然H本さんから「カウンター報告ありました」とのメール。あれ?H本さん、大分じゃないの?え?あ!そうか!全女に参加してるんだ!いろんな人が、それぞれの場所で関心を持ちながら見つめているんですね。
どうやら奈良ではカウンターが圧倒してヘイトスピーチを無効化したとのこと。それはそれで、現実的にはよかったわけなんですが、もう少しさかのぼって考えると、そもそもヘイトスピーチなんかができることそのものがアカンわけで、複雑な気分です。

で、夜は京都駅近辺で会合。久しぶりの集まりということで、いろいろ今後のことを話し合ういい機会になりました。
しかし、せっかくのユニバーサルトイレ、「カギを開けておいてね」と言ったのに開けておいてくれなかった。そのせいで、車いすユーザーとケンカしちゃったじゃないですか。まったくもう…。ま、酔っぱらいがシラフの車いすユーザーにからんだだけのことなんですけどね^^;;。

ま、そんなこんなで、頭の中がグルグルしそうな土曜日が終了。
ふぅ…。

半径1メートルをつなぐこと・「地球のステージ」がやってきた!

今日は朝から緊張しまくりです。なんせ、午後を半日使って「地球のステージ」鑑賞ですから…。
今年度、うちの職場の人権学習のやり方を大きく変えました。これから3年間かけてそれを完成させていこうと思っているのですが、その第一弾が、今日ある「地球のステージ」なんですよね。
にしても、同じ日に「生徒会選挙」があるのが致命的ではありますが^^;;。こんな日程組んだの誰やねん!って、わたしか^^;;。

でも、なんだかんだで無事開演。
うーん、ざわつくなぁ…。なぜだろう。たぶん、一部の人間なんだと思うんだけど…。

たぶん、「聞かない生徒」は「無関心」なんだと思うのです。じゃ、そういう生徒が関心があるのは?もしかしたら「半径1メートル」の範囲の出来事なんじゃないかなと思うのです。なので、そこからはみ出た「地球」には関心がない。アフリカで起こる戦争や、そこで死んでいく子どもの姿、あるいは熱が下がって喜ぶ桑山さんの表情には関心がない。
じゃ、「聞く生徒」や「わたし」の世界は半径2メートルなのか?
それは違うと思います。やはり、わたしたちの世界も「半径1メートル」でしかないのです。じゃ、なぜ関心が起こるのか。それは「半径1メートル」同士が重なる部分を感じるからじゃないかと思うのです。
「半径1メートル」のふたりが、ほんの少し近づくと、「20センチの重なり」ができる。すると、「重なり」の向こう側に「180cm」の「和集合部分」ができる。そうやってできた「和集合」をたどっていけば、やがてそれは100メートル先にまで届く。そうやって「世界」を広げ、そこに感心を持つことができるようになる。
そんな気がするのです。
世界を広げるためには、人と人との距離を少し近づける。のかな…。

うわ。桑山さんが厳しい言葉を!
水を打ったような静けさです。時にはこんなのも必要なのかもしれません。注意を向けることによって関心を持つこともあるかもしれません。
でも、桑山さんが厳しい言葉を向けたのはわかります。自分の「地球旅行」は無関心でも耐えられるけど、「震災」の話は耐えられない。
そんな桑山さんの気持ちを、自分のこととして子どもたちに伝えることで、桑山さんの笑顔と、そして厳しい言葉の裏側に込められた「無関心への悲しみ」と「無関心への怒り」を伝えることができるのかもしれません。そして、それがわたしたちの仕事なのかな。

公演終了後、何人かの生徒が真っ赤な目をして桑山さんのところに行きました。あとで
「「1年生ですが、うちの学校の生徒がすみません」って誤ってくれた」
と、桑山さんは話してくれました。そして
「今日は、とても満足できた公演でした」
と笑顔で話してくださいました。
きっとそれはホントのことなんでしょうね。

うーん。
明日からが勝負です。まずは、授業の雑談からかな…。