変わっていく町

今日はパタパタする日ってのを覚悟して朝がはじまります。
まず玄関を出てひょいと横を見たら、猫の額ほどの庭の屋根が崩壊してます。崩壊するのはいいんです。基本的には風や雪の対策のために簡単に崩壊するようにつくってます。チキチキマシン状態なんです。が、直すのはめんどくさいのはめんどくさい。ま、日が長くなってきたから、帰ってやりますか。
で、午前は巡回とカントク。その後はこないだ入稿した本ができあがってきたので、それを配布用に仕分けです。それにしても、よくぞ20日でつくってくれたなぁ。ほんとに助かります。
で、午後はウトロのフィールドワーク。今回は新採の人なんかも一緒です。
まずは金秀煥さんの講演です。このご時世、韓日関係にかなりピリピリしておられるのが伝わってきます。具体的には、歴史をどうとらえるのかってことです。なにせ、日本政府そのものが韓日の歴史を政治的な問題と位置づけて、それをもって韓日の関係をつくろうとしてますからね。でも、本質はそこではない。なので、それをどう伝えるかってあたりを随分と考えておられるみたいです。
でも、とても簡単です。「人の生きざま」なんですね。「1965年に政治決着したから、もうすべてなし」ではない。戦争と植民地支配が、人の人生にどういう影響を与えたかってことが大切なんですよね。まぁでも、日本政府はそういうことは捨てるだろうな。だって、日本の原子力政策の中で生まれた福島第一原発の事故が、人の人生にどういう影響を与えているかってことすら捨ててますからね。そういう政府だってことです。
ま、そんなことを考えながら、やがてウトロの歴史に話は入ります。出てくるスライドに、知ってる人がチョコチョコいます。懐かしいなぁ。わたしがウトロをウロウロしはじめたのは1992年です。もう27年もたつんだ。
で、フィールドワーク。うわぁ。ほんとに町がない。西半分は前のままですが、東半分は、ほんとになくなりました。「こっちおいで」って肉を食べさせてもらったガレージもありません。さびしいなぁ。でも、しかたないです。いつ立ち退きか、いつ洪水かって生活ではなくなったんですよね。だからこれからも細く長くつきあいは続けさせてほしいな。
そんなことを感じながらフィールドワーク終了。

家に帰って屋根を直して。家の中に入ると「辛子蓮根来てるよ」。

熊本のY本さんが誕生日のプレゼントとしてくれたものです。うれしいなぁ。
みんなでパクパクというかシャクシャクというかいただきました。

卒業式→おさんぽ

3月1日といえば、まずは「サミルの独立運動記念日」なわけです。なんか、今年については韓国側の話日本側で言ってることがずいぶん違うみたいだけど、まぁ、現政権は「敵」をつくることで自分を保つというのが常套手段だからこういうことになるんだろうな。
てのはあるにしろ、学校関係では3月1日は基本的には「卒業式」です。
てことで、今日は久しぶりにジーンズ以外のパンツをはく日ということです。ちなみに、おととしまではスーツを着ていましたが、去年「スーツを着てても、うえにジャケット着てるから関係ないじゃん」ということに気づいて、上は普段着のままだったりします。てか、そもそも紅白幕の後ろにいるから、ほとんど保護者の目に触れないからね。
9時頃には会場の体育館にスタンバイ。今年は少し暖かいみたいで助かります。放送部の子らといろいろ打ち合わせをしながら開始を待ちます。もちろん、今年も機械いじりは生徒にまかせます。なにせ失敗できない緊張感の中で子どもは成長すると信じてますからね。
今年の式では「あの歌」の伴奏を吹部がやることになったみたいです。顧問は子どもたちに「自分や保護者の意向で吹けないという人は遠慮なく言ってね」って言ってくれたみたいですけど、誰もいなかったとか。うーん、問題やな。また今度知ってる子には,顧問が言った意味を伝えよう。それにしても、ずっと別ラインでやってたから、こんな日が来るとは思わなかった。
でも、式そのものはつつがなく終了。片づけを終えて、ちょっと3年生の教室をのぞくと
「先生、お母さん来てるよ」
と声をかけてくれた子が。ちなみに「お母さん」は放送部の卒業生です。さらに、保護者がいきなり
「覚えていますか?◯◯です」
と。覚えてますがな。担任した子です。子どもが今日卒業だとか。しかも去年授業を担当していたとか。いや、似てるなと思ってたんですよね。どうやら保護者は「先生に言ってみ」って言ってたけど、本人は言わなかったらしいです。そして、一番気になってた子のところへ。保護者がいない子です。
「お姉ちゃん、来てるか?」
「来てるかいな」
「寂しいな」
「寂しいもんかいな」
「でも、卒業できてよかったな。この3年間、久しぶりに同和加配をやらせてもらったわ」
そんな会話。この子がいたから、この学年と仲よくなれたんだろうな。
他にも「一緒に写真撮ろ!」って言ってくれた子もいたりして。そんなふうに午前が終わりました。

午後は「研修」です。この間書いたように、若手教員3人プラス副支店長と一緒におさんぽです。なにで、さっさと職場を出て最若手教員ひとりと一緒に集合場所へ。途中「◯◯先生も「行きたいなぁ」って言ってましたよ」とか。来ればいいのに(笑)。でもうれしいです。
みんな集まったところで、「南コース」です。ふだんと少し勝手が違うけど、まぁおいおい慣れてくるでしょう。それにしても、副支店長が感心持ってくれるのがうれしいです。もっとも、副支店長、かつて同推校に勤務していた時は学習会にも参加していたし、いろいろ「わかって」いる人です。もっとも、かつて教職員人権研修のことで怒鳴りつけたことがありますが(笑)。
途中「みやま」でみなさん買い物タイム。わたしはというと「いらんもん」を見つけてしまったので買ってしまいました。
オ「これな、メッチャクチャ辛いねん。というか、痛いねん」
い「オモニがそれ言うなら買わんとあきませんやん」
オ「笑」
このオモニ、メッチャクチャ辛いラーメンを買うと、メッチャクチャ喜んでくれます。
あとは北コースを歩いて、いつもの通り崇仁→五条→松原通→寺町四条→あまべです。歩き終わったら5時40分。いい時間です。終点にはこんな張り紙。

現実を突きつけられ、ようやくそこから逃げられないことがわかりました。
てことで、お疲れさまのビールは近くのブリティッシュバーへ。ここでしばしクールダウンして、他のみなさんは3年生の慰労会。わたしはこの土日のためにおうちへ。
うん、よかったな。感想はこわくて聞けなかったけど、月曜日に聞いてみよう。

洞部落のフィールドワーク

今日の午前は洞部落のフィールドワークです。とは言え、洞部落は厳密にはすでにありません。というのは、神武天皇陵が建設されるとき「天皇陵を見下ろす位置に部落があるのはけしからん」ということで強制移転させられたからです。これ、完全におかしな話です。そこに部落があるのがわかってて、わざわざ天皇陵をつくって「けしからん」は順番がおかしいです。でも、それがまかり通るのは、いつの時代も同じです。
そういや、今日は沖縄の県民投票だな。
ただ、これが単に「強制移転」と言われてたのは過去の話で、研究が進んだ現在はもう少し複雑です。そんなあたりを福西満さんからお聞きしました。
まぁとても簡単に言うと、今でこそ解放運動は「貴族あれば賤族あり」ってことで反天皇制の立場をとってます。でも、かつては「天皇が解放令を出してくれた」ってことで、例えば水平社の糾弾闘争でも「天皇の御心に背くのか」という論理がとられていたとか。
つまり、洞部落の人たちは「天皇陵をつくるならどうぞお使い下さい」と自分たちの土地をさしだし、そのことをもって差別を解消しようとしたという側面もあったと。さらに、もともとの洞部落は山の中腹にあって、人口に対して狭かったので、新たな土地を得て新たにまちづくりをしようという狙いもあったと。つまり、単なる権力からの横暴とか差別とかじゃなくて、部落の側の戦略もあったと。さらに、1940年に神武天皇陵の拡張工事があった時は、部落ではない村も移転させられていたことがわかって、そうなるとますます「差別」というひとくくりでは語れなくなってきます。でも歴史って、たぶんそういうものなんでしょうね。
それにしても、「移転」というと、「あまべの移転」も思い出すんですが、なぜ好き好んで部落の土地に移転するのかなぁ。もしかしたら、ずいぶんと「眼差し」が違ったのかなぁ。
で、話のあとはフィールドワーク。行ったのは「生國魂神社」と「洞部落跡の入口」です。後者がなぜ「入口」かというと、なんでも「即位30年祭」が行われるので立ち入らないでほしいと言われたんだとか。どこまでジャマするねん。
生国魂神社は中まで入れてもらっていろいろ見せてもらいました。例えばこんなんとか。

で、昔の洞部落の風景を教えてもらいました。なんか、のどかな風景なんですよね。
そんなこんなで、3時間弱のフィールドワーク終了。
それにしても、福西さん、なんでわたしのことを知ってたんだ^^;?

つい力んだ

今日は去年に引き続き、日教組の「人権教育実践交流集会」です。今年の場所は奈良。近いです。なので、前泊はせずに朝にスタート。午前は打ち合わせです。
それにしても、一昨年共同研究者として声をかけてもらって、去年・今年と担当させてもらっています。が、やはり「わたしなんかでええんか」感がぬぐいきれません。てか、きっとわたしよりも豊かな実践をされている方もおられるはずです。わたしにアドバンテージがあるとすれば…。ないな(笑)。
ま、少しは研究してるところかな。

てことで、午後から集会がスタートです。今年の講演は竹平さん。同和教育の大先輩です。なんかもう、「昔話」がおもしろいです。ちなみに、後ろに座っておられるのはおとついの講師さんなわけですが、2日連続で「昔話」を聞けるのは楽しいです。が、「昔話」の興が乗りすぎたのか、本題とちゃうのんというところまでほとんどたどりつけず。でも、みなさん
「竹平さんはあれでええねん」
と笑っておられるので、たぶんそういう人なんですね。
お次は分科会。今年のレポーターはふたりとも知り合いです。
まずは大阪のレポート。ご自身のカムアウトの授業をきっかけに、性の多様性についての授業を広げるとりくみです。しかし、自分のカムアウトを授業に使うってむずかしいですね。あくまでも自分を主役にするのではなく、題材として扱わなくちゃなりません。そして、子どもたち自身が自分のことに思いを馳せるように、どう伝えるかがキモだと思っています。でも、子どもたちの感想を読んでると、いろいろ考えてるみたいだし、なによりレポーターの方が「楽になった」っていうのがいいのかもしれない。なぜなら、子どもとの関係も楽になるからです。で、わたしがいいなと思ったのは、中学校でのとりくみだけじゃなく、校区の小学校にも出前授業をされているところです。つまり、それだけの連携ができているってことですからね。てことで、小学校時代から性の多様性、特に同性愛についての情報を伝えることの重要性を指摘しておきました。
次は三重のレポート。基本的には去年の日教組教研で聞いた話なんですが、今回は立場が違います。同じレポーターとして聞く時は「穴」を探すのですが、共同研究者として聞く時は「山」を探します。つまり「いいとこ探し」って感じかな。でも、それだけではだめです。てか、三重のレポート、いいんですよ。だから、「谷こそが山」であり「山こそが谷」なんですね。だから、そういう場所を探しながらレポートを読んでました。そんな中で思いついたのが「国際基準」です。というのは、三重のレポートの中で「世界人権宣言」に触れられているんですけど、それだけでは不充分なんじゃないかってことです。流れとしては世界人権宣言の教材をつくった時に考えたことを念頭においてます。てことで、「ジョクジャカルタ原則」のことを話したり。
あとは、やはりLGBTの問題を女性差別の問題とつなげなきゃなりません。そこで伝えたのは「LGBT「を」教えるのか、LGBT「で」教えるのか」って話です。まぁ鉄板ですね。つまり「ノーマルをつくることでアブノーマルが生まれる。ということは、アブノーマルを分析することでノーマルがどのようにしてつくられているのかがわかる」ってことです。まぁそんなあたりから、異性愛規範なんかを少し話をしてみたり。
それにしても、もうひとりの共同研究者の東さんはすごいわ。見事に分科会をまとめられました。
そんな感じで分科会も無事終了。

懇親会ではスーパー○ライしか並んでなかったので、わがまま言って黒ラベルを出しでもらったり。
2次会では「カリラ」を飲んでみたり。
3次会では泡盛を飲んでみたり。
でも、明日のことも考えなきゃ。とか思って、部屋飲みをすべく缶チューハイを一口飲んだところで気を失いました(笑)。

両側から壁を越える ー歌でたどる平和と人権の日本近現代史ー

今日は午後から第2のふるさとに出張です。中身は総会、わたしのターゲットは記念講演です。講師は古川正博さん
古川さんをはじめて見たのは、たぶん香川の全同教の時ですね。あの時ははっきり言って「なんだ?この人」って思ってました。ただ、その時は「この人」が古川さんとは知らず、古川さんを古川さんと認識したのは、クロスベイスの呑み会の時でした。それ以来、なんとなくいろんなところで会って、そのたびにあいさつ+しょーもない話をする仲になりました。で、全同教の「この人」と「古川さん」が同一人物であることがわかったのは日教組教研の時です。この時山口の人と飲んでて、そこにあの分科会の司会の方がおられて、なにかのはずみで「あれ、古川さんでな。とにかく歌おうとするからとめるの必死やったんやで」と言われて「あー、なるほどな」と。
まぁそんなこんなで「今日は絶対に行くぞ」と決めてました。
駅からの長い上り坂を歩いて会場に到着すると、総会開始前なのにすでに古川さんがギターを抱えておられました。
「ども」
ってあいさつしたら、別に驚いたふうもなく
「ここが地元ですか」
と返されたのですが、実は驚いてたらしいです(笑)。
で、総会もだいたいつつがなく終了。いよいよ記念講演です。タイトルは「両側から壁を越える」。これ、藤田敬一さんがよく引用する金時鐘さんの言葉じゃんと思いながら、まぁそのツッコミは入れないことにしました。
講演内容は、さまざまな人権問題を書き連ねた近現代史の年表に自分史と歌を重ねるものなんです。ただ「〜らしいです」という言い方をされるのが謙虚というかなんというか。もちろん、はじめに「自分は研究者じゃないなら」って前置きされていて、それを受けての話なんでしょうが。ところがそんな古川さんの語り口は、自分史がはじまるとガラリと変わります。特に中学校教員になってからのエピソードは熱い!まぁ、鶴見橋→我孫子南→大池と渡り歩いておられるし、教員になったのが1970年代ですから、生徒も教員も熱いですわな。それを笑顔で笑い話のようにされます。でも、聞いてる人間は圧倒されてます。
ずっと聞きながら、なるほどなーって思ったのは、ほんとにテーマは一貫してるんですよね。それは「視点を変えて見てみよう」ってことです。あるひとつの出来事を、自分(教員and/or加差別者)の側からだけ考えるのではなく、他者(生徒and/or被差別者)の側からも考えよう。考えられなくても想像しようってことです。でも、その「想像」はそう簡単にできるものじゃありません。そこで「出会い」が必要になる。
そういう話のところどころに「歌」が入ります。これがちょうどいい気分転換です。それにしても「里の秋」ってそんな歌だったんだ…。
終わってから、そこにいた高校教員が
「圧倒されるわ」
って言ってたので
「まぁそれは70年代の大阪の中学校やからしゃーないですわ。なので、圧倒されても、自分の経験や出会いの中でやればいいよ」
って答えておきました。
まぁでも、古川さんがみんなに好かれるの、なんとなくわかりました。

で、夕方から懇親会があるのでしばし時間つぶしをしながら、いろいろ裏話。そうかぁ、あの出来事の裏側にはそういう話があるのかぁ。

で、懇親会。参加者は基本的には支店長・副支店長・本部あたりのえらいさんですが、第2のふるさとではそのあたりは関係なしです。
おいしい中華料理をいっぱい食べて、ビール→紹興酒→日本酒→焼酎というダメダメなコースをたどって、9時におひらきです。
引っ越ししなけりゃここから5分で帰れたのに、これから1時間半かけて帰らなきゃならんのがきついな(笑)。

今回は本気を出した?・トランスジェンダー生徒交流会

今日はトランスジェンダー生徒交流会です。なので、11時頃に会場近くの駅へ。するとすでに集合場所には何人かの参加者と思しき人々が。とにかくこちらから
「いつきです。よろしくお願いします」
と声をかけて、さて困った。場所を知ってるのがわたししかいない。てか、今回はいつものサポートメンバーがかなり少ないんですよね。とりあえず初参加の親御さんに場所を伝えて第1陣の引率を頼みました。
うーん
今回はハードになりそうやな。
で、いつもの通り少し遅れて会場につくと、みんなで準備をしているところでした。MーさんとかSゅん輔がいててくれてほっと一息です。やがて買い出し隊のNほさんも到着。少しずつにぎやかな交流会がはじまりました。
今回のメニューはミートソーススパゲティとかぼちゃのサラダとオニオンスープ、そしてチョコフォンデュです。とにかく玉ねぎと人参とチョコを刻みまくりです。てことで、玉ねぎのみじん切りの仕方とか、玉ねぎのスライスの仕方とか、にんじんのみじん切りの仕方とか、そもそも包丁の使い方とかを教えるなど。で、あっち行ったりこっち行ったりしながら飲むのは炭酸水(笑)。今日はアルコールの量を減らしてみようというチャレンジです。
1時くらいにほぼごはんができあがって、ここでひといき。ようやくヱビスをプシュ。あー、うまい。
ミートソースだけではなんなので、冷凍アサリを使って「ボンゴレ的ななにか」をつくってみましたが、できあがったのは「アサリの焼きビーフン的ななにか」でした。たぶんスパゲティの太さが1.2mmで細すぎるんだな。さらにガーリックと唐辛子でペペロンチーノ的ななにかをつくりましたが、これまたパスタが細すぎで味がからみません。やれやれ。
そんなこんなで、あれをつまんだりこれをつまんだりしながら、ワインをグラス一杯いただいて、でも自己紹介タイムの打ち合わせです。
そして、時が満ちたところで自己紹介タイム。
今回はわたしも輪の中に入ることにしました。
長く交流会に来ている子どもたちが、新たな進路の中で自認する性での生活を達成していく一方、初参加の子どもたちが自分との対話をしていたり「壁」の前で立ちすくまされているのが印象的でした。
たぶん、たとえ小学生であっても、ここに来て話すことで自分との対話をしているんだろうし、「壁」とのやりとりの仕方も知らず知らずのうちに身につけていくんだろうな。そう考えると、やはり交流会ってのはやってる意味があるなと思います。
今回は常連メンバーが地元での行事を優先して不参加って話もありました。交流会をやってる側としては寂しいんだけど、それもまた大切なことです。なにしろ地元でうまくやっているからこその選択ですからね。そうやって、「つらい思い」を語っていた子が「楽しい近況」を報告できるように変わっていくのがうれしいし、そういう姿をまわりの人々が見ることが、また新たな「次の時代」を切り拓くことに」つながるんだろうな。
ということで、来年度の日程を発表して交流会も終了。
今回は人数が少なかったけど、いい話しあいができました。でも、食べ物が大量にあまったな。お持ち帰りだな。

その後、いつもの「幸楽」へ。ここで、ようやくお酒にありつきました。そこにあった「蒙古タンメン中本 辛旨焼そば」を食べたり、定番のポテサラを食べたり。ここでクールダウンというかヒートアップというか、さんざん遊んで、ようやく長い一日も終了です。

特性を把握する

明日は、いわゆる「前期選抜」なる入試があります。なので、授業は午前の4時間短縮授業。それにしても、ひとクラスは今週授業がないんだけど、大丈夫か?で、もうひとクラスで「雷」を落としてやりました。まぁねぇ、黙ってられない子なのはわかってるんだけどね。ほっとくわけにもいかんのよね。たぶん、その子を含めて何人かが原因で、このクラスでは「雑談」をしなかったんですよね。ほんとに「何年ぶりだろ」ってくらい雑談をしませんでした。アカン1年やったなと思います。
ま、そんなこんなで午前がすんで、午後からは入試の準備です。なんだかんだと細かいことをやって、4時頃に準備が終了。ガッコを飛び出そうかと思ったけど、キリの悪い時間なので、しばしクールダウン。定時まで同僚と少し話をして、定時あがり。

そこから移動開始です。で、向かうは滝井。今日はまんまるの会です。もちろんO田さんとのミーティングはなし。いきなりのまんまるです。
会場に着いたら、えらいたくさんいます。しかも新しい参加者。しかも(たぶん)トランス男性。けっこういい話しあいができたらしく、場が温まってます。が、買い出しがまだ。これはえらいこってす。とにかく買い出しに行きましたが、お惣菜が全然残ってない。やれやれ。とにかくそこにあるのを全部買い占めて、そこからは厨房仕事です。
ようやく一段落ついたところで話の輪に入りました。
まんまるの会に来てる人、けっこうみんな心理検査とかのたぐいを受けてます。なので、自分の特性を「理解」してます。これ、大切なことだと思うんですよね。なんとなく「他の人と違うなぁ」「これが得意/苦手だなぁ」と思うことはよくあります。が、それをデータとして理解すると、それの活かし方とかリカバリーのしかたとかも理解できます。すると、日々の生活が楽になる。もちろんしんどさには変わりないのかもしれないけど、やはり楽になる。
なんかでも、みんなとんがってます。
A「3日起きてられます」
一同「すごっ!」
A「でも、診断出ませんでした」
一同「えー」
B「ADHDの診断出てます」
い「なんでそんなに落ち着いてるの(笑)」
みたいな。まぁ、ある種、まんまるの会って、才能の寄せ集め集団ですね。定型発達が肩身が狭いみたいな。
今日、雷を落とした子は、たぶんトランスじゃないから、まんまるの会には来ないだろうけど、自分の特性を理解したら、少しは楽になるのかもしれないなぁ。
そんなこんなで今日も10時をまわってしまいました。さっさと片づけをして帰らなきゃ。

こんなもんにしといたろ・雪と氷の世界(2日目)

朝起きると雪です。でも、気温は8度。たいしたことはないですね。てか、昨日も今日も軽い新雪が滑れるとは、さすがです。
で、今日はレッスンがあります。昨日からの続きで上級者がおふたり。常連さんなので、「いつも」の感じです。でも、「いつも」のことをやったのではおもしろくないです。なので、少し違うことをやりたいなと。
スキーの教程には、「やること(種目)」と「動作の説明」があって、でもそれだけじゃなくて「運動要領」や「指導のポイント」があります。で、レッスンをする時にすごく大切なのは「運動要領」だったりします。つまり、身体のどの部位をどう使うかによって、スキーがどのように動いて、その結果、その種目が可能となるかというあたりが書いてあるのがここなんですよね。つまり、ここに書いてあることを実現するためには、どういう練習のバリエーションがあるかということを考えるのがレッスンなんです。で、そのバリエーションを考えるためのヒントが「指導のポイント」になります。なので、レッスン前にここを頭に叩き込んでおく必要があるんです。なので、昨日教程を読んでいたわけです。
レッスンのもうひとつの内容は「欠点の矯正」です。簡単に言えばクセをとる。でも、これが案外難しい。だって、左右が対象な人間なんていないし、さらにケガの歴史なんかがあったら、確実に左右はアンバランスです。だから、そのアンバランスを前提にして、どのようにしてそのアンバランスな身体で左右のバランスをとるかなんですね。つまり、左右で身体の使い方が違うってことです。そのレッスンは完全にオーダーメイドです。
てことで、今日は教程で得た新たな知識と、いつもやってる欠点矯正の2本立てです。
前者は「クロスオーバー」がひとつのテーマかな。後者はストックワークです。まぁこれも教程で得た新たな知識とつながるんですけどね。ストックはかつてのように「補助」として使うというよりも、どちらかというとリズムとバランスのために使うようです。でも、ベテランスキーヤーは「補助」として使ってしまう。そのせいで、かえってバランスを崩したり、より速いスピードで走るスキーに遅れてしまったりするんですね。なので「エアストック」というのにとりくんでみました。これが案外おもしろい。
そんなこんなで、新雪を楽しむのも含めて、2時間みっちり滑りました。
で、午後はレッスンなし。なので、自己練習です。ひとつひとつの滑りに自分なりにテーマを与えて、それをフィードバックしながら滑ります。そんなことをやってたら、1時間半で疲れてしまいました。
てことで、少し早いけど、もう帰ることにしましょう。
次来られるのはいつだろう…。でも、やはりスキーはおもしろい!

初滑りはアシスタント・雪と氷の世界(1日目)

今日と明日は久々の「雪と氷の世界」です。
例年は年始に行ってますが、今シーズンは年末のおべんきょ成果と年始のゲンコに加えて、指の治療もあったので、断念していたのでした。が、それにとどまらず、今シーズンそのものも断念という可能性もあったのですが、さすがにそれはということで、やはり滑ることにしました。
ところが、今日はレッスンなし。そりゃそうです。上級者のお客さんがおられるんですが、上級者担当のスタッフがいるから、わたしは出る幕がない。てことで、アシスタントをしながらビデオ撮りなんぞをしました。
にしても、上級者担当のスタッフのレッスン、勉強になりますね。さすがは研修に行ってるだけのことはあります。そして滑りがうまい。うーん、セルフエスティームが下がるなぁ(笑)。てか、比較の対象にするのがアカンか。
レッスンのあとは、校長に晩ごはんに連れて行ってもらうなど。いつもの超大盛りのお店です。ごはんを少なめにしてもらってもこの量です。

それでもなんとか食べきりました。
食後は温泉。

極楽です。でも、お風呂から上がったら、教程を読んで勉強です。さらにDVDもあるので滑りを見てイメージを焼きつけます。なにせ、明日はわたしがレッスンせにゃならん。

とはいえ、9時頃からはミーティングと称してお客さんの部屋で飲み会(笑)。「ほれ」とウィスキーを注がれて「ども」と飲んでるうちに11時半。こらアカンわ(笑)。

今年も近ブロ母女

朝起きると完全に寝坊です。この時間から集合時間に間に合うはずもないので、観念して関係諸方面に遅刻連絡です。そういや、去年も午後から参加だったな。こんなので女性部長やってていいのかと思いますが、みなさん優しいんだよね。
てことで、会場がある元町へ。
今年は全体会の最中にもぐりこみました。
講演者は三田で「じばやん倶楽部」というのをしておられる方です。いやぁ、すごいわ。こんな人が地域にいたら学校としてもうれしいだろうし、地域としても安心ですよね。ちなみに「じばやん」は「じばにゃん」ではなく「じじ・ばば・ヤング」らしいです。
で、午後からは分科会。わたしは「運営役」です。まぁこれも女性部長の仕事らしいです。運営担当はふたりなんですが、もうおひと方がメッチャ「できる人」なので、楽ですわ。さほど仕事をすることもなさそうです。
レポートは「アフガンの学校づくり支援」と「デートDVの授業実践」の2本。まったく違う内容なんですが、聞いていると共通点がいっぱいあることに気づきます。そこの根底にあるのは、アフガン支援のレポートの言葉を使うなら「貧困」「戦争」「無知」なんですよね。「貧困」はもちろんそのまま「お金がない」ってこともありますが、例えば後者のレポートにつなげるなら「関係性の貧困」ってのもあります。あるいは、前者の「絶対的貧困」と後者のありがちなパターンとしての「相対的貧困」もあるかな。「戦争」は「暴力」とすれば、これもまた共通点ですね。そして「無知」と書くと自己責任っぽくなりますが、「知識を奪われている」がより正しいかもしれません。アフガンに関しては、そのまま「教育の機会がとりわけ女性が奪われている」し、そのことが「自分(他者)の置かれた状況を認識する力が奪われている」となります。これはデートDVにも共通することです。こう考えると、いずれのレポートも、こうした共通の課題を、「遠くから」と「近くから」の2方向で問うってことなのかなと思いました。
なので、討議の柱は「知る・伝える・拡げる」にしました。こういう立て方は日教組教研のマネです(笑)。
てことで、いろんな人からいろんな意見が出て、無事分科会も終了。ほっと一息です。