全外教大会(1日目)・これはアカン

夜、やたら咳が出てあまり寝られませんでした。他の人にきっと迷惑だっただろうな。すみません。
でも、とりあえず朝のプログラム開始です。なんか、年々「やらなきゃならないこと」が減っていくのは、きっと引率のみなさんがどんどん「やらなきゃならないこと」がわかってくださっている人々になってきているんだろうな。なので、「しんどいー」とか言いながら、どうにかこうにかわたしのタスクをこなして、とりあえず会場をチェックアウト。バスに乗って全体会の会場に向かいます。
全体会は、今年はなんと国士舘大学。ここに来る日が来るとは思いませんでした。にしても、すごくきれいで快適です。いいなぁ…。
全体会の司会のフニさんとあいさつしたり、なんだかかんだかやっているうちに、生徒たちの発表です。ここに来るまでにいろいろあっただろうけど、でも、それでもなんとかここまで子どもたちはやってきたんだなと思うと、わたしはなにもしていないけど、いろいろ迫ってくるものがあります。子どもたちが解散したあとは、残りの全体会。崔江以子さんのアピール、ハンパない。卒業生のYんじゅりが「強い」って言っていたので、「誰が強くならざるを得なくしたのかな」とだけ言っておきました。
さて、今年の全体会は終わりました。
あとは、全国交流会。ビールがスー○ードライしかないので買いに出るのはお約束です。なんか、いろいろ話をして、なぜかゆNじゅりと兵庫のメンバーと5人で歌舞伎町へ。なにやらとってもぁゃιぃ中華料理屋さんで青島ビールをいただいているうちに、スイッチが切れかけました。やばい。スイッチが切れる前にホテルに行かなくちゃ。
ベッドに倒れた瞬間に爆睡です。

ダブルヘッダーからの…→全外教大会(0日目)

今日はかなり過酷なスケジュールです。はたして身体が持つのか?
朝は交野市のとある中学校区の研修会のお座敷です。
車に乗せてもらって会場に向かっていると、見覚えのある風景があります。
「ここ、もしかしたら○○小学校じゃないですか?」
「はい、そうですよ」
ここ、去年来たところです。そして、会場はそこから数百メートル離れたところ。なんでも日本一近い小学校同士だそうな。てことは…。
「はい、去年聞かれた管理職さん、来られます」
って、まずいよ。だって、ネタは同じですよ。てことで、その管理職さんが来られたので、「そんな、何回も聞かなくていいのに。寝ててください」と、お願いしておきました。
で、お座敷開始。なんか昨日くらいから体調が悪くて、実は今日、声が出るかどうか心配だったのですが、なんとか出てくれて一安心です。となると、あとはいつものハイペースで話を進めていくだけです。たぶん、わたしの「実践編」は、わかろうとわかるまいと関係なしにシャワーのように言葉が浴びせかかってくる感じなんじゃないかと思います。で、それはそれでいいんだと思います。自分の知らない世界に言葉があふれているということを経験してもらえば、それが「次」につながるんじゃないかな。というか、別に、わたしの話を聞いてすべてがわかるわけじゃなくて、あくまでもわたしの話は入門編です。そこから奥に、豊かな世界を切り開いてこられた先達達がいる。ただ、「どの先達に至る道か」という意味では、それなりにバイアスがかかってますけどね(笑)。
てことで、2時間のお座敷終了。みなさん、メッチャいい反応でした。まぁ、北河内と京都は近いからかなぁ。

で、午後から兵庫に移動。三ノ宮から元町まで歩いたら暑くて死にかかりました。午後のお座敷は、兵庫県教組の教育課程なんちゃらです。わたしの担当は「ジェンダー平等」の分科会。わたしの出番の前に話をしておられたのは、昨年度の日教組教研のレポーターの方のようです。あー、いつもの通り、言いたいことだけ言ったヤツや。
で、わたしの出番。午前のお座敷のあとの移動で、ちょっと出がらし感がありますが、気合を入れ直してお座敷開始。いきなり
「あ、すみません。マクラを考えるの、忘れてました」
まぁ、仕方ないです。京都と神戸の共通点を話して、お友だちになったところからスタートです。午前も午後も、話の内容は同じですが、やはり、聞いてくださる方によって微妙に変わるのかな。午前に話をした内容でパスをするものが出てきたり、午前ではパスした内容を出してみたり。ここでも、首がちぎれそうにヘッドバンキングしてくださる人がいたりして、やはり「教組の仲間やなぁ」とあらためてうれしく感じました。
お座敷のあとはワークショップ。これがおもしろい。事例への対処が、さっきわたしがした話と真っ向から反する対処方法で、「これをツッコむのって、かなり高度やなぁ」と、思わず笑ってしまいました。
最後に「例えば、金髪の外国人が入学してきた時に髪の毛を染めさせますか?染めさせないですよね。じゃ、長髪の男子生徒が入学してきた時に髪の毛を切らせますか?同じですよね。その子はそういう子なんだから、それでいいじゃないですか。理由は必要ないんです」とコメントして終了。コメントし逃げって、すみません。

で、京都に移動…。ですが、新快速がしんどい。ちょっとぜいたくして「スーパーはくと」に乗ってしまいました。ディーゼルええわぁ。
で、京都から新幹線で新横浜へ。さらに横浜線で町田市へ。最後はタクシーに乗って、とあるキャンプ場へ。今日は午後から全国在日外国人生徒交流会が開催されています。わたしの役割は、話しあいが終わったあとの実行委員のミーティングの相談役。約1時間の話しあいのあと、なんか引率の交流会とか言っていますが、さすがに疲れました。とりあえず、ひととおりの交流が終わったところでひとり部屋にもどりました。
さて、寝よう。

恋愛・結婚と部落問題 −結婚差別を考える−

今日は某人権教育研究会の夏季研です。
昨日の夜が遅かったので、さすがに今朝はしんどいです。車で行くか電車で行くか、迷います。ある種車の方が楽なんですよね。歩かなくていい。でも、車の運転中は休めない。思案のしどころです。でもまぁ、いろいろ考えて電車にしました。しんどいなぁ。
それでもなんとか京都府中部にある会場に着いて、研究会開始。わたしは今年も発表はなしです。だって、6月にひとつプレゼンがあって、昨日プレゼンがあって、さらに今日というのは無理というものです。いや、かつてはできたかもしれないけど、今はそんなに気軽にできることはやっていません。
でも、発表がないと楽です。今日ものんびり気分での参加です。そういや、去年のこの研究会が、死にかかったあとの最初の外出でした(笑)。
で、レポートを聞いていると「片手落ち」発言が。当然指摘をするわけですが、それに対して「あえて使った」との反論。「これは片手が落ちているのではなく、手順の片方が落ちているという意味だから差別発言にはならない。言葉狩りだ」という趣旨の発言です。はいはい。語源の問題ではありません。例え語源がそうであっても、言葉の意味は変化していきます。自分が差別的な意図がないなら、まずそれを明示してから使うべきで、あとから「実は」ってのはイマイチですね。まぁ、若くてとても勉強がよくおできになる方のようですから、挑戦的にそういうことをやっているんでしょうけどね。
なんか、ご自分の学校でやっている実践や、そこで人権を担当されている方がとても立派で豊富な知識をお持ちで、「だから自分は差別なんてするはずがない!」感が、ご自分の頭のよさとあいまって出てきているのですが、すまんけど、地べたを這いずりまわって生きてきた頭の悪いわたしには、そういうのは届かんのですわ(笑)。

で、午後は大阪市大の齋藤直子さんの講演です。めっちゃ楽しみです。
齋藤さん、昨日は長野県で講演をされてきたということで、滑り出しはテンションが変で妙に上滑りな感じでしたが、途中からギアがかみあってきたのか、明快な話になりはじめました。
テーマは結婚差別です。
よく、結婚差別の授業案をつくったら「もっと新しい事例はないのか」とかいう、本末転倒な要望が返ってきて頭に来たりするのですが、でも実際のところどうなのかというのは、「駆け込み寺」みたいな活動をしていないと、なかなかわからないのが現状です。そもそも、結婚差別は、その前提となるそれぞれの時代の結婚観や結婚の状況に左右されます。よく言われるのは、「部落内で結婚していた時代は結婚差別は起こりにくく、部落外と結婚するようになることで結婚差別が起こるようになってきた」ということです。が、齋藤さんは、ご自分の専門である「家族社会学」で得られた知見を使いながら、時代背景と結婚差別の状況を見事に解き明かして行かれます。さらに、それは序章に過ぎません。結婚差別にはさまざまな論点があり、それらを丹念に語っていかれます。
こうした問題意識の背景にあるのは「差別はひと言でできるが、差別をしてはいけないということを説明するのはとてもたいへんだ」ということです。思わず午前の事例を思い出したりして(笑)。
いや、ほんとうにおもしろい講演でした。

帰りの電車の中でもう少し話。こういうのができるのが、主催者の役得です。
講演の中で、「結婚差別で使われる論理は定型がある」ということを言われたのですが、ほんとうに「なるほどな」です。つまり、結婚差別に使える言説は残っていく。そして、有効ではなかった言説は淘汰されていく。最終的に残った言説は、きわめて有効な言説になります。で、その言説を、使う本人はあたかもオリジナルであるかのように使うし、使われた方もまたオリジナルに使われた気になる。でも、結婚差別にあった人たちの体験を聞くと「それ、言われた!」みたいになる。逆に言うならば、「学ぶ」ことによって、もしも自分が結婚差別にあったとしたら「返し」の方法もわかるし、周囲の状況で結婚差別をしなきゃならない立場に直面した時(例えば、自分の子どもの結婚に親戚が文句をつけるみたいなシチュエーション)、そこへの対処法がわかる。
と同時に、もうひとつおもしろかったのが、「みんなテンプレ好きだよね」なんですよね。これは、最近の若者の傾向にもある。例えば「結婚は祝福されたい」というテンプレがあると、容易に結婚差別に荷担する方へと流れていく。つまり「親の反対がある→祝福されない」ということですね。そういう意味では、「テンプレで考えない」ということがとても大切なかもしれないなと思いました。

そんなことをいろいろ話をして、齋藤さんとおわかれ。
さて、家に帰ってお風呂に入ってビールだ。マジで疲れました。

当事者と非当事者の線引き

今日は昼呑みしながらのインタビューです。もちろん、わたしは受ける方。でも、実はどんなインタビューかよくわかってなかったり。でもま、なんとかなるでしょう。
で、お店に入って趣旨を説明されて、なるほどなと。「アライをめぐる話」でした。

なんか、アライ論争ってあるみたいです。が、基本線としては「アライはアカン」みたいな感じなのかな。まぁ、根本的な話として「アライは「ally/foe」という軍隊用語で、それを使うのはどうよ」ってのがあったりして、ま、それはそれでいいよねとは思います。が、一概に「アライ」をバッサリと切ることにいかほどの意味があるかなと思うのです。
ちなみに、「アライ」=「非当事者の支援者」とするなら、当然のことながら「当事者とは誰か」という話が出てきます。これ、そんなに簡単なことじゃないです。いや、「疑いようもなくわたしは当事者なんだ」と思ってる人には「なに言ってんだ」ってことになるんだろうけど、そこで一度立ち止まりたい人にとっては、「そうだよなぁ」ってなることですよね。
例えば…。
かつて「日本籍朝鮮人」は「日本籍」ゆえに当事者とはみなされてこなかった。でも、それに異を唱える人が出てきて、当事者性を獲得していったということがある。あるいは、HIV訴訟の支援者の中にHIVポジティブであることをカムアウトせずに支援者としてかかわる人がいた。この人は当事者なのか支援者なのか。さらには、例えばDSDsの身体を持っていたとして、そのことでさほどの不都合もなく生きることができる人が仮にいたとして、その人が検査を受けないがゆえに自分のことを知らなかったとして、その人は当事者なのかどうなのか。そしてなにより、さまざまな人々が自分のことをどう定義するのかです。
てことで「アライの定義は?」と聞かれたので「自己申告でしょう」と答えました。
それにしても、なぜ「アライ論争」が起こるのかなぁということをあらためて考えた時、もしかしたらと思ったのが、「LGBT当事者」の中には、「アライとしての自分」という経験を持ってない人が多いからなんじゃないかなって、ふと思いました。
わたしは部落外の人間として、あるいは日本人として、解放教育や在日外国人教育にかかわっています。その立場は、まさに「アライ」です。じゃあ、その「アライ」であるわたしが、例えば自分の出自にであることに無自覚かつ運動にもかかわっていない「当事者」と比べて、なんらかの非難をされるべき存在かというと、そんなことはないと思うのです。というよりも、もしも先に述べたような人が、こんなわたしを非難するとしたら、それは「当事者」にあぐらをかいているだけだと、わたしは思います。
「○○でないお前に何がわかる」とは、わたしは言われたことがないけど、まぁ定型句です。今のわたしなら「わかるわけないやん」と言います。だって、わかるわけないもん。で、わかるわけないことをあえてこういう言い方をするとしたら、それは「当事者」にあぐらをかいているだけだと思います。そう思うわたしは、「なんらかの当事者(笑)」になった時に、「これだけは言わない」って決めました。わたしはあぐらはかきたくない。
で、もとにもどります。
そんなことを考えるわたしが、「アライとは誰か」と言われたら、先に書いたような「自己申告」です。「いや、でも、自分の利益のために「アライ」という言葉を自称する人がいる」なーんて話が出てきたら「困ったねぇ。でもま、しかたないんじゃない?」って言っちゃいます。なぜなら、たぶん、深くコミットメントしてる人は、すでに「当事者」だからです。その当事者性は、「いわゆる当事者」とはレベルが違う。そして、そんな人は、自分のことを「アライ」とも「当事者」とも言わない。例えばHがしさんみたいにです。
一方、「当事者」という言葉しかないなら、それに対置する言葉は「非当事者」しかなくなる。そんな時に「アライ」という言葉があれば、そこでとりあえずアイデンティファイすることができる。もちろん「とりあえず」だから、やがてはそこから離れたらいい。
そんな、「仮置き場」としての「アライ」はあっていいだろうというのが、わたしの考えなのですが…。
まぁ、最後はどうでもええんですけどね(笑)。

てことで、デカンタで頼んだワインを飲みきったら、かなりフラフラになりました。
さてと。帰ろう。

長距離ドライブ

今日からやっと夏休みo(^^)o。とは言え、のんびりするというよりも、土日と平日の境目が融解してしまうわけで、たぶんかえって忙しくなります。
とりあえず、まずは赤点の子らの基礎補充。みなさん、熱心に数学を教えておられます。えらいなぁ。それに引き換え、あちこち歩きまわりながら、てきとーにちょっかい出しをするだけのわたしです。とある生徒に
「さき一昨日帰ったのは1時前で、昨日は12時前」
とか言ったら
「ファンキーな生き方してるな」
ってほめられました(笑)。

で、昼からは隣保館訪問です。子どもを真ん中にすえて、学校と地域が両側から話をします。それがとても大切です。地域では見せないその子の顔を学校は知っていて、学校では見せないその子の顔を地域は知っている。大切なのは、「知らない顔がある」ことを知ることなんでしょうね。だから、隣保館や中学校に行くのです。今回も、とてもおもしろかったし、いい出会いがありました。
「別に何もなくても、学期に1回くらいは来ますね」
とお願いして、隣保館めぐりも終了。ちなみに、一番遠い場所は三重の手前なので、まぁ、気持ちのいいドライブです。秋にはバイクを整備してツーリング気分になりたいな(笑)。

で、今日は帰りましょう。実は、放送部卒業生の「お泊り呑み会」があるんだけど、まぁ、行っていけないことはない感じなんだけど、ここで行ったら、ぜったいに体力使い果たすし、やめておきましょう。

今年は大丈夫だと思う(笑)→煽る

朝、朦朧として目が覚めて、キャンプ上であることを認識しました。さて、どうするか…。
とりあえず、のそのそ起き出して、外を見ると雨が降りそうです。うーん、テントどうしよう…。と思うまもなく、霧雨のような雨が降りはじめました。ま、しゃーないです。雨には勝てません。それでもほどなく雨もあがったから、助かりました。
昨日つくったサムゲタンをたべたりしながら、ゆるゆると時間は過ぎていきます。片づけなきゃならないけど、片づけるのは億劫。それがキャンプの朝というものです。
それでも、なんとかかんとか必要最低限のものだけボチボチ片づけて、わたしは一足先にバイバイ。
電車に乗って、一路西へ。たどりついたのは、別府です。
とりあえず、お風呂です。なにせ、塩だく+汗だくなので、もう、どーしようもないです。
お風呂から帰ってきたら、今回の仕掛け人W田さんがホテルの前におられました。
てことで、今日の飲み会の場所に移動。あとは、飲んで食べてしゃべっての、あいも変わらずの楽しい時間を過ごしました。とりあえず、10時にいったん解散。別れ際に少し話をしてくれた人もいたりして、やっぱりいい時間だったんだなってことを再確認して、二次会へ(笑)。ここで、幹事のI永さんを煽りまくったりして、0時まで呑み。
さて、帰りましょう。ホテルに着いて、ベッドにもぐりこんだ瞬間、寝ちゃいました。

今年はたぶん大丈夫!

朝、O田さんがうちに荷物をとりに来て、いよいよ今年の「トランスジェンダー生徒交流会のキャンプ」のはじまりです。
去年は前日の大雨のせいで大雨洪水警報が発令されて、JR全線がウヤ。アクロバティックな車作戦でなんとか実現したキャンプですが、今年はたぶん大丈夫です。
まずは、集合場所の京都駅山陰線乗り場に行ったのですが、結局誰も来ませんでした。やはりみんな車か…。そんなこともあるかと思い、Yー子ちゃんに車のお迎えをお願いしていたのですが、いきなり電話。「どーしよー、豊中のほうに行っちゃった」。それ、反対方向やし(笑)。とりあえず茨木で待ちあわせをして、そこからどうにかこうにか無事京都縦貫自動車道に乗ることができました。
キャンプ場所に到着したら、ちょうど他の人たちも着いたところのようです。いきなりみんな着替えはじめました。まぁ、そりゃそうでしょうねぇ。海はうれしいのもあるだろうけど、それと同じくらい「水着を着られる」ことがうれしいんじゃないかなぁ。シスジェンダーの子どもたちなら当たり前のように着られる水着だけど、この子らにとってはここに至るハードルの高さと言ったら…。
まぁ、そんなこちらの気持ちなんて関係なく、みんなキャーキャー言って泳いでます。トランス男性の卒業生たちも「じゃあ」と一緒に泳いでいます。思わず
「おーおー、胸オペ組が脱いどるわ」
と笑うと、みんな
「こいつは名古屋産、こいつも名古屋産、こいつも名古屋産」
とか言いはじめて、名古屋産の多さに思わず笑ってしまいました。てか、わたしも名古屋産か…^^;;。
ということで、わたしも水着に着替えて海に入ってみたり。んー、久しぶりです。去年は考えることもできないことです。
みんなでチャプチャプやって、続いてカヌーです。Kうさん、本気です。子どもを乗せてしばしカヌーイング。
そして、料理づくりです。もちろんビールを飲みながらです。あちらではローストビーフをつくったり、こちらでは焼鳥を焼いたり、はたまた巨大なハムをスライスして焼いたり。どんだけ充実してるねん。というか、どんだけ本気やねん(笑)。
そうこうするうちに、飲み物はワインに進化しています。
ローストビーフができあがったら、サムゲタンづくりです。まぁ、鶏肉にお米とニンニクと生姜を詰めて、ダッチオーブンに放り込むだけですけどね。あとはダッチオーブンがつくってくれます。
みんなで料理をつつきながら、飲むわしゃべるわ。もうムチャクチャです。でも、みんなこの日を楽しみにしていたのがヒシヒシと伝わってきます。楽しみにしているのは子どもたちだけじゃないです。KうさんもO田さんも、そして卒業生も保護者のみなさんも、みんなが楽しみにしている。だから、楽しさを炸裂させています。なんか、ほんとうに「やってよかった!」って思えます。
ここに至る道は、去年「家があるからやろう」というO田さんの発案と、「やろうやろう」というKうさんとわたしのノリと。そして、Yデーから1週間しかたってないのに下見に行ってハチを駆除する無謀さに敷き詰められています。でも、いろんなことがあったけど、やはりやってよかったと心の底から思える夜でした。
が、限界は2時頃にやってきました。ホンマにあかんわ。寝よう…。

歩く→流行病→歩く→会議の作法?→アウェイ

今日は午前午後と会議の出張があって、夜は呑み会。長丁場です。てか、夜の呑み会、めんどくさいです。
とりあえず、午前の会議のために第二の故郷へ。毎回思うけど、この図書館へ行く強烈な登りの20分、なんとかならないか?まさか、頭を鍛える前に身体を鍛えよというわけでもないだろうけど、ほんとにこれはアカンと思います。

で、会議。
子どもたちの学力について話し合う、とてもおもしろい会議です。
それにしても、やはり「発達障害」は流行ってるのかな。単に気づくようになって顕在化しただけなのかな。それとも、子育てのあり方が変化したのかな。いや、「子育てのせい」なんじゃないんです。「子育ての変化」が「顕在化を促した」のかなってことです。あるいは、みんな検査をするようになってボーダーの裾野が広がったのかな。よくわからないけど、「増えた」ことは確かなようです。
これ、実は「GID」にも同じことが言えるかと(笑)。流行りなのか、顕在化なのか、それが社会の変化によるものなのか子育てによるものなのか、はたまた感染してるのか。なんしか「増えて」いますからねぇ。
まぁ、そんなことを考えながら、ムラの子たちの学力について、変化したこと変化してないことなんかについてみんなで話し合いました。

で、会議のあとは次の会議の場所へ移動。これがまた、メッチャめんどくさい。並行して走るふたつの鉄道の間はけっこうあるのに、その間をつなぐ交通機関はありません。しかも、出張先は両方の鉄道の外側にある。
途中

を食べて、再び田んぼの中を30分ほどテクテク。メッチャ湿度が高くて大汗かきました。

午後の会議は人権担当者の会議です。
会議の司会ってむずかしいですね。いかに参加者にしゃべってもらうか。今年の担当者はけっこうお互いを知ってる感じなのでやりやすいんですけど、会議のまわし方でしゃべるかしゃべらないかが決まります。
なんか、いろいろ考えたけど、たぶん司会がしゃべりすぎないことが大切なのかなと。でなくて、話をまわす。論点を明らかにして、意見を募る。はじめのうちは、出なければ指名もあり。で、締めくくり的な発言が出たら、「まぁこんなところですかね」と終える。最後を司会がまとめちゃうと、常に司会の私見で終わってしまうので、参加者が発言しなくなってしまう危険性がある気がします。
今日の会議は途中、司会者が放置してくれたおかげで(笑)、ずいぶんと意見交流ができたかな。ちなみに、京都府南部では特別支援学校の地殻変動が起こっているようです。

で、夜の呑み会にそなえて、いったん職場へ。雑務をわわわ!とやっつけちゃいます。で、夜の呑み会の前に駅までテクテク。必要な切符をゲットして、呑み会会場へ。
今日は生徒指導関係の人々の呑み会です。なんでわたしがそんなところに行くかというと、わたしは生徒指導部に属しているからです(笑)。
にしても、アウェイ感はハンパないです。
なにせ、もとから他校の教員を知らない。しかも、根っからの文系畑で来たから、横のつながりのない人間関係の中にいます。なので、ますます知らない。さらに「大部屋」にいなくなって久しいので、自校の教員すら知らない(笑)。
そんなところにもってきて、そもそも話題があわない。
まぁそんなこんなで、ハンパないアウェイ感に身を包まれると、人は自然に無口になって、自然とお酒を飲むようになるのです。
てことで、紹興酒を半分ほど飲んだところで「あ!これはアカンやつや」と気づいて、水を飲んでました。
でも、そんな中、優しい人もいるわけで、ひとりでいると横に来てくれて話をしてくれるとか、ほんとにありがたい。
でも、家に帰って汗ダクの身体をシャワーでなんとかして、ビールを飲んだ瞬間、ようやく緊張した笑顔がほどけましたとさ。

デートDVのワークショップ→倒れた

今日のテーマは、いよいよ本丸の「デートDVのレクチャー&CR」です。講師は安本さん@あうんじゃです。
まずは午前中はプレゼンを使ってデートDVについてのレクチャー。かなり駆け足だけど、たぶんすごく刺激的だったんじゃないかなぁ。ちなみに、依頼されたプロジェクトは、まさにデートDVの啓発番組制作なんですよね。
安本さんから「どう思う?」って言われて、みんな、それぞれに感想を話しあっているのですが、2・3年生はニヤニヤしてます。「その場になったら、わからないよね」ってことです。ここらが、1年生と上級生の違いなんですよね。わずか1年の違いは、実は大きいのです。
で、昼ごはんのあとは、いよいよCR*1の開始です。話し合っているうちに、少しずつ「わかって」くるんです。「自分がしっかりしていたらそんなふうになるはずがない」と1年生は思ってる。でも、「そうじゃないよ」って、上級生は考える。やがて、1年生からもいろんな経験談が出てきます。まさにCRです。
そんなこんなで、昼過ぎに終了。

にしても、家に帰ったら倒れちゃいました。長い金土日でした。
せっかくの下の子の誕生日の晩ごはんも、少し食べて寝に行ったり。でも、ケーキはおいしかったな(^^)。

*1:キャブの種類ではない

二人会→詩のワークショップ

今日は野洲で源淳子さんと二人会です。タイトルは「わたしの出会った「性」と「生」」。源さんは女性史の専門家。わたしは…。まぁ、一高校教員です(笑)。さてさてどうなるのか。
基本的にわたしは、フェミニズムを避けてきた人間なんですよね。たぶん、セクマイ界隈の人でフェミニズムに救われた人はいるんでしょうけど、わたしはそうじゃなかった。そんなわたしが、なにかを話せるのかなとは思ったのですが、源さんから「やろ」って言われたら、断るわけにはいきません。
てことで、京都駅で待ちあわせをして、野洲の会場へ。ちょいと呑みすぎで、ヤバゲです(笑)。
会場に着くと、冨田さんという、まぁいうなれば首謀者の方のお出迎え。「いつきちゃーん、久しぶりやな〜」。ほんとに何年前のことやろ。久しぶりです。冨田さん、豪快なんだけど細やかなんですよね。パッと見はようしゃべるおばちゃんなんですけどね。
で、お座敷開始。
まずは源さんから。ご自分の生い立ちや、フェミニズムとの出会いを、とてもわかりやすく話をされます。もちろん、フェミニズムの解説も忘れられません。ほんとにひとつの思想が人の生き方を救うというか変えるというか、そんなことを思うとともに、「他者は変えられない」というあたりも興味深かったです。
で、わたし。今回のことで、久しぶりに自分史をもう少し深く考えていたのですが、いろんなことを思い出すとともに、いろんなことに気づかされました。
わたしの場合、逃げていたのはフェミニズムだけじゃなくて差別問題からも逃げていたんですよね。でも、わたしがトランスとして生きることを決めて、そんなわたしを受け止めてくれたのは、フェミニストや反差別の人たちなんですよね。そう考えると、ほんとにおもしろいし、不思議だなと思います。
で、質疑応答。その中で、まぁ、セクシュアリティについても説明しなきゃならんかなと思って、スライドを使って説明してみたり。急遽つくったスライドなので、こなれてませんが、これ、いずれもう少しこなれたかたちにしたいなぁ。
そんなこんなで、二人会終了。
お座敷のあとは、冨田さんのおうちにおじゃまして、しばしよもやま話。からの、駅の近くで軽く食事。
そして、大阪に向かいます。

到着したのは釜ヶ崎。「ココやどや」です。なんか、メッチャいい雰囲気です。ここで、放送部の連中が合宿をやってます。引率は他の人に頼んでいるので、かなり気が楽です。
今日は上田假奈代さんによる詩のワークショップです。思いを言葉にする。言葉を詩にする。とても難しそうなテーマなんですけど、それをやっちゃうんですよね。そして、子どもたちの言葉が引き出される。
今回、とあるプロジェクトを依頼されたのですが、それを引き受けようと思ったのは、上田さんをはじめ、ステキな講師陣と出会えるからなんですよね。わたしにはとうていできないことが、この人たちとならできるだろうと思ったんです。きっとそれは、子どもたちにとっていいだろうなと思ったのです。
さてと、明日はどうなるかな。