朝はリハビリ。なので車出勤です。朝は楽やな。でも、帰りが電車の時間にとらわれないから、ルースになるんですよね。
リハビリを終えてガッコに行って、少しおべんきょです。今のテーマは3つのペーパーをどうからませるかです。ペーパーを読み込んで、明らかにしたことをコンパクトにまとめて、並べて、からめる。ただし、脱出するのは決めてるので、そこへ向けてトントントンと落ちていく感じにしなきゃなりません。難しい。
てことで、昼になったので中断。
午後は地元の小中の人権教育研究会の夏季研です。どことも開催は苦労するけど「やらなきゃならん」って思ってるのがいいです。まぁいまや会長さんは同年代。加配経験者もたくさんいます。みんなけっこう危機感を持ってます。
てことで、若い衆を連れて参加。到着したら会長さんとあいさつ。さらに講師さんが到着されたので、またまたあいさつ。今日の講師さんは原田琢也さんです。関西インクルーシブ教育研究会でいつもお世話になっています。で、今日の講演のタイトルは「日本の教育に今こそ求められる同和教育の財産」です。と、地元の教育長が来られたのであいさつ。みんな一緒にがんばってた仲間です。ただ、若い衆はびっくりしてたけどね(笑)。
で、開会あいさつ。熱いです。長いです。でも、そうなるんやろなぁ。ただ、その内容は、すでに講演を先取りしてるよ(笑)。
てことで、講演開始。
いつも研究会で聞いてる感じと少し違います。それはたぶん、研究会は自分の最先端のところをしゃべっておられるのに対して、今日は自分の根っこをしゃべっておられるからでしょうね。
例えば校内暴力全盛期の頃のことや、理不尽なほどの校則で抑え込んだころのこと。そういうことがあって「学校ってなんだろう」「教育ってなんだろう」となる。ただ「なる」って書いたけど、そこへいくのがすごいです。わたしなんか、実践が楽しくて、そこへいかなかったですからね。
そんなあたりから、同和教育の歴史や財産の話。コンパクトにまとめられてます。わかりやすい。そこから現状分析へ。
なーるほど。同和教育というか人権教育がなぜメジャーにならないのか、わかりました。学校教育が「排除」の構造を潜在的に持ってるのに対して、人権教育は「包摂」なんだ。ところが、同和教育って「特別措置」でやったから、特別なものになっちゃったんだ。てことは、その「特別なもの」をどう「あたりまえのもの」へと変えていくかですね。
そこでひとつは「力のある学校」です。さすがは阪大人科です。ただ、そこにも落とし穴がある。そこで「インクルーシブ教育」です。ここが原田さんの真骨頂です。日本はサラマンカ宣言に同意してるから、インクルーシブ教育をやらなきゃならないんだけど、基本はさっき言った「排除」なんですよね。てか、もっと言うと「みんな同じ扱い」という同化が前提にあって、その数少ない例外のひとつが障害であると。そして例外として排除される。それが、日本型インクルーシブ教育であると。まぁなんか変なわけです。
てことで、原田さんの主張はインクルーシブ教育に同和教育の財産を入れろと。なるほど。
なんか、関西インクルーシブ教育研究会での原田さんの根底にあるものを垣間見た気がしました。
てことで、講演のあとは若い衆を連れて講師控室へ。しばし懇談です。若い衆、少しびっくりしてました。まぁいろいろあるねん。
てことで、出張はおしまい。お次は大阪へ。今日は恒例の会議です。まずはKうさんと軽く燃料補給。今日は暑いからこれです。
しばらくするとメッセンジャーが。モルタル職人さんでした。「ピルスナーウルケルの生!どこ!」という内容で、反応早いなと(笑)。
で、会議はさっくり終わって、飲み会へ。でも、10時半前に出て、さあ帰ろう。
カテゴリー: 趣味
なぜにその相関か?とか固いなぁとか
今日は午後から前のおべんきょ場所で「伊藤悦子門下生研究発表会」です。ちなみに、去年は「中の人」に脅しをかけて、最後はひと吠えして飲みに行きましたが、ことしはどうなるかな。
今年の発表は「情報と人権」です。問題意識としては、どうやら子どもたちがどのように情報に触れ、その情報とどのように向き合い、疑問があったり間違いかもしれないと思ったときにどのように対処するのかってことを明らかにしたいという感じでした。まぁそれを基礎資料として、「情報」にかかわる人権教育を組んで生きたいという思いがあるようです。
発表そのものはおもしろかったのですが、なんかひっかかることが。それは「性別との相関」を調べられたってところです。ちなみに質問用紙の性別欄には「男・女・その他」があり、「その他」を選択した子が複数人いたのはおもしろかったですけどね。
データを見ると、情報の入口としては「会話」と「本」が優位に女子が高いんですよね。そして、インターネットの使用の仕方も「コミュニケーション」「音楽視聴」が高い。これをどう見るかですね。
わたしの頭の中にとっさに浮かんだのはこの時のおべんきょでした。レジュメをつくったのは、そのちょっと前かな。
つまり、女の子の特性として会話とか本とかコミュニケーションなんかをすると考えるのか、会話とか本とかコミュニケーションをMCDとして使用して、女の子カテゴリーをその場で構築してるのかってことなんです。もしも前者であれば、会話とか本とかコミュニケーションのしかたに危険性があるならそれを指摘してしかたを変えればいい。でも、後者だと、そのしかたを変更するということはカテゴリーの構築のしかたをかえることになるし、女の子カテゴリーのありようが変わってしまう。問題は、後者の可能性があることを理解した上で前者の立場をとるのか、その理解なしにとるのかってところかな。
まぁそんなことを考えたので発言したのですが、まぁわからんやろな。すんません。伊藤さんにも軽く流されてしまいました。
後半の発表はおとついもあった「人権教育に関する教職員の意識調査」の結果報告です。まぁいろいろ考えたことがあったけど、やはり気になるのが「人権学習をする上での課題」として「間違ったことを教えるのではないか」という不安があるってところですね。「中の人」は「だからきちんとした知識を得るために研修をして、安心して教えられるように」って結論してたけど、なんでそんなに固いんだろ。あえて間違ったことを教えるのはアカンけど、間違ってしまうのはかまわないと思うのですよね。で、間違ってたことに気づいたら、それを修正することをきっかけにして子どもたちとさらに話しこめばいい。つまり「間違っちゃってもいいよ」っていう安心感があるほうが大切なんじゃないかなと思うんですが、伝わったかなぁ。
てなことで、3時からはじまった研究発表会、4時半に終わるかと思ってたけど、6時までやってました。疲れたけど楽しかったな。吠えずにすんだし、それもよし。今年は飲み会がないから帰りましょう。
機は熟したか
今日は某人権教育研究会の夏季研究大会です。例年ならば京都府中部の会館を借りて、午前はレポート発表、午後が記念講演となります。が、今年はこんなご時世なので、京都府北部のホールを借りて午後の記念講演のみとなりました。もっとも、そもそも、やるかやらないかを論議するところからスタートしたので、やれただけでもたいしたものかなと。まぁそれも会長(某支店長)も含めて、全員が「やらなきゃならん」と思ってるから実現できるわけですけどね。
てことで、会場の最寄りの駅で講師の浜田麻里さんと合流。わたしの服を見るなり「どこで川遊びをするんですか」と言われてしまいました(笑)。まぁサンダルやしな。
てことで、会場のホールへ。
ガッコから「まともなプロジェクタ」を持っていって設置したら、「まともなスクリーン」とあいまって、めっちゃきれいな映像です。さすがはホールです。安心したところでおべんと食べてたら、いろんな人からあいさつされたり。あらためて「このギョーカイに長くいてるんやなぁ」と再認識しました。
で、夏季研開始。まずはあいさつ。みなさん、なかなか気合が入っておられます。まぁそれもそうか。なにせこのご時世やしな。
で、昨年度実施された「人権教育に関する教職員の意識調査」の結果報告です。話を聞きながら「これ聞いてる「若い人」はきついやろなぁ」と思いました。まぁ統計結果ですから、あくまでも傾向でしかないです。若い人が豊富な人権学習実践の経験があったら、よほどの好き者というか、偏った人事をしてるというか、そういうことです。ただ、そういう「若い人」が経験を積む中で人権教育の経験もまた積む機会をどうつくるかってことが問われてるわけです。ついでにいうと、そんなことは一人権教育担当者にできるはずがないです。それを可能とするシステムをつくらないと無理です。てことで、人権教育室の結果報告はブーメランとして自分に刺さるはずなんだけどね(笑)。
あと、「接触仮説」は大切かな。この言葉は使わなかったけど、被差別当事者との出会いや差別と闘っている人との出会いが大切って話です。はたしてわたしは「差別と闘っている人」なんだろか。仮にそうだとして、出会えてるんだろうかと、ふと思ったり。
で、次は本日のメインイベント。記念講演です。演題は「外国にルーツをもつ高校生の現状と指導の在り方ー京都府立高校で何が求められているかー」です。
毎年「高校入試特別措置調査」の窓口をやって「ひぃー」ってなってますが、結果を見るたびに「ほんとに京都は外国人生徒に冷たいな」って思います。まずは、特別枠は中国帰国者3世までで、しかも小学校4年まで中国にいたことが条件です。これ、すでに該当者なしで何年もたってます。外国人の特例措置はあるけど、ルビ打ちと10分の延長だけ。んなもん、ロシア語にルビを打って10分延長されてもわかるはずもないです。てことは、この程度の特例措置で入れる子どもは、もともとよほど学力が高いか、あるいはそもそもその学校が日本語がわかる子にとってもとても入りやすいかってことです。で、前者の子はほとんどいないので、後者ってことになります。とても簡単に言うと、T高校定時制にみんな入る。そうすると、すべての歪はT高校定時制に集中するから、他の学校には歪がなくなる。なので無関心になる。
これ、実はインクルーシブ教育が京都で広がらないのと、かなり状況が似ています。まぁ、京都は発達保障論の牙城ですからね。
ただ、当然そんなのはダメに決まってます。なので、ここ数年、外国人教育のことをずっと提起してきました。で、ようやく浜田さんを呼ぶところまできたんです。もちろん、呼ぶだけだったらいつでも呼べるけど、呼ぶことに意味があるところまで、やっときたということです。
で、話の内容ですね。
大きくは「在日外国人をとりまく大きな流れ」「「断絶」と「繰り返し」」「京都府立高校に求めること」という感じでした。
2019年から2020年って、在日外国人をめぐる法的状況が大きく変わったんですね。端的に言うなら「特定技能1号」「特定技能2号」ができたことです。政府は否定しているけど移民社会に舵を切ったし、そうしないとこれからの日本は立ち行かないってことです。で、こういう方向に舵を切ったということは、入管法を変えたり在留資格を新設したりというだけではまったく不足で、それにともなってさまざまなところで方向転換をしなきゃならない。そのうちのひとつが教育、とりわけ日本語指導です。ただ、日本語指導だけすればいいかというと、そうはいかない。というのは子どもは学校で学び生活をするからです。端的に言うと、学校生活が送れるように環境を整備しなきゃならんということです。かつては「同化」を強いたけど、それが可能な状況では、もはやない。だからこそ、文部科学省が「多文化」といい「ともに日本社会をつくる一員」と言わざるを得ないところまできたし、不就学へのとりくみをしろと言わなくちゃならないところまできた。
という状況が、京都府にいると、特に高校にいると、さらに特に全日制にいるとわからない。
ただ、外国人教育はこれまでもなされてきました。ところが、その「外国人」は在日コリアンだった。そこでは日本語指導は必要なかったし、もうひとつは「戦争責任」というのが頭の中にあった。で、そうやって培ってきた在日外国人教育と、日本語指導を必要とする子どもたちへの在日外国人教育は「違う」としてきたのが「断絶」ってことです。このあたりは、某在日外国人教育関係の集まりで散々論議してきたことです。ただ、現在その「分断」があるかというと、たぶんないです。というのは、ニューカマーの子どもたちが大きくなり2世・3世が出てきたとき、在日コリアンと同じことが起こっているからです。まさに「繰り返し」です。
では、そういう状況を踏まえて、京都府立高校はなにをしなきゃならないかってことです。浜田さんは「進路の現状把握とキャリア教育」「外国人教育、多文化共生教育の再定義」「支援体制の構築」「教員養成」の4つをあげられました。なんといっても、こういう内容を個々の教員のとりくみに頼るのではなく、システムをつくっていくこと、これが大切ですよね。
全体を通して感じたのは「特別扱いすること」こそが必要であるということを繰り返し言われたなと。でもこれ、すでにモデルがあります。それは「合理的配慮」です。つまり多文化共生教育はインクルーシブ教育だってことです。
ちなみにこれ、わたしが言ってるんじゃなくて、すでに日教組が言ってます。はじめてこれを聞いたときに「やられた!」と思いました(笑)。
てことで、夏季研終了。おもしろかった。
帰りは浜田さんと一緒です。今日の振り返りから、ふだんのグチから、いろいろ話。浜田さん、よく笑われるから話をしてて楽しいな。あっという間に京都に着いて、さあ帰って筋トレからのビールだな。
今日も滋賀→ちょぼやき会
朝はリハビリです。とにかく夜のうちに筋肉がこわばってしまうみたいで、朝は不調です。が、順番を待っている時に、試しに腕を上げてみたら、上がらないものの「上げ方」を少し思い出した気がしました。いや、実は腕の上げ方を身体が忘れてるんですよね。やっかいだな。
で、40分伸ばしてもらって、いったんお家へ。出発準備をして、おにぎり持って、昨日と同じ電車に乗りました。向かうは昨日と同じ駅です。で、迎えに来てもらって、隣町の中学校へ。今日は中学校区の夏季研です。ちなみに近隣の中学校区は中止だけど、ここはやるんだとか。ただし「密集」を避けるために3会場にわけて、放送室から各教室に配信するんだとか。すごいわ。
今日も与えられた時間は1時間40分です。ネタはミッション3。2時間かかります。かつ、今日も目標は普通の人の早口レベルで話すことです。どうしようか、かなり悩んだけど、動画をひとつカットすることにしました。これで7分くらいかせげます。
で、お座敷スタート。みなさん、マスクをしておられるので口の動きがわかりません。なんか、笑ってる気もするけど笑ってない気もする。ビミョーです。でも、そのうち明らかに反応しはじめた方がチラホラ出てきて、ホッとしました。あとはゆっくりを心がけながら話していって、なんとか1時間42分で終了。よかったよかった。
帰り道、駅まで送ってもらいながらいろいろ話。この方、若い中学校教員で、今は教育委員会に出向しておられます。今の仕事の中で、いろんな気づきがあるんだとか。いいですね。それがきっと子どもたちの前にもどった時に役立ちますよ。
で、家に帰って筋トレやって、再び出発です。久しぶりに「かっちゃん」に寄って、生ビールを1杯。うまいわ。
で、「ちょぼやき会」です。
今日のスピーカーは岡山さんです。
話の内容は、ご自分が自立生活をするまでのことや、自立生活をしたりJCILで仕事をする中で考えられたことでした。
わたしは、絶対に介助の世界には入らないと決めてます。のめり込むに決まってるからです。ただ、障害者解放運動というか自立生活運動というか、そのあたりの影響はものすごく受けています。なので、メッチャおもしろかったです。
そもそも、たぶん岡山さん、束縛されるのがキライな方なんですね。自立生活には運動から入るのではなく、そういう性格ゆえに入られたのかな。それだけに、運動の原則論にとらわれるのではなく、どちらかというとよりよい生活を送るためにどうしたらいいかってあたりを考えておられる気がします。そういうやり方に、プラスJCILの運動が加わって、今の岡山さんがおられるのかな。
例えば「だいたい指示介助」とか書いておられて、この「だいたい」ってのがおもしろい。
あと、やはりインクルーシブ教育の大切さですね。実は前からずっと「特別支援学校との交流」とかいう話に違和感があって、それをどう表現したらいいかと思っていて、岡山さんに質問したら「非日常ですね」とひとこと。それかぁ。なんか、健常者側の自己満足なのかな。
そんなこんなのいろんな話がおもしろかったなぁ。
最後に「命の大切さをどう伝えるか」ってことを質問したら「難しいですね」と。やはり悩んでおられる。ただ「価値がある生き方」ではなく「生きていることに価値がある」へと転換することが大切なんじゃないかっていう提起をされました。これ、言うのは簡単なんだけど、伝えるのは難しい気もします。それは、どこまでそれを自分が血肉化した生き方をしてるかってところが問われるからです。
まぁ、そんなこんなで充実した2時間を終え、solへ。ここで、おいしい料理とお酒をいただきながら、またまたいろいろ話。でも、10時には解散です。
長い1日だったなぁ。でも、充実してた。やってないのはおべんきょだけだな。
まぁ成功か
朝、子どもたちは発声練習に行ったみたいです。が、わたしは爆睡してました。これもいつものことです。
発声練習から帰ってきたら朝ごはん。なに?カレー?うまい!けど、朝カレーか。すごいな。
食べ終わったら、番組発表まで少し時間をあげると、みんな爆睡してました。まぁそりゃそうでしょう。寝るわな。
で、番組発表。まぁ未熟だけど、いいとしましょう。みんなの感想を聞いていると、イチからものをつくることのたいへんさ、具体的にはテーマを決め、台本をつくり、収録し、編集をすることってとてもたいへんだってことがわかったみたいです。そしてそれを知ることが番組制作の一番の目的です。あと、編集はやり方を教えてもらったからできるものじゃない。必要に迫られて具体的にやることを通して、やり方を身につけていく。そのあたりが少し達成できたから、今回の合宿は成功でしょう。
てことで、ガッコにもどって荷物をおろして、合宿終了。
家に帰って、実家の用事をすませたあたりで限界です。もう何をする気も起こらない。ビールだな。
で、合宿
今日〜明日、放送部の合宿です。ちなみに、ここしばらくのcovid-19の感染人数の報道を見ながら「1週間あとにしてくれよ」とは思ってました。が、しゃーないです。というか、行き先はカントリーなところなので、どちらかというとわたしたちのほうが感染源になりかねません。
と、わたしなんかは思うのですが、世間の人はそうは思わないらしいです。例えば「宿はいいけど、途中の電車の中の感染が怖い」とかね。もしもそうなら、電車通勤のわたしなんざ、とっくにかかってます。なんか、過剰な警戒心と、それの裏返しとしての「警戒してるから自分は大丈夫」という自信がセットになると、それが自警団につながる気がします。
ということで、数日前に宿から「ほんとうに泊まられますか」と確認の電話がかかってきたので、「人数が減って申しわけないですが、やりますよ」と答えました。
昼過ぎにみんな到着。まずは機材講習から。もっとも、今回はやむを得ず1泊2日にしたので、番組制作の時間を保証しなきゃなりません。なので、必要最低限の講習にとどめました。
番組制作のテーマは「コロナと○○」です。どんなのをつくるか楽しみです。ちなみに今年度は放送部の顧問がマジな3人体制になりました。今回は人数が少ないけど、引き継ぎのために3人で運営します。子どもたちに「必要があればアドバイスを求めたらええよ」と言えるのがうれしいです。
夕方は筋トレ。その後、晩ごはんはBBQです。去年よりも肉がいい気がします。たぶんすごくサービスしてくださってるんだろな。もちろん毎年ここでやってるってのもあるけど、それだけじゃなくて、キャンセルが相次ぐ中、少ない人数でも「やる」ってことへのサービスなんだろな。申しわけないです。
BBQが終わったら、子どもたちはお風呂。長い。しかも広いお風呂なのにひとりずつ入ってる。お前ら、ミーティングの時間とか番組制作の時間とか、考えてるのか?でも、すでにわたしは使いものにならなくなってます。
てことで、11時くらいに寝ちゃいました。まぁええやろ。
公開した
倒れた
朝起きると7時過ぎ。すでにのそのそ起きている人がいます。
庭に出ると、Sゅんすけが「いつきさんの飲み物」と、ほろよいを出してくれました。アカンヤツや。
てことで、朝呑みの開始です。ビールはさすがにしんどいので、チューハイからワインへと移行しましょう。そうこうするうちに、モーニング焼肉とかモーニングカレーが出はじめました。今回は最後に自粛する人がそれなりにいたので、食材がけっこうあります。なので、極力消費ということで。
宴会をしながら片づけ開始です。幸い、少し太陽が顔をのぞかせてくれたので、その隙にタープを片づけましょう。そんなこんなで、遠方から来ている人から順次出発。わたしも昼前に出発。
帰りにUりんちゃんと王将に寄って、遅めのランチ。なるほど、王将の酢豚って鶏肉使ってるんだwww。
てことで、家に帰ったらさすがにダウン。思いっきり寝てしまいました。まぁいいです。明日は原稿を書かねば。
決断の結果
この間の決断の内容はトランスジェンダー生徒交流会のキャンプについてでした。
このご時世、当然のことながら、キャンプなんか中止一択です。でも、「中止」という「正しい選択」が、「いい選択」なのかどうなのかを考えました。というのは、わたしは教員なので、時としてリスクがあってもそちらを選択するということがあるのです。さんざん考えた結果、「やる」という決断をしました。その理由は以下のとおりです。
子どもが子どもでいられる時間はあまりにも短いということ。そして、子どもにとっては今年の夏は今年しかないということです。
あまりにも子どもじみた理由です。でもいいんです。その代わり、リスクを極力避ける形で実施すればいい。実際に、自分の体調を考えて「参加自粛」という決断を下した人もいました。それでいいと思います。てか、こういうのを「自粛」というんです。
てことで、8時頃にUりんちゃんが来てくれて、荷物を積み込んで、一路日本海へ。途中生徒をピックアップして、魚とか昼ごはんとかをゲットしてキャンプ地へ。到着したら、まだ誰も来ていません。なので、キャンプ場開きをしてしまいました。Uりんちゃんと生徒さんはキャンプ場の掃除。わたしはなぜか筋トレです。このあたりで、続々とあちこちから参加者が到着。三々五々昼ごはんを食べたり海に遊びに行ったり。
わたしは庭にテーブルとゆらゆらするのを出して、おしゃべりしたり、お酒を呑んだり。
夕方になったところで焼肉開始です。わたしはしめ鯖と白いかのつくりをつくってみたり。
暗くなると、なぜか食べずに呑むばかり。これはやばいなと思うけど、しかたないです。てことで、12時過ぎに寝ようと思ったけど、「外で寝たら雨が降るよ」ということで、無事、屋根の下でシュラフにもぐり込むことに成功しました。
やれやれ。
案外好評だった
今日の午後は人権教育担当者の会議です。今回はうちの職場が会場なので、準備でパタパタ。
で、会議です。とにかく今年はメンバーがガラリと変わりました。残留してるのは14人中5人かな。しかも「人権教育担当、はじめてです」って人がほとんどです。まぁでも、それはとてもいいことです。もっともベテランの域に入ってて「はじめて」ってのは、これまでどういう人事体制でやってきたんやとも思いますけど、比較的若い人が多いのがいいです。ちなみに、女性も多い。とてもいいことです。
で、みなさん好奇心が旺盛というか、研究心が高いというか。ほんとに積極的に参加されてる感じが伝わってきます。
会議ではそれぞれのガッコの状況を交換したあと、人権学習の紹介をしたりします。今回はちょいと出しゃばって「世界人権宣言」のプレゼンを見せてみたり。
で、いろいろディスカッションをしてたらあっという間に終了時間。
と、ある参加者の方が「あの…」って来られました。
「さっきのプレゼンのデータをいただけませんか?」
「いいですよ(^^)」
「えっ!いいんですか!」
と、
「わたしも」
「わたしも」
ってことで、みなさんにデータをおわけすることに。
たぶんわかりやすかったんでしょうね。ある方が
「生徒になった気分で「うんうん」って聞いてました」
って言っておられましたが、子どもにわかりやすい教材は教員にもわかりやすいってことです。
ディスカッションの中で、あるベテラン教員の方が「理解したか?」みたいな話をされたのですが、理解はいらないと思うんですよね。ましてや「定着」なんてするはずがない。でも、1年生の1学期にやることに意味がある。いろんなことを感じてくれたらいい。
例えば2年生になって
「去年やったの覚えてる?」
って話たら
「ラップのやつやろ」
って返ってくることがあります。それで充分にうれしいです。
人権教育担当のおもしろさを通して、反差別を生きる人との出会いの豊かさへとつながっていけば、きっと仲間ができていく。
そんなことを感じさせられたひとときでした。