今年もタレはうまそうだ

朝、Aっちゃんは用事があるとかでいったん離脱。わたしはひとり東九条に残って、残飯整理をしたりして過ごします。実は走りたいなと思っていましたが、いろいろミスがあってジャージがありません。なので断念。そうこうするうちに、10時半ぐらいになったので「作業を開始しようかな」と。
てことで、ニンニクの皮むき開始です。
まぁ、いろいろ交流会をやってて、まわりからは「えらそうにしてるんだろうな」と思われているかもしれませんが、交流会をやるっていうのは、

  • とりあえず行く
  • できれば最初に行く
  • 最初に作業をする
  • できれば最後の片づけのチェックをする
  • カギを閉める
  • みたいなのが基本なんですよね。なので、卒業生の会も新幹線を使って参加するし、1人でもニンニクの皮むきをするわけです(笑)。
    と、足音が。H園さんが来てくれました。うれしいなぁ。てことでふたりでニンニクの皮むきです。と、Iチローが再び参加です。うれしいなぁ。3人でニンニクの皮むきです。と、外で声がします。おぉ!うちの生徒が来た!てことで、わたしはニンニクの皮むきから離脱です。そうこうするうちに、F村さんとかAっちゃんとかが来て、さらにKヮンスも来てくれて、にぎやかな交流会です。
    みんなで野菜や果物を切って、ヤンニョムつくったりタレをつくったり。やがてメインイベントのキムチづくりです。
    てことで、できたキムチがこれです。

    さらにタレも煮詰まってきます。

    ついでに即席カクテギもつくりましょう。

    いちおうすべてができたところで、タレは煮詰めを続行しながら、タレの試食のための焼肉&チヂミの昼ごはん。ごはんを食べながら、恒例の「深い自己紹介」です。実は、すべてのプログラムは、この自己紹介のためにあるんですよね。まずは卒業生たちが自己紹介のお手本をしてくれます。その上で、現役生も自己紹介。そして、バンバン飛んでくる質問。こういうのがいいんですよね。例によって例の如く、3時間ぐらい自己紹介をしたので、そろそろ終了です。
    てことで、5時半ぐらいに解散です。あー疲れた。でも、いい交流会でした。

    合宿を終えて、倉吉日帰りからの卒業生の会

    朝、6時起床です。子どもたちは学校へ。てか、なにが悲しくてみんな休みの土曜日に学校に行かなきゃならないんでしょうかねぇ。学校から解き放たれた方がいいと思うんですけどねぇ。いや「なにするかわからん」みたいな論もあるかもしれませんが、毎週土日がきちんと休みなら「いらんこと」をやることに飽きますよ。たまにしか休みがないから「いらんことでもしようか」となるんです。
    てのはおいといて。
    わたしはそのまま京都駅へ。そして乗ったのは、おそらく今まで乗った列車の中でも一番好きな「スーパーはくと」です。ちなみに車内販売がない&到着してから時間がないので、朝ごはんはガッツリ目です。

    ごはん食べたら眠くなったので、寝ちゃいました。目が覚めるとすでに鳥取です。原稿書かなかったなぁ。
    で、到着したのは倉吉。今日は組合の学習会です。開始前にちょっと小腹が減ったので、おにぎりなんぞぱくつきました。

    たしかにおいしいけど、このアイデア、実はすでにおさいさんがやってたんだけどなぁ。
    で、お座敷開始。今回は30人弱の集まりです。が、なぜか知りあいがいたりします。「いつ山に登に来るんだ」とハッパかけられてしまいました。そうでしたそうでした。去年の夏にお世話になって「登ってからのビール」って話をしていました。行きたいなぁ。
    今日の中身はミッション3です。なんか、ものすごく久しぶり感があります。8月以来だから久しぶりですね。ところどころつっかえながらも、つい力が入ってしまいます。たぶんこのネタも好きなんだろうなぁ。はじめのうちは早口の関西弁にとまどっておられたみなさんも、徐々に慣れてこられたのかネタに入ってこられる感じが伝わってきました。と同時に、笑いも起こるというものです。てことで、100分と言われてたけど、105分ぐらいで終了。ほんとうは90分で終わりたかったんだけどなぁ。
    その後の質疑応答がよかったです。一生懸命とりくみをしようとしておられる若い教員の方ですが、まわりの教員の同意が得られずどうしてもできない。そんな話をしてくださいました。ほんとうにしんどい状況なんだろうな。でも、したたかにやっていくしかないです。大丈夫ですよ。仲間はいっぱいいます。
    そんな感じでお座敷終了。
    で、帰りの「スーパーはくと」です。やっぱり車内販売がないので、仕入れたりして。

    でも、こんなもん呑んだら、原稿書けないよね。でもまぁしかたないです。で、なぜか姫路で降りて新幹線でワープです。そしてたどりついたのは、相も変わらずな東九条マダンセンター。今日は卒業生の会です。誰か来てるかなと思いながらセンターに近づくと、電気がついています。ホッとしますね。中に入るとKきぴがいました。
    で、一緒に鍋の材料を買い出しです。昨日も鍋だったけど、まあいいでしょう。鍋は毎日でも大丈夫です。
    買い物から帰ってくると、Iチローが来てました。そうこうするうちにAっちゃん登場。まぁ今日はこれくらいかな。さびしいな。やはり、新しい人を迎え入れるためには、とりあえず今いる人が来ないとアカンのだけどな。まぁそんな話をみんなでしゃべったり。でも、IチローとKきぴは帰らなくちゃならないらしく、最後はAっちゃんとふたりでダラダラしゃべって、1時半ぐらいに就寝です。夜更かししたな。

    今年もややこしい合宿

    なんか、ほんとにすべてにおいてヤル気が出ません。ヤバいです。授業もなんだかヤル気が出ないので、教科書を教える感じです。でも、もしかしたら、そっちのほうが子どもたちにとってはよかったりして(笑)。なんか、いろいろ工夫してもかえってそのほうがわかりにくいこともあるみたいで、淡々とやるほうがいいのかなぁ。
    で、少しゲンコをすすめて、電車に乗って、卒業生と合流です。今年もややこしい合宿の日がきました。いちおう鍋をするんだけど、なんか、材料が足りないとか連絡が入って、いろいろ買い出しをしてたら7時頃になってしまいました。
    そこから恒例の儀式です。1年生から「危険ですか?」「死人は出ますか?」と香ばしい質問が来るのです「まぁね」「何年かにひとり」とか、適当に答えておきました。それにしても、雨の中の儀式ははじめてです。なのに、みんなしっかりこなしてくれて、よかったよかった。
    そのあとは鍋。今回は諸事情があってうちの子どもたちも参加したけど「家族みたい」って言ってました。たしかにね。そうこうするうちに、3年生が集まったので、参加。来年度の人事についてみんなで論議です。
    そんなこんなをしているうちに、いつの間にか布団が敷かれてて、横になったら爆睡です。

    「東九条『40番地』に生きた在日コリアンオモニたちの歴史といま」

    今日は午後から出張です。が、午後からということは、午前は出勤ということです。まぁ、カントク1発、それも担当している講座なので楽勝です。が、そのご突発的な仕事が入って、スタートが30分遅れました。きついな。しかも、午後の出張はフィールドワークなのに、雨降ってきたし。やはり昨日がアカンかったんやな。
    てことで、東九条に到着。とりまマダンセンターに行って、おべんとを温めました。だって、お米がベータ化してるから、食べにくいです。で、東松本団地へ。
    とりま、準備です。準備しながらお昼ごはんです。機器をセットしてごはんを食べて、また機器のセットってやって、ようやく間に合いました。ふぅ。
    で、今日の講師は村木美都子さん。実は、メッチャ前から知ってますが、あまり話をしたことがなかったんですよね。なにせ、村木さんは東九条の活動家で、わたしはいわばビジターですからね。ただ、6年前にお会いして再認識してもらってからは、ウトロなんかで会った時とかに、なんとなくチョコチョコ話をするようになりました。そんなつながりから去年の12月にフィールドワークをお願いしたんですが、わたしはもうひとつのコースのお世話をしなくちゃならなかったので聞くことができませんでした。でも、参加した人から聞いたところによると、ものすごくよかったとか。なので、ぜったいに話を聞きたいと思ってました。
    まずはお話です。村木さんのライフストーリーからはじまります。そして東九条との出会いへ。このあたり、個人的にはなつかしいです。
    わたしがはじめて東九条に足を踏み入れたのはいつ頃だろう。意識的に入ったのは1990年代になりますか。でも、やはり本格的にマダン文庫センターに出入りしはじめたのは1993年あたりかなと思います。この時が東九条マダンがはじまった年で、たぶんプンムル隊に参加してたはずです。でも、ウトロにも出入りしはじめたのが1992年かな。この頃、ガッツリと入っていった頃なんだなぁ。生徒交流会をはじめてからは、よく交流会が終わったら
    「40番地行く?」
    とか言って、散歩させてもらったなぁ。
    村木さんの話を聞きながら「あー、だよなー」という感じで当時のことを思い出していました。
    そんなあたりから、「堤防の町」や東九条の形成史へと話は移っていきます。このあたりは勉強になりますね。自分の聞きかじりの知識の検証にもなるし、新たな知識も得られるし。
    そんなあたりから、さらに話は1世2世のオモニのことへとうつっていきます。ここからが村木さんのほんとうのフィールドです。個人的な出会いを個人のものとせずに歴史的な背景を加えながら話されます。基本はエピソードの連続ですが、だからこそリアリティがあります。そして、歴史的な背景はあるんだけど、やはりそこでの話は個人的な話なんですね。なんというか…。社会学ですね(笑)。いや、各個教会史みたいなものか。なんしか「個別」と「普遍性」の間を行きつ戻りつする話がおもしろい。
    あと、なんと言っても、美化しない。よく「ほめられないこと」を「たくましさ」ってごまかすことがあるんだけど、ほめられないことはほめられないこととしておいておきながら、でもたくましさをたくましさとして語られます。そんなあたりがいいですね。でもそれができるのは、たぶん村木さんとオモニたちとの膨大なやりとりと、それに裏打ちされた信頼関係があるからなんでしょうね。
    そして、1世と2世の対比がおもしろい。たしかに、1世は本国での「当たり前の自分」をどこかで経験してから渡日してきてるけど、2世は自己否定の中を生きてきた。なるほどなぁ。それって、在日だけじゃないですよね。新渡日の子らにも、あるいはダブルの子らにも共通することですよね。
    その後、フィールドワーク。わたしはずっと村木さんと雑談しながら歩いたので、みなさんに悪いなと。まぁでも打ち合わせしてるフリです。それにしても、村木さん、地元に根ざしておられるのがよくわかります。例えば南部教会に行ったらモクサニムが説明して下さいます。エルファに行ったら理事長が説明して下さいます。そして、交流センターに行ったら「使うよ」のひとことでOK。その時に「あぁ、自分はしょせん風の人だな」と痛感しました。言い換えるなら、表面をなでてるだけです。地元に根ざして活動するって、こういうことなんだな。
    と、質疑応答の録画中に電話がかかってきました。録画中なので出るわけにいきません。しかたないのでそのままやりすごして、あとで電話番号を検索。エルファ?なんで?なんかしたっけ?そういや、こないだお世話になったけど、あの時になにかしたっけ?いろいろ頭の中をかけめぐります。この時のビビリを思い出します。
    てことで、帰り道にエルファに寄りました。すると出迎えてくれたのは鄭明愛さん。
    「電話したの、わたしです。わざわざ来てくれはったんですかー」
    お、向こうにおられるのは(笑)
    「あ、さとうさんだぁ」
    そういや、さとうさんの職場はここでした。職場では完全に気配を消しておられます。
    てことで、電話の御用はエルファの研修依頼でした(笑)。なんか、1月には希望の家保育園からも頼まれてるし、わけわかりません。
    帰り道でも知り合いにあったりして、まぁわたしも地域に根ざしてるわけじゃないけど、それなりに地域の人に顔は知られてるらしいですね^^;。

    「あ、木梨さんだぁ」→心に刺さるムラ

    起床は7時。せっかく三次まで来たので走りましょう。ということで、ホテルから川を目指します。なんでも、三次の町って3つの川が合流しているらしいです。となると、すべての橋を渡りたくなるというものです。
    まずは馬洗川に到着。ここから川沿いの道を走ります。寒い。手が冷たくなるような気温です。軍手持ってきたらよかったかもというくらいです。川の左岸は、ピンとこないですね。新しい町の感じです。と、だんだん町並みが古くなって、やがて神社が出てきました。なるほど。ここで西城川と合流しますが、そっちの橋を渡らずに、さらに先に進みます。なんでも今日の夜に花火大会があるそうな。本来夏にあるんですが、災害のために延期になって「災害復興花火大会」らしいです。あちこちで場所取りをしておられます。そんな中を走って、やがて江の川へ。すでに20分くらい走っています。てことは、このままもどっても40分走ったことになります。さらに向こうに行くと、かなりの距離になりますね。瞬間迷ったけど、行くことにしました(笑)。
    江の川に沿った国道を走ります。うーん、やはりピンとこない。でもまぁ、向こうの橋まで行くことにしましょう。国道を右折して坂を下りると、「あれ?」と「レーダー」が起動。なんなんだろう、この感覚は。でもま、寄り道もしんどいから、そのまま走り続けましょう。で、橋を渡ると、再び「あれ?」と「レーダー」が起動。まぁ確かに川の合流地点ですからねぇ。でもまぁ、寄り道もしんどいから、そのまま走り続けましょう。と、またまた「レーダー」が、今度はマックスに振り切れました。ここは避けて通れない感じです。なので、街中へ。しばらく走ると、なにやら建物があって、その前に大きな石碑があります。表を見ると「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」と書いてます(笑)。
    さらに走って行くと、左側に「ん?」と思う町並みがあります。神社があるから「あれ?レーダー」ではなさそうです。でも、なんか「ん?」なんですよね。うわぁ行きたい。けど、下まで下がってまたあがるのはキツイです。こんな時に走り込み不足が悲しいです。やむを得ず上の方から町並みを観察して、再び西城川の橋です。と、またまたなんとなく「レーダー」が起動。でも、このあたりになると、レーダー感度が慣れモードに入っていて、よくわかりません。そして、再び馬洗川の橋を渡ります。ここからは早くホテルに帰りたいので、下に降りることに。先ほどの神社のあたりを走るのですが、ここもなんとなく「感じる」ものの、町並みのこなれ感なのかなんなのか。そのまま駅のあたりまで走ると、「これは新しい町やな」と。たぶんそういうことなんですね。
    てことで、ホテルに入って1Fからエレベーターに乗りました。と、2Fでとまって入ってきた人が…。
    「あ、木梨さんだぁ」
    すると、木梨憲武さんは
    「ども」
    とあいさつされました。さらに
    木「走ってこられたんですか?」
    い「はい、1時間ばっか」
    木「じゃ、10kmぐらいですか。すごいなぁ」
    い「いや、そんなたいしたことないです」
    で、エレベーターが目的階に到着。
    あー、びっくりした。

    その後、筋トレ→お風呂→朝ごはん。がっつり食べてしまいました。
    で、Kひらさんが来られたので車に乗せてもらい、三次の町を案内してもらいました。
    い「今朝、走っているとき石碑を見つけました」
    K「あー、そこに行かれたんですね。じゃ、行かなくていいですか?」
    い「いや、もう一回、あらためて行きたいです」
    ということで、あちこち連れて行ってもらいました。
    三次のムラの生業は、基本的には「川漁」と「川の監視」らしいです。なので、必然的に川のそばに住んでおられます。あるムラにいたっては、堤防の内側にあったとか。あるいは他のムラにいたっては、堤防がなく、大雨で全戸が水没したとか。そういう中で、事業を使って「安全な町」へと変えていかれたとか。そりゃ事業は必要ですよ。
    なんでも、駅のあたりはもともとは田んぼだったとか。そして、旧の町は馬洗川の向こう側で、さらにその奥にある小高い丘のてっぺんにお城があったとか。ちなみに「ん?」と思ったところはかつて遊郭だったらしいです。そうか、だから建物のたたずまいが…。
    さらにその後
    K「じゃ、今度は町の外のムラへ」
    ということで連れて行ってもらいましたが、こちらはレーダーが起動しません。でも、そこここに「なるほど」と思うところがあります。
    K「あそこに古い活動家が住んでおられて、もともとやってたのが博労で」
    い「博労o(^^)o!」
    みたいな会話をしながら、次のムラへ。
    うわ、完全にまわりから隔離されています。ムラから外が見えない。逆に、まわりからもムラが見えない。でも、そういうところにも、「人々の営み」があるんですよね。なんか、いろんなことが頭の中をグルグルして、ものすごく心に刺さってきます。思わず黙りこくってしまいそうになりますが、それはそれでなんなので、いろいろ話。
    K「じゃぁ、広島に向かいましょうか」
    ということで、あとは昔話などをしながら広島駅まで送っていただきました。

    ということで、広島のお座敷終了です。
    帰りの新幹線にはやはり赤い服の方がおられたり。そうか、昨日、リーグ優勝が決まったのか。

    取り出しの方法とかスモークとか

    通勤途中にメールチェックすると、「モデレートせよ」というメールが入ってました。中身を見ると、こないだのブログへのご本人からのコメントでした。よくぞこんな寂れたところをと思ったのですが、とても大切なことを提起されてるので、やはりこれは真剣に返さなきゃ。とにかく考えて、時間ができたら返そう。
    でも、今日は授業まみれです。てことで、「取り出し」開始。去年は2回ほど取り出しをしてカンフル剤を打てばよかったけど、今年はそういう感じじゃありません。たぶんカンフル剤を少し入れると効きすぎて遠くへ行ってしまう感じです。なので、問題をふたつやって「どっちかできたらそれでええし」みたいな感じでやりました。まぁ、去年は2回だったのを、今年は4回かけてやる感じですか。でもま、そのおかげで3人が限界だった取り出しを7人まで増やせたので、よしとしましょうか。

    で、帰り道に買い物。車通勤だと駅のないところに行くのはできるのですが、電車通勤だと繁華街に行けるのがいいところです。今日は繁華街じゃないけど、京都駅でお買い物。なぜか下着や靴下に穴があくんですよね。同僚に「下着に穴、あきますか?」って聞いたら「あきませんよ(笑)」って言われたので、みんなあかないのかな。とにかく穴あきが増えてきたので、ここは総替えにしようかなということで、下着を6枚靴下6枚ゲットしました。これでしばらくもつな。

    で、家に帰って「スモーク遊び」です。
    facebookでIずみちゃんがポチったことを知ったこれ、わたしもポチりました。
    すでに子どもたちはごはんを食べたあとでしたが、下の子どもが近所のスーパーに材料を買いに行ってくれました。そろった材料は「サーモンの刺し身」「6Pチーズ」「うずら卵の水煮」「バターピーナッツ」です。うずら卵とサーモンは水気を拭きとります。
    で、ボールに入れて、ラップして、スイッチオン!

    ゲホゲホゲホとなりましたが、やがてボールに煙が満タンになりました。ちなみに、満タンになったらパイプを抜いてしまうのがコツです。というのは、煙が薄くなった状態でパイプを入れっぱなしにすると、単純に空気が送り込まれて、煙が逃げてしまうからです。取説にはジップロックを使った図があるので、それはありでしょうね。
    で、できあがったのを食べると…。

  • うずら卵
  • ほんのりスモークの味がついてます。おいしいけど、そんなに「おぉ!」って感じでもないですね。でも、やり方がまずかっただけかも。

  • サーモン
  • これはうまい!絶品です!スモークサーモンは塩味がきついし、薄切りにして食べる感じだけど、これは刺し身です。でも、ほんのりスモークの味がついていて、そしてフレッシュな甘みがあります。下の子どもが踊ってました(笑)。さらに藻塩をかけると、またおいしい!明日食べたらさらにうまいかも。

  • 6Pチーズ
  • これもうまい!サーモンもですが、基本冷熏なんですよね。だから難しいんです。でも、このやり方だと冷熏が基本です。時間を置くごとにおいしくなっていきます。と、上の子が「だから寝かせたほうがうまいって言ってるやろ」と。ごもっとも。

  • バターピーナッツ
  • はじめやった時は煙が漏れまくって味が薄かったので、もう一回密閉してやったら、ガッツリとスモークの味がついてました。わたしには渋い感じがしたのですが、上の子どもは「うまい!」って言ってました。
    いや、これはいい買い物をしました。
    よくM口さんのところで食べさせてもらいますが、シシャモとかタラコとかもやろうかな。

    初のインクルーシブ分科会はビミョーやな

    朝、目が覚めると6時半。休みというのになんの因果でとは思いますが、8時半には出ないといけないので、妥当なところでしょう。とりま、朝ごはんを食べてお風呂に入って、一段落して、出発です。
    今日は分科会。わたしはインクルーシブ教育の分科会を選択。去年は教育課程の分科会でレポートでしたが、勉強です。
    インクルーシブ教育というと、一般的には障害のある子とない子が同じ教室でともに学ぶという感じですが、ここではもう少し広義に使ってるみたいです。簡単に言うなら「exclusionではない教育」ってことで、昨日の講演にひきつけるなら「deprivationがない教育」ってことになりますか。なので、障害に限らず、例えば貧困や国籍や文化、さらにはセクシュアリティも含まれます。
    てことで、出てきた2本のレポートもひとつは障害にかかわるレポートで、もうひとつは定時制の授業料や教科書や給食費の話でした。
    で、障害にかかわるレポート、ビミョーです。たぶん、レポーターも「「成功」した事例」というスタンスでは出しておられないと思います。どちらかというと、のつこつしながらのとりくみを正直に出しておられる。まぁ、それだけしんどい教職員集団なんだろな。ちなみに、教育委員会は「定員内不合格は出すな」といいながら、支援員をつけるのをしぶって、それがメインの話題のうちのひとつになってました。が、ビミョーなのはここなんですよね。もちろん制度を勝ちとるのが大切なのは言うまでもないのですが、制度を勝ちとるためには「このままではアカンやろ!」ということを見せつけないとダメな時があります。と同時に、「インクルーシブ教育」って「ともに学ぶ」ことだから、支援員の支援で他の生徒と切り離されたらダメなんだと思うんですよね。それが切り離されてる感じなんですよね。レポーターは「去年はできてたけど今年は友だち関係がしんどいクラス」って言っておられて、それはそうかもしれませんが、やはり「クラス集団づくり」は大切なんだろうなと思うし、それができていないからこその今の状況なんだろうなと。ま、結論は「それだけしんどい教職員集団」ってことなのかな。
    そんなレポート。でもまぁ、実際に「おまえやれ」って言われたらできないだろうなと思うのはこないだと同じ話なんですけどね。
    で、次のレポートにはまったく入れません。ほとんど「定通部会」の様相を呈していて、ひたすら聞くのみです。でも、「そんな制度があるのか」とか「そんなふうにして押し通すんだ」とか「そんなに厳しい状況があるんだ」とか、いろいろ勉強になりました。
    てことで、分科会終了。
    で、全体会があって、すべての日程が終わりました。そのあとはもちろん昼ごはんです。澤田さんを誘ったけど、「あと」があるらしく、
    「授業の準備が」
    とか言うAっちゃんを
    「どうせ昼ごはん食べるやろ」
    と誘って、K原さんと3人でさっくりと昼呑み。
    帰りの新幹線の中では睡眠をとめられませんでした。

    「子どもの貧困問題を改善するために求められるものは何か」とか・高校教育シンポジウム(1日目)

    朝、少しのろのろしてたら、出ようと思った時間を過ぎてしまいました。しかたないので、いろいろ調べて予約変更。まぁそれでも間に合うからよしとしましょう。
    新幹線に乗って、向かうは東京です。今日〜明日、日教組の「高校教育シンポジウム」があります。日教組って、基本的に義務制(小中)の人が多いんですよね。で、高校の教員が高校の話をできる機会がほとんどありません。このシンポジウムはそれができる、ほとんど唯一の機会と言っても過言ではないところです。なので、去年に引き続き今年も参加です。途中、「LGBT医療福祉フォーラム2018」があるのに気づいてKうさんにメール。当然のことながら「落ち合いますか」「そうしましょう」です(笑)。
    で、会場に着いて荷物をおろして、まずは腹ごしらえ。「東京ラーメン」って書いてあったのでそれにしました。

    ちょっとからい(塩辛い)けど、おいしかったかな。

    今日のプログラムは末富芳さんの講演とシンポジウムです。
    まずは末富さんの講演。
    内容は子どもの貧困なんですが、1時間少しの講演で81枚のスライドです。わたしもたいがいだけど、これはかなりのボリュームです。
    で、おもしろかったというか、キモになるのは、貧困の問題をお金の問題としてとらえるのではなく「剥奪=deprivation」としてとらえるというところです。つまり、必要な資源にアプローチできないということです。こうとらえると、もちろんお金がないこともdeprivationですが、お金があっても虐待とかがあるとdeprivationだし、さらに言えば「医者以外の進路は認めない」みたいなのもdeprivationとなる。当然、在日外国人やトランスの子らもdeprivationな状態におかれてるわけです。これを別の観点からとらえると、「貧困」を「貧」と「困」のふたつにわけて考え、ともに貧困な状態におかれてるととらえるってことです。これ、かつて村井さん@醍醐こどもの広場から聞いたことや徳丸さん@CPAOから聞いたことと同じことなんですね。たぶん、ギョーカイでは当たり前なのかもしれないけど、「なるほど」って感じました。
    で、その解決のために必要なものはなにかというと「well being(幸福)」ってところで、これまたいろんなところとつながります。実は、OECDあたりが考えている子どもの学力のゴールは「well being」だったりするんだけど、文科省はそこを無視して、その手前の「キー・コンピテンシー」とかあたりでとめてるんだそうな。なんとなくわかりますね。そういえば、ユネスコも「Education for health and well being」だし、マイケル・ムーアの動画にも「教育の目的は子どもが幸せになること」ってフレーズが出てきます。いろんなことがつながりますね。
    で、それを実現するためには、具体的には「現金の給付」だと。ま、それはそうです。なぜなら「万能薬」だと。たしかに。なにかに特化したものではなく、何にでも使える。しかも「買ったものへの補填」ではなく、「買う前の給付」だと。そりゃその通りですね。そんななかでつくられたのが「あすのば」だそうです。ここには、ここで救われた子どもたちがスタッフや理事としてかかわっておられるとか。なんか、交流会を思い出させる話ですね。と思ってサイトを見たら、村井さん・徳丸さん・幸重さんと、知った名前がずらり(笑)。そりゃそうだよなぁ。
    てことで、すごく参考になるお話でした。
    後半はシンポジウムです。コーディネーターは澤田稔さん。気がつくと個人的な知り合いになってしまってる人です。
    えーと、詳細は忘れました^^;。が、deprivationに関連づけてトランスの話、特に部活問題を話しました。
    で、シンポジウムのあと末富さんにごあいさつ。
    「あの、『教育社会学研究』に「トランスジェンダー生徒の学校経験」って論文が載りました」
    って言ったら
    「あぁ、どこかで見た名前だと思いました」
    とのこと。すごいな…。

    で、そのあとは懇親会。ここでは京都・滋賀・兵庫の人とダラダラ飲み。でも、最後の30分くらいは澤田さんと真剣な話。
    「エスノメソドロジーとエスノグラフィーは…」
    なるほどなぁ。わたしのスタンスはどこにあるんだろう。どこにいくんだろう。
    その後、Kうさんも合流して、二次会。このあたりになると、なにがなんだか。澤田さん、けっこう楽しかったのか
    「今夜はとことん行きましょう!」
    とか誘ってもらったけど、それはアカンでしょう(笑)。

    ふらふらだけど行く→引っ越し

    朝、思ったより体調はマシです。なので、昨日の今日はアカンやろと思いながら、昼ごはんは、なぜか「崇仁新町」です。目指すはちょぼ焼き屋さん。この日打ち上げで行った時に食べたけど、もう一回たべようかと。
    てことで、出てきたのがこれです。

    うまいわ。当然ハイボール1杯では足りません。なので、「金魚」を頼みました。

    なんでも焼酎に唐辛子のエキスを入れて炭酸で割るらしいです。そこに大葉と唐辛子が入ってるので金魚に見えるのが名前の由来だとか。これもうまいわ。てか、コーレーグースの炭酸割りやな(笑)。
    ここからはリサーチです。
    い「どのへんでちょぼ焼き屋さんしてはるんですか?」
    ちょ「やってへん。昔はいっぱいあったし、みんな家で焼いてたんやで。ここをやるって言うから店出したんや」
    い「そうですか。お好みはいっぱいありますけどねぇ。愛子ちゃんでしょ、平井でしょ、よりみちでしょ、山本マンボでしょ。七条下がったところはやってはりますか?」
    ちょ「やってるよ。そこの店もおいしいで」
    い「へー。また行かな。そしたらこれも家で持ってはったんですか」
    ちょ「そうやで」
    一般家庭が銅製のちょぼ焼きの銅板持ってるってすごいな。
    い「ほな、地元の人ですか?」
    ちょ「そうや、そこの向こうの建物や」
    い「そこの建物もなくなりますねぇ」
    ちょ「そうや、なくなるねん」
    い「で、向こうでつくってるところに行かはりますの?」
    ちょ「そうや」
    と、そこへお店のお姉さん。
    「この人な、いろいろ知ってはるわ」
    い「ここ、あと2年でなくなるんでしたっけ」
    ちょ「そうや。ここは京都市の持ちもんで、「やってくれ」って言われたんや」
    い「せっかくやから残したいですね。そや、向こうの町家の向かいあいてるから、あそこでできへんのですか?」
    ちょ「あそこは高いねん」
    い「そうですか。ほな、市営住宅の1階を占拠してやりましょ(笑)」
    ちょ「そやな(笑)」
    楽しかったo(^^)o

    で、家に帰って、しばし考えて、「やるか」と決意。引っ越しです。なにせ、長年愛用してきた「はてなダイヤリー」がなくなります。かれこれ13年つけてきたんですよね。はてなダイヤリーは更新が簡単なのがいいんです。ちなみに、「はてなブログ」は使い勝手が「wordpress」と似てるけど、自由度がはるかに低いんですよね。どうしたものかと思ったけど、やはりここはwordpressですね。
    ということで、とりあえず、はてなダイヤリーからはてなブログにエクスポート。そして、はてなブログからデータをエクスポート。いや、どうもはてなダイヤリーのエクスポートはコメントのエクスポートにバグがあるみたいなんですよね。
    で、エクスポートしたデータを年ごとにわけて、wordpressにインポート。さらにはてなフォトライフからデータをぶっこ抜いて、uploadsの下に配置。それをwordpressで認識させて、リンクアドレスを書き換えて、午前1時すぎに完了。
    はてなダイヤリーさん、長い間ありがとう!そして、wordpressさん、よろしくね!

    久しぶりのフルコース→おたふく→なれの果て

    昨日の夜、とあるお客さんと「京都」の話になって、気がつくと「歩きますか?」「行きましょう」ということになってしまってました。
    てことで、片づけは他の人にお願いして、わたしは「おさんぽ」です。
    まずは南コース。なんか、あたりにあった雑然とした建物がどんどんなくなっています。かわりにあるのは「民泊」です。そんな町並みの変化に対して「民泊はたくさん」という看板があちこちにあります。なんか、複雑な気持ちになりますね。つまり民泊くらいしか「稼ぐ方法がない」ってことですからね。しかも、その民泊してる人の中に、もともとの地の人ってどれくらいいるんだろ。さらにホテルもできるみたいです。こういう町並みの変化っていいんだろうか。もしかしたら、なんだかんだ言って「住みやすい」東九条が住みにくくなるんじゃないだろうかと、ふと思ったり。ちなみに、公園の看板が新しくなったのも変化です。だれか写真持ってたらほしいなぁ。とここで書いても誰も読んでないか(笑)。
    で、いったんマダンセンターに帰って、今度は北コース。こちらは南コースよりも変化が激しいです。もうずいぶんと前になりますが、「希望の家」がなくなって市営住宅&多分化共生センターになって、マンモス団地がなくなって、「かわ」も移転して。あちこちに空き地ができてます。ここもほんとにどうなるんだろ。
    そして光公園から崇仁へ。崇仁も大きく変わっています。なんと言っても、柳原銀行の北側がクリアランスされて、新たに市営住宅が建ちます。まぁいいことなんですけどね。たぶん遠からず崇仁小学校もなくなるんでしょうね。あの「崇仁教育」を伝えるものは石碑だけになるのかなぁ。崇仁って、経済と教育という、ほんとに本質とも言えるところをなんとかしようと部落内外の人ががんばったところなんですよね。それが柳原銀行と崇仁小学校がら伝わるんです。そう言えば塩小路通の北側も空き地が目立つようになりました。ほんとに「痕跡」を探すのがたいへんです。でも、少し路地に入るとかろうじて残る痕跡があります。そんな痕跡をたどりながら、河原町七条へ。ここもいつまであるんだろ。写真を撮っとかなくちゃならんのやろなぁ。
    お次は打って変わって五条です。どんどん変わる町並みに興奮が隠せない「グッさん」がおもしろいです。今回はわたしを含め3人なので楽ですね。ありゃ?五条會館に人がいる。
    そして松原通へ。ここはこないだこないだ話を聞いたところなので、付け焼き刃の知識をひけらかしてみたり。
    そして、宮川町を堪能したあと四条寺町へ。あまべの跡地です。そこから阿国の像の前を通って、祇園から白川へ。もう、京都オブザ京都です。でも、そこからタイムトンネルを通ると、そこにあまべがあります。グッさん、笑ってくださいました(笑)。
    あとはあまべの境界線を確認しに行ったのですが、大将軍神社がえらいことに!前の大雨で木が倒れておいなりさんが壊れて新築されたんですが、今度は台風で真ん中の舞台の柱が折れたみたいです。でも、クリスチャンにはどうしようもできません^^;
    そんなこんなで「おたふく」へ。とりま「スジの油かす」を頼んだら、なんとできたて!できたてはフワフワなんですね。うまいわ。ここからはいつものペースで飲みはじめました。
    それにしても、わたしが好きな町並みってどんなんなんだろ。てことで、Iずみちゃんに言ってみたのが「エントロピーが高い町並み」でした。酔っ払いやな。でも、たぶんそうなんですよね。だから、若松町の町並みがなくなった時、すんごいショックを受けたんです。
    4時半くらいにおたふくを退散。その後、なぜかワインを買い込んで、ダメダメ先輩と鴨川へ。これはアカンコースですね。そのままアカンことになりました(笑)。